ヴァージニア・ウルフ, ジーン・リース著『灯台へ/サルガッソーの広い海 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1) 』(2009)

灯台を望む小島の別荘を舞台に、哲学者の一家とその客人たちの内面のドラマを、詩情豊かな旋律で描き出す。精神を病みながらも、幼い夏の日々の記憶、なつかしい父母にひととき思いを寄せて書き上げた、このうえなく美しい傑作。新訳決定版(『灯台へ』)。奴隷制廃止後の英領ジャマイカ。土地の黒人たちから「白いゴキブリ」と蔑まれるアントワネットは、イギリスから来た若者と結婚する。しかし、異なる文化に心を引き裂かれ、やがて精神の安定を失っていく。植民地に生きる人間の生の葛藤を浮き彫りにした愛と狂気の物語(『サルガッソーの広い海』)。

84「わたしによく似たり、ちっとも似なくなったりするその光は、わたしを意のままにあつかう(夜中に目を覚ますと、灯台の光が部屋を撫でてベッドを横切っていくのを見ることもあった)けれど、魅入られてうっとりとそれを見つめるうちに、頭の中の閉ざされた器を光の銀の指で撫でられたような気がし、やがて器の封がはじけ飛んで歓喜に満たされながら、自分は幸福を知りえたのだと思う。ごく繊細で、烈しいまでの幸福。陽がいよいよ薄れいくなか、光の指は荒波をすこし明るい銀に染め、海から碧の色が消えてゆくと、寄せくる波はきれいな檸檬色にきらめき、曲線を描いて盛りあがっては浜辺に砕け、すると、夫人の双眸はいきおい恍惚の色にあふれ、交じりけのない喜びの波が打ち寄せてその心の底に広がり、そうしてこう感じるのだった。わたしは充たされている!満ち足りている!」