PART 4 (No.61〜80)

PART 5 (No.81〜100)へ

No ベ ス ト 作 品 ご 参 考
61

 「赤ひげ」 ('65) 東宝=黒澤プロ/監督:黒澤 明

リアルタイムで見た2本目の黒澤映画である。山本周五郎の原作を元に、一人の若い医学生(加山雄三)が、自分の不始末の結果送り込まれた養生所の中でさまざまな体験をし、所長の赤ひげから、医者はどうあるべきかを教えられ、やがて自ら養生所に残る事を決意するまでを描く。
未熟な若者が、立派な師に鍛えられて成長する…という物語は、黒澤のデビュー作「姿三四郎」から「野良犬」、さらには「七人の侍」「椿三十郎」にも見え隠れする永遠のテーマであるし、政治の貧困、社会悪への激しい怒り…も「生きる」「生きものの記録」「どん底」「悪い奴ほどよく眠る」と、これもずっと黒澤が描いて来たものである。いわばこの作品は、黒澤明世界の集大成…とも言える映画である。完璧なまでの脚本、演劇界を中心とした達者な役者たちのアンサンブル、とことんリアルに作りこまれたセットの見事さ…どれを取っても圧倒される素晴らしい作品である。…無論最初観た時には前述のテーマまでは分からなかったが、とにかく登場人物の隅々に至るまで描写をゆるがせにしない演出力の凄さには素直に感動した。以後、他の黒澤作品も含めて何度も繰り返し観ているうちに、どんどん黒澤世界の素晴らしさにのめり込んで行ったわけである。本当に黒澤明は、素晴らしい作家である…と、つくづく思った。
この次以降、黒澤作品はカラー時代になり、無論どれもリアルタイムで(と言うより封切られる都度真っ先に劇場に駆け付け)観ているし、十分堪能したのだが、それでもモノクロ時代の、身が震えるような感動は味わえなかったのが残念である。その理由はいろいろ挙げられるが、私は黒澤監督が“カラー”を得て、画家(元々は画家になりたかった)としての“画作り”に精力を注ぎ過ぎたせいではないかと思う。それはそれなりに見事なものではあるのだが…。小林信彦さんもベスト100「天国と地獄」の感想で「(これを観た時は)まだ、ずっとこういう黒澤映画が観られると思い、幸せだった。それでも『姿三四郎』から20年間、楽しませてもらったのだ。ありがとう」と書き、以後黒澤作品は挙げていない。私も同感である。“黒澤明監督、本当にありがとう。あなたの作品から受けた感銘は一生忘れません”…とここに記しておこう。

小林さんのベスト100
 (80)「クレージーの大冒険」
   ('65 監督:古沢憲吾)


*小林さんも推奨の
「クレージーの大冒険」は、植木等がJ・P・ベルモンドばりに(企画としては「リオの男」日本版を狙ったそうだ(笑))大活躍する冒険活劇映画。円谷英二の特撮もフルに使われている。ラストでは生きていた(!)ヒットラーまで登場する。後半植木がナチスの潜水艦にしがみ付き、敵基地に潜入するシーンは、ひょっとしてスピルバーグが「レイダース・失われた聖櫃」でパクッたのではないか(笑)。

*市川崑監督「東京オリンピック」(65)も素晴らしい。オリンピック記録映画が初めて芸術となったと評判になった。

*加山雄三が大ブレイク。「エレキの若大将」(岩内克巳監督)は当時のエレキブームの凄さを物語る。ベンチャーズに夢中になっていた私は加山のエレキ・テクニックにシビれ、今でもこの作品は時々ビデオで再見してはウルウルしてしまう(笑)。大ヒット曲「君といつまでも」が登場するのもこの作品。

*山田洋次監督の珍しい松本清張ミステリー「霧の旗」も捨て難い味の佳作。兄の復讐に燃える倍賞千恵子が熱演。滝沢修、新珠三千代が共演。

*市川雷蔵主演、三隅研次監督の「剣鬼」もなかなか見応えがあった。主人公が、丹精込めた谷間に咲く花に埋もれて死ぬラストが忘れ難い。

62

 「明治侠客伝・三代目襲名」 ('65) 東映/監督:加藤 泰

東映任侠映画の秀作である。キネマ旬報が昭和46年に発刊した増刊号「任侠映画傑作選」の中で発表された、映画評論家による「任侠映画ベストテン」でも第1位になった(ちなみに2位以下は「次郎長三国志」(マキノ)「沓掛時次郎・遊侠一匹」「博奕打ち・総長賭博」「関の弥太ッペ」(山下耕作)とすべて納得)。
この作品は、最初小沢茂弘監督で撮る予定だったのが流れて、急遽加藤泰監督に回って来た作品で(加藤さんによると、「遊んでいるのは僕くらいしかいませんから」だそうである(笑))、封切りまで日が無く、撮影期間はわずか18日だったそうである。それでいて、素晴らしい傑作になっていたのだから驚く。
ストーリーは任侠映画のよくあるパターンで、特に目新しいものはない。それでいて傑作となったのは、ひとえに“掟としがらみに引き裂かれる男と女の哀しいラブストーリー”に力点を置いた演出の賜物である。セリフがどれも素晴らしい(脚本は鈴木則文と村尾昭)。「うちはあきらめるつもりで来たんだす。…けど、どうしてもあきらめられまへん」「勘弁してくれ。今のわいはわいであってわいでないんや。木屋辰三代目の金看板と、義理の2文字をしょった、おまえの知らん菊地浅次郎という男や」「…あほな男や。せやけど、わいはこういう生き方しかでけへんのや」…掟に縛られながらも、なおほとばしる情念と掟の間でゆれ動く人間の哀しさが見事に表現されている、出色の名シーンである。鶴田浩二、藤純子、脇の藤山寛美から、冒頭の殺し屋、汐路章(加藤映画常連)に至るまで、役者がみんないい。中ノ島の河岸で藤純子が、田舎から持って来た桃を鶴田に渡す名シーンも忘れ難い。

*山本周五郎原作「冷飯とおさんとちゃん」(田坂具隆監督)も好きな作品。3つのエピソードから成るオムニバス時代劇。すべての作品に主演する中村錦之助がいい。3話の中では最後の「ちゃん」が一番好きですね。


*石井輝男監督の「網走番外地」(65)は、健サンの魅力をうまく生かした男性アクションの秀作。S・クレイマー監督「手錠のままの脱獄」の日本版とも言える。同年のシリーズ3作目
「網走番外地・望郷編」も傑作。こちらはジャン・ギャバンの「望郷」も引用されており、杉浦直樹扮する口笛を吹く殺し屋も印象深い。石井輝男監督で計10作、降旗康男監督を中心とした「新・網走番外地」シリーズが計8本作られたが、やはり洋画の引用を多用した初期の石井輝男作品がどれも面白い。

 

*鈴木清順監督の、田村泰次郎原作「春婦伝」(65)も見応えがあった。川地民夫の三上上等兵と野川由美子の慰安婦・春美との悲しい愛を描く。かつて谷口千吉監督により「暁の脱走」として映画化された作品のリメイク。こちらの方は強烈な映像美とエロティシズムが配された清順らしい力作になっている。

