古田重然
ふるた しげなり
古田 重然は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。古田 織部の通称で知られる。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下・織部助。
豊臣秀吉・徳川家康の茶頭、徳川秀忠の茶の湯指南役。茶道織部流の祖。江戸幕府の御茶吟味役。柳営茶道の祖。 ウィキペディア
生まれ: 1544年, 日本 岐阜県 本巣郡
死去: 1615年7月4日, 日本 京都府 京都市 伏見区
子女: 古田重広
埋葬地: 日本 京都府 京都市 大徳寺
妻: 正室:中川清秀妹・せん
官位: 従五位下、織部助(織部正)
さらに表示
一部表示
関連する質問
古田織部はなぜ切腹になったのですか?
古田織部は何をした人ですか?
千利休と古田織部の違いは何ですか?
織田信長と古田織部の関係は?
古田織部 (ふるたおりべ) 生没年:1544-1615(天文13-元和1). 桃山時代の武将であり,茶人として知られる。美濃に生まれ,通称を左介,名を重然といった。また景安,古左,古織 ...