このページは、 85 壱岐・対馬  ・  86 九重山群  ・  87 阿蘇  ・  88 祖母・傾山  を掲載しています。



 85 壱 岐 ・ 対 馬 いき・つしま (壱岐対馬国定公園) ・・・長崎県

九州と朝鮮半島の間に浮かぶ壱岐と対馬。 両島とも、魏志倭人伝や元寇・朝鮮出兵など、歴史の表舞台となった所である。

まずは、『壱岐』。 見どころとしては、歴史文化の香りが漂う城下町・郷ノ浦、島の展望名所・岳ノ辻、そして数々の美しい白砂の浜の海水浴場であろう。 一方、『対馬』は、壱岐が穏やかな景観なのに対して、200〜500mの丘状を成し、嶮しい谷も存在するなど荒々しい景観を魅せてくれる。 見どころとしては、日本は元より朝鮮半島系の植物が生育している白岳原生林、島の北端・鰐浦のヒトツタバコ自生地、小茂田浜の元寇古戦場などである。



行 程 表
  <1> 博多港より壱岐へ
博多港より航路利用
 (2:30)→壱岐・郷ノ浦 この地を基点にバス・タクシー・レンタサイクル等を使って壱岐 景勝地めぐり
  <2> 博多港より対馬へ
博多港より航路利用 (4:30)→対馬・厳原 この地を基点にバス・タクシー・レンタサイクル等を使って対馬 景勝地めぐり


<1>〜<2>、いずれのコースも現在未調査・・。 探勝・調査しだい記載する。 
壱岐・対馬の両島とも、景勝地への交通機関は十分とはいえない。 だが、距離ゆえに歩いていくことも難しいだろう。 
その上で景勝地を効率的にめぐることを考慮した案が、レンタサイクルの活用である。 
目指す景勝地に最も近い所に宿泊して、その街でレンタサイクルを借りるといいだろう。 

この案は観光で成り立っている島だけに、“レンタサイクル位の扱いはしているであろう・・”という考えが前提ではあるが・・。 もう一つの手段としては、レンタカーであろう。 いずれにしても、島のあちらこちらに散らばる景勝地を効率よく結ぶには、島に渡る前に念密な計画の作成が必要だろう。


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見事な三峰を魅せる三俣山 九重山群の頂上丘と火口湖・御池
 86 九 重 山 群 くじゅうさんぐん (阿蘇くじゅう国立公園) ・・・大分県・熊本県

瀬ノ本・飯田高原を控えてそびえ立つ山群は、『九重山群』と呼ばれている。 九州本土の最高峰・中岳
 1791メートル をはじめ、久住山 1787メートル ・三俣山 1745メートル ・大船山 1786メートル ・星生山 1762メートル など、1700m級の山々がひしめいている。 九重の山容は、全体的に丸みのあるトロイデ型火山の集まりで、頂上がデコボコした特異な山頂が多いのが特徴であろう。 

そして、この九重山群の魅力は花・登山・温泉の3つからなるが、まずは花。 大船山・平治岳
 1643メートル の山頂付近にあるミヤマキリシマの大群落は、息も着かせぬ美しさである。 次に登山。
花の大船山、九州本土の最高峰・中岳、特異な山容を魅せる三俣山など、志す山がたくさんある大いなる魅力を秘めた山域である。 最後に温泉。 標高1300mの高所に湧く《法華院温泉》、湧蓋山
 1500メートル 山麓の《筋湯》など、“湯の里”でもあるのだ。




駐車場・トイレ・山小屋情報 夕日にシルエットを魅せる九重山群
行 程 表
《1日目》 大分市街より車 (2:00)→牧ノ戸峠 (2:00)→九重・中岳 (0:40)→久住山 (0:30)→池ノ小屋
      
(1:10)→法華院温泉・坊ヶツル (1:10)→大船山避難小屋 (0:30)→大船山 (0:25)→大船山避難小屋
《2日目》 大船山避難小屋
 (1:25)→平治岳 (1:05)→法華院温泉・坊ヶツル (1:00)→北千里ヶ浜分岐
      (1:00)→三俣山
 (0:45)→北千里ヶ浜分岐 (0:40)→久住分れ (1:30)→牧ノ戸峠より車 (2:00)→大分市街


 《1日目》 牧ノ戸峠より九重山群の山々へ

九州本土の最高峰を擁する九重山群に、最もポピュラーなコースを使ってアタックしてみよう。 今回の行程の起点となる大分市街より、登山口となる《牧ノ戸峠》へは車で2時間程の所要である。
そして、《1日目》行程の歩行時間を併せて考慮しても、朝早く大分市街を出発すれば計画通りに事を運ぶ事が可能だ。 しかし、熱い日中の日差しを受けての登高は疲れが増すだけだし、余裕のない山歩きとなる。 

だが、前夜泊の早朝出発で山行に望むと、朝の光によって山々が美しく輝く素晴らしい情景を魅せてくれるだろう。 それが、『心に残る旅』の第一歩なのだと思う。 ワテは常々この『日本百景』では、『心に残る旅』を紹介していきたいと考えている。 そして、『心に残る旅』を創作するにあたって、『素晴らしい情景』は第一条件となろう。 そうなのだ。 『素晴らしい情景』を望める条件で旅を設定しなければ、『心に残る旅』は叶えられないのである。 従って、この『日本百景』でよく使われる前夜泊の早朝出発の形態は、この項目に限らず暗黙の条件として当然の事なのである。 冒頭からワテの旅へのこだわりをクドクド述べたが、そろそろ切り上げて話を前に進めよう。
 左上 エメラルド色の水を
    たたえる御池と
    九重山群最高峰・九重中岳

 右上 久住山頂上より
    九州の雄峰を望む

 中下 牧ノ戸峠の朝
    奥に見える峰は湧蓋山

 右下 岩屑の丘と砂の海
    まるで“月世界”のようだ
朝の光を浴びて周囲が美しく輝く中、《牧ノ戸峠》を出発しよう。 登山口をくぐるとコンクリートで固められたスロープが、程よい高さにある《第一展望台》まで続く。 コンクリートの固められたスロープは頂けないが、朝の光を浴びた山々は美しい情景を魅せてくれる。 湧蓋山 1500メートル を中央に果てしない広がる《久住高原》。 それが、朝の光でほのかに輝くのだ。 遠く、阿蘇の山々も澄んだ朝の空の下に独特の形をした峰を魅せてくれる。 

《第一展望台》より、工事中(《第二展望台》までコンクリートのスロープにするみたいである・・)の区域を迂回して《第二展望台》に登っていく。 《第二展望台》では、今まで隠れていた『九重山群』の盟主達がいよいよ姿を魅せる。 逆光で黒光りした盟主の峰々は、鋭く威圧感を持って眼前に立ちはばかっている。 今日は、これらの峰々の頂に立つのだ。 そう思うと、嬉しさが込み上げてくる事だろう。 