63

 「刺青一代」 ('65) 日活/監督:鈴木 清順

こちらも、鈴木清順監督の任侠映画の傑作。特にラスト近く、それまでオーソドックスに進んで来た物語が、主人公白狐の鉄(高橋英樹)の弟(花ノ本寿)が斬られた瞬間から突然画面が真っ赤に染まり、歌舞伎風のめくるめく異次元空間が広がり、絢爛たる色彩とアクションが炸裂する名場面はこの映画最大の見もの。オールナイトでは歓声と大拍手が巻き起こったものである(私は勝手に“任侠映画版「2001年宇宙の旅」”と呼んでいる(笑))。
しかしあのラストだけが突出しているように見えるが、何度も観ると、そこに至るまでの物語も澱みなく、丁寧に作られているのが分かる。満州に渡ろうとして立ち寄った日本海の町で、渡航費を騙し取られ、やむなく働くことになった飯場で弟は年上の女性に母の面影を見、兄は飯場の娘(和泉雅子)に慕われる。さまざまな愛と情念が相克し、弟を失った鉄が怒りを爆発させるラストまで、じっくりと物語が作り込まれているからこそあのラストが精彩を放つのである。清順美学だけを真似する監督が多いが、物語をおざなりにしては映画としてダメなのである。「可哀相だは惚れたってえことよ」とキップのいいセリフを吐く和泉雅子がとてもチャーミングで可愛い。


*熊井啓監督の2作目「日本列島」(65)も、この人らしい戦後日本の黒い霧を追求した問題作。芦川いずみがいい。この映画で陰謀の鍵を握る不気味な男を演じた大滝秀治が強烈な印象を残した。


64

 「股旅/三人やくざ」  ('65) 東映/監督:沢島 忠

東映時代劇全盛期に、快テンポのミュージカル・タッチの時代劇の秀作を連打していた沢島忠も、任侠映画「人生劇場・飛車角」(63)を作らされた辺りからやや精彩を失い、この頃にはあまり印象に残る作品を作っていない。しかし、東映時代劇の黄昏期に登場したこの作品は、その黄金期を支えた沢島忠監督の、最後の輝き(と言っては失礼か)を見せた秀作である。
映画は、3つの章から成るオムニバス形式で構成されている。第1話「秋の章」は、仲代達矢扮する無宿者・初雁の千太郎が、自分の斬った男が、遊女(桜町弘子)が待ち続けている男と知り、この遊女を自分にかかった賞金で助けようとする話。渡世人のしきたりをきちんと見せたり(食べ終わった魚の骨を懐にしまう…という所作は、この映画で初めて見た)、最後には御用提灯に取り囲まれたり…と、そのクールでハードボイルドチックな映像は、後の「ひとり狼」「木枯らし紋次郎」にも影響を与えているのではないかと思う。
第2章「冬の章」では一転、雪に閉ざされた峠の茶屋を舞台にした、一幕ものの芝居を見るような、しみじみとした味わいの人情劇。若いヤクザ(松方弘樹)に、足を洗えと促す老ヤクザを演じた志村喬がいい。素性を隠したその娘(藤純子)との親子愛も泣かせる。
そして第3話「春の章」これがケッサクである。気のいい旅鴉(中村錦之助)が、腕っぷしは大した事ないのに、村の住民におだてられて悪代官退治をするハメになる。全体にコミカルタッチで大いに笑わせられる。悪代官(加藤武。快演)にとても歯が立たない事を知ってこっそり逃げようとしたら、罠にかかった狸と鉢合わせし、仕方なく「タヌキが取れたよぉ〜」と情けない声で叫ぶシーンは抱腹絶倒である。村人から失望の眼で見られた錦之助は、遂に勇気を奮い起こし、辛くも逆転勝利する。ラスト、こっそり村を出る錦之助を、入江若葉扮する村の娘が「久太郎さ〜ん」と追いかけ、それを隠れてやり過ごすシーンは錦之助の名作「関の弥太ッペ」のパロディかも知れない(笑)。男性コーラスの「どじょっこふなっこ」をブリッジに3話をつなぐ構成もシャレており、3話のタッチをそれぞれ全く変えた演出にも才気を感じる。見る度に楽しくなる、ちょっと隠れた秀作として私は大好きである。

 
65

 「大魔神」  ('66) 大映/監督:安田 公義

珍しい大映特撮時代劇の秀作。ゴーレム伝説や日本の民話から題材を得て、日本映画界でも最高水準を誇る大映時代劇技術スタッフの力量が最良の形で発揮された、見応えのある作品である。大魔神が登場するのはラストの20分程度であるが、そこに持って行くストーリーがしっかりと作られているからこそ、クライマックスが生きる…のは前掲の「刺青一代」と同じである。当時の最新技術、ブルー・バッキング合成が見事に生かされ、名手内藤昭が担当した美術との違和感がまったくない。なぎ倒される建築物は大魔神の身長(人間の2.5倍とそれほど大きくない)に合わせてすべて実物の2.5分の1に縮小され、瓦も一枚一枚焼いたそうである。またカメラの位置も人間から見た視線という事で、ぐっとローアングルにしてある。これによって、東宝怪獣映画よりもずっと迫真性がある見事な絵になっている(この人間の目線は、後年金子修介が「ガメラ」シリーズで採用し評判になったが、原点はこの「大魔神」である)。当時東宝の怪獣映画ばかり追いかけていた私は、この作品を観て目からウロコ…の思いであった。伝統的な時代劇の面白さと、SF特撮映画のセンス・オブ・ワンダー世界とが絶妙の合体を見た、これは日本映画史上にも類を見ないファンタジーの秀作だと思う。なおこれはシリーズ化され、三隅研次、森一生という大映時代劇のベテラン監督が後を引き継いだが、あまりにも短期間(10カ月で3本!)に作られた為急速にボルテージが落ち、以後製作されていないのは残念である。


*中島貞夫監督が自らの企画で映画化した「893愚連隊」(66)が

面白い。松方弘樹らのチンピラ・グループが、ヤクザたちに痛めつけられながらも、ゲリラ的に反抗する姿を描く。取引現場から大金強奪に成功した…と思ったのもつかの間、パーになるあたりは大笑いした。戦中派ヤクザに扮した天知茂も存在感ある好演。「いきがったらあかん、ネチョネチョ生きるこっちゃ」というラストの名セリフが忘れ難い。

*深作欣二監督の「脅迫(おどし)」(66)が、あまり知られていないが面白かった。三国連太郎扮するサラリーマンの自宅に、二人組みの脱獄囚が侵入し、家族を人質にとって金持ちの医師の孫を誘拐した身代金の受取を三国に強要する。最初は家族を放って逃げようとしていた三国が、やがて家族を守る為の闘いを開始するあたりが小気味良い。言うまでもなくW・ワイラーの「必死の逃亡者」からのいただき。深作の緊迫感溢れるサスペンス演出がなかなか良く、見応えある佳作となっている。二人の脱獄犯を演じたのは西村晃と<新人>とクレジットされた室田日出男。

