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もえカツ!vol.1
作者:メイリン

初投稿作品です。短編といっても、文庫本1冊に相当する量の非常に長い作品ですので4部に分けて投稿し、さらに通し番号で章立てもしてあります。少しずつでもよいので、最後まで読んでいただければ幸いです。それでは拙作ながらお楽しみください。


「あなた、女の子じゃないの……?」

 これまでの人生の中で、ボクはこのセリフを何度も聞いてきた。


 ボクの名前は楓原(かえではら)麻沙希(まさき)。十六歳の高校二年生。

 女の子みたいな名前だけど、正真正銘の男子だ。

 もっとも「ボク」と称しているのだから、男であると分かってもらえるとは思う。

 えっ? 女の子でも自分のことを「ボク」と呼ぶコもいるって?

いやいや、ボクはそういう特殊なコじゃないよ。ちゃんと男だよ。付くべきものも付いているよ。

しかしながら、ボクには普通の男子にはないある悩みがある。その悩みとは、ボクが男でありながら、よく女の子と間違えられることだ。名前が女の子っぽいからじゃない。

見た目が女の子っぽいからだ。

 両親いわく、ボクはそれはそれは可愛らしい赤ん坊としてこの世に生を受けた。両親はかねてから女の子が欲しかったので、愛らしい赤ん坊の誕生を喜んだ。しかし、その喜びはすぐに落胆に変わることになった。

母「まぁ可愛らしい!」

父「やったな! ついに俺たち念願の……」

看護師「元気な男の子ですよ!」

父・母『……えっ?』

 ボクにはしっかり……アレが付いていた。

 しかし、ボクの両親はここで諦めなかった。出来れば諦めて欲しかったのだが。

 よく子供は親を選べないというが、本当にそう思う。

 何故ならボクの両親はボクを女の子のごとく育てようとする変態だったからだ。

 ここからボクの受難の人生が始まった。

 まず両親はボクに可愛い名前をつけることにした。生物学的にはいちおう男なので、男女両方でも通じるようなものにしようと考えた。その結果がマサキという名前である。それでも漢字はしっかり女の子っぽい〈麻沙希〉という字を当てられた。

女の子みたいな名前の男の子(って、ややこしいな)のボクは、とても大切に育てられた。まるで一人娘のように。

 物心がつくかつかないかの頃、ボクが分からないのをいいことに、着せられていた服はもろに女の子ものだった。ところが小学生にもなると、ボクは女の子ものを着ることを拒否した。さすがの両親もボクを裸で学校に行かせるわけにはいかないので、しぶしぶ男の子ものを着せてくれた。それでもささやかな抵抗なのか、可愛いデザインのものをチョイスされていた。

 髪型も肩くらいまでの長さにされた。坊主にしたことなど勿論ない。もっともボク自身この髪型は結構気に入っている。一度だけ当時流行していたスポーツ刈りにしてみたところ、サルみたいになってしまった。ボクは文字通り女顔なので刈り上げが似合わなかった。

こうした両親の〈洗脳〉によって、ボクは立派に見た目が女の子みたいな男の子へと成長した。ただ、両親でも洗脳できなかったことがひとつある。

それは、ボクが好きなのは男の子ではなく、女の子だということだ。

 いくら見た目が女の子みたいだからといって、心まで女の子になることはなかった。

 さて、そんな両親の歪んだ愛情を注がれて幼少期を過ごしたボクだったが、父親の仕事の関係で、小学校の途中から外国に住んでいた。しかし高校二年生の春、ボクたち家族は日本に戻って来ることになった。だがその矢先、父の仕事でトラブルが発生し、しばらく日本に戻れないことになってしまった。そのため、すでに日本の学校に編入することが決まっていたボクは、両親を残して一足先に日本に帰って来た。

 編入先の学校への登校初日。学校の名前は私立七泉(なないずみ)学園。男女共学だが、男子部と女子部に分かれている高校だという。しかしボクが事前に聞いていたことは学校の名前と場所以外ではこれくらいで、いざ学校に着いてもどこに行ったらよいのか分からない。我ながらよくそれで編入できたなぁと思うが、父親が言うには、この学校には書類選考だけで編入できたそうだ。日本の高校・大学は入学するのが難しいことは長らく海外にいたボクでも知っていたが、こと編入に関してはこんなに簡単なものなのだろうか。ボクがいない間に日本の教育制度も変わったのかもしれないなぁ。

 ところで今日は何だか朝から落ち着かない。足元がサワサワする気がする。新しい学校への登校初日だから、やっぱり緊張してるのかな。

 敷地内をしばらく歩いていると学園の事務局らしき建物が目に入った。どこに行けばいいのか、ボクはそこで聞いてみることにした。

 事務局で編入生だという旨を伝えると、事務員のお姉さんがすぐに対応してくれた。ところがここでトラブルが発生する。といっても、それはボクがこれまで何度も経験していることなので特別驚くことではなかった。ちなみに冒頭のセリフはボクが編入するクラスを確認するために書類に目を通していたお姉さんの口をついて出た言葉だった。そう、彼女はボクのことを女の子と間違えたのだ。またですか。



「……はい、ボク、男です」

 ボクはこれまでと同じように自分の性別を伝える。もうこのセリフも慣れたものだ。

「あら、ごめんなさい。アナタとっても可愛いから、てっきり女の子だとばっかり……」

 そして相手からこのような返答が来るのもいつものことだ。別にショックを受けることもない。言わば大阪人の「儲かりまっか」「ぼちぼちでんな」のやりとりみたいなものだ。  

 通過儀礼も済んだので、とりあえずボクは、両親から詳しい説明を受けないままに登校日を迎えてしまったので何も分からないことを伝えた。

 すると、お姉さんは何かにピンときたような顔をした。

「えっ、アナタもしかして楓原さん?」

「あっ、はい。そうですけど」

「はいはい、納得しました。お話はすでにご両親からうかがっていますよ。高校生の途中からの転校なんて大変だったわねぇ。あっ、楓原さんのクラスは二年M組になります」

 既に両親から事情が伝わっていたようだ。合点がいったらしい。

「それにしても、アナタが例のねぇ……そりゃ私も普通に間違えちゃうわけね、うふふ」

 お姉さんはボクをしげしげと見つめながら何やらつぶやいている。

「あの、ボクの顔に何か付いてます?」

「あっ、ううん。何でもないわ。ごめんなさいね、じろじろ見ちゃって。楓原さんが可愛いから思わず見とれちゃったわ」

「いやぁ、そんな。あははは……」

 女の子に間違われることには慣れているとはいえ、あまり面と向かって可愛い可愛いと言われると照れてしまう。リアクションにも困るし。

「そうだ。これから楓原さんのことマサキちゃんって呼んだ方がいいわね」

 えっ、何で? ボクが男だって分かったんだよね? しかもこのお姉さん、急にフランクな態度になったよ。まぁ初めからフレンドリーな感じの人ではあったけど。

「初めまして。私の名前は若山(わかやま)彩子(あやこ)。二十八才、独身、彼氏募集中でーす! ちなみに生徒たちからはアヤちゃんって呼ばれているわ。よろしくね、マサキちゃん」

 フレンドリーな事務のお姉さんは合コンのような自己紹介を始めた。若山さんは真っ直ぐに伸びた黒髪とスタイルの良さが印象的な美人だ。ただ、学校に勤めている人にしてはスカートがちょっと短すぎるんじゃないかと思う。いかんせん我々のような年頃の男子にはちと刺激が強い。それにしてもこの人テンション高いなぁ。ボクに話す間を与えないくらい矢継ぎ早に話すんだもの。

「あっ、そうそう。マサキちゃんって自分のことボクって言うのね。ボクっていうコは二年M組にはあまりいないわねぇ。でもボクっ娘も需要がありそうね、うふふ」

 ボクっ娘? 需要? 何の話だ。M組の男子はボクって言わないのか。じゃあ何て言うんだろう。我輩? 拙者? 某? まさかね。やっぱり俺とかかな。

 って、そんなことはどうでもいいや。

「あっ、あの、ボクはまずどこに行けばいいんでしょうか?」

 若山さんはハッとしたように、

「あん、ごめんなさい。マサキちゃんと話すのが楽しくてすっかり夢中になってたわ。二年M組の教室があるのは女子部の入っている東棟よ。ここを出て向かって右側にある建物がその東棟よ」