《第二展望台》を越えると、登山道は支稜を伝うように延びていく。 支稜線を緩やかにたわんでから主稜線に取り付くと、岩屑を積み上げたような山容を示す星生山
 1762メートル が正面に現れる。
星生山が視界に入ってくると、丘の頂に上がったが如く道は大きく広がっていく。 やがて、広がった登山道は、その前面に渡って火山灰土の細かい砂粒によって砂浜化する。 《西千里ヶ浜》である。
この砂浜から見上げる星生山の風景は岩屑の丘と砂の海・・、そう“月”で望む情景のようなのだ。 この風景を目にすれば、「あの山に登ってみたい」との思いがもたげてくるであろうが、残念ながらこの
星生山は、背後にある硫黄山の噴火活動の活発化で登山禁止となっているのである。 従って、この不思議な情景は望むだけとなる。 星生山が眼前から背後に移るまで《西千里ヶ浜》の砂浜は続き、これを伝っていく。

星生山の位置が背後に移ると、前面に久住山の頭がもたげてくる。 そうすれば、さしも広い《西千里ヶ浜》も終わりとなる。 砂浜が途切れるとゴーロ(岩石帯)帯となり、これを越えていく。
このゴーロ帯は横に広く、登山者によって様々な踏跡がつけられているが、最も通り良いルートにペンキ印がつけられているので、忠実にそれを通過していこう。 これを越えると、《久住避難小屋》の建つ広場(というより荒地)に出る。 広場の隅にポツンとたたずむ避難小屋は、中が荒れ放題でとても使えたものではない。 この広場(この広場はクレーターのように窪んだ位置にある)から土手に這い上がると、素晴らしい山岳展望が広がる《久住分れ》だ。 この台地からは九重の最高峰・九重中岳は元より、久住山・稲星山・・、そして独特の山容を魅せる三俣山・・、音をたてながら白い噴煙を噴き上げる硫黄山など、山岳展望が全方位に渡って広がる。 カメラ片手に、この雄大な景色を満喫しよう。

さて、この《久住分れ》からは久住山へ30分・九重・中岳へは45分と、どちらの雄峰へも楽にいける。 ワテは、「最初に九州最高峰に登りたい」という考えから九重・中岳を先に行く事にしたが、これは各自の好みに任せたい。 九重・中岳へは、頂上丘にある火口湖・《御池》の湖畔を絡めていくルートと、火口壁である《天狗ノ城》を越えていくルートがある。 後者の方がやや時間がかかるが、三俣山や硫黄山、そして九重の頂上丘と《御池》を眺めながら行けるので、お勧めはこちらである。 

《天狗ノ城》を越えて50mのオーダーで上下すると、九州本土最高峰の九重・中岳
 1791メートル だ。 九重・中岳の頂からは、憬れの【名峰百選】・大船山がその巨大な山容を《坊ヶヅル》の草原に鎮座しているのが望めるだろう。 山の姿が巨大な船に例えられる事から『大船山』と名づけられたらしいが、ワテは『漆黒の鉄兜』との異名を持つ南アルプスの名峰・塩見岳にそっくりの迫力ある姿だと思うのだが・・。
どちらにしても、九重の山々で最も凛々しい山である事には違いない。

素晴らしい山々の展望を満喫したなら、今度は対面に丘状に広がる久住山へいってみよう。 九重・中岳と《天狗ノ城》の鞍部に《御池》の畔に下りる道があり、これを伝って池の畔に出る。 池の畔には、これまた荒廃しきりで“使えない”《御池石室(避難小屋)》が建っている。 小屋の壁際に荷物をデポって、気楽な身なりで久住山を往復してこよう。 池の畔の左岸を半周して、頂上丘と久住山を仕切っている隆起を乗り越えればもう久住山の取付だ。 後はザレ場を15分も登れば頂上に着く。

久住山
 1787メートル の頂上からは、阿蘇や祖母の山なみが一望できる。 九重の山なみを味わうならば九重・中岳・・、九州の名峰のおりなす展望を味わうならばこの久住山であろう。 今すぐ飛んでいきたい九州の名峰群を心ゆくまで眺めよう。 久住山からの下り道は往路を下るも良し、時間に余裕があれば九州の名峰を望みながら稲星山へ続く外輪山を伝うも良しである。
        九重の頂上丘に遊ぶ

    左上 快晴の九重山群・最高峰にて

    右上 九重山群きっての
       個性的な峰・三俣山

    中下 『月の海』を歩いていくと
       盟主・久住山が・・

    右下 頂上丘の背後を締める
       ピラミタルな稲星山 
さて、《御池》に戻りデポった荷物を回収したなら、《坊ヶツル》に向けて下っていこう。 今日の最終目的地は、遙かにそびえる『漆黒の鉄兜』・大船山だ。 もし、時間に余裕がなければ《坊ヶツル》でストップするも可能(というより、こちらの方が快適なキャンプ場である)だが、この『日本百景』に沿ったある目的の為にどうしても大船山まで行っておきたいのである。 なぜ、このような事をこの場面で述べたのかというと、これから下る《白出沢》ルートがかなりの悪路だからである。 この悪路下りで気力を失って、「《坊ヶツル》でバタンキュー」という事態が大いにあり得るのだ。 この《白出沢》ルートは大岩の転がる河原状の急傾斜で、浮石や転石が数多く散らばっている。 大岩の上下だけでも辛いのに、土砂崩れや崩壊跡が数多くあり、これを巻くのもひと苦労だ。 

この行程では幕営山行を基本としているので、荷物も大きく不安定となる。 不安定な態勢だと、岩を踏み外して足を挫く事がよくある。 くれぐれも注意して頂きたい(これは筆者の体験に基づくものなので留意されたい)。 山岳地図等では「下り50分」と安易に記してあるが、この下りは1時間以上を見ておいた方がいいだろう。 この悪路を標高差にして400m下りきると、《坊ヶツル》の端に下り着く。
もし、余裕があれば《坊ヶツル》に湧く九州最高所の温泉・《法華院温泉》でさっぱりするもいいが、たぶんそんな余裕などないだろう。

九重・中岳が広げる裾の一段高い所にある温泉旅館から、草原の広がるキャンプ場へ下りていく。 木道を伝ってキャンプ場に着いたなら、大船山で幕営する為に重要な事をせねばならない。 それは、水の補給である。 一晩幕営するだけなので、2gタンク満タンで事足りるであろう。 水を補給して休息を取ったなら、眼前にそびえる右側の山・大船山へ向けて歩き出そう。 大船山までの道程は、2kmで500mの登りで所要1時間少々であろう。 ミヤマキリシマの群生する山として有名なだけあって、道はしっかりして登りよい。 健脚ならば、約1時間で大船山の肩にあたる《段原》の分岐に着くだろう。
テントは、ここに設営する事にしよう。 テントを設営したならば、身軽となって大船山の往復だ。