66

 「なつかしい風来坊」 ('66) 松竹/監督:山田 洋次

「馬鹿シリーズ」で名をあげた山田洋次が、後に異色の傑作喜劇を監督することになる森崎東と初めて共同で脚本を書いた、人情喜劇の傑作。ハナ肇がこれでブルーリボン主演男優賞を獲得して話題を呼んだ。
物語は、家族からも疎んじられている役所勤めの中年男(有島一郎)が、ある日電車でガラの悪い土方の男(ハナ肇)と知り合い、なぜか無性に懐かしさを感じ、親しくなって行くという話で、中年男を演じた有島一郎が絶妙の演技を見せる。これは、生活は安定しているが自分のより所を失っているサラリーマンと、定職を持たないが、何からも束縛されずに自由に生きる風来坊と、どちらが人間らしい生き方だろうか…と問い掛ける、いかにも山田洋次らしいテーマの問題作なのである。自殺未遂の少女(倍賞千恵子)を助けた風来坊は、この少女に好意を抱くが、有島の誤解から風来坊は警察に逮捕され、二人が疎遠になるという展開はシニカルである。ラストで、左遷されて東北に向かう有島が、列車の中でハナと倍賞の夫婦に再会するシーンは感動的で泣かされる。「家族」以前の山田洋次作品中では、最も好きで愛着のある作品である。


*山田洋次監督、ハナ肇コンビでもう1本この年に作られた快作が「運が良けりゃ」(66)。「たそがれ清兵衛」が初の時代劇と言われているが、実はこの作品が山田監督にとって最初の時代劇である(チャンバラ映画という意味では確かに「清兵衛」が最初と言えるが…)。江戸時代の長屋を舞台に、おなじみ熊さん八っつぁんが登場する、古典落語を元にしたコメディ。使用された落語ネタは「らくだの馬さん」(このネタはテレビでも山田脚本で「放蕩かっぽれ節」として作られている)「寝床」「つけ馬」その他である。ハナ肇扮する熊さんと犬塚弘扮する相棒の八っつぁんを中心に、バイタリティ溢れる江戸庶民の生活と哀感が時にブラック・コメディ風、時に人情味豊かに描かれている。これも好きな作品である。

67

 「東京流れ者」   ('66) 日活/監督:鈴木 清順

この年好調の鈴木清順監督による、色彩と遊び心が自在に弾ける傑作。こちらはストーリーはあんまり意味がなく、短いエピソードごとに、任侠映画風、現代アクション風、歌謡映画風ととりとめもなく物語が進み、ラストで信頼していたボスにも裏切られた渡哲也の主人公が怒りを爆発させるシークェンスでは、現代ポップアート歌舞伎…とでも名付けたいくらいのケレンとアクションと色彩の洪水に酔わされる。キザな歯の浮くようなセリフの数々にも笑わされる。「流れ者に女はいらねえ」は伝説的な名セリフ。アクション映画(一応?)でありながら、これだけ遊びまくった映画も珍しい。日活本社の重役や興行主から「清順はワケの分からない映画を作る」と文句が出だしたのもこの頃からか。しかし当時の大学映研などでは評判となり、私のいた大学ではこの年のベスト2位に選出されていたのを記憶している。ある意味、早過ぎた傑作であった。見直す度に楽しさが倍加して来る、なんとも不思議な快作(怪作?)である。


*この年のキネマ旬報ベストワンに輝いたのが山本薩夫監督「白い巨塔」(66)。格調高く、見応えがあった。主役の財前五郎を演じた田宮二郎が好演。田宮は以後テレビでもこの役を当り役とした。

 

*今村昌平監督エロ事師たちより・人類学入門」(66)も、小沢昭一、坂本スミ子の好演で重喜劇として面白かった記憶があるが、今ではあまり印象に残っていないのは何故だろうか?

 
68

 「けんかえれじい」  ('66) 日活/監督:鈴木 清順

こちらも鈴木清順による、昭和初期を舞台とした青春映画の傑作。私はこれが清順の最高作だと思っている。
鈴木隆の原作から、新藤兼人が脚色。岡山中学の名物男・南部麒六(高橋英樹)が、日夜喧嘩に明け暮れながらも、下宿先の娘・道子(浅野順子)に密かな思いを寄せるという硬派青春映画で、随所にトボけた笑いやさまざまなバリエーションの喧嘩シーン、その合間に道子への思いに悶々とする麒六の姿を挟み、おおらかでリリシズムに溢れた見事な青春映画の快作に仕上げている。チラリと登場する、眼光鋭い男に麒六は畏敬の念を感じるが、それがラストで2・26事件の首謀者・北一輝である事を知り、麒六はさらに大きな喧嘩を求めて東京に向かう。
この作品は、続編も企画されていたが、清順が日活をクビになった為に幻の企画となった。シナリオでは最後に麒六が戦地で死ぬことになっていたという。これは是非見たかった。残念である。
今では映画史に残る傑作として評価が定まっているが、当時のキネマ旬報ベストテンでこの作品に点を入れたのは佐藤忠男氏ただ一人…。ちなみに「映画評論」誌では石上三登志、森卓也氏など多くの(当時の)若手評論家が激賞し、ベストテンに入っている。

 
69

 「沓掛時次郎・遊侠一匹」 ('66) 東映/監督:加藤 泰

中村錦之助と組んで、いくつかの股旅映画の秀作を作って来た加藤泰監督による、東映最後の股旅時代劇の傑作。長谷川伸の原作から鈴木尚之と掛札昌裕が共同で脚色。冒頭に、原作にない渥美清扮する身延の朝吉を登場させ、この気のいい男を無残に殺させる事によって、やくざ稼業のむなしさ、非情さと、それらをすべて知り尽くしながらも足を洗えない時次郎という渡世人の人物像をまず浮かび上がらせているのが出色。やがて一宿一飯の義理から六ツ田の三蔵(東千代之介)を斬った時次郎は、今際のきわに三蔵から頼まれ、三蔵の妻・おきぬ(池内淳子)とその息子を守って旅をすることとなる。夫を殺した憎い男に、いつしか思いを寄せるおきぬ、三蔵への義理が、いつしかおきぬへの思いに変わる時次郎…。ここでも掟と情念の間で揺れ動く男と女のラブストーリーを情感豊かに描く加藤泰の演出が素晴らしい。旅先の宿屋でお女将に、友人の話としておきぬの事を語る時次郎を長回しで捉えたシーンがとてもいい。「人の心は手前でどうこう出来るもんじゃねえ。勝手に動き出しやがる」という時次郎の科白に、人の心の不思議さ、哀しさが表現されている。ラストシーンまで、身じろぎもせずに見てしまう…、それほど錦之助の演技、加藤泰の演出は共に素晴らしい。何度見直しても泣けて仕方がない、珠玉の名編である。

小林さんのベスト100
 (81)「沓掛時次郎・遊侠一匹」
   
(左参照)

*この年、加藤泰と鈴木清順が大活躍。加藤泰は「遊侠一匹」以外に、安藤昇主演の「男の顔は履歴書」、桜町弘子主演の遊郭もの「骨までしゃぶる」、もう1本安藤昇主演の戦争アクション「阿片台地・地獄部隊突撃せよ」の4本を作り、鈴木清順はベストの「東京流れ者」「けんかえれじい」の他に野川由美子主演の「河内カルメン」の計3本。いずれもプログラム・ピクチャーながら見応えのある力作。中でも終戦後の闇市を舞台に、三国人たちとの抗争を描いた「男の顔は履歴書」が、さまざまな男と女の愛をからめた加藤泰らしい作品になっていて好きである。