「えっ、男子クラスなのに女子部にあるんですか?」

「うん。M組は男のコのクラスだからね」

 男の子のクラスだから女子部? ボクの頭に疑問符がたくさん浮かんだ。

「あっ、そうか。その東棟には男子と女子の教室が混ざっているんですね」

「ううん、そんなことないわよ。東棟は基本的に女子部の校舎よ。M組の教室だけが東棟にあるのよ」

 えっ、どういうこと? 何でM組だけ特別扱いなの? それともM組だけ男子部にあってはいけない理由でもあるというのだろうか。

「あの、M組って特待生クラスか何かなんですか?」

「えっ、それも聞いてないの?」

「はい、ボクには何が何だかさっぱり……」

 若山さんは少し驚いた後、

「マサキちゃんが入るM組はこの学園唯一の特待生のクラスなのよ」

「えっ、そうなんですか? でもボク学力が高いわけじゃないですよ。スポーツが得意ってわけでもないし……」

 でも何故か書類だけで編入出来たんだけども。

「違う違う。そういう特待生じゃなくてね。マサキちゃんは……萌え特待生よ!」

「…………えっ?」

 十六年の人生の中で初めて聞いた単語に、ボクは一瞬固まってしまった。

「萌え特待生ってのは男の……あっ」

 若山さんは突然何か閃いたように言葉を切った。

「どうしたんですか?」

「マサキちゃんはまだ何も知らないのよね?」

「ええ、さっぱり……」

「じゃあ詳しいことは行ってからのお楽しみってことにしましょ、うふふ」

 若山さんはちょっと意地悪っぽい表情で微笑む。

「何かとてつもなく不安なんですけど……」

 若山さんはボクをなだめるように肩をポンッと叩くと、

「まあまあ。とりあえず、七泉学園にようこそ! 登校初日頑張ってね。じゃあまずは職員室に行ってちょうだいね。二年M組の担任の水川先生がいるから」

「はっ、はあ。分かりました。ありがとうございま……うっ」

 腑に落ちないものを抱えつつ、若山さんにお礼をして事務局を出ようとしたそのとき、ボクは自分の足元を見て、あることに気が付いた。

「うん? どうしたの?」

 若山さんの問いかけに、ボクはおもむろに答えた。

「ボクの制服、本当にこれで良いんですか?」

 登校時に見かけた他の男子生徒の制服はブレザーとズボンという、いたって普通の男子高校生の制服である。ところがボクが着ていたのは上がブレザーなのは同じだが、何故か下がスカートだった。「全国の女子高生が選ぶ可愛い制服ランキング」でも結構上位に入ってきそうな制服である。

 ここで家を出たときの自分を思い出す。

 ―ところで今日は何だか朝から落ち着かない。足元がサワサワする気がする―

 そりゃそうだよ! こんなヒラヒラしたもの履いてるんだから。そもそも何で履いた時点で気付かなかったんだよ! 天然過ぎるよ自分。

「そうよ。それが二年M組の生徒、つまり萌え特待生の制服なのよ」

「他の男子が着けているのは普通のネクタイなのに、ボクのはリボンタイだし。これ女子用の制服じゃないんですか?」

「ううん、そんなことないわ。それはまぎれもなく男のコ用の制服よ」

 若山さんはあくまでこの制服が男子用だと言い張る。こうも自信を持って言われると、そうなのかなぁという気になってきた。

「それにしてもマサキちゃん、その制服良く似合ってるわ! M組の他のコたちに全然引けを取らないわ。アナタなら大いに活躍できそうよ」

「そっ、それはどうも……」

 でも活躍って言われてもなぁ。ボクこれといって特技ないし。そもそも何故その萌え特待生とやらになれたのかがよく分からない。

「何か悩みがあったらいつでも相談しに来てね。これでも結構生徒たちの相談に乗ってるのよ。それじゃ思いっきり青春してね!」

 ボクはまったく状況がつかめないまま、なかば追い立てられるように事務局を後にした。とりあえず行ってみるしかないな。ボクは履き慣れないスカートの裾を押さえながら女子部が入っているという東棟に向かった。


                   ☆


 東棟の中に入ると、職員室はすぐに見つかった。ボクがノックして部屋に足を踏み入れると、すぐにひとりの女性が近づいて来た。彼女が二年M組の担任である水川明海先生だ。   

 水川先生は美人教師という言葉がまさにしっくりくるような人で、長い髪を後ろで留めていて、クリーム色のスーツをビシッと着込んでいる。彼女も事務の若山さんと同じで、スカートの丈がかなり短い。この学園の女性職員はスカートを短くしなければいけない決まりでもあるのか。そういえば、ボクが今履いているスカートも短い。男がスカートを履いたときの足元の心許なさったらない。この気持ち、皆さんには分かっていただけるだろうか。

 さて、今は水川先生に連れられて二年M組の教室に向かっているところだ。これから朝のホームルームで、ボクはクラスメイトたちに自己紹介をするのだ。

 二年M組の教室の前まで来ると、中からわいわいがやがやと話し声が聞こえてきた。

「ねえねえ、今日からうちのクラスに転校生が来るらしいよ」

「へぇ、どんなコなの?」

「何でも帰国子女らしくて、凄い可愛いコらしいよ!」

「それは楽しみだね。はむはむ」

 語尾がおかしな女の子が一人混ざっていたが、教室の中にいる彼女たちの話題はどうやら今日からクラスの一員になるボクについてらしい。女子高生は噂話が好きだからなぁ。

 ……えっ、女子高生? 二年M組は男子クラスのはず。何で中から女の子の声が?

 しかし、今聞こえた声はどう聞いても女の子の話し声だった。

 あれ、クラス間違ったかな? いや、担任の先生が連れて来たのだからそんなはずはない。見上げると表示板には確かに二年M組とある。もしかしてM組だけ共学クラスなのか? 共学クラスだから男子の制服もスカートだとか。いやまさか。

 あれこれ考えを巡らせていると、水川先生がボクの方を振り返り、

「楓原さん、大丈夫? ちょっと緊張しているのかな?」

「……はっ、はい、大丈夫です」

 ハッとして答える。ボクは背中に変な汗をかいているのを感じた。どうもその理由は編入先の新しいクラスに緊張しているからというだけではないようだ。

 このクラスは何かただならぬ雰囲気を感じる。男子クラスなのに女子部の建物にあり、中から聞こえてきたのは女子生徒の声。おかしい。

「じゃあ先にホームルームでいくつか連絡事項を伝えてからアナタを紹介するから、ちょっとここで待っててね」

ガラガラガラ。先生が戸を開けると、がやがやしていた教室内は一気に静まり返った。

「きりーつ、礼!」

『おはようございまーす!』

 活発そうな女の子の朝礼でホームルームが始まった。やっぱり中にいるの女の子だよな。

「ではホームルームを始めます。連絡事項です。最近、夕方頃に本校の周辺で不審者を目撃したという情報が相次いでいます」

 へぇ、不審者か。春先になると変な人が多くなるっていうからなぁ。

「目撃者によると、不審者は奇声を発しながら、ボックスを踏んで近づいてくるそうです。なお、手には大根を持っているそうです。皆さんくれぐれも注意してください」

 それ不審者ってレベルじゃないよ! ツッコミどころが多すぎてどこから突っ込めばいいのか分からないよ。今の話にインパクトがありすぎて、これから登場する転校生の印象が薄くなったんじゃないか。

「次に、最近遅くまで校内に居残る生徒が多いそうですが、なるべく早く帰るようにしてください。施設管理の方にも迷惑がかかりますし、先程も言った通り不審者もうろついているみたいですから、あまり遅い時間に外を出歩かないようにしましょう」

 確かにね。最近の高校生は夜遅くまで外出してるらしいからなぁ。さて、そろそろ紹介されるのかな。

「最近、更衣室が散らかっています。使い方に問題があるようです。更衣室はみんなで使うものですからキレイに使いましょう」

 うんうん、そうだね。女の子には身の周りもキレイにしておいてもらいたいものだね。って、女の子……じゃないんだっけ? 

「今日から、英語の木原先生が産休に入られました。代わりに伊藤先生が授業をします」

 いやぁ、おめでたい話ですね。さて、そろそろ心の準備を。

「昨日、音楽室の前にカチューシャの落し物があったそうです。心当たりのある人は生活指導の安原先生のところまで来てください」

 ……あれっ、まだなの?

