香しき銘刀、ナギナタコウジュ                   前ページ トップ 後ページ
 
  我が家の狭い庭に赤いパイナップルセージや青いラベンダーセイジの花が咲き乱れ、もう溢れんばかりである。それに、緋色と紅色のスプレンデンスや濃い青のファリナセアも咲いていて、シソ科のSalvia属の花盛りの季節である。

  山の小径もシソ科の花で賑わっている。イヌトウバナ、イヌコウジュ、アキチョウジなどが林縁を美しく縁取っている。中でも良く目立つのはナギナタコウジュ(薙刀香需)。薙刀のように反り返った長い花穂の片側に、薄い紅紫の花が列になって咲き並ぶ。独特の花姿だから、なかなか花の名前を覚えられない私でも、直ぐに名前が出てくる数少ない野草の一つである。「香需」は中国名。葉や茎に強い香りがある。漢方でもこう呼び、全草を乾かし煎じて飲めば、解熱、利尿、下痢などに効能がある。

  シソ科には香需のつく種がまだまだある。ミゾコウジュは溝など、湿った草地や畦に生える。愛らしい名を付けるのは山林の木陰に咲くスズコウジュ。白い小さな花が鈴のように下向きに咲く。

  そしてイヌコウジュ。香りがせず、薬効が無いから「犬香需」なのである。観賞用やハーブ、漢方薬として有用な植物の多いシソ科の中にあって、人に無用なものは見向きもされない。悲しいかな、何か取り柄がないと粗末に扱われるのは、植物であれ、人であれ、少しも変わらないようだ。

                                    〔撮影:2006年10月19日/兵庫県神戸市

毒草ハエドクソウを喰う虫のミステリー                          トップ
 
 渓流の岸辺に一株のハエドクソウがあった。株の全体を写し、次に花穂を写す。そして、萼の先が三つに分かれた変わった花を真上からアップで狙って見る。フォーカスリングを回してピントがあって驚いた。ヤガの幼虫らしい虫が一匹蠢いている。虫がいて気持ち悪いからビックリしたのではない。毒草の上だというのに虫が元気に動いていたから驚いたのである。

 ハエドクソウは「蠅毒草」。根にフロマロリンという毒性分を含み、根をすり潰し、この汁をご飯に混ぜて紙に塗り、蠅取り紙にした。中国では「毒蛆草」と呼び、蛆を殺すのに使った。毒草は適量を守れば素晴らしい薬草。漢方では「透骨草(とうこつそう)」といい、はれ物の治療、鎮痛、消炎などの薬効で知られる。

 ハエドクソウの薬効には驚くが、生きた化石だと聞いてまたビックリだろう。現在ハエドクソウは、東アジア(日本、朝鮮、中国、ヒマラヤ、東シベリア)と北アメリカ東部に隔離分布している。第三紀に北極から中緯度地域に分布していた植物は、第四紀の氷期になると南下した。しかし、ヨーロッパではアルプス山脈て行く手を阻まれて絶滅した。低温化の影響の少なかった日本や、上手く南下出来たアジアや北アメリカの植物が不連続分布して現在生きている。こうした第三紀周極要素(第三紀周北極植物相)の子孫達が、ミズバショウ、エンレイソウ、フッキソウなどが北半球の温暖林に残存している植物たちだ。

 古い特異な植物であることはその形態にも見ることが出来る。遠目で花茎を見るとシソ科の植物にそっくりだ。近づいて見るその小さな花はキツネノマゴに似た唇形。花茎の下部の軸に寝て付く種子はイノコズチそのもの。だがこれは他人の空似に過ぎない。日本のハエドクソウ(Phryma leptostachya ssp. asiatica)は、花が一回り大きな北アメリカ東部のアメリカハエドクソウ(ssp. leptostachya)を基準亜種に、1属1種だけのハエドクソウ科を名乗る特異な形態を持つ不思議な植物なのだ。

 ハエドクソウの花は花茎の下から上に咲き登って行く。頂部の蕾は上向き。開花すると花は横を向く。そして、花が終わり実になれば真下を向く。この幼虫はといえば、丁度開花中の花にいる。花を食べつくし、花を探して下から登って来たのだろうか? その直ぐ下の花を見ると、萼だけが残り花弁はすっかり無くなっている。幼虫が食べてしまったのだろうか。ハエドクソウは根ばかりでなく全草に毒を含むというから、この幼虫が本当に花を食べているとすれば驚きだ。