これまた使えない避難小屋(近年に新築の小屋に建て替えられている)を横目に20分程の登りで、大船山
 1786メートル の頂上だ。 頂上からの眺めは、『九重山群』の全ての山なみが一望できる絶景だ。
また反対側は、“二ッ角”の由布岳
 1583メートル や《大分》・《別府》の街なみ、果ては《豊後水道》まで見渡せる。 だが、《白出沢》を下る時に述べた“ある目的”はこれではない。 それは、テント場に戻ってから“その時”が訪れるだろう。 

さぁ、“ある目的”のシーンが近づいてきた。 三俣山の右の峰に夕日が沈んでいく。 その情景は感動そのものだ。 振り返れば、大船山の山体が真っ赤に焼けて美しい。 “ある目的”とは、この情熱的な落日が魅せるシーンなのである。 それを誰一人といない場所で、陽が落ち暮れるまで望む。 これが、今回ワテがプロデュースしたかった『日本百景』たる情景なのである。 食事の準備でもしながら、心ゆくまでこの素晴らしい情景に酔いしれよう。
      大船山が魅せる夕景・朝景

   左上 豊後水道から昇る朝日

   右上 一日でもっとも美しい瞬間

   中下 夕日を浴びて赤く染まる大船山

   右下 夕日は三俣山を
      魅惑的なシルエットに変える


     左 円頂丘を形成する平治岳
     右 九重の山屏風と月
 《2日目》 大船山から平治岳・三俣山をめぐって下山

朝、日の出前に目覚めることができたなら、カメラだけを持って北大船山
 1706メートル へ行ってみよう。 テント場の《段原》から5分程の高みである。 もし、日の出に間に合えば、夜明け前の《坊ヶツル》”や月と『九重山群』の峰々、そして《豊後水道》より昇るサンライズと、素晴らしい情景が目白押しとなる。 日の出を望んだ後にテント場に戻り朝のひと通りの“儀式”を済ませなら、テントを撤収して出発しよう。 

今日は、大方8時間行程となるので、6時までには出発したいものだ。 北大船山を通り過ぎると、ミヤマキリシマの株がブッシュとなって道に覆い被さってくる。 これが荷物に引っ掛かり、歩き辛い事だろう。
足場も火山性の転石が多く、下と横から歩き辛い状況が襲ってくる。 これを九重山群の峰々の素晴らしき眺めで慰めながら45分程伝うと、御碗を伏せたように盛り上がる平治岳が見えてくる。 しかし、今立っている位置は平治岳より高い所だ。 ここから150m位、ジグザグに急降下せねばならない。

稜線上ではっきりと見えていた三俣山が見えなくなるまで下ると、《平治岳》分岐だ。 重い荷物はここでデポって、平治岳
 1643メートル を往復してこよう。 平治岳は、ミヤマキリシマの群落が最も多く分布する山として有名だ。 そのシーズンとなると、山頂に向かって長蛇の列ができるとの事である。 道も混乱を避ける為か、あるいはミヤマキリシマの保護の為か、上下にそれぞれ専用の道が指示されている。 また、この山は登りがかなり急で、ロープをたぐって登る岩場もある。 上りは、所要25分位であろうか。 一度、円頂丘に出て少し登ると、ネコの額のように狭い頂上に登り着く。 

頂上からは、“二ッ角”の由布岳の眺めが印象的であった。 さて、平治岳を下ってデポった荷物を回収したなら、《坊ヶツル》へと下っていこう。 道は樹海の中の緩やかな下り坂で、ほんの50分もあれば《坊ヶツル》へ下り着く事ができるだろう。 《坊ヶツル》へ下り着いて三俣山を見上げたなら、その巨大さに思わずのけぞる事だろう。 これから、この三俣山へ登るのである。 《坊ヶツル》で十分休憩してから出発しよう。
    左 美しい白砂の浜が
      広がる北千里ヶ浜・
    右 三俣山の頂上草原と九重山群
三俣山への登路は、《法華院温泉》の旅館の前から山崩れ防護堰の工事現場の縁を縫うように登っていく。 工事現場を下に見るようになると、ゴーロ(岩石)帯となり、ガレた道筋をペンキ印に従って忠実に登っていく。 これを登りきると、大砂浜が広がる《北千里ヶ浜》に出る。 ここは『九重山群』と三俣山の窪地で、白砂の浜と九重の武骨な黒、そして三俣山の鮮やかなライトグリーンのコントラストの妙に目を奪われる事だろう。
荷物を分岐の岩陰にデポったなら、三俣山にアタックしよう。

《北千里ヶ浜》から《長者原》への進路を取り岩ガレを登っていくと、《すがもり小屋跡》の石垣が見えてくる。 ここが三俣山の登り口だ。 ここから、ライトグリーンの草原を斜めに突っ切るように登っていく。
約40分で、三俣山の3つの峰の中で最も低い左峰の頂上丘に登り着く。 頂上は草原状の丘でこれをハショる巻道もあるのだが、頂上を通っても巻道を通っても大差はない。 左峰を越えて、吊尾根で本峰に移って15分程急登すると、九重で最も目立つ山・三俣山
 1745メートル の頂上だ。 三俣山は山肌がササの草原に覆われて、ライトグリーンの前景を提供してくれる。 これに大船山や九重の山なみを取り入れると、いい“絵”になるのだ。
特に左峰の丘は草原が山に向かって広がっているので、アングルを自由に取る事ができる。 頂上を味わい、カメラ片手に風景を楽しんだなら往路を戻ろう。 下りは50分位で下山できるが、何分急なので足元には留意したい。 

デポった荷物を回収して、先程三俣山から望んだ九重の鞍部に向かって登り返していく。 標高差で150m位だろうか。 しかし、今度は荷物を担いでいるので、三俣山の登りよりはキツいだろう。
右横に音を立てて噴煙を噴き出す硫黄山を見ながら、そして漂う火山ガスの硫黄臭を煙たがりながらガレた岩場を一直線に登っていく。 登りきったなら、そこは《久住分れ》だ。 涼風そよぐ好展望地の《久住分れ》で山の思い出を十分にかみしめたなら、《1日目》で登りに使った道を忠実に伝っていこう。 ここより、ほんの1時間半程で登山口の《牧ノ戸峠》だ。 山行後の楽しみである温泉めぐりは、《瀬ノ本》から《久住高原》に湧く『いで湯の里』で成就できるだろう。


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ススキの穂たなびく秋の阿蘇スカイライン
 87 阿    蘇 あそ (阿蘇くじゅう国立公園) ・・・熊本県