「購買部からの連絡です。本日の日替わりパン

はたい焼きパンです」

 …………。

「日経平均株価、昨日の終値は八千二百五十六円です」

 ………………。

「先月の有効求人倍率は〇・〇二ポイント下がって、〇・八八%となっており、依然として厳しい雇用状況が続いています」

……………………。

って、長いよ! いつになったらボクのこと紹介してくれるんだよ! 最後の方なんか話すことが無くなってきて明らかに関係ない話をしてるし! たい焼きパンて何だよ! パンの中にたい焼きが入ってるってこと? 小麦粉の中に小麦粉って、生地ばっかり! どんだけ炭水化物好きだよ! 株価は……安いな、おい! 有効求人倍率……厳しい状況だな! ってか、株価に有効求人倍率、夢のない話ばっか! 朝から未来ある高校生にする話じゃないよ!

「……ということです」

 ボクが先生のすべてのボケにツッコミを入れて息切れしそうになった頃、教室内が一瞬静まり返る。どうやら水川先生の話に一段落ついたようだ。

「あっ、そういえば今日から転校生が来ます」

 忘れてたのかよ! 昨日の掃除当番の人、窓の鍵閉め忘れてましたよくらいのテンションで言われたよ。

 すると、教室の戸が開き、水川先生がひょいと顔を出し手招きする。

「お待たせしましたね、楓原さん。さっ、入ってください」

 気分的にとても長い時間待たされたような気がするので、ちょっとダレてきていたが、いざ教室に入るとなると、再び緊張感が襲ってきた。

 ドキドキ。ボクは恐る恐る足を踏み入れた。

 ざわざわ。別に麻雀をやっていたわけではないが、ボクの姿を見て教室がどよめきだす。   

 六十四の瞳がボクにロックオンする。うわぁ、みんな見てるよ。転校生が来たら当たり前か。ってか、それよりも……あっ、あれぇ?

 キラキラした瞳でボクを見つめるクラスメイトたちを見て、ボクの疑念は確信に変わった。そこは見渡す限り女子高生だらけ。教室内に男子生徒の姿はなかった。

「はいはい、静かに。今日から皆さんと一緒に、この二年M組で勉強することになりました楓原麻沙希さんです。楓原さんは先月までご両親のお仕事の都合で海外に住んでいました。ひさしぶりに戻って来た日本で分からないことも多いと思います。是非皆さん親切に色々教えてあげてくださいね。では楓原さん、皆さんに何か一言お願いできますか?」

「…………」

「楓原さん?」

「……あっ、はい」

 自分の目の前の意外な光景に目を奪われボーッとしていたボクは訳が分からないまま教壇の中央に立った。とりあえず挨拶はしなきゃな。

「初めまして、楓原麻沙希です。皆さん今日からよろしくお願いします」

 うわぁ、普通……って声が聞こえてきそうなくらい平凡な挨拶だ。でもこの状況では面白いことの一つも浮かんできそうにない。

「それじゃあ楓原さんの席は市川さんの隣ね」

 水川先生は後ろの空いている席を指差した。ボクは言われた通りその席に着いた。

「今日からよろしくね、楓原さん」

 ボクの席の隣の、市川さんと呼ばれた女の子はニコッと微笑んだ。

「あっ、よろしく」

 可愛いコだなぁ。可憐というのはこういうコのためにある言葉なんだろうな。もっとも彼女だけではなく、他のクラスメイトたちも皆、どこかから選りすぐられてきたような美少女ばかり。まるで美少女の選抜クラスだ。しかし何故そこにボクが? やっぱり女の子と間違えられているんじゃないのか。まさかあの両親、ボクを女の子にしたいという歪んだ思いがエスカレートして、ボクを女の子としてこの学校に編入させたんじゃ……?

 いや、それはないか。いくらうちの親でもそこまではしないだろう。これは学校側が間違えただけなのだ。ボクが一見女の子に見えるから、その間違いに気付かなかっただけなのだ。でも、それでは事務の若山さんがボクのことを男の子だと認識した上でM組に行かせた意味が分からなくなる。どういうことだ?

 それにこの〈M組〉というクラス番号も謎だ。この教室に来るまでにいくつもの女子クラスの前を通り過ぎたが、そのクラス番号は一、二、と全て数字だった。何故このクラスだけアルファベットなんだ? 特待生クラスだからなのか?

 でも待てよ。何にせよ、こんな可愛いコたちに囲まれて高校生活を送れるなら、それはそれでアリかもしれないな。いわゆるギャルゲーでいうところのハーレム展開ってヤツじゃないか! わーい、ハーレム万歳! 

 って、いやいや。やはり麗しき乙女の花園にボクのような男子が紛れ込んでいるのは問題だろう。そういうのが通用するのはライトノベルと学園ドラマの世界だけだ。ボクはこれでも良識ある人間のつもりだ。この状況を素直に受け入れるわけにはいかない。

 よし、一時限目が終わったら先生に真実を伝えよう。

 そんなことを考えていると、あっという間に一時限目が終わった。ちなみに一時限目は現代国語だった。水川先生は現国の先生だったので、ホームルームの後、引き続き授業が行われた。長らく外国にいたので日本語の授業についていけなかったらどうしようかと不安だったが、案外大丈夫だった。ボクの体にはちゃんと大和撫子の、いや、日本男児のDNAが組み込まれているみたいだ。いけない、大和撫子は女の子のことだったな。

一時限目終了後の休み時間、「そうだ、職員室に行こう」と立ち上がったボクに、隣の席の市川さんが声をかけてきた。

「楓原さんって、帰国子女なんでしょう? なんかカッコいいね」

「あっ、ありがとう」

 これは否定しない。確かにボクは帰国子女だからな。あっ、男でも〈子女〉っていうんだよ。勘違いしないでね。

「楓原さんの下の名前、麻沙希ちゃんっていうんだよね。可愛い名前だね」

「いっ、いやあ」

なんか褒められてばかりで照れちゃうよ。

「アタシももっと可愛い名前が良かったなぁ」

 ボクはもっと男らしい名前が良かったなぁ。というか男らしい漢字が良かったなぁ。

「あっ、アタシの名前言ってなかったね。アタシの名前は市川(いちかわ)(しゅん)っていいます。ハルって書いてシュンって読むんだよ」

 へぇ、シュンちゃんっていうんだ。でも言うほど悪い名前じゃないと思うけど。それともシュンってのは女の子にしたら、あまり好ましくない名前なのかな。

「良かったらアタシのことはハルって呼んでね! みんなからそう呼ばれてるんだ。じゃあ今日から楓原さんのことはマサキちゃんって呼んでもいい?」

「うっ、うん、いいけど」

 マサキちゃんか。なんか恥ずかしいなぁ。これでも男だし……あっ、そうだった。ボクは男だからこのクラスにいるのはおかしいんだよ。のんきに喋ってる場合じゃなかった。

「ねぇ、ハルちゃん」

「うん? なあに?」

「今日このクラスに来たばかりで言うのもあれなんだけど、どうやらボクはこのクラスにいるべき人間じゃないんだよ」

「えっ、何で?」

 はぁ、やっぱり女の子だって勘違いされてるよ。

「ハルちゃんあのね。ボクは見た目はこんなだけど……」

「うん」

「実は男なんだ」

「へっ?」

 きょとんとするハルちゃん。そりゃそうだよな。自分たちのクラスに新しく入ってきた転校生が実は男だったら、そりゃあショックを受けるよ。しかもそれが女の子みたいな容姿だったら、「きゃあ、変態!」みたいな反応をされる可能性もある。

