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2017/02/02 · 田辺元の「種の論理」を知ったのは中沢新一の『フィロソフィア・ヤポニカ』という本においてであった。しかし、今思えばそんなことはどうでもよかった。
2007/05/28 · 種の論理. つまり私には、〈組織で動く/個人が最大限能力発揮〉は ... つまり「種の論理」においては、種と個は相補的なものとなる。 確かに、種と個は ...
2006/11/10 · しかし「種の論理」においては「個」は想像界を経由しない。つまりその共同体的結びつきは「安易な回路」を経由しない。「共」の理論では結びつかない。「 ...
2006/07/29 · この本は、田邉元の「種の論理」と、西田幾多郎の「場の哲学」という、ふたつの日本哲学(フィロソフィア・ヤポニカ)について書かれたものであり ...
2007/07/14 · ただ私にとっての「パトリ」とは、郷土愛に限定的されたものではなく、田邉元のいう「種の論理」の種的基体の別名のことである。
2007/08/16 · ただ「種の論理」が働いていない、というだけのことだ。 種の論理. 「種」とは、田邉元のいう「種の論理」の種的基体のことだ。 下の図でいえば、第4 ...
2006/08/02 · これは、「IT化講座」‐「種の論理」を書いていたら、引用が必要になってしまったための記述であって――つまり私の都合なのであって、別に今読まなくて ...
2007/06/28 · 水野氏は今世界を席巻しているグローバル経済の特色を、「帝国化」と「二極化」という「ものさし」でとらえるのだが、この考え方は「種の論理」でいえば、 ...
2006/11/09 · また、「私」を「個」(市場・効率性の強くない私の領域)と置き換えれば、田邉元のいう(初期の)「種の論理」に近いものになると(私は)思う――中心に ...
2006/08/21 · つまり「種の論理」は、一階部分が国家でなくてなならないなどと云っているのではない。地政学的に云えばせいぜいパトリで十分であろう――国家は〈類〉で ...