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2008/10/22 · それは自我の欲求の上にある(というだけのことだ)。 それは〈他者〉からの尊敬と称賛であり信頼である。つまり「自己責任」の「自己」というのは ...
2007/03/27 · ただ、19世紀的「潜在性の思考」と、20世紀的「自己言及の思考」は少しは理解できているつもりでいる。なぜなら私自身が「自己言及の思考」にあろうと務め ...
2009/07/26 · まず「去勢」について簡単に説明しておきます。去勢とはご存じのように、ベニスを取り除くことです。精神分析では、この「去勢」が、非常に重要な概念 ...
その自己の曖昧さの根源がパトリです。パトリは私をかたちづくる基底でありながらも、それを自分では自分を決められない不自由さ、私を名指し(規定しようとする)「種的 ...
そしてもうひとつ、自己言及として書くことを、(私は私自身に)課しているのだが、それは、書いている自分を〈他者〉の目でみている、という自己分裂――で ...
2007/12/21 · 文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持ってゐなければならぬ。 というフレーズから持っ ...
午前6時35分起床。浅草は晴れ。あたしが食べて駄目なものにポテトがあるが、このギョニックスという代物は、魚肉ソーセージとポテトをミックスした、カリカリのスナック ...
この本のお題は「家族」です。それは個人の心的システム(精神分析の対象)では環境でしかありません。 そして「家族」は最小の社会システムであり、それがシステムである ...
2009/04/28 · ... 自己関心:セルフ・インタレスト)がウェルフェアに貢献できるのは「共感シンパシー」があってのことなのは当然のことでしかない。※1. しかし主流派の ...
2009/04/06 · 明治十四年。二十四歳になった熊太郎は完全な極道になり果てていた。 生活を抛棄して博奕場に入りびたる。昼から酒を飲むなど遊蕩に身を持ち崩して、 ...