しかしそうではなかったのだ。ハルちゃんの反応の意味は。

「うん、それは分かっているよ?」

「あっ、やっぱり分かる? そうだよね、はははは……って、えっ?」

 今度はボクがきょとんとする番だった。

「マサキちゃんって、どこからどう見ても男のコだよね」

 あぁ、一目見て男だって分かってもらえた。何だか一人前の男として認めてもらった気分だ。じーん……って感動するのは置いといて、

「それなら、ボクがこのクラスにいるのはおかしいだよね?」

「えっ、何で?」

 心底不思議そうな顔をするハルちゃん。

「えっ、だってほら、ボクは男だよ? 今ハルちゃんもそう言ってくれたじゃない」

「うん、マサキちゃんは男のコだよ。まぁ見ようによっては女の子にも見えるくらい可愛いけどね」

「でっ、でも、いくら女の子に見えるからってボクは男だよ!」

 ボクが語気を強めると、ハルちゃんは少し戸惑ったらしく、

「マッ、マサキちゃんちょっと落ち着いて。マサキちゃんが男のコだってことはもう分かったからね。でもだからって、何でこのクラスにいるのがおかしいことになるのかな?」

 本当に分からないといった表情だ。どうもボクをからかっているわけではないらしい。しかし訳が分からないのはむしろこっちの方だ。こうなったらはっきり言おう。

「だから、男子が一人、女子クラスに編入してくるのはおかしいでしょってことだよ」

 ここで、ハルちゃんが意味不明なことを言い出した。

「えっ、マサキちゃん、ここ女子クラスじゃないよ?」

「はっ?」

「ここ二年M組は男のコのクラスだよ」

「何言ってるのハルちゃん? キミたち女の子でしょ?」

 すると何かに気付いたようにハッとするハルちゃん。

「……もしかしてマサキちゃん、男のコが分からないの?」

「……?」

 なおも分からない様子のボクを見て、ハルちゃんが手元にあったノートに何かを書いた。

「ほら、こうやって書いて男のコだよ」

 そこにはこう書いてあった。


(おとこ)()


「どういうこと?」

「だからアタシたちは男の娘、つまりみんな男なんだよ」

「えっ、男…………おとこぉぉぉ?」

 ボクはしばらく固まった。



 ボクが美少女だと思っていた二年M組のクラスメイトたちは皆、外見が女の子にしか見えない男の子〈男の娘〉だった。

 確かにボク自身、幼い頃からよく女の子に間違えられる男の子だったが、そのボクから見ても、彼らは外見が完全に女の子だった。

 もっともハルちゃんいわく、「マサキちゃんも十分すぎるくらい立派な男の娘だよ!」と太鼓判を押されてしまったが。

 そうか、ボクは男の娘だったのか。

 って、自分のアイデンティティが確立されたのを喜んでる場合じゃない。

「このクラスが男の娘ばかりを集めたクラスだというのは分かったよ。でもこの学園はどうしてそんなことを?」

「それはねぇ、話せば長くなるんだけど……」

 ハルちゃんの話はこうだ。


・ここ私立七泉学園がスローガンとして掲げているのは「我が国の豊かな文化を世界へ発信する人材の育成」である。

・昨今我が国の文化の中で特に世界から注目されているのは秋葉原から始まった「萌え」という文化である。

・本学園ではこれからの「萌え」文化を担うものは何かと考えた結果、それは男の娘ではないかと考える。男性でありながら女性の可憐さを持つ彼らは、さながらギリシャ神話に登場するヘルマプロディートスのような魅力に溢れている。

・そこで本学園ではそんな彼らが恵まれた環境で学業に励みつつ、自らの魅力を輝かせていくことのできる〈萌え特待生制度〉を設置することにした。


 そして数年前から、男の娘ばかりを選抜した特待生クラスであるM組が設置されたのだという。ちなみにM組のMは、MOE(萌え)のMなんだそうだ。

 つまり、M組は〈萌え〉の選抜クラスだったというわけだ。

 外見が女の子だから、制服も女子用、校舎も女子棟ってわけか。ちなみにM組の生徒は〈萌え特待生〉略して〈萌え特〉と呼ばれているそうだ。何だか割引プランの名前みたい。

「……ってわけなんだよね」

「そっ、そうなんだ」

〈男の娘〉だとか〈萌え〉だとか、あまりに突飛な話なのですぐにはピンと来なかったが、ハルちゃんがそう言っているのだからそうなのだろう。

 でも何故ボクがこのクラスに入れられたのだろう。

「ハルちゃん、このクラスの生徒は入学したときに振り分けられるの? このコは男の娘っぽいからM組だ、みたいな」

「ううん。入学時に希望者の中から選抜されるんだよ」

「えっ! そうなの?」

「それも知らなかったの?」

「うん、知らなかった……」

「マサキちゃん、自分で編入届け書いてないの?」

「うん、実は親が全部やってくれたんだよね」

「ご両親が願書出すときに、マサキちゃん何も聞いてないの?」

「……うん、聞いてない」

 どういうことだ? まさか……。

「そっかぁ。ご両親、マサキちゃんに内緒でこのクラスに編入させちゃったんだね。まあこれだけ可愛い息子さんがいたら、このクラスに入れたくなるご両親の気持ちも分からなくはないけどね」

やっぱり。良い学校が見つかったからお前は何も心配しなくていいぞとか言ってたけど、こういうことだったのかよ!

「マサキちゃんも色々大変だね。でもそのおかげでマサキちゃんとアタシたちは出会うことができたんだし。楽しくやっていこうよ! ねっ」

「……うん、そうだね」

 まったく不本意ながら、ボクは〈萌え特待生〉の一人になった。


               ☆


 編入に関する衝撃的な事実を知ったボクの頭の中では〈男の娘〉というキーワードが回っていた。何せ日本史の授業で小野妹子の名前が出て来たときは、「あぁ、この人が元祖男の娘か」って思ってしまったくらいだ。

 編入初日の授業を終えるとボクはすぐに家に帰り、まだ外国にいる両親に電話をした。今回の事の次第をただすためだ。

「もしもし、お母さん?」

(あっ、麻沙希。今日は初登校だったわね。新しい学校はどうだった?)

 母がいつもと変わらぬ様子で明るく尋ねてきた。

「もうっ! どうしたもこうしたもないよ! なんでボクをあの女の子みたいな男の子たちだらけのクラスに入れたのさ!」

 息巻くボクに対して、母はとぼけたように、

(あら、何のことかしら?)

「とぼけたってダメだよ。あのクラスへはこちらから希望して編入することになっているんだからね」

(ちょっとお母さん事情がよく分からないから、お父さんに代わるわね)

 うわっ、逃げたよ。

(まあまあ落ち着きなさい、麻沙希)

 ここで電話の声が父に変わる。

「とても落ち着けないよ! ボクは普通の男の子なのにあんな変なクラスに入れられてさ」

(変なクラス? 何のことだ? 確かに特待生クラスには申し込んだが)

「お父さんまでとぼけるなよ! 特待生クラスって、男の娘のクラスじゃないか!」

(男のコのクラス? なら良いじゃないか。だって麻沙希は男のコだろ)

「男のコは男のコでも、男の子じゃなくて〈男の娘〉の方だったんだよ!」

(でも麻沙希は可愛いんだから、あのクラスに合ってるじゃないか)

「ということは、お父さんはあのクラスがどういうクラスか知ってて入れたんだね」

((ギクッ!)…………)

「……何、今の間は?」

(げほっげほっ! まっ、何にせよ早くクラスに馴染めるといいな)

 思い切りごまかしたよ、この人。

「まったく、ボクは見た目がこんなでも自分が男の娘だなんて思ってないんだ。そのボクがあのクラスに馴染めると思ってるの? しかも残りの高校生活をあのクラスで過ごすだなんて……」

(麻沙希、男は辛抱だぞ。多少のことで弱音を吐かずに頑張れ。それにな、人を見た目で判断してはいけないぞ)

「一見もっともらしく聞こえるけど実はムチャクチャなことを言ってるよ! これまでボクを女の子にしようと育ててきたくせに、都合の良いときだけ男扱いするなよ!大体ボクの見た目が女の子っぽいからって男の娘クラスに入れたお父さんが誰より人を見た目で判断してるよ!」

(……くっ、詳しい話は帰ってからゆっくり聞くとしよう。じゃっ、じゃあお父さんは忙しいから今日はこのへんで切るぞ。新しい学校でいっぱい青春しなさい、そいじゃあな)

「帰って来てからって、それじゃあいつになるかわから……」

(ガチャッ。ツーツーツー)

 あっ! 切りやがった! あんの変態ども!