東西18km・南北25km、面積1155ku・・。 世界一大きなカルデラ・『阿蘇』。 当然の事ながら、四季を問わず見どころいっぱいである。 まず、ドライブの観点からのお薦めは、阿蘇カルデラの手前まで延びる《やまなみハイウェイ》からの山々の眺望である。 城山や大観望などからの山々の展望は、雄大で素晴らしい。 もちろん、阿蘇五岳は手に取るように見える。

そして、登山・・。 根子岳
 1433メートル ・高岳 1592メートル ・中岳 1506メートル ・杵島岳 1326メートル ・烏帽子岳 1337メートルからなる阿蘇五岳への花の登山だろう。 ミヤマキリシマ・ユウスゲ・クサフジなど、色とりどりの花が草原状の山々を染める中を歩くトレッキングタイプの楽しい登山である。 他にも、草千里からの雄大な眺め、冬の樹氷林など魅力を挙げたらキリがない。


  1. 砂千里より阿蘇・外輪山山頂へ
  2. やまなみハイウェイ・阿蘇登山道路を利用して阿蘇・景勝地めぐり




駐車場・トイレ・山小屋情報 エメラルドの火口湖から
噴煙を噴き上げる阿蘇・第一噴火口
行 程 表 
  <1> 砂千里より阿蘇・外輪山山頂へ
熊本市街より車
 (1:00)→阿蘇山西駐車場 (0:30)→砂千里 (1:10)→阿蘇・中岳 (0:20)→阿蘇・高岳
(0:45)→阿蘇山展望所 (0:40)→阿蘇・中岳 (1:00)→阿蘇山西駐車場より車 (0:20)→草千里 (1:40)→熊本市街


  <1> 砂千里より阿蘇・外輪山山頂へ

我が国でも国民的な観光地・『阿蘇』。 ここをシーズン中にめぐるなら、それなりの覚悟が必要だ。 それは、決して「計画通りに事が運ばない」という事である。 山行自体は半日もあれば周遊できる簡単な行程であれども、アプローチに数時間かかるという事だ。 それは、《阿蘇登山道路》の渋滞と、それに輪をかけたようなロープウェイなどの時間待ち。 登ったら登ったで、雲霞の如く押し寄せる人波で風景写真を台無しにされる事だろう。 それでも、頑張っていい作品をゲットしよう。 素材となる風景は『ピカ一』なのだから。 それでは、阿蘇山めぐりをしてみよう。
阿蘇カルデラより“下界”を望む 朝日と雲海で神秘的に輝く根子岳
・・できる限り観光客に蹂躙されたくない。 そんな思いが頭を過ったなら、ベストの方策がただ一つある。 前日にロープウェイの下駅(これより上はPM6:00で閉鎖される)までアプローチしておいて、その日は火口見学や《草千里》などに当てよう。 そして翌朝早く、日の出前に出発して、人出の比較的緩い午前中に山をめぐる行程プランである。 これなら、人出の波に邪魔されることなく、『日本百景』たる『阿蘇』を存分に味わう事ができるだろう。 それでは出発しよう。 

本来なら朝5時半まで歩道も閉鎖扱いなのだが、ロープが仕切られているだけなので、かいくぐって歩道に出る。 歩道といっても、車道に沿ってつけられているだけだ。 約1km程これを歩いて、《砂千里》の入口に立つ。 ここから、《砂千里》の火山灰土を縦断していく。
              左 標高1500そこそこの高岳が高くそびえて見える
              右 今朝歩いてきた砂千里を見下ろして
ここは、ひたすら真っすぐ突き抜けるといいのだが何分目標が乏しく、ともすれば『リングワンダリング』に陥る危険性をはらんだ所だ。 約1km砂地を歩いていくと砂浜が途切れ、火山性の岩が積み重なった阿蘇山塊への取付に出る。 ここから、このゴーロ(岩石)帯をほぼ直登で登っていく。 登っていくごとに、《砂千里》の全貌が視界に広がっていく。 更に登ると、《阿蘇登山道路》が縫うように連なる『阿蘇』の高原や、《阿蘇カルデラ》に囲まれた街並みなどが望まれる。

《阿蘇カルデラ》壁と街並みが見え出すと、中岳の稜線は近い。 《砂千里》から標高差にして150m位であろうか。 ナメてかかるとなかなかキツい登りを40分程耐えると、稜線上の端に這い出る。
ここには案内板があり、『頂上まで380m』とある。 ここから小さなコブを2つ3つ上下すると、阿蘇・中岳
 1506メートル だ。 阿蘇・中岳からは、最高峰の高岳が右に迫っているのが目に入るだろう。
この高岳の“高い”事・・。 標高差は90m足らずなのだが、それを凌駕する圧倒的な眺めである。 阿蘇・中岳からガレた外輪山壁を伝うこと20分、登ってみると“標高差”通り簡単に高岳
 1592メートル 頂上に着く。
    左 阿蘇の稜線より火口群を望む
    右 “月のクレーター”の中に
      静かにたたずむ阿蘇・高岳・
頂上展望は、一番高いこの場所が山群の中央にあるので、360°の大展望が広がっている。 根子岳・杵島岳などの“阿蘇五岳”や、大小11あるという噴火口の半数は見渡す事ができる。 頂上展望を楽しんだなら、ある所に立ち寄ってから高岳を後にしよう。 それは、《月見小屋(阿蘇山避難小屋)》である。 動機はいうまでもなく、「怖いもの見たさ」である。 岩の積み重なったドリーネ(摺鉢状の窪地)の壁を斜めに突き下ると、『月のクレーター』のようなドリーネの中、高岳がぽっかりとたたずんでいる名景が望まれる。 カメラにこの情景を撮り込んだ後、ドリーネの端に建つ《月見小屋》へ行ってみる。

《月見小屋》は、その名称の通り『月が見れる廃屋』であった。 そして、そのたたずまいは、中世ヨーロッパの監獄のようでもある。 水場もないし、まず泊まりでは使えないだろう。 まぁ、交通機関が発達してアプローチもすごぶる便利になった今、この山域では避難小屋など必要はないのであるが・・。 小屋の見学!?の後、高岳の裾を巻いて中岳へ戻る。 中岳からは往路を戻るのだが、その前に《阿蘇山火口東展望台》に寄ってみよう。 中岳から150mを急下降で下りていくといい。 所要は約30分だ。 なお、途中でやや痩せた火口壁を伝う所があるので注意しよう。
阿蘇の爆裂火口を見ながらゆく
《火口東展望台》からは《第一火口》と《第二火口》が望まれるが、噴煙もなく今イチ迫力不足だ。 昨日に見学した《火口西展望台》からは噴煙を上げる《第四火口》を眺める事ができたので、東西どちらかと比べるならば《西展望台》の方がお薦めであろう。