70

 「紅の流れ星」 ('67) 日活/監督:舛田 利雄

東映で「十三人の刺客」をはじめ、数本の集団時代劇の傑作脚本を書いた池上金男が日活に移り、舛田利雄監督と組んでいくつかの佳作をものしたが、これはその中でも最高傑作である。これは、舛田利雄自身が'58年に監督した、石原裕次郎主演の「赤い波止場」のリメイクであり、あれもなかなか面白かった。お話はと言うと、これが実はジャン・ギャバン主演の名作「望郷」をそのままいただいたもので、しかもラストのシークェンスではジャン・P・ベルモンド主演のJ・L・ゴダール作品「勝手にしやがれ」からもいただくという厚かましさ(笑)。まあ日活映画といえば、「シェーン」やら「カサブランカ」やら「第三の男」やら、洋画の名作を片っ端からいただく(悪く言えばパクリ)のが得意で、しかしそれでいて結構上手に翻案していて楽しませてもらった。本作も、東京で人を殺し、神戸に流れ着いて、いつか東京に帰る日を待ち続ける男・五郎(渡哲也)の望郷の念と、東京から来た女(浅丘ルリ子)への思い、そしてライバルの殺し屋(宍戸錠)との対決…と、日活ムードアクションの流れを継承しつつも、ベルモンドさながらに女に「寝ようよ」とせがむ主人公のあっけらかんとしたユーモアが絶妙にトッピングされた、日本映画らしからぬスマートさとダンディズムに満ちた、極めてユニークなアクション映画に仕上がっていた。清順映画でお馴染みの木村威夫によるカラフルかつファッショナブルな美術も見もの。渡哲也主演作品の中でも、何度観ても楽しい、これは最高作ではないかと思う。

小林さんのベスト100
 (82)「拳銃は俺のパスポート」
   ('67 監督:野村 孝)


*この年67年は、なぜか和製ハードボイルドが大当たりした(くわしくは「落ちこぼれベストテン」を参照のこと)。題名だけ挙げると「拳銃は俺のパスポート」「みな殺しの拳銃」(長谷部安春)「殺しの烙印」(鈴木清順)の宍戸錠主演作、岡本喜八監督の「殺人狂時代」、市川雷蔵主演の「ある殺し屋」、続編の「ある殺し屋の鍵」、東映では佐藤純弥監督の秀作「組織暴力」、そしてピンク映画からも大和屋竺監督「荒野のダッチワイフ」…等である。どうしてこんなに続出したのかよく分からない。いずれも水準以上の秀作であった。

その他では、スペースがないので面白かった作品の題名だけ挙げておく。
「上意打ち」(小林正樹監督)
「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)
「乱れ雲」(成瀬巳喜男監督)
「非行少年・陽の出の叫び」(藤田繁矢(敏八)監督)
「日本春歌考」(大島渚監督)

71

 「博奕打ち・総長賭博」 ('68) 東映/監督:山下 耕作

東映任侠映画が、爛熟のピークにあった'68年に登場した傑作。笠原和夫が書いた脚本がまず完璧に構成されており、それを山下耕作監督が端正に、格調高く演出した。公開当時は無数に作られた任侠映画の1本として、それほど話題にならなかったが、一部任侠映画ファンの間で人気が高まり、1年後には三島由紀夫が「映画芸術」誌で絶賛し、評価が定着した。
物語は、ある博徒一家の跡目相続にからむ後継者争いがテーマであり、一般の任侠映画とはやや毛色が異なる。後に「仁義なき戦い」を書くことになる笠原和夫らしく、これもまたさまざまな利害が入り乱れた内部抗争劇である。理不尽な事であっても上の決定には逆らえない中井信次郎(鶴田浩二)と、意地を通して組織に反抗する松田(若山富三郎)…かつては友情で結ばれていたはずの二人が対立せざるを得ないハメとなり、その闘いの過程で多くの部下が死んで行く。それらの背後に黒い陰謀がある事を、すべてを失った後に知った信次郎が、陰謀の張本人(金子信雄)に向かって投げつける言葉が小気味良い。「任侠道か…そんなものは俺にはねえ。俺はただのケチな人殺しだ」。
建前は立派な任侠道というものが、単にボスを肥え太らせ、部下には犠牲を強いるだけの空虚な存在である…と、ここまで言い切った任侠映画は他に類を見ない。ある意味、これは東映がそれまで延々と作り続けて来た正統任侠映画の存在基盤を否定してしまったわけである。出来上がった映画を見て、当時の岡田茂所長が「おまえら、ゲージツ映画を作りやがって」と山下・笠原コンビを叱り付けたというエピソードがある(笑)。しかしそこまで意識せずとも、これはそれぞれに哀しみを抱えた主人公たちの悲劇のドラマとしてもよく出来ており、何度見ても面白い。ともかく、見る度にいろんな事を考えさせてくれる、プログラム・ピクチャー史上極めて特異な位置を占める傑作である。

小林さんのベスト100
 (83)「博奕打ち・総長賭博」
      
(左参照)
 (84)「縄張(シマ)はもらった」
   ('68 監督:長谷部安春)

双葉さんのベスト100
 (72)「神々の深き欲望」
   ('68 監督:今村 昌平)


*この年で惜しくもベストから洩れたのが、山田洋次監督の秀作
「吹けば飛ぶよな男だが」(68)。なべおさみ扮するチンピラと家出少女緑魔子のおかしくも悲しいラブストーリー。脇のミヤコ蝶々、犬塚弘、有島一郎、それに初登場の佐藤蛾次郎!いずれも味のある好演。小沢昭一による活弁風のナレーションも面白い。

*前田陽一監督「進め!ジャガーズ・敵前上陸」が楽しい。中原弓彦(小林信彦)の書いた脚本はビートルズ「HELP」から007までパロディにして映画ファンなら抱腹絶倒の楽しさ。ラストにはなんとゴダールの「気狂いピエロ」のパロディまで登場しますよ(笑)。

*加藤泰監督「みな殺しの霊歌」(68)も力のこもった秀作。陰影を強調したカメラも出色(撮影・丸山恵司)。

*アニメ太陽の王子・ホルスの大冒険」(68)は宮崎駿ファンなら必見。高畑勲監督デビュー作であり、宮崎駿がメインスタッフとして大活躍した力作である。

72

 「ひとり狼」    ('68) 大映/監督:池広 一夫

市川雷蔵の、最後の傑作だと思う。原作は「次郎長三国志」で知られる村上元三。人斬りの伊三蔵と怖れられる渡世人(雷蔵)の虚無的な生きざまを、一人の中年ヤクザ(長門勇)の語りを通して描くという手法が面白い。同じ雷蔵主演で、何本も佳作(「沓掛時次郎」他)を作って来た池広一夫による演出は、東映の錦之助ものと異なり、クールで乾いたタッチであり、かつ、裏切られた暗い過去を背負い、寡黙に生きる主人公の設定も含めて、これはいかにも雷蔵にピッタリの映画である。原作に惚れこんだ雷蔵が、脚本の直居欽哉に何度も書き直させたというエピソードも興味深い。渡世人のしきたりは、前述の「股旅/三人やくざ」よりもさらに事細かく丁寧であり、余計スタイリッシュな味わいがある。最後、手傷を負いながら、自分の子供に「坊主、よく見ておけよ」と言い、誰の助けも借りず足を引きずりながら去って行くラストまで、見応え十分の力作であり、池広一夫作品中でもベストに入る秀作である。個人的には雷蔵映画ベスト3は、「薄桜記」「斬る」と、この作品と決めており、これは何年も前から変わっていない。
既に病魔に冒されている時期であり、そのやつれた姿はやや痛々しい。しかし病魔と戦いながらも映画作りに賭ける雷蔵の姿は、そのまま伊三蔵の生きざまとも重なり、深い感動を呼ぶ。「よく見ておけよ。これがカツドウ屋の生きざまや」…そう雷蔵が語りかけている気がしてならない…。冥福を祈りたい。