 とりあえず、しばらくあのクラスでやっていくしかなさそうだな。明日からの学校生活を思うと、どっと疲労感が襲ってきた。今日はよく眠れそうだよ。



 ところ変わって、ここはとある外国。

「パパ、麻沙希に黙ってあのクラスに入れて本当に良かったのかしら?」

「でもあいつに言ったら絶対拒否するだろう?」

「うん、まぁそうだけど……」

「ママは麻沙希を立派な女の子にしたくないのかい?」

「それはしたいわよ。麻沙希はどう見ても女の子だもの」

「それなら、あの学園はうってつけの学校じゃないか」

「麻沙希は新しい学校でうまくやってゆけるかしら?」

「大丈夫だよ。麻沙希は俺たちの立派な娘……いや息子なんだから」

「そうね。麻沙希ならきっと大丈夫よね!」

『ハッハッハッハ』

 親がヘンタイだと子供はタイヘンだ。


               ☆


 明くる日、ボクは憂鬱な気持ちで目を覚ました。

 変な夢を見た。目が覚めると自分が女子高生になっているという夢だ。いやぁ、夢で良かったぁ……と言いたいところだが、あながち夢でもなさそうだ。現実味を帯びてきたところが怖い。

 そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、いつのまにか学校に着いていた。

 二年M組の教室は三階にある。この学校は一年生の教室は一階なのだが、三年生の教室は二階にあり、二年生の教室が三階にある。二年生は〈中だるみの時期〉って言われているから、気合いを入れるために毎日三階まで上って来いという学校側の教育的配慮なのか。

 ちなみに二年M組の教室は廊下の一番奥にあり、結構行くのが面倒臭い。

 二年M組の生徒は、一番突き当たりにある自分の教室に辿り着くまでに、五つの女子クラスの前を通り過ぎねばならない。その際、女子生徒たちにやたら見られた。

 ボクが見知らぬ転校生だからだろうか。それとも彼女たちにしてみれば、やはりボクは普通の男子に見えるのかな。いずれにしてもたくさんの女の子にジロジロ見られるのはやっぱり恥ずかしいものだ。

 あぁ、やっと教室に着いた。教室遠いなぁ。一番奥だもんなぁ。大奥だよ、まったく。

 教室に入ると、ハルちゃんが二人のクラスメイトと話しているところだった。一人はクールな印象の美少女で、もう一人は明るく活発な印象の美少女だ。って、美少女じゃなかったな。みんな外見がこんなだから、ついつい間違えてしまう。

「あっ、マサキちゃんおはよう!」

「おはよう、楓原さん」

「おっはよう! はむはむ」

 三人はボクに元気良く挨拶をしてくれた。ところでその中の一人のコの語尾に付いている「はむはむ」ってのは何なの?

「おっ、おはよう」

 ボクも少し戸惑いつつ挨拶を返す。

「今ねぇ、ちょうどマサキちゃんの話をしてたとこなんだぁ」

「えっ、どんな話?」

 なんとなく嫌な予感がする。

「楓原さんって、女の子が好きなの?」

 クールな方のコが尋ねてきた。

「えっ?」

「ワタシは爽泉(さわいずみ)(ゆう)。アナタのことは色々聞いているわ」

 色々って何だろう? このクラスでボクはまだ自分のことをそんなに喋ってないはずなんだが……。

「ユウちゃんはこの学校の事情通なんだよ」

 と、ハルちゃん。事情通って。どこの芸能レポーターだよ。

「事情通だなんてイヤだわ、ハルったら。まっ、それはともかくよろしくね、楓原さん」

 爽泉さんは大人びた微笑みを浮かべながら、ボクに握手を求めてきた。

「あっ、よろしく」

 その表情にちょっとどぎまぎしたボクは慌てて握手で応えた。大人っぽいコだなぁ。

「で、さっきの質問についてなんだけど。アナタは男の子と女の子どちらが好きなの?」

「……何でまたそんなことを?」

「アナタはこのクラスのことをよく知らないで編入したそうじゃない。だからアナタってもしかして普通の男の子なんじゃないかと思って」

 もしかしても何も、まさにその通りだよ! そもそも自分のことを男の娘だなんて思ってないし!

「うん、普通に女の子が好きだよ」

「へぇ、やっぱりそうなのね」

 すると爽泉さんは何やら考え込むような素振りを見せた。

「男の娘だけど百合キャラってのも逆に斬新かもしれないわね」

 はっ? 何をおっしゃっているんですか。

「あの、ボクは男ですけど」

「なるほど、さらにボクっ娘ってわけね」

 爽泉さんは手帳に何かをメモしている。

「もう、ユウちゃんったら気が早いよ。マサキちゃんはまだこのクラスに来たばかりなんだから」

 ハルちゃんが爽泉さんをいさめるが、ボクには何が気が早いのかさっぱり分からない。

 すると、活発な印象の方のコが口を挟んだ。

「マサキたんはウチらM組の生徒の注目の的だからね。はむはむ」

「ほらツカサ、また口に物を入れたまま喋っているわよ。お行儀が悪い」

「はむはむ」って何かを食べている音だったのかよ! よく見るとそのコは手に菓子パンらしきものを持っている。

「はーい。またユウちゃんに怒られちゃったぁ、てへっ」

 そう言うと、ツカサと呼ばれたコは自分の頭をゲンコツで叩く仕草でウィンクしながら舌をペロッと出した。男の娘だって分かっていても可愛いなぁ。

「それはそうとツカサ、楓原さんにまだ名前も言ってないんじゃないの」

「おっ、そうだったね。楓原さん、ウチは横山(よこやま)都花咲(つかさ)。ユウちゃんとハルちゃんとは小学校からの友達なんだよ。よろしくね! はむはむ」

「よっ、よろしく」

 って、言われたそばから、また食べながら喋っているよこのコ。

 いくら特待生クラスとはいえ、変わってるコが多いなぁ。ボクこのクラスで本当にやっていけるのかなぁ。

 そんなことを思っていると、水川先生が教室に入って来た。

「おはようございます。ではホームルームを始めます。MOCが一ヶ月後に迫ってきました。皆さん仕上がりは順調ですか?」

 MOC? 何だそれは。

「ねぇ、MOCって?」

 隣の席のハルちゃんに小声で尋ねてみる。

「あっ、そっか。マサキちゃんはこの学校に来たばかりで分かんないよね。今日の放課後もレッスンをするんだけど見に来てみない?」

「……あっ、うん、じゃあ行ってみようかな」

 訳が分からないまま、ボクはハルちゃんの誘いに頷いた。


               ☆


放課後、ハルちゃんがボクを案内したのは女子棟に隣接する建物だった。女子棟ほど大きくないが、かなり新しくきれいな建物だ。ボクたちは今その廊下を歩いているが、いくつかの部屋からはがやがやと話し声が聞こえてくる。

「ここは?」

「萌え特待生専用の部室棟だよ」

「部室棟?」

 よく見ると、確かに各教室の戸や壁には「部員募集!」の張り紙が貼られてある。

「ここでMOCに向けたレッスンをするんだよ」

 ああ、部活かぁ。MOCはスポーツか何かの大会のことなのかな。

「で、ハルちゃんは何の部活に入っているの?」

「あっ、ここここ」

 ハルちゃんはある部屋の前で立ち止まった。

「アタシはメイド研究会に入っているよ」

 ……えっ? 今なんとおっしゃいました?

