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民衆を導く自由の女神 (パリ・ルーブル美術館所蔵)

「民衆を導く自由の女神」 
    ウジェーヌ・ドラクロワ作      所蔵:ルーブル美術館     
                       (出典:ウィキペディア)


民衆を導く自由の女神(みんしゅうをみちびくじゆうのめがみ、仏: La Liberté guidant le peuple)は、ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画。1830年に起きたフランス7月革命を主題としている。

中心に描かれている、銃剣つきマスケット銃を左手に持ちフランス国旗を目印に右手で掲げ民衆を導く果敢な女性は、フランスのシンボルである、マリアンヌの姿の代表例の一つである。絵画としてのスタイル、フランス7月革命というテーマから、絵画におけるロマン主義の代表作と言える。

原題のLa Liberté guidant le peupleから分かるように、女性は自由を、乳房は母性すなわち祖国を、という具合に、ドラクロワはこの絵を様々な理念を比喩(アレゴリー)で表現している。一方で、彼女が被るフリギア帽は、フランス革命の間に自由を象徴するようになった。やはり、マスケット銃を携えて女性に続くシルクハットの男性は、ドラクロワ自身であると説明される事が多い。女性の左隣の二丁拳銃の少年については、誰をイメージしたのかは不明。

1831年5月のサロン展に出品され、フランス政府は革命を記念するためとしてこの作品を3,000フランで買い上げたが、翌1832年の六月暴動以降、あまりにも政治的で扇動的であるという理由から、1848年革命までの16年間は恒常的な展示は行われなかったという。1874年から今日に至るまで、ルーヴル美術館に収蔵されている。なお、フランス国外に貸し出されたのは、イギリス・アメリカ・日本の3か国のみである。

2013年2月に、来館者に黒のフェルトペンで落書きされてしまう被害に遭うが、翌日には修復されている。表面にはワニスが塗ってあり、落書きが下の絵の具には浸透していなかったため、修復が可能だった。なお、落書きは「AE911」と書かれており、アメリカ同時多発テロ事件や、その陰謀説などが関わっている可能性が指摘されている。



新古典主義を代表する画家 「ウジェーヌ・ドラクロワ」

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ (Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798年4月26日 - 1863年8月13日) は、フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家。

生涯

1798年、パリ近郊のシャラントン (現在のサン=モーリス) に生まれた。父は外交官シャルル・ドラクロワだが、ウィーン会議のフランス代表として知られるタレーランが実の父親だという仮説があり、かなりの根拠がある[1]。

新古典主義の画家ゲラン(en)に入門し、1822年、『ダンテの小舟』で先輩画家であるアントワーヌ=ジャン・グロの強力な推薦もありサロン(官展)に入選した。1824年のサロンには『キオス島の虐殺』を出品する。この作品は当時(1822年)実際に起きた事件を題材にしたもので、サロンでも賛否両論を巻き起こした。グロはこの作品を「これは(キオス島の虐殺ではなく)絵画の虐殺である」とまで酷評したが、結局、作品は政府買上げとなった。1830年の七月革命に際しては、有名な『民衆を導く自由の女神』を制作している。この絵画は彼の肖像と共に、旧フランス・フランの100フラン紙幣に描かれたこともあった。

1832年、フランス政府の外交使節に随行する記録画家としてモロッコを訪問した。1834年の『アルジェの女たち』は、モロッコ旅行の際のデッサンをもとに制作したものである。1830年代以降は、リュクサンブール宮殿、パリ市庁舎など、政府関係の大建築の装飾を数多く手掛け、1863年に死去するまで旺盛に制作を続けた。アトリエ兼自宅は、国立のウジェーヌ・ドラクロワ美術館となっている。

     

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1993年 ルーブル美術館200周年記念コイン

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