小林さんのベスト100
 (85)「絞死刑」
   ('68 監督:大島 渚)

「絞死刑」ATG(日本アートシアターギルド)が、製作費を監督と半々づつ出資し、計1千万円という低予算で自由に作らせた、いわゆる“ATG1千万円映画”の中の代表作。“死刑囚の処刑が失敗したらどうなる”という基本アイデアが秀逸。もう一度処刑する為には、この死刑囚“R”に自分が犯罪を犯した事を認識させなければならない…という所から、刑務所長(佐藤慶)、教育部長(渡辺文雄)、教誨師(石堂淑朗)、保安課長(足立正生)、医務官(戸浦六宏)、検事(小松方正)、検察事務官(松田政男)といった面々が侃々諤々のディスカッションをしているうちに、事態はどんどん混乱して行く…といった展開がブラックユーモアじみて笑える。そこに、死刑制度の是非、在日朝鮮人問題、国家と個人とは…といった大島お得意のテーマも盛り込まれ、笑いながらもいろいろ考えさせられる力作になっている。ベストに入れようかどうか、最後まで悩んだ。…それにしても、この出演者の顔ぶれ、よく考えるとすごいメンバーですね(笑)。

73

 「緋牡丹博徒・一宿一飯」 ('68) 東映/監督:鈴木 則文

これは、私にとっては特別な作品である。実を言うと、この作品をリアルタイムで見るまでは、任侠映画は何となく嫌いでほとんど見ていなかったのである。たまたまそれまでに見た任侠映画が、凄惨でしかも指詰めシーンなどがあり、正視に耐えられなくて敬遠していたのである。…ところが、何かのついでにこの作品を見て、私の価値観は一気に逆転した。“こんなに情感を揺さぶり、心に訴えかけて来る日本映画があったのか”…以後、すっかり私は東映任侠映画の虜になってしまったのである。私の映画に対する見方を変えてくれた、これは運命的な出会いでもあった。
「緋牡丹博徒」シリーズは、それまでも加藤泰監督のよきパトナーとして、任侠映画の傑作シナリオを書いている鈴木則文が以前から暖めていた題材であり、鈴木則文はシリーズ1作目以来、最終作を除いてシリーズすべての脚本に参加している。下品なコメディやら、きわ物的ポルノなども手掛けているが、私の好きな「車夫遊侠伝・喧嘩辰」「明治侠客伝・三代目襲名」などのシナリオも含めて、この人は本来はフェミニストで繊細な性格ではないか…と私は密かに敬愛しているのである。
ストーリーは任侠映画の典型パターン通りである。しかし微妙に異なるのは、ここには「報いられなくとも人を思い続けることの大切さ」「哀しみをじっと胸に秘めて生きることのせつなさ」というテーマが至る所に散りばめられている点である。お竜(藤純子)に思いを寄せながらも、口に出して言えない熊虎(若山富三郎)の純情ぶり、やはりお竜を慕い、彼女をかばって倒れた六(玉川良一)が、お竜にやさしい言葉をかけて貰い微笑みながら死んで行くシーン、そして“故郷のダニ退治”にお竜と殴り込みの道行きをする周太郎(鶴田浩二)が、お竜の落としたかんざしをそっと髪に刺してやるシーン…等である(これはまさに、“セリフのないラブシーン”である)。そして極めつけは、悪人に騙され、強姦されたまち(城野ゆき)が悲嘆に暮れている時、お竜がサッと片肌を脱ぎ、緋牡丹の刺青を見せて「女だてらにこぎゃんもん背負って生きとっとよ。…消えんとよ、もう一生…。だけん体じゃなかつよ。人を好きになるのは心…肌にゃ墨ば打てても、心にゃ誰も墨ば打つことはでけんとですもんね」と語りかける名シーンである。これにはボロボロ泣けた。名作と呼ばれる作品以外で泣けたのはこれが初めてであった(これ書いてる今も泣けて来た(笑))。ラストも感動的である。周太郎も死に、一人ぼっちになったお竜が、夜明けに誰もいない櫓に登り、泣きながら太鼓を叩く。このシーンにも泣けた。これは、私の“泣ける映画ベストテン”でも上位に入るであろう、愛すべき任侠映画の秀作である。

*この年(68年)は他にも、羽仁進監督による青春映画「初恋・地獄編」、岡本喜八監督の戦中派としての心情に溢れた「肉弾」(大谷直子が素敵)と、ATG1千万円映画の秀作が続出した。低予算の代りに、作家が作りたい映画を自由に作らせるこのラインから、以後も日本映画の傑作が次々誕生し、ATG映画は日本映画の一つの潮流として確実に定着して行くこととなる。

*ピンク映画はあまり見ている方ではないが、大学のホールで上映された、若松孝二監督の「犯された白衣」(68)が面白かった。劇団状況劇場を主宰する唐十郎が主演。ある看護婦寮に侵入した少年(唐)が次々女たちを犯して行くうち、最後の少女に母のイメージを見て心の安らぎを得る…というストーリー。ピンク映画なのに映像、演出とも斬新で社会性も持った力作であった。

*惜しくもベストに入らなかったが、渡哲也主演の「無頼」シリーズ(計6本)も捨て難い佳作揃い
1作目は舛田利雄監督。2作目で舛田利雄の助監督だった小沢啓一が監督デビュー。以後3作目(「無頼非情」)を除いてすべて小沢啓一監督・池上金男脚本で作られた。中でも4作目「人斬り五郎」は傑作。このシリーズはヤクザ映画でありながら、渡哲也の好演もあって青春映画としての味わいも感じられた。発売禁止となった渡歌う主題歌も鮮烈な印象を残す。

*長谷部安春監督「縄張(シマ)はもらった」(68)が面白い。小林旭と宍戸錠が悪辣な組織に反逆し殴り込むラストが圧巻。後に登場する日活ニューアクションの先駆けともなった点でも記憶に留めたい。

「神々の深き欲望」(68)は、今村昌平監督作の中では好きな方。

その他で記憶に残った作品。
「めぐりあい」(恩地日出夫)
「首」(森谷司郎監督)
「黒部の太陽」(熊井啓監督)
「緋牡丹博徒」(山下耕作)
人生劇場・飛車角と吉良常」(内田吐夢監督)

