昭和12年(1937)7月7日、中国北京郊外の盧溝橋での日中両軍の小衝突を発端として、7月末には日本軍が北京・天津地方を制圧。 8月には、上海で海軍陸戦隊の大山勇夫中尉が射殺されたことを契機に、日本は上海地方への出兵を決定。
1937年7月7日夜、豊台に駐屯していた支那駐屯歩兵第一聯隊第三大隊第八中隊の将兵が盧溝橋付近の河原で夜間演習中、実弾を撃ち込まれ、点呼時に兵士の1人が所在不明だっ ...
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盧溝橋事件
ろこうきょうじけん
盧溝橋事件は、1937年7月7日に中華民国北平市西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である。 ウィキペディア
日付: 1937年7月7日 – 1937年7月11日
兵員:5,600 (支那駐屯軍の総兵力, 7/8の交戦戦力は510): 兵員:100,000 (國防部史政編譯局『抗日戰史』による二十九軍の総兵力、平津地区には40,000)
戦死10、戦傷30 (7/8) 戦死6、戦傷12 (7/10): 戦死60余、戦傷120余 (7/8); 戦傷死約150 (7/10)
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