《東展望台》から《西展望台》を望むと、そろそろ観光客の車によって渋滞が起き始めている頃だろう。 後は往路を戻るのみだ。 《火口東展望台》より中岳へは、急登の“アルバイト”を強いられるがほんのいっときだ。 観光道路で2〜3時間の渋滞に巻き込まれる事を思えば、何の事はないだろう。 往路をゆっくり戻っても、午前10時頃には下山できるだろう。 帰りの観光道路では6km・・7km・・と続く上り線の渋滞を見ながら、スイスイと帰路に着く事ができるだろう。


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駐車場・トイレ・山小屋情報 阿蘇山の空高く秋深し
やまなみハイウェイより
行 程 表
  <2> やまなみハイウェイ・阿蘇登山道路を利用して阿蘇・景勝地めぐり 〔車利用〕
大分市街 (2:00)→牧ノ戸峠 (0:20)→瀬ノ本高原 (0:40)→宮地 (0:30)→大観望 (0:45)→草千里 
(0:30)
→南阿蘇温泉郷 (1:10)→熊本市街


  <2> やまなみハイウェイ・阿蘇登山道路を利用して阿蘇・景勝地めぐり

この項目では、高原ドライブを主目的にめぐってみようと思う。 大分市外からマイカーで、国道210号線を《豊後中村》まで進む。 この《豊後中村》が、『やまなみハイウェイ』の起点となる。
この道に入ると、最初に九重の山なみが見えてくる。 高原気分満点の車窓を見ながら、車を走らせていく。 何も急ぐ事はない。 気が向いた所で車を止めて、心ゆくまで素晴らしい山岳風景を楽しもう。

やかで、《九重山群》への登山口である《牧ノ戸峠》だ。 駐車場の脇から続くコンクリート階段が登山道である。 次の名所は、《瀬ノ本高原》であろう。 もし、日程に余裕があれば《瀬ノ本》で『やまなみハイウェイ』を下りて、国道442号線に入るのもいいだろう。 この高原から望む叙情的な夕日の情景は今も忘れない。 また、《黒川温泉》・《田ノ原温泉》などの温泉めぐりもいいだろう。 《瀬ノ本》から先の『やまなみハイウェイ』は、阿蘇五岳が高原の果てに突き出る雄大な眺めとなる。 果てしなく続く草原を前景に、阿蘇の山々が噴煙を上げている。 そして、その草原に牛が放牧されて点景となる。 真に、牧歌的そのままの素晴らしい眺めである。

・・約40分車を走らすと、『やまなみハイウェイ』は終了し、《宮地》で国道57号線に合流する。 後は、《阿蘇カルデラ》きっての展望台・《大観望》に立ち寄って、『阿蘇』の《観光登山道路》を経て熊本へ抜けよう。 まずは、《大観望》。 『阿蘇』の外周にそびえる標高928mの高台からは、周囲128kmもあるといわれる《阿蘇カルデラ》外周の全容から、噴煙けたたましい阿蘇五岳の眺めまで、大陸的な眺めを望む事ができる。

《大観望》からの『外周からの眺め』を楽しんだなら、今度はやはり阿蘇の中央部を楽しもう。 目指すは、花の草原・《草千里》だ。 ミヤマキリシマ・ユウスゲ・クサフジなどの花と草原がそよ風に吹かれる中を歩いたなら、きっと忘れられない印象度抜群の風景として記憶に残る事だろう。

・・ここまで来たなら、是非1日日程を余分に取って、『阿蘇五岳めぐり』をしたいものだ。 なお、前項目で『阿蘇』の山を歩いているので、山の説明はそちらに譲りたい。 帰りは、《南阿蘇温泉郷》でひと風呂浴びて帰ろう。 最後に温泉で締めるのは、『日本百景』のセオリーであるから。


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祠が立つ祖母山頂上 登山道の途中に現れる
美瀑・御社ノ滝

水と光のおりなす神秘的な情景だ
 88 祖 母 ・ 傾 山 そぼ・かたむきやま (祖母傾国定公園) ・・・宮崎県・大分県

数百万年に及ぶ浸食という『洗礼』を受けてきた山、祖母山
 1756メートル ・傾山 1602メートル 。 山頂も浸食で激しく削り取られて、全体的に平らな準平原と呼ばれる地形となっている。 山頂の特徴ある突き出た岩峰は、数百万年の風雨に削られながらも耐え抜いてきた証なのである。

さて、主題の登山であるが、祖母山には3つのコースが設定され、宮崎県側の《五ヶ所》からのコースは比較的楽な初心者向きであるが、大分県側にある《神原口》と《尾平越》からの2つのコースは深い谷からの急傾斜が絡む玄人向けのコースで、《阿蘇》や《九重》とはひと味違った山行が楽しめる。


  1. 神原登山口より祖母山頂上へ
  2. 祖母山〜傾山 稜線縦走




駐車場・トイレ・山小屋情報 水に恵まれた祖母山系は
美しい滝が多い
 一ノ滝にて
行 程 表 
  <1> 神原登山口より祖母山頂上へ
豊後竹田市街より車
 (0:40)→神原登山口 (0:40)→一ノ滝 (0:40)→五合目避難小屋
(2:10)→祖母山 (2:10)→一ノ滝 (0:30)→神原登山口より車 (0:40)→豊後竹田市街


  <1> 神原登山口より祖母山頂上へ

さて今回は、美しい渓谷や滝を絡めて、九州の奥の峰・祖母山へ登ってみよう。 祖母山の登山口となる《神原渓谷》は、交通機関などは全くないので、今回の行程もマイカー利用が『ベター』となろう。
なお、マイカーは、《一ノ滝》の上部にある駐車場まで乗り入れが可能となっている。 この事によって、祖母山登山の『ベストプラン』は、前夜に《一ノ滝》駐車場泊での早朝登山開始であろう。
今回は、この『ベストプラン』で話を進めていこうと思う。
祖母山頂より傾山を望む 国観峠より見上げる祖母山 傾山へ続く深い山なみ
さて、駐車場を出発して、林道を少し上がると登山道入口が左手に現れる。 登山道に入ると、道標が200m置きに設置されるなど、よく整備された道が続いている。 また、山の植物や地質などの説明看板も随所に現れて、一般ハイカーにかなり気を使った道であることが想像できる。 ほぼ平坦な道を1km程歩くと、通称・“御社ノ滝”という美瀑が現れる。 まだ早朝で光線状態が思わしくないので、帰り道に撮る事にしよう。 

滝を過ぎて、滝の高さ位(約20m)つづら折りで登っていくと、《祖母山五合目避難小屋》にたどり着く。 この小屋は建付けが立派で、土間と居間が仕切られて庄屋の館のようである。 水も近くに沢があり、この小屋は使えそうである。 車で寝るより快適な睡眠が取れそうな小屋である。 さて、小屋の前には、『頂上まで3km』の道標があり、その横に丸太の階段が続いている。 これより、登山らしい急登が始まる。
『頂上まで2.6km』道標で最終の沢(ほぼ涸れている)を渡ると、さらに急な坂道が1.6km続く・・。 体が“山慣れ”していなければ、かなりコタえる急登である。 唯一の救いは、その名の通り『命救いの水』という岩清水である。 この岩清水は『頂上まで1.8km』地点にあるので、真に助かるのである。 