「メイド研究会?」

「うん。で、ここがメイド研究会の部室なの」

 部屋の表示板を見ると、確かに「メイド研究会」とある。うーん。

 ……あっ、なるほど! ボクはポンッと手を叩いた。

「メイド研究会だなんて、ハルちゃんはオカルトに興味があったんだね」

「それは冥土でしょ。いやいや、そのメイドじゃなくてね……」

「えっ、違うの? あっ、大阪人の挨拶のことだね!」

「そうそう、大阪の人って「メイド!」って挨拶するんだよねぇ……って、何でやねん! それは「まいど」や!」

「京都にいる、着物を着て顔を白く塗っている……」

「ようこそおいでやす……って、それは「まいこ」どす!」

「少し背の高いあなたの耳に寄せたおでこ~あ~まい……」

「にお~いにぃ、さそわれたアタシはカ~ブトム~シ……って、それは「アイコ」だよ! もう、元の言葉と全然違う言葉になっちゃってるよ!」

 ハルちゃんだって結構ノリノリだったくせに。

「もう、そうじゃなくって。メイド研究会のメイドってのは、お金持ちの家にいるメイドさんのことだよ」

 あぁ、メイド喫茶のメイドか。

「で、メイド研究会ってのはどんなことをする部活なの?」

「うーん、話せば長くなるんだけど、一言で言えば、キュートでエレガントなメイドさんになれるように日夜頑張ってますって感じかな」

 ……えっ? ボクの頭の中にクエスチョンマークが大量増殖している。

「そっ、そうなんだ。じゃあMOCってのはどんな大会なの?」

「あっ、まだ説明してなかったね。MOCっていうのは……」

 ここでハルちゃんが一呼吸おく。


「萌える男の娘コンテストの略だよ!」

 M  O  C


「…………」

 正直固まった。

「そっ、それは……?」

「MOCはアタシたち萌え特待生の中から、最高の萌え特を選ぶコンテストなの。自らの萌え属性をアピールして、最も観衆を萌えさせられた生徒が優勝なんだ。優勝者には至高の萌え特、萌えの天使を意味する〈モエンジェル〉の称号が与えられるの」

 モエンジェルだって? ネーミングセンスないなぁ。要するに男の娘のミスコンといったところなんだろうな。もっともミスじゃなくてミスターだけど。

「でね、萌え属性にも色々あるでしょ。だから萌え特は自分の魅力を最大限に引き出せるような萌え属性を選んで、それを磨くためのクラブに入って活動しているんだよ。アタシたちの間では、萌えを磨く活動だから〈萌え活〉って呼んでるんだけどね」

「もっ、萌え活ねぇ……」

 あまりに突飛な話なので、ボクは苦笑いするしかなかった。

「それで、アタシが入っているのがこのメイド研究会なんだよ」

「なるほどね、ははは……」

 目を輝かせながら話すハルちゃんにボクは愛想笑いで応える。

 これまでの話の流れから考えて、どうもハルちゃんはボクをその萌え活とやらに引き入れようとしているようだ。冗談じゃない。いくら男の娘クラスに入れられたからってボクは普通の男だ。そんな美少女アイドルのまねごとなんかやってられないよ。

 そんなボクの気持ちとは裏腹にノリノリの様子のハルちゃんは、

「まっ、口で説明するより実際に見てもらった方が早いと思うから、とりあえず入ろっ」

 嬉々としてメイド研究会の部室の戸を開けた。

「あれ?」

 ところがハルちゃんは入り口で立ち止まった。

 ハルちゃんの肩越しに部屋の中を覗くと、まだ誰もいないようだった。

「誰も中にいませんねぇ、北沢さん」

「そうですねぇ。誰か中にいれば良かったんですけどねぇ」

 ゴール前での実況とシンクロするやりとりも済んだところで、

「残念だけど、また日を改めて……」

 厄介な事に巻き込まれないうちに、その場からおいとまさせてもらおうとしたところ、

「じゃあこのままクラブ見学に行こっ! 色々なクラブを見てマサキちゃんに合ったクラブを見つけるとイイよ!」

 うわっ、やっぱり。ボクが萌え活することが既定事項みたいになっちゃってるよ。

「いやぁ、せっかくだけどボクは遠慮しておくよ。ボクはハルちゃんたちとは違って自分の意思に反してこのクラスに入ってしまったわけだから」

 するとハルちゃんはきょとんとした表情で、

「何言ってるのマサキちゃん。萌え活は萌え特が全員参加することになっているんだよ」

「……えっ? どゆこと?」

「しょうゆことぉ……じゃなくって、萌え活はアタシたち萌え特の必修活動なんだよ」

 …………ええええぇ!

「ちょ、ちょっと待って! ボクは見た目はその……男の娘なのかもしれないけど、中身は普通の男子なわけだよ? それが萌え活なんて」

「……もしかしてマサキちゃん、〈萌え特制度〉の内容知らないの?」

「えっ?」

「M組の生徒は選ばれた萌え特待生だってことは最初に言ったよね。学園は萌え特がこれからの日本の〈萌え〉文化の担い手となることに期待しているの。具体的には秋葉原などサブカルチャーの発信地でイベントを行ったりして自分たちの魅力をアピールして、ゆくゆくは男の娘アイドルとしてデビューしてもらいたいらしいんだ。それがこの学園の知名度のアップにもつながると考えているみたいでね」

 なるほど、萌え特待生はこの学園の広告塔というわけだ。

「そしてこの学園にとって大切な役目を負っている代わりとして、萌え特には学園内の萌え特専用施設や通常授業の単位数の免除などいくつかの優遇措置が与えられているんだ」

 確かに一般的な学校にもスポーツ特待生のような制度があるからなぁ。

「だから優遇措置を受ける条件としてアタシたちには萌え活への参加が義務づけられているの。もちろんマサキちゃんもねっ」

 ハルちゃんが無邪気な笑顔をこちらに向ける。

「そっ、そんなぁ……」

 ボクは膝から力なく崩れ落ちた。

「あぁ、大丈夫? それにしても何でご両親はマサキちゃんを萌え特待生クラスに入れようと思ったんだろうね」

「うちの親はちょっと普通じゃないんだ。男として生まれたボクを女の子みたいに育てたかったらしくてね」

「そっかぁ。まぁマサキちゃんくらい可愛い子供だったら、ご両親がそういう気持ちになるのも無理ないかもね」

「あんな変態たちに同調しないでよハルちゃん」

「あっ、そうそう。あと萌え特は授業料が半分になるんだよ」

 割引サービスの名前みたいだとは思ってたけど、本当に割引になるのかよ。

「だからそれを目当てに普通の男の子を女装させて萌え特に申し込む親御さんって結構いるみたいなんだよね。でも誰でも入れるクラスじゃないから、多くのコは選考で落とされてしまうみたい。でもマサキちゃんはバッチリ合格だったんだろうなぁ」

「ボクは普通の格好の写真を提出したはずなんですが……」

「それで合格できるってことはやっぱりマサキちゃんは萌え特になる素質が十分にあるってことだよ」

「もう勘弁してよ」

 それにしてもボクをこの学園に編入させたのは、自分たちの息子を女の子にしたいという理由だけでなく、授業料をケチるためでもあったのか。あの変態たち、どこまで最低なんだよ。

「それはそうと、マサキちゃんはどこのクラブに入る?」

 ハルちゃんが当たり前のことのように尋ねてくる。確かにこれだけ聞くと普通の新入生同士の会話だが、クラブの中身が中身だからなぁ。

「どこのクラブって言われても分からないよ。そもそも自分が強制的にこういう活動しなきゃならないこともたった今知ったばかりなんだし」

「じゃあアタシがマサキちゃんに合ってそうなクラブ探してあげよっか?」

「えっ……あぁ、お願いします」

 本当はボクに合うクラス(普通の男子クラス)を探してもらいたいのだが、郷に入っては郷に従えということわざもある。ここは大人しくハルちゃんの厚意に甘えることにする。

「まっ、色々事情はあるだろうけど、このクラスに入って来たおかげで、アタシとマサキちゃんはこうして出会えたわけだしね。こうなったらモエンジェル目指して頑張ろうよ!」

「そっ、そうだね……頑張ろう」

 ボクは力と気の入っていない声で答えた。

「マサキちゃんに合った萌え属性は何かなぁ、うーん」

 アゴに手を当てて思案し始めたハルちゃん。いやいや、そんなに真剣に悩んでくれなくてもいいですよ。

十数秒後、ハルちゃんがポンッと手を叩いた。

「そうだ。マサキちゃんは見た目はとってもキュートだけど中身はボーイッシュだよね?」

「……ボーイッシュじゃなくて、ボクは本当のボーイだよ」

「まあまあ。だからアタシとしてはボク研究会が良いんじゃないかなと思います」

 ハルちゃんは直立して片手を上げ、選手宣誓みたいなポーズをする。

「えっ、ボク研究会って? 何かを殴る研究会のこと? ボク、ケンカとかしたことないからバイオレンスなのはちょっと……」

「いやいや〈撲〉じゃなくて〈僕〉の方だよ! ボク研究会っていうのはボクっ娘について研究するクラブだよ。マサキちゃんって自分のことボクっていうでしょ。それってつまりボクっ娘ってことだから、ボク研究会がいいかなと思ったんだよ」

「ボクっ娘じゃないから! ボクは男だよ!」

「あっ、そうそう。萌え活は基本的に掛け持ちOKだよ!」

 別に聞いてないよ、そんなこと!

