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覚鑁

宗教的指導者
覚鑁は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。 諡号興教大師。肥前国藤津庄生まれ。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘。幼名は弥千歳。 平安時代後期の朝野に勃興していた法然らの念仏・浄土思想を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した「密厳浄土」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成した。 ウィキペディア
生まれ1095年, 肥前国
死去1143年12月12日, 日本 和歌山県 岩出市
著作『月輪観』、『五輪九字明秘密釈』
寛助・青蓮・明寂
根来寺奥之院霊廟
諡号興教大師

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