74

 「私が棄てた女」  ('69) 日活/監督:浦山 桐郎

浦山桐郎監督の作品は、どれも爽やかで秀作が多いが、この作品はその中でも最良である。遠藤周作の原作も良いが、それをさらに映画的に見事にまとめていて見応えがあった。
かつては学生運動に青春を燃やしていたが、今は企業の中堅社員として堅実に勤め、専務の姪マリ子(浅丘ルリ子)との婚約も決まり…と、順調な人生を送っている吉岡(河原崎長一郎)。しかしある時、かつて学生時代に弄んだ末に棄てた女・ミツ(小林トシ江)と再会する。貧乏だが無垢な心を持つミツと、金持ちで高慢なマリ子…ミツへの悔悟の思いと、約束された未来との間で吉岡は苦悶する。これは、学生時代に吉岡と同じように生きて来た世代にとっては苦いテーマであろう。やがてミツは、吉岡を守ろうとして誤って転落死する。棄てられながらも、吉岡との日々を胸に大切にしまい、思い続けて来たミツの死を知って吉岡は慟哭する。しかし結局、吉岡は平穏で豊かな暮らしを選択し、無為に生きて行くであろう自分を自覚する。…生きて行くとは何を棄て、何を守って行くことなのだろうか…平穏に生きる我々の胸をチクッと刺す、これはほろ苦く、しかし泣けてしまう傑作である。

小林さんのベスト100
 (86)「心中天網島」
   ('69 監督:篠田 正浩)

双葉さんのベスト100
 (73)「心中天網島」



「喜劇・女は度胸」(69)。山田洋次監督の数々の秀作に脚本家として参加していた森崎東の監督デビュー作。女たちがみんなバイタリティに溢れ、男たちはタジタジとなる展開が楽しい。出演している女優が清川虹子、倍賞美津子、沖山秀子、春川ますみ…と圧倒される顔ぶれですからね(笑)。

「心中天網島」(69)は篠田正浩監督の近松もの。浄瑠璃の黒子を使った演出が斬新でこの年のキネ旬ベストワン。いい作品だったが、なぜか時と共に印象は薄くなってしまった。

75

 「少 年」     ('69) 創造社=ATG/監督:大島 渚

親子で全国を渡り歩き、子供に当り屋(わざと車に当り示談金を騙し取る)をさせて金を稼いでいた家族の実話に基づき、田村孟が脚本を書き、大島渚が監督した問題作。大島作品にしては非常に判り易い内容である。傷痍軍人である故に働くことが出来ない父は、生活費の為に一家で当り屋稼業を始め、捕まらない為に全国を放浪するようになる。主人公である少年は最初、嫌がっていたが、やがて進んで当り屋を買って出るようになる。何も言わないが、心に深い悲しみを秘めた少年の姿が痛々しい。自分で作った雪ダルマに体当たりし、壊すシーンは感動的である。少年を演じた安部哲夫少年の演技が素晴らしい。最後、警察に捕まっても一切犯行を否認していた少年が、連行される車中で、ホロリと一条の涙を流しながら、「行った…。北海道には行ったよ…」とつぶやくシーンには泣けた。少年の繊細な心の揺れ動きを凝視する大島渚のやさしい眼差しにはいつも泣かされる。これは「愛と希望の街」に次いで2番目に私が好きな大島渚作品である。

出目昌伸監督「俺たちの荒野」(69)。これも大好きな作品である。基地の町で働く哲也(黒沢年男)と純(東山敬司)の男の友情と、彼らの前に現れた少女(酒井和歌子)との三角関係を描く。3人は共同で小さな荒地を所有する夢を抱くが、わずかな心の行き違いから純は自殺し、哲也は純の遺骨を握り締め慟哭する。フランス映画「突然炎のごとく」にも似た、男二人と一人の女の友情のもろさ、青春のはかなさをリリシズム豊かに描いた秀作である。これもベストに入れたかったが…。しかし出目昌伸監督、期待したのにその後の作品がさっぱりだったのはどうしたわけでしょうかね。

*長谷部安春監督「野獣を消せ」(69)。基地の町、不良少年たち…日活ニューアクションの最初の傑作である。必見。

76

 「男はつらいよ」(シリーズ) ('69) 松竹/監督:山田 洋次

言うまでもない、48作も続いたギネス級最多シリーズ数を誇る、山田洋次原作・脚本・監督による傑作シリーズである。最初はテレビシリーズとして作られ、評判となって映画化されたものである。秀作「吹けば飛ぶよな男だが」が興行的にコケて、社内でも評判が悪く、もうこれで松竹で仕事は出来ないな…と思っていたという山田洋次が、背水の陣で作った1作目が大ヒットして、以後山田洋次は松竹のドル箱エース監督になって行くのだから運命というものは分からない。
やはり1作目がよくまとまっている。親と喧嘩して故郷を飛び出し、テキ屋稼業で全国を旅する寅次郎が、久しぶりに帰った故郷でひと悶着を起こし、いたたまれなくなって飛び出しては又戻って来る。渥美清の名演技もうまくハマっているが、笑いの中に下町の人情や親子愛、兄弟愛といった松竹伝統の大船タッチが巧妙に配され、単なるおかしな男のコメディではない、人間の存在そのもののおかしみ、哀しみまでも時に厳しく、時に温かく見つめる山田洋次のセンスが光る、一級のドラマである。シリーズの内、初期の多くの作品がキネマ旬報ベストテンに入るという状況を見ても、そのクォリティの高さが分かるだろう。シリーズ中個人的に好きな作品を挙げると、ミヤコ蝶々の母親とのやりとりが楽しい「続・男はつらいよ」、故里とは何なのか…を追及した若尾文子が出ている「純情編」、浅丘ルリ子のリリー松岡、船越英二の蒸発男が登場する「寅次郎相合い傘」、太地喜和子と宇野重吉が登場する「寅次郎夕焼け小焼け」などであるが、どれにも愛着があるし、初期の作品はすべて好きである。プログラム・ピクチャー・シリーズであると同時に優れた秀作でもあるという離れ業をやってのけた、これは全く稀有な例である。

小林さんのベスト100
 (87)「男はつらいよ」
   
 (左参照)

双葉さんのベスト100
 (74)「男はつらいよ」(シリーズ)


*加藤泰監督のシリーズ3作目緋牡丹博徒・花札勝負(69)も素敵な秀作。敵味方の組に分かれている二人の恋人たちの悲恋という「ロミオとジュリエット」的ストーリーに、これも敵の組にワラジを脱いだ渡世人花岡(高倉健)とお竜とのストイックな愛がからむ。堀川端で傘を差し出すお竜と花岡の手が一瞬交錯する名シーンが忘れ難い印象を残す。加藤映画の常連、沢淑子と汐路章も夫婦役で好演。

*石井輝男監督の性愛路線徳川いれずみ師・責め地獄」(69)。いかにも石井監督らしい、いかがわしさとデカダンスに満ちた怪作。最初に観た時にはついて行けない…と思ったものだが、時間が経つと共にその退廃的かつ耽美的な映像が忘れられなくなる。まさにカルトの傑作である。

*アニメ「長靴をはいた猫」(69)は、脚本・井上ひさし、ギャグ監修・中原弓彦、場面設定・一部アクション作画・宮崎駿というスタッフが凄い顔ぶれ。ギャグ満載のスカッと楽しい快作である。