さて、道標が『あと1km』を示す所まで急登を続けると、《国観峠》の広場に出る。 ここで、始めて祖母山の頂上がお目見えする。 この広場は芝生となっていて、昼近くとなるとピクニック色の強いハイカー達が弁当箱を広げてくつろいでいる事だろう。 ここまてくれば、もうひと息だ。 樹林の層がブナやミズナラなどの巨木からダケカンバなどの潅木に変わり、道がルンゼ状にえぐられてくる。 徐々に頂上に近づいている証拠だ。

《九合目避難小屋》(今はソーラー発電装置もある近代的な小屋である・現在は無人小屋)への道を分けてひと登りすると、待ちに待った祖母山
 1756メートル の頂上だ。 頂上には健男霜凝日子社の社があり、信仰に全く興味のないワテでもつい手を拝せたくなる造りである。 頂上からの展望はこの山系で標高がひときわ高いだけに、傾山への緑濃い稜線は元より、《九重》や《阿蘇》の山なみが見渡せる絶景だ。 頂上で山岳展望を十分に味わったなら、往路を戻る。

帰りは、《神原渓谷》の秀瀑・《御社ノ滝》や《一ノ滝》などを撮りながらいこう。 《神原渓谷》の滝は、山に登ってその下りに通過する頃(ワテの下山通過時刻は10時頃)が光線状態がいいみたいである。


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駐車場・トイレ・山小屋情報 祖母山のもう一つの盟主・傾山
行 程 表
  <2> 祖母山〜傾山 稜線縦走
《1日目》 JR豊後竹田駅よりタクシー
 (0:40)→神原登山口 (0:40)→五合目避難小屋 (2:30)→祖母山 
           (0:20)
→祖母山九合目小屋
《2日目》 祖母山九合目小屋 (0:25)→祖母山 (1:30)→障子岳 (1:10)→古祖母山 (1:30)→尾平トンネル上〔尾平越〕
      (0:20)→キャンプ場〔水場〕 (2:00)→本谷山 (2:00)→九折越避難小屋
《3日目》 九折越避難小屋 (1:20)→傾山より三ッ坊主経由 (2:30)→三ッ尾 (1:30)→観音滝 (0:30)→九折鉱山・傾山登山口
      (0:50)→上畑バス停よりバス〔途中乗換あり〕 (1:10)→JR緒方駅
 ※ 冬季や雨天の場合は滑落の危険がある為、一般ルートで下山すること・・


  <2> 祖母山〜傾山 稜線縦走
 《1日目》 神原登山口より祖母山頂上へ


祖母山頂上までのコースは、<1>コースと全く同じなのでそちらを参照して頂きたい。 ただ、違う点としては、<1>コースの設定が『日帰り』なのに対し、今回は無人の避難小屋や幕営に対応する『縦走装備』の設定という事である。
祖母山東面の大岩壁を染める
シャクナゲの花
シャクナゲの花 
シャクナゲ苑にて
天狗岩へは200mの登り返しだ
 《2日目》 祖母山より祖母傾縦走路を行く

九州の山は、総じて5〜6月がベストシーズンとなる。 それは、九州の山の緯度や高度からして夏山の魅力である高山植物はあまり期待できないが、その代わりにシャクナゲやツツジなど、晩春や初夏を飾る花にとっては絶好の生息条件となるのだ。

・・さて今日は、行程が20km超と非常に長い。 だが、途中にエスケープルートが数本あるので、比較的気軽にアタックできる縦走コースである。 それでは、九州随一の魅力を秘める『祖母傾縦走路』を歩いてみよう。
《九合目小屋》には『縦走路を伝って九折越
 つづらごえ までの所要時間は11時間+2時間』と、“脅し”にも似た案内が掲げてある。 これを鵜呑みにすると途端に気が萎えてしまうので、できるだけ気にせぬようにしたい。 それでも、休憩を含めると総所要時間は2ケタとなるので、日の出前には小屋をでるのは鉄則だろう。 理想をいえば、祖母山の頂で御来光を迎えるのが望ましい位である。 

縦走路は、祖母山頂にある石祠の背後から続いている。 見た感じでは、今までのルートには全く該当しない急な岩崖の下りとなる。 夜明け前の薄暗い中を下ると、足場の確認が取り辛い。 この辺りをワテが通った時には未だ薄暗かったので、このような印象をもったのだが・・。 空が明るければ、何の問題もないだろう。 この頂上直下の一枚岩を下りきると、ハシゴが3つ程連なってイッキに標高差150mを下る。
すると、程なく『標高1600m』のプラカードと『シャクナゲ苑・只今開園中』との案内看板がある。 この縦走路は長丁場ゆえにあまり寄道はしたくないのだが、これは寄道をする価値があるだろう。
祖母山の山体を淡いピンクで染めるシャクナゲ群、奥岳川の源流部を刻む瀬滝、遠くに望む傾山塊と絶景の目白押しだ。 十分目の保養をしたなら、縦走を再開しよう。 

《シャクナゲ苑》より更に100m下ると、前方に《天狗岩》と障子岳がそそり立つように現れる。 当然、200mの登り返しである。 これを《天狗岩》のそそり立つ障子岳の肩までつめると、稜線でも1〜2を争う絶景が視界に広がるだろう。 鋭角にそそり立つ《天狗岩》や《烏帽子岩》と、岩を染めるシャクナゲの花、程よく遠くなり裾野を広げる姿が見え出す祖母山。 そして、辺り一面に、淡いピンクの斑点が咲き競う。
まだまだ遠くにうっすらと望む傾山山塊も印象深い。 

なお、障子岳
 1703メートル の頂上はこの『肩』より10分先であるが、頂上サークルは潅木が育ち始めて親父山の方角以外の展望は利かない。 たぶん、絶景の『肩』で休憩を取ったであろうから、ここは先を進むとしよう。
“肩”にピンクの羽織をまとう天狗岩 小屋の窓より望む『傾』に
明日の夢を期そう
障子岳より少し下ると宮崎県側の展望が良くなって、なだらかに高原に連なる風景が望める。 《天狗岩》や《烏帽子岩》がそそり立つ大分県側の切り立った風景とは、全く対照的だ。 やがて樹林帯の中に入り、さして上下もなく古祖母山 1633メートル に着く。 古祖母山からはスイッチバック状に頂上岩塊を周り込んで、この大岩をハシゴで直下降する。 これを越えると、落葉に埋もれた道を足を擦り下る長いダラダラ下りとなる。
こういう下りは足裏に熱がこもってきて、後半にそのツケが“バテ”という形で襲い掛かるのだ。 この長くタルい下りをこなすと、ひと息つける小さな鞍部に出る。 ここは《尾平越トンネル》の真上にあたる所で、トンネルの大分県側口へのエスケープルートの分岐点でもある。 何でも、30分程で下れるらしい。 《天狗岩》の取付から分岐する《黒金山尾根》と共に、荒天時のエスケープルートとして憶えておこう。 