 渡りをするチョウですっかり有名なアサギマダラの幼虫も、毒草のガガイモ科の植物を食べて成長する。このような昆虫は体内に残る毒性分で、鳥などの補食から逃れいるのだから、毒草を食草にする昆虫の存在はちっとも不思議なことではない。けれども、ハエの幼虫や成虫という昆虫を殺す毒草(殺虫剤)を好んで餌にしているのだとすれば、それはビックリものだ。

 今では珍しくなったイエバエだが、一昔前は食餌の始まる度に蠅打ちで食台に集まるハエを退治してから箸を取らねばならないほど日本はハエだらけの国だった。農薬の研究が進みハエは減った。だが、ハエは進化し、その農薬に耐性を持つようになった。ハエと農薬は今もお互いに進化と開発を続けているのである。進化を停止したような生きた化石のハエドクソウに、フロマロリンという毒に元々耐性を持つ昆虫が食性を広げてこの毒草にたどり着いたのかもしれない。それとも、気の遠くなるような長い時間にあっても毒性の進化を忘れた化石のような植物を、平気で餌に出来る昆虫が突然出現したのかもしれない。

 「風に飛ばされた幼虫が、たまたま花に飛び降りて来たんだよ。」と言う声が聞こえる。そう言ってしまえば、ちっぽけな花をぽつりとつけたあまりに地味なこの野草が益々貧相に見えて気の毒だ。折角の壮大なミステリーを垣間見てしまったのだ。その終結は、来年の花の時期まで、そのまま仕舞って置くことにしよう。

                                    〔撮影:2006年10月19日/兵庫県神戸市
シンジュサンは忙しい                                 トップ
 
  このガの幼虫を見て、まるで玉飾りの縁取りの毛糸の帽子を被った赤ちゃんのようだと、形相を崩してじっくり眺める人もあれば、「ギャー!」と他のサイトに逃げてしまう人もあることだろう。芋虫の類を見る人の反応は様々だが、ガの幼虫はほとんどの人が毛嫌いする昆虫の代表だろう。けれども、このガの幼虫が女性を喜ばせるシルクを生み出す素晴らしい昆虫であることを忘れてはいけない。

 これはシンジュサンの幼虫。「真珠さん」と呼びかけているのではない。「神樹蚕」である。神樹はニワウルシ(庭漆)の別名で、公園や街路樹などとして植えられているウルシに良く似た木といえば見覚えのある人も多いことだろう。ウルシと言ってもこれはニガキ科で、もちろんかぶれることはないから庭園樹として使われている。蚕はカイコのことだから、この芋虫を神樹で養って繭を採ったから付けられた名だろう。

 ヒマサンという蛾がいる。「暇さん」ではない。「蓖麻蚕」である。蓖はトウゴマ(唐胡麻)の漢名で、唐から伝えられた種子から油を採る栽培植物である。ヒマは北アフリカ原産の一年草。そう、ヒマサンの幼虫をヒマの葉で飼育して繭を採るのである。インドのアッサム地方は古くから養蚕が盛んで、ヒマサンから作られ絹製品をEriと呼び、ヒマサンにはエリサンの別名がある。

 シンジュサン(Simia cynthia)はマラヤ地方に原名亜種が、インド、中国、シベリア南東部、日本などに幾つかの亜種が分布している。ヒマサン(Simia cynthia ricini)はシンジュサンの完全飼養の品種で、絹糸虫として日本や台湾に輸入されている。写真の幼虫はヤマモガシの葉を食べていたが、ヌルデ、クサギ、エゴノキなど様々な樹木つく日本産の野生種で、本州から西表島に分布するS.cynthia pryeriである。対馬、北海道にいるのは朝鮮、中国北・中部のS.cynthia walkeriと見られているようだ。
 
 クワの葉で育てる完全飼養種のカイコガ科のカイコ(Bombyx mori)を家蚕という。一方、シンジュサン、ヤママユガ、サクサンなどのヤママユガ科に属する絹糸を取る種を天蚕(野蚕)と呼ぶ。天蚕は糸の美しさかが珍重される古くから伝わる照葉樹林文化を代表する産物である。この繭一個から取れる糸の量は家蚕の半分以下で、一層貴重品なのだ。それ故、シンジュサンは北米やヨーロッパにも移入され、世界各地で繭を作り続けている。世界に拡がるヒマサンの姉妹達も、休む暇もない程忙しいことだろう。
                                    〔撮影:2006年10月16日/兵庫県神戸市
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