77

 「緋牡丹博徒・お竜参上」  ('70) 東映/監督:加藤 泰

「緋牡丹」シリーズ中、「一宿一飯」に次いで好きな作品である。浅草を舞台に、かつて「花札勝負」で助けた少女の消息を探し求めるという、任侠映画には珍しい展開。やっと探し当て、自分を捨てたとなじる少女(山岸映子)に詫び、心を通わせるまでを7分間にも及ぶ長回し据置きワンカットで捉えたシーンが印象的。折り目正しい流れ者・常次郎(菅原文太)との交流も味わい深い。雪降る今戸橋上で、お竜が常次郎に渡しそこねたミカンがコロコロとコロがるシーンも忘れ難い。映像的にも、対角線の構図を多用するなど優れたシーンが多い。物語としては、少女と、彼女を愛する男(長谷川明男)との薄幸の愛、そしてお竜と常次郎とのストイックな愛が交差し、そこに壮絶なアクションがほどよく配置された、ウエルメイドな任侠映画の佳編として記憶に残る名作である。

*野村芳太郎監督の松本清張ミステリー「影の車」(70)は傑作。妻子がありながら、偶然出会った幼馴染の子連れの女(岩下志麻)と密会するうち、女の連れ子に殺されるのではないかという幻想に囚われて行く男(加藤剛)の物語。平凡な日常性の奥に潜む恐怖…という清張ミステリーお得意のテーマを斬新な映像で切り取る野村演出が快調。ラストはコワいですよ。

*熊井啓監督「地の群れ」(70)。ATG1千万円映画の1本。社会派の熊井監督らしい、さまざまの社会問題が提起された力作。当時観た時には感動したはずだが、今ではほとんど思い出せない(苦笑)。

78

 「家 族」         ('70) 松竹/監督:山田 洋次

「男はつらいよ」のヒットである程度企画が通り易くなった山田洋次が、念願の企画を実現させ、その年のキネマ旬報ベストワンを獲得した傑作である。
九州の炭鉱が閉山し、新天地を求めて北海道へと旅立った、5人家族の長い旅と、その行程で彼らが見た'70年現在の日本の姿をドキュメンタルに捉えた、山田洋次としても初めての社会派的な拡がりを持った記念碑的な作品である。コンビナートが立ち並ぶ徳山工業地帯、人類の進歩と調和を奏でる万国博の喧騒…、貧しい家族と繁栄の象徴を対比させた構図がうまい。立ち寄った東京で旅の疲れから娘を死なせ、悲嘆に暮れながらもやっとの思いで着いた北海道で、今度は一家の支えであった祖父(笠智衆)も急死する。押し寄せる悲しみを乗り越え、新しい希望に満ちた生活を始める家族の姿を描いて映画は終わる。困難や苦しみがあろうとも、家族がみんなで力を合わせれば乗り越えて行ける…そのテーマを淡々と、自然主義的リアリズムで描いて深い感動を呼び起こす、素晴らしい秀作である。山田洋次はこの作品で、名実共に日本を代表する名監督となった。

*黒澤明監督の5年ぶりの新作「どですかでん」(70)。久しぶりに出逢えて嬉しかったけれど、三船敏郎も志村喬も仲代達矢も出ない黒澤作品なんてクリープのない…(古い(笑))ですねえ。まあ初めての強烈なカラー映像には堪能しましたが…。

*東映任侠映画では、マキノ雅弘監督「昭和残侠伝・死んで貰います」(70)、山下耕作監督「日本侠客伝・昇り龍」(70)がそれぞれの監督らしい味が出ていて堪能した。どちらも高倉健、藤純子が絶妙の好演。泣けます。

 

79

 「野良猫ロック」(シリーズ5作) ('70) 日活/監督:長谷部安春+藤田敏八

一応一括りにしたが、本来このシリーズは、舞台も設定も異なり、監督も二人(長谷部安春と藤田敏八)が交互に担当するなど、一貫したシリーズとしての体裁を持ったものではなく、1本ごとに独立した作品として観た方が正しい。それにも係らず一括りにしたのは、ベスト100に出来るだけ多くの作品を載せたい…という理由と、もう一つは、この5本を通して観ることによって、これらの作品が作られた '70年という時代の空気が敏感に伝わって来るからである。
裕次郎、小林旭らによるアクション映画で一時代を築いた日活映画も、'60年代後半から次第にジリ貧になり、東映を真似て任侠映画を量産するも成果が上がらず、この当時、経営状態はまさに末期症状を迎えていた。そんな時に、半ば苦し紛れに、若者向け番組「ハレンチ学園」「女番長・野良猫ロック」の2本立を公開したところ、これが大ヒット。これに味をしめ、以後この両作品はシリーズ化されて行くこととなる。
1作目「女番長・野良猫ロック」は、当時気鋭のシナリオライター、永原秀一が脚本を書き、実際に若い時番長だった(?)という和田アキ子を主演に、藤竜也、梶芽衣子、范文雀といった若手俳優を配し、新宿を舞台に不良グループの抗争を描く…というストーリーである。「俺にさわると危ないぜ」でデビューし、モダンでビートの効いたアクションが得意であるにもかかわらず、慣れぬ任侠映画を撮らされてクサっていた長谷部安春監督が、まるで水を得た魚のように溌剌としたダイナミックな演出で、そのイキの良さと、時代に反抗し奔放に暴れまくる若者たちの姿をヴィヴィッドに捉えたシャープな映像に私は目を瞠り、見終わって、「これが俺たちの映画だ!」と快哉を叫んだものであった。新宿地下街をバイクとバギーカーがチェイスを繰り広げるシーンも必見である(警察には無許可だったそうだ(笑))。
2作目「ワイルドジャンボ」は、藤田敏八が演出。これも永原秀一が脚本を書いた。何となく好き勝手な事をして遊んでいた不良グループの若者たちが、ある宗教団体の寄付金を強奪する計画に乗り、実行に移すが、ちょっとしたミスから計画が狂い、全員が警官隊に射殺されてしまう…というもの。何を目的に生きていいか分からない若者たちの心象風景がリリカル、かつユーモラスに描かれ、これも好きな作品である。
3作目「セックス・ハンター」(監督・長谷部安春)は傑作。米軍が引き揚げた後の基地の町を舞台に、姉が黒人兵に犯された過去から、混血児を憎み、ハーフ狩りを行う藤竜也グループと、この町に妹を探しにやって来た混血児の流れ者(安岡力也。今の姿からは想像も出来ないほどスマートでカッコ良かった(笑))に味方する梶芽衣子グループとの対立を軸とした異色のアクション。脚本に、鈴木清順や若松孝二の協力者としても知られる大和屋竺が加わっているのも注目。スタイリッシュでシャープな長谷部演出も見事で、これは多分長谷部安春の最高作だと私は思う。ヤクザのボスに「てめえ、この町を何だと思っているんだ」と聞かれた藤竜也が「俺の遊び場さ」と答えるセリフには笑った。また、梶芽衣子の鍔広帽子にマキシコートというスタイルは、後に梶の「女囚さそり」シリーズにも再登場したほどカッコ良かった。
4作目「マシンアニマル」(監督・長谷部安春)は、脱走米兵をかくまい、密出国を手助けする藤竜也たちと、彼らの持つLSDの売りさばきにからむ梶芽衣子グループとヤクザとの抗争が描かれる。題材的にはタイムリーだが、前作に力を入れ過ぎた(?)せいか長谷部演出はややダレ気味。しかし1作目のバイク・チェイスの再現もあり、それなりに楽しめる。
最終作「暴走集団’71」は再び藤田敏八演出作品。地方の町のボスである父親の家を飛び出し、新宿でフーテン(懐かしい言葉(笑))たちと野宿していた隆明(地井武男)が、父親に頼まれた怪しげなグループに連れ戻され、それを追ってフーテンたちが隆明のいる町にやって来て巻き起こる騒動を描くもの。藤田らしい遊び心に満ちた演出が楽しく、最後はダイナマイトが町中に炸裂する派手なアクションが展開する。最後に一人残された、フーテンたちが育てて来た坊やが無邪気に走り回るストップ・モーションで終わるエンディングが印象的。
全シリーズを通じて、藤竜也と梶芽衣子が出ているという以外に共通点はないが、どれも当時の風俗や、若者たちの行動を半ば即興的に捕らえたカメラが新鮮で、すべてをリアルタイムで観た私にとっては、私の青春時代ともシンクロした、これは忘れられないシリーズである。