本物の《尾平越(峠)》は、これより小さな上下を2度越えなければならない。 標高は1130mと、祖母山より630mも下ったことになる。 また、朽ちた道標によると、(祖母山から9.5kmも歩んできた」との事。
だが現実は、「やっとここが縦走路の中間点である」という事に過ぎないのだ。 それは、朽ちた道標の反対側に示された《九折越小屋》までの距離を見ると、一目瞭然である。 『九折越小屋 11km』・・。
これを目にすると、すぐ先にある水場で水を飲むだけ飲んで、そこでテントを設営してバタンキューとなりかねないので御注意を。 この有り難くも危険!?な水場付テント場を越えると、樹林帯の中のタルく長い上り坂となる。

古祖母山からの下りよりも長く、あれ以上にタルい、その上に今度は登り坂である。 展望もなく暑くタルい登りを、少なくとも2時間はこらえなければならない。 そして、喘ぎ登った本谷山
 1643メートル の頂上は、潅木が生い茂って展望は今イチで登り甲斐もない。 何でも、この山は『宮崎故郷百名山』の一峰らしい。 この項目で設定した時間通りに来たならば、本谷山で正午頃であろう。 だが、今までのツケが噴き出る『今日のヤマ場』が、これ以降に続く炎天下の中での《九折越》までの下りである。

本谷山よりは下り基調なれども小さな登り返しが何度もあり、周囲は潅木林が覆って風通しが悪い上に、頭上には直射日光が降り注ぐのだ。 足の疲れが足裏の熱感として溜まってきて、一歩を繰り出すごとに火傷感を感じるのだ。 こうなると、途端に歩行ペースが落ちる。 このワテの体験から、この下りは多めのコースタイム設定としたのであるが・・。 なお、途中の好展望は、笠松山の《東峰展望台》がいいだろう。
傾山塊が裾野から見渡せていい。 

後は傾山へ続く緑のうねりを確実に上下すると、木陰にひっそりと建つ《九折越小屋》が見えてくるだろう。 水場は《九折越》の十字路(縦走路と宮崎・大分からの登路との交点である)を宮崎県側に7〜8分下った所にある。 小屋の建付けは立派で、快適な一夜を過せるだろう。 樹木の間より姿を魅せる傾山の“二ッ坊主”が残照に輝く姿が印象的だ。 これを瞳の奥に焼き付けて、明日の傾山の夢を結ぼう。
傾の双耳岩峰
夜明けのファンタジー
     上 傾山での朝景
       大崩山群と市房山
     下 『坊主岩』の頭上は
       アケボノツツジの花飾り
 《3日目》 三ッ坊主コースを通って下山

今日は、祖母傾山塊のもう一つの盟主・傾山の頂を踏んで下山する行程であるが、一般ルートを下るのは少々物足りない。 この『日本百景』という文集のコンセプトに従って、その項目の景勝地の魅力を最も味わえるルートを選んでいこう。 特異な岩峰を2つ突き出して奇怪あまりある姿を魅せる傾山を最も楽しむには、この特異な岩峰を巻き、そしてヘツるルートがいいだろう。 そこで選んだのが、『三ッ坊主ルート』である。
この『三ッ坊主ルート』は地図上では『難路』と示される手強いルートではあるが、最も傾山の魅力を味わえるルートでもある。 それでは、このルートを歩いてみよう。

《九折越小屋》より傾山まで、空身でも1時間20分はかかる。 「縦走装備を含めた重い荷物を担いだ」となると、10〜20分は余計にかかるだろう。 そして、できれば山頂で御来光を拝みたい。
これらの事を踏まえると、日の出の1時間半前には小屋を出たいものだ。

《九折越小屋》を出て50mも歩くと、大分県側の《九折鉱山》からの登路と宮崎県側の《見立》からの登路が十字にクロスする《九折越》に着く。 休日ともなると、傾山での御来光目当てに両側から登山者が夜道をやってくる。 聞く所によると、宮崎県側の《見立》からだと、林道終点に車を置いて僅か40分でこの峠までやってこれるとの事である。 あまり安易に登れるルートは、環境面や山の魅力の維持の面、そして登山者のモラルの面など全てにおいてマイナスだと思うのだが・・。 

さて、峠を越えると、樹木に囲まれた中をさしたる登りもなく進んでいく。 峠より少し進むと『標高1300m』のプラカードが現れるが、次の『標高1400m』はなかなか現れない。 それは傾山本峰の取付まで、ほとんど登りらしい登りがないからである。 これを伝って歩いていくと、やがて樹林の中より抜け出る。 周りを遮るものがなくなり、うっすらと空が白んできた中を特異な『岩坊主』二つが、ぼんやりと浮き出してくる情景が目に入ってくるだろう。 本傾と後傾の岩峰群である。

ここは思い荷物を下ろして、是非カメラを覗いて頂きたい。 きっと、思いもよらぬシーンがファインダーに現れるだろう。 この幻想的な情景をカメラに収めたならば、いよいよ傾山本峰への取付だ。
本峰に取り付くと標高差にして250m、その風貌どおり『杖落とし』などのルンゼ状の岩場が続くイッキ登りとなる。 朝っぱらからの強烈な急登に、山慣れしていない体が大いに悶える事だろう。
だが、グズグズしていると御来光には間に合わず、夜明け前の出発の苦労が水の泡となる。 これを乗りきると、『二ッ角』の右の角である後傾の頂上だ。
アケボノツツジに染まる
岩峰越しに昨日通った稜線が
ここまで歩いてきたか
祖母山が霞む
傾山の頂上は
ちょっとした山上庭園だ
この後傾は本峰より位置的に良く、展望と御来光はこちらがお薦めだ。 霧島山や市房山など九州南部の山々が、朝日と共に出迎えてくれる事だろう。
この後傾から、『二ッ角』の左の角で三角点のある本傾までは、小さな上下を含めて5分程だ。 傾山の頂上である本傾
 1602メートル の頂上は大きな岩が品良く折り重なり、ヒメコマツの枝ぶりも良く、立ち枯れの白骸木のアクセントも効いてちょっとした庭園のようだ。 もちろん、アケボノツツジも枝狭しと咲き競っている。 そして、遠くに霞む祖母山の勇姿を望むと、感慨深い思いが込み上げる事だろう。 しばし、頂上で長かった縦走の思い出を顧みよう。 

