"日本一の兵"真田幸村の戦い5選

2017/10/18

真田幸村

ゲームに大河に漫画にゆるきゃら...戦国武将のなかでもひときわ人気の高い真田幸村(信繁)。しかしながらその活躍は後半生に集中していて、生涯は謎に包まれています。今回はそんな真田幸村をより知るため、ターニングポイントとなる合戦を5つご紹介!!

.1位 単騎で家康本陣を切り崩し、伝説となった"大坂夏の陣"(1615年)

やはり真田幸村が一番映えるのは、家康の首の身を狙って一心に駆ける大坂夏の陣! 数々の因縁をへて、最後の最後に直接対峙した家康と幸村。圧倒的不利の状況ながら決死の突撃により徳川家康本陣を崩壊させる様は、敵方からも"日本一の兵"と称賛されました。江戸時代の男の子は『あしたのジョー』と同じような感じで幸村の最後に胸を熱くさせていたんじゃないでしょうか。あまりの人気の高さに生存説も数多く生まれたそうです。

大坂夏の陣

画像は"大坂の陣"にしぼって幸村父子の生き様を描いた『朱黒の仁』より最期の別れを告げる幸村と嫡男・大助。イラストレーターとしても活躍する槇えびし氏が描く、凛として美しくそして哀しい父子の運命は必見です。
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.2位 兄弟対決の行方にも注目"第二次上田合戦"(1600年)

関ヶ原の戦いに急ぐ徳川秀忠軍約4万を3000の兵で足止めし、関ヶ原への参戦を見事に防いだのが第二次上田合戦。10倍以上の敵兵力を翻弄する真田昌幸の知略の冴えや、神川の仕掛けなど、気持ちいいほどの真田の活躍が堪能できるのがこの戦い。しかし結果として西軍に与した真田昌幸幸村父子は紀州九度山へと流されてしまいました。戦術の巧みさと結果の報われなさが、いかにも真田らしさを感じる戦いです。

画像は『真田太平記』1巻よりおびき寄せた依田肥前守を待ち受ける真田幸村。怪童・樋口角兵衛や真田忍びなど、池波正太郎氏が生み出した魅力的なキャラクターの激闘が大迫力で描かれています。 。
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.3位 将としてのデビュー戦! "大坂冬の陣"(1614年)

みんな大好き真田丸が活躍したのが、この大坂冬の陣です。すでに豊臣は死に体。馳せ参じた総兵力10万も、ほとんどは牢人たち烏合の衆だと言われています。しかし真田幸村をはじめとした武将たちがそれぞれの意地をみせて奮戦。2倍の兵力で大坂城を囲んだ徳川は攻めあぐねて、講和での決着を模索することになります。城内での政治闘争も複雑で、フォーカスする人物によってさまざまな描かれ方をする戦いです。

.4位 大国を寡兵で破った真田伝説のはじまり"第一次上田合戦"(1585年)

地方の一領主に過ぎない真田昌幸が、全国に武名を上げたのが第一次上田合戦。いまだ築城途中の上田城に入った真田の兵力は2000。攻め寄せる徳川は8000~1万と言われています。4~5倍の兵力で押し寄せる徳川軍を、奇策と武略でさんざんに翻弄して追い返してしまいました。そしてここから真田と徳川の宿怨が始まっていきます。幸村は上杉の人質だったので参戦していない、というのが歴史的な定説でしたが、実は参戦していたという最新研究もあるそうです。

.5位 実はひっそりいました"忍城の戦い"(1590年)

『のぼうの城』で知られる忍城の戦いは、秀吉の小田原征伐の一環として行われました。史実では真田昌幸、信繁(幸村)親子も参戦したと言われていますが、目立った戦功は残していません。寡兵で大軍を破ることと、大軍で勝ちきることは、まったく別の才能なのかもしれませんね。ちなみにこの戦いの指揮官は石田三成。のちに西軍へ参加することになる真田昌幸は三成の指揮をどのように評価していたのでしょうか。

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