*この年は、左にも書いているが、日活の若手監督による新タイプのアクション映画が台頭し、夢中になって追いかけた。
*沢田幸弘監督のデビュー作「斬り込み」(70)は新人らしい意気込みに満ちた鮮烈な傑作。渡哲也主演となっているが実質の主役は藤竜也、郷^治、沖雅也、岡崎二朗ら若い鉄砲玉たちである。組織壊滅戦略に乗せられ、次々死んで行く若者たち…。これはまさしく青春映画であった。脚本は「野良猫ロック」シリーズでも好調の永原秀一。
続く沢田幸弘の2作目「反逆のメロディー」(70)も前作をさらに上回る傑作。長髪・ジーンズ姿のヤクザ!を演じる原田芳雄が日活アクションに彗星の如く登場。ヤクザより暴力的な刑事を演じる青木義郎も怪演。ビートに乗った電子音楽がバックに流れ、まさにニューウェーブ・ヤクザ映画と呼びたい快作。

*藤田敏八も3年ぶりに登場。「非行少年・若者の砦」(70)はまさに藤田敏八ならではの非行少年青春映画の秀作。
続いてアクション映画に挑戦の「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」(70)。渡哲也と原田芳雄のコンビが組織を壊滅させる。ラストでフラフラ落ちそうに飛ぶヘリコプターがいかにも藤田らしい。

*その他では、武田一成監督「ネオン警察・ジャックの刺青」、江崎実生監督「女子学園・悪い遊び」などが楽しめた。

*東宝も日活に刺激されたかこちらも新感覚のアクションの快作を連発。西村潔監督「白昼の襲撃」(70)、福田純監督「野獣都市」(70)はいずれもシャープな映像と音楽センスの良さで楽しめた。前者では日野晧正のモダンジャズ、後者はブルーベル・シンガーズの「疎外者の子守唄」(「反逆のメロディー」にも登場)が絶妙にフィーチャーされていた。

 

その他、当時は感動したが今はそれほどでもない?作品。
「無常」(実相寺昭雄監督)
「橋のない川」(今井正監督)
「裸の十九才」(新藤兼人監督)

80

 「八月の濡れた砂」  ('71) 日活/監督:藤田 敏八

前項のように、末期の日活映画から、新鮮で躍動感溢れる青春映画の傑作群が連打され、私も含めた当時の若い映画ファンは歓喜雀躍したものだった。私たちは、それらを敬意を込めて“日活ニューアクション”と呼んだ。映画会社の特定ジャンルを会社でなくファンが命名したのは、多分映画史上初めてではないだろうか。
しかし、興行的には相変わらず日活は低迷を極め、遂に'71年夏、日活は一般映画の製作中止を発表する。私たち日活映画ファンはショックを受けたが、それは日活映画の作家たちも同様だったはずである。…そんな只ならぬ空気の中で作られた“最後の日活映画”…それが本作「八月の濡れた砂」であった。
脚本は藤田と若手の峰尾基三と、大和屋竺。舞台は「太陽の季節」(56)以来、日活青春映画の代名詞である湘南海岸!。物語は、暴力を働き高校を退学処分となった健一郎(村野武範)と、同級生だった清(広瀬昌助)と、ふとした事から知り合った姉妹(藤田みどりとテレサ野田)の四人を中心に、身勝手な大人たちと、それに反抗する若者たちとの対立と彼らの仲間意識を描く。やがて彼らは大人たちのヨットを奪い、海に向かうが、何の目的も持たず、反抗の為の反抗を繰り返す彼らにやがて苦い終りの時が訪れる。…
藤田敏八は、デビュー作「非行少年・陽の出の叫び」(67)以来、いつも大人たちに反抗する不良少年たちの青春を描いて来た。その作品世界の根底にあるのは、“型にはまった、良い大人になるよりは、何ものにも束縛されない自由な人間でいたい”というテーマであるような気がする。この映画は、そうした青春の輝きを追いつつも、そんな彼らにも、やがては大人の仲間入りをしなければならない時が訪れる…その事をほろ苦く描いた、これは青春の挽歌を奏でる真の青春映画の傑作なのである。やり場のなくなった怒りをぶつける少女の撃ったショットガンの弾がヨットの船倉に穴を開け、沈むのか沈まないのか、分からないままに波間に漂うヨットをヘリコプターによる俯瞰で捕らえたカメラが強烈な印象を残し、そこに石川セリの歌う主題歌「八月の濡れた砂」(名曲!)とクレジットが被り、映画はエンドマークのないまま終わる(今では当たり前だが、当時“終”や“完”マークの出ない映画はほとんどなかったのである)。そのラストに、「日活青春映画は終わったが、青春のエンドマークを印すのは、君たち自身なのだよ」という藤田敏八の思いを感じ、私は涙が止まらなかった。…
この年、私は社会人になった。(キザな言い方だが)私の青春もこの最後の日活映画と共に終わったと思った。…そういう意味で、この映画は私にとって一生忘れられない、青春映画のモニュメントなのである。

日活ニューアクションはこの年も好調。
*長谷部安春「流血の抗争」(71)は宍戸錠主演で脚本が絶好調の永原秀一。寒さに震えながら死んで行く藤竜也が印象的。
*小沢啓一監督「関東破門状」(71)も渡哲也のヤクザ映画ながら、やはり無残に死んで行く岡崎二朗や夏純子の姿に力点が置かれていた。ラストの無人の新宿日活劇場内での凄惨な立ち回りは製作中止に対する日活への抗議か(笑)。

あと、時間とスペースの関係で詳しく書き込みできないのが残念だが、とりあえず面白かった'71年作品の題名だけ挙げておきます。
「博徒外人部隊」(深作欣二監督)
「博徒斬り込み隊」(佐藤純弥監督)
「博奕打ち・いのち札」(山下耕作監督)
「現代やくざ・血桜三兄弟」(中島貞夫監督)
「喜劇・女は男のふるさとヨ」
「喜劇・女生きてます」(いずれも森崎東監督)
「初めての旅」(森谷司郎監督)
「真剣勝負」(内田吐夢監督)
「顔役」(勝新太郎監督)
「遊び」(増村保造監督)
「儀式」(大島渚監督)



・・・'65年から'71年までのこの時代は、私が高校生から大学生になった頃で、一番映画を観ていた時代である。その為リアルタイムで観た映画も多く、かなり思い入れの深い作品群が並んだ。
そんなわけで、紹介文にも力が入り、やや心情的に深入り(?)し過ぎた文章になったかも知れないがお許しいただきたい。

      No.3 (41〜60)に戻る            No.5 (81〜100)へ

    Top Page       このページのTop