さて、下山であるが、始めに述べた通りに《三ッ坊主》越えの難路を下っていこう。 全体としてはそれ程難しくない岩場の下りではあるが、縦走装備の大きな荷物を担いでの切り立った岩場の下りいう事で普段より神経を使うだろう。 頂上より10m程戻ると、『大白谷へ』と示す道標がある。 その下に『坊主ルート(難路)』と小さなプラカードが差してある。 その指示通りに下っていくと、本傾を成す大岩壁の裏手をヘツるように下っていく。 途中に一ヶ所両面がツルツルの大岩があり、この通過はかなり厄介だ。 しかし本番は、これ以上に高度感が伴うのだ。 やがて、前傾の岩塊に乗り移ってこれを急登する。 《五葉坂》の急登だ。 

このコブを越えると、いよいよ“本番”への分岐に差しかかる。 道標には、『坊主ルート・・危険 一般登山者は〔水場〕ルートを行く事』とある。 分岐から50m程は何でもない獣道であるが、それは《坊主岩》の縁に出るまでの事で、岩壁の縁に出るとバンド付の懸垂下降が三連発でやってくる。 最初の下降はホールド点が目で確認できるので大した事はないが、2つ目はルンゼ状に切られていてホールド点が視認し辛い。
だが、周りの至る所にアケボノツツジが、淡いピンクの斑点を彩っている。

岩壁に吹き寄せる涼風にアケボノツツジがチラチラと舞い降る、詩人ならばたちまち詩歌を詠んでしまうような情景がそこらかしこに広がっている。 キツい下りに冷汗をかいて、素晴らしい情景にホッと一息着く、これを《坊主岩》崖の直下降の間で繰り返す。 「ずっとこのような感じが続くのか」と思った矢先、いきなり樹林帯に入り込んで、しかも思いもよらない急登が始まる。 先程下った分を吐き出すが如く、つめるように登っていく。 これを登りきると、《三ッ坊主ノ頭》だ。
      左 三ッ坊主の大岩
      中 岩崖を懸垂下降で下る“難所越え”
      右 深い谷に向かって岩場を下っていく
別称・『前傾』の文字通り、前に傾いた大きな岩峰がエラを張り出している。 そして、そこらかしこにピンクの斑点を散りばめるアケボノツツジと、深い谷を刻み込む《山手谷渓谷》の絶景が広がる。
振り返れば、《吉作坊主》や《二ッ坊主》などの岩峰など、このルートでしか望めぬ絶景が360°の大展望で味わえるのだ。 素晴らしい情景を前にして立ち去るのは、後髪をひかれる思いである。

さて、《三ッ坊主ノ頭》からは、一度大きくたわんでから向かいにそびえる《吉作坊主》の岩峰へ移っていく。 おそらく、《吉作坊主》の頭へのアプローチがこのルート最大の難所となるであろう。
鋭角に積み重なった一枚岩群の上を巻くようによじ登り、その上に形成されたナイフリッジを跨ぐようにトラバースする所がある。 もちろん、ロープや鎖は一切ない。 一枚岩は登りにくく、この岩上にやっとの思いで這い上がっても背後が完全に切れ落ちていて、その高度感に足が竦む事だろう。 距離的には短いのだが、一枚岩群を巻いて登り、その上を跨いで伝うまでの間、延々と切れ落ちた谷底をまの当たりにするのだ。

これを越えると、樹木に囲まれて眺望が今イチの《吉作坊主》の頭を越えて、その直下にある10m位の大岩を懸垂下降(バンド付)する。 進路はこれを境に内々の樹林帯の中に入り込むようになり、つづら折り急下降していく。 《二ッ坊主》との鞍部にある《アオスズ谷》の源頭まで下ると、行く手を阻むかの如く《二ッ坊主》の『本体』が立ちはばかる。 「土砂崩れでも起こしたのか」と見まがうツルツルの岩崖をよじ登って斜め右手に抜けていくのだが、見た目は左側が正しいルートのように見えるので厄介だ。 事実、間違えた人の踏跡が多数残っていた(ワテも、新たなる踏跡をつけてしまった)。 これを間違えると、15mの土砂崩れ壁上をトラバースで戻り返すハメとなるので御注意頂きたい。

これを越えると難所はなくなり、後は《二ッ坊主》の肩口までの急登と、そこから下るつづら折りの急坂があるだけだ。 飽きる程のつづら折りを経ると、森の中で一枚の木切れ道標が落葉に埋もれているのが発見できるだろう。
 左上 また訪れたい
    アケボノツツジに染まる坊主岩

 右上 落差75mを誇る観音滝

 左下 アケボノツツジ

 中下 麓から望む傾山
ここが一般〔水場〕ルートとの合流点だ。 この少し先が《三ッ尾》と呼ばれる尾根の縁だ。 標高は1150m。 『坊主ルート』の分岐点より僅か400m程しか下っていない事実に驚かされる。
『坊主ルート』はコース自体の難度はともかく、度重なるアップダウンによる体力度が問われるルートのようである。 さぁ、後は落葉に埋もれた森の中を延々と下るだけだ。 だが、下るといっても、標高差750mに及ぶダダ下りだ。 難所を踏ん張って歩いたツケも手伝って、足取りはかなり重たいだろう。 

この足取りで地図上のコースタイムを維持するのは難しく、県道7号線の《上畑》集落より出る12時過ぎのバス便には到底間に合いそうもないだろう。 覚悟!?を決めてゆっくりと下ろう。 単調な下りの中で数少ない見せ場というと、樹間に垣間見える《坊主岩》に今日の体験を思い返す事、そして落差75mの《観音滝》位であろうか。 なお、《観音滝》の周辺は滝を囲む様に馬蹄形に切れ立っていて、滝を覗き込んでバランスを失い転落する事故が多発しているとの事。 ゴールも近く、疲れも手伝って気が緩みがちだが、最後まで気を引き締めていこう。 『事故』という落とし穴は、こういう所で手ぐすねを引いているのだから。 

《観音滝》を越えて少し行くと、鉱山跡の赤茶けた水路とトロッコ跡の鉄橋が見えてくるだろう。 この鉄橋を渡って《カンカケ谷》から《九折越》への登路を併せると、トロ道跡の高台から急降下して鉱山跡の登山口に着く。 30台は駐車できる駐車場を備えた立派な登山基点だ。 そして、大半の登山者がここまで車でやってくる。 だが、祖母傾の縦走を志す者には、これより最後の使命が待ち受けている。 それは、炎天下の中、県道7号まで4kmの舗装道歩きだ。 しかも、バスの時刻に到底間に合わない(上畑12:16発のバスを逃すと、その日の内に緒方町へ出る便がない)という心理的な退廃感が加わると、より辛くなる事だろう。
下山後のひと風呂も夢と化するのだ。 この山系の難点といえば、ズバリこの事であろう。


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