 というか、ボクに二つもクラブをやれっていうの? 一つでも気が進まないのに。

「まあ、とりあえず行ってみよっ! アタシも他のクラブの活動って気になるしね」

 ハルちゃんは意気揚々と他のクラブの部室目指して歩き出した。

 ボクはこのままクルッとUターンしてどろんしたい気分だったが、渋々ハルちゃんの後に続くことにした。

「えーと、あっ、ここここ」

 ボクとハルちゃんは「ボク研」と書かれたプレートの下がった教室の前に来た。

「すいませーん。こちらのクラブを見学したいんですけど」

 ハルちゃんが戸を開けて呼びかけると、中からショートカットのボーイッシュな印象のコが出て来た。

「やあ、いらっしゃい。キミが楓原麻沙希さんだね。市川さんから話は聞いてるよ。ボクたちの研究会にようこそ。ゆっくり見学していってよ」

 彼がボク研の部長だという。さすがにボクっ娘というだけあって見た目だけでなく口調も男っぽい。あっ、実際男なんだもんな。見た目が男っぽくて、男口調……それって男の娘じゃなくて普通の男の子だろ。

 ボク研ではどんな活動をしているかというと、それは思ったよりとっても真面目なものだった。部員たちがボクっ娘について研究した成果をレポートにまとめ、発表していた。まるでどこかの学会みたいだ。ちなみに発表されたレポートのタイトルとしては、


『アキバにおけるボクっ娘の需要についての市場調査』

『アニメ・コミックのコンテキストにみるボクッ娘の意義』

『ボクッ娘の将来的可能性―ボクがボクらしくあるために』


 これらの発表を聴いてから、ボクたちはボク研を後にした。

 帰り際に部長さんが、

「キミはボクたちの研究会に是非来て欲しい人材だ。良い返事を待っているよ」

 とボクの肩をがっしりと掴んで言った。何だか気に入られてしまった。

「良かったねマサキちゃん。部長さん、マサキちゃんのこと凄く気に入ったみたい」

「いっ、いやぁ、なんとも」

 ボクはちょっと照れてしまった。相手が誰であれ、人から褒められて悪い気はしない。

「ところでハルちゃん」

「うん、なあに?」

「どのクラブにも〈研究会〉って付いてるみたいだけど、クラブの活動ってああいう学会みたいなものばかりなの?」

「ううん、そういうわけでもないよ。たまたまボク研がそうだっただけで。ほら、ボクっ娘って〈自分のことをボクって呼ぶコ〉以外に特徴があるわけじゃないでしょ。特殊なコスチュームもないし」

「でもボクっ娘ってのは、さっきの部長さんみたいにボーイッシュな外見って特徴を持っているんじゃないの?」

「いやいや甘いですなマサキちゃん。ボクっ娘とは一人称がボクのコのことなのです。よってボクっ娘が必ずしも男の子っぽい外見をしているとは限らないのですよ」

 したり顔で人差し指を口元でチッチッチと振るハルちゃん。

「……はぁ、そうですか」

「だからボク研の活動はどうしても概念的な研究になってしまうらしいんだよね」

 何だか難しい話になってきたな。〈萌え〉も奥が深いんだな。

「ちなみにうちのメイド研究会は服装とか、挨拶の仕方とか、立ち振る舞いとかの研究を実践形式でやっているんだよ。あっ、次に行く魔法少女研究会も割と実践が多いんじゃないかな」

「まっ、魔法少女研究会?」

 ハルちゃんの言う通り、次に見学した魔法少女研究会(略して魔女研)では、ボクたちが部室に入るなり、とんがり帽子にマント姿のコたちが、杖を片手に何やら呪文のようなものを唱えて発声練習に励む光景が飛び込んできた。

 部長と思われるコが、

「クモンスーカコソッコウワニボン!」

 と唱えると、

『クモンスーカコソッコウワニボン!』

 と他の部員たちが復唱する。

 これじゃあ怪しい儀式だよ! ホグワーツ魔法魔術学校か! もっとも杖から炎や氷は出ていない。当たり前だけど。

 しかも、よく見ると教室の壁に「火気厳禁」と書いた張り紙がしてある。そこは常識的なのかい!

「あのコスチューム可愛いんだよねぇ。アタシの小さい頃の将来の夢って魔法使いだったんだよねぇ」

 ハルちゃんがうっとりした目で儀式の様子を見つめている。

「ボクは公務員になりたいよ。ハルちゃん、このクラブはこのくらいで良いよ。そろそろ出ようよ」

 ずっといたらこっちまで洗脳されそうだ。

「…………」

 ハルちゃんはボクの呼びかけには応じず、儀式に釘付けになっている。

「……ハルちゃん?」

「クッ、クモンスーカコ、ソッコウワニボン」

 本当に洗脳されてる!

「もう出るよハルちゃん! おっ、お邪魔しましたぁ!」

 ボクはハルちゃんを魔女研の部室から引きずり出した。

「ムー、ムー」

 ハルちゃんが某オカルト情報誌の名前を連呼しているように聞こえるのは魔女研だからというわけではなく、ボクが彼の口を押さえているためである。

「うあっ、はぁ、はぁ、苦しかったぁ。あれっ、アタシ何してたんだっけ?」

「えっ? わっ、悪い夢を見ていたんだよ」

 ボクは思い切りヘタクソなごまかし方をした。

「へっ?……あっ、そっか。あっ、まだ時間あるね。他のクラブも見てみようよ」

 立ち直るの早っ! ってかハルちゃんまだまだ余力が残ってそうだな。エチオピアの長距離選手並みだよ。ボクは肉体的というより精神的に疲れてきた。

「じゃあ、次はメガネ研究会に行こっ!」

「まさか古今東西のメガネを収集したりするわけじゃないよね?」

「メガネ研究会はメガネっ娘についての研究をしてるクラブだよ」

「……ははっ、なるほど」

 正直あらかた予想はついていたが、やっぱりそうなんだな。

 確かにメガネっ娘が可愛いというのは男として理解できる。とりあえずメガネをかけているだけで萌えるという人もいるらしいがボクはそこまでではないけど。メガネかけてりゃ誰でもいいってわけじゃないよね。

 メガネ研究会は略してメガ研という。何だか大盛りメニューを食べ歩く研究会みたい。

「よし入ろう! すいま……」

 ハルちゃんがメガ研の部室の戸に手を掛けたとき、背後からボクたちを呼ぶ声がした。

「おーい、キミたち!」

 振り返ると、一人の女性が駆け寄って来た。

「見学のコ? って、あれぇ、ハルちゃんとマサキちゃんじゃない。ちゃお~」

それは事務員の若山さんだった。チャオって。イタリア人ですか。

「あっ、アヤちゃんこんにちは。今日はメガ研の活動に出るの?」

「そうなのよ。今日は会議もなくてちょっと時間できたから、ひさしぶりに顔出そうかなぁってね。ところでハルちゃんたちはどうしてメガ研に?」

「うん。マサキちゃんがまだ入るクラブを決めてないから、いろいろなクラブを見学してるの。ほら、MOCもあるからね。アタシは付き添いで来たんだよ」

「あら、そうなのね。二人ともゆっくりしていってね。マサキちゃん、良いクラブが見つかるといいわね。キミならどこのクラブでも活躍できると思うよ!」

「……ははは、ありがとうございます。でも若山さんはどうしてこちらに?」

「アヤちゃんはメガ研の特別顧問なんだよ」

「えっ、特別顧問?」

「やだもう、そんな大層なものじゃないんだから。まぁアドバイザーって形で、このクラブのコたちに軽く指導してるのよ。あっ、マサキちゃん、今私のこと若山さんって言ったでしょ? これからはちゃんとアヤちゃんって呼んでよ」

 若山さん、もといアヤちゃんは泉の中から金と銀の二つの斧を持って出て来たような表情で微笑んだ。やっぱりキレイだな、この人は。

「実は私、この学校の卒業生なのよ。だからこの学校のコたちには親近感が湧いちゃってね。みんなも私のこと慕ってきてくれるし」

 へぇ、アヤちゃんってOGだったんだ。事務のお姉さんがこんなにキレイで気さくな人で、しかも先輩だったら、そりゃ生徒たちから慕われるわなぁ。

「アヤちゃんその服可愛い! 見たことないけど買ったの?」

 ハルちゃんがアヤちゃんの服を指差す。

「あっ、気付いてくれた? 嬉しい! そうなのよ。春だから新しいコたちも入ってくるじゃない? 第一印象は良くみせないとね。何事も最初が肝心っていうでしょ」

 第一印象って、合コンじゃないんだから。でも二人が話している様子を見ていると、普通に女の子同士で話しているみたいだよ。片方が男だってこと、うっかり忘れちゃいそう。

「きっと新入生の男の子たちにもモテモテだよ。アヤちゃんスタイル抜群だし。それにしても……」

 ぷに。ハルちゃんはアヤちゃんの胸を指でつついた。ボクはぶったまげた。

「ちょ、ちょっとハルちゃん!」

「やぁ、もぉ、ハルちゃんのエッチぃ」

 アヤちゃんは自分の胸を両手で押さえる。が、顔は笑ったままだ。全然嫌そうじゃない。

「相変わらずおっぱい大きいよねぇ。良いなぁ、羨まし~い」

「いやいや、そうじゃなくて! アヤちゃんに何てことするの!」

「良いのよマサキちゃん、このコたちは。ほら、一応男の子だけどこんな感じでしょ。だから平気平気。何ならマサキちゃんも触っていいのよ?」

「いやいやいや! とんでもない」

 ボクは顔を真っ赤にしながら遠慮した。

「あら、マサキちゃんは女の人の胸には興味がないコ? やっぱり男の娘なのね」

「いっ、いや、そういうわけでは!」

 もちろん興味あるし、ボクは男の娘じゃないし。

「アヤちゃんのおっきいおっぱい見てると思わず触りたくなっちゃうんだよね、えへへ」

 ハルちゃんはペロっと舌を出しながら無邪気に答えた。

 えへへじゃないよ、まったく。キミは一応男なんだぞ。まあ黙って触らせるアヤちゃんもアヤちゃんだが。

「羨ましいよね、キレイでしかもおっぱいも大きくて。マサキちゃんも触らせてもらいなよぉ。せっかくアヤちゃんもいいって言ってくれてるんだし」

 一方、当のアヤちゃんはといえば、少しかがみながら片手で胸を寄せて、もう片方の手は親指を立て「カモーン」と言わんばかりにポーズを取っている。

「いやいや、そういうわけにもいかないって。それにそこ、生徒を誘惑しないでください」

「まっ、触りたくなったらいつでも言って。アナタたち可愛い男の娘なら大歓迎よ」

 大歓迎なのかよ。そりゃボクも男だから嫌ではないけど。でもボク、まったく男として見られてないんだなぁ。それはそれでちょっと悲しい。

「良かったねマサキちゃん。それじゃあ見学させてもらおうか」

 そうだよ。ボクたちはクラブの見学に来たんだよ。部室の前でおさわりパブをやりに来たんじゃないよ。

 ボクたちはようやくメガ研の部室に入った。

「こんにちは。みんな頑張ってた?」

 アヤちゃんが声をかけると部員たちが一斉にボクたちの方を向いた。

「あっ、アヤちゃんこんにちは。今日は活動に出てくれるんですね」

「MOCも近いから、アヤちゃんに聞きたいこといっぱいあったんだよ」

「今日はちょうどアヤちゃんの好きなレアチーズケーキがあるよ」

 部員のコたちはアヤちゃんが来てとっても嬉しそうだ。本当に慕われているんだなぁ。

「さすが人気者ですね」

「こうやって懐いてくれるから可愛くってしょうがないのよね。だから特別顧問もやめられないのよ」

 さてメガネ研究会の活動だが、基本的にはこれまで見てきた研究会の活動と同様に、メガネっ娘としての魅力をどう引き出すかについて理論と実践を通じて研究するといった内容である。ちなみに特別顧問のアヤちゃんは意外に(と言ったら失礼かもしれないが)真面目に指導していた。実践の方では、このメガネをかけるならこの服が合ってるよとか、その角度から撮ると可愛く見えるよとか。理論の方では、いつもメガネを掛けているコがたまに外してみせたり、逆に普段掛けていないコがたまに掛けるギャップが萌えるのよ、といった具合に。

 休憩時間になり、アヤちゃんがボクたちのところに来た。

「お疲れさま、アヤちゃん」

 ハルちゃんがアヤちゃん大好物のケーキが載ったお皿を渡す。

「ありがと。わぁ、美味しそう」

「お疲れさまです。熱心に指導されてましたね。特別顧問って感じでした」

「ひさしぶりに来ると、なんか新鮮な気分だわ。ここのコたちはみんな真面目だから、つい指導に熱が入っちゃうのよね。MOCで頑張って欲しいし」

「生徒思いなんですね」

「ありがと。なんか褒められ慣れてないから照れちゃうわね。あむ……うーん、やっぱりこの店のケーキは美味しいわ」

「それは意外ですね。アヤちゃんは美人で優しいから、いつも褒められているとばかり思っていましたよ」

「ううん。全然そんなことないわよ」

「いやいや、アヤちゃんはモテモテだよ。男子部にはアヤちゃんのファンクラブがあるって噂だしね」

「えっ、ファンクラブなんて凄いじゃないですか」

「もお、ハルちゃんったら、マサキちゃんに変な話を吹き込まないの」

「だって本当なんだもん。あっ、アヤちゃん口にクリーム付いてるよ。お子ちゃまだなぁ」

「あっ、本当だ。やだ、私ったら」

 アヤちゃんは舌をペロっと出して、グーで自分の頭を叩く仕草をした。普段は美人でしっかりしたお姉さんって感じだけど、ときおり見せるこういう可愛い一面もまた、この人の魅力なんだろうな。

 しばし歓談してから、アヤちゃんにお礼を言って、ボクたちはメガ研を後にした。

 ちなみに、最後にアヤちゃんからこんなラブコールをもらった。

「マサキちゃん、是非是非うちのクラブに来てよ! キミがいたらメガ研はもっともっと盛り上がるよ。私も楽しいしね。じゃあ待ってるよぉ!」

 うーん、アヤちゃんが特別顧問なら安心っちゃ安心だな。メガ研かぁ、ちょっと考えてみるかな。

 すると、ハルちゃんがボクの顔を覗きこんで言う。

「アヤちゃん、マサキちゃんのことがお気に入りみたいだよ。あっ、でもマサキちゃんもアヤちゃんのこと好きでしょ! 見ててなんか分かるな」

「あっ、いや、そんなっ! まぁでもアヤちゃんは美人で優しいし、あの、その……」

 めちゃくちゃ動揺してしまった。自分でも焦りすぎだろとつっこみたくなるくらいだ。

「あぁ、やっぱりねぇ。マサキちゃんああゆう女の人がタイプなんだぁ。良かったね、好きなタイプのお姉さんがおっぱい触ってもいいって言ってくれてさ」

「いっ、いや、ボクはそんなつもりは……あっ、でもちょっとは触ってみたいかも、ってちがっ、違う! もう何言わすのさハルちゃん!」

 我ながら途轍もない狼狽っぷりだよ。

「あはっ! マサキちゃんか~わ~い~いぃ」

ハルちゃんにイジられながら、ボクたちは次に見学するクラブへ向かった。

「じゃあ今日の見学ツアーは次のクラブで最後にしよっか」

「うん、そうだね」

「最後に行くのはどこにしようかな。うーん、今まで回ったクラブは割とスタンダードな感じだったからなぁ」

 そっ、そうなのかぁ?

「じゃあ、ちょっと異色の……」

 再びボクの心に不安がよぎる。

「ツンデレ研究会にしよう!」

「…………」

 絶句した。

 大いなる不安を抱えつつ、ボクたちはツンデレ研究会の部室へ。

 ツンデレ研究会の部室の戸には「部員募集、いつでも来てね!」と書いた張り紙が。

 あれっ、意外と歓迎ムード?

「よし、入ろっか」

 ハルちゃんがノックしてそっと部室の戸を開ける。

「すいません、クラブ見学で来たんですけど」

 すると、中からいかにも不機嫌そうな顔をした女の子、いや男の娘が出て来た。

「見学ですって? よくもそんなずうずうしいことが言えるわね!」

 早速ツン来たぁ!

「まあまあそう言わずに。お願いしますよ、部長ぉ」

 ハルちゃんは媚びるような口調で返すと、ボクに耳打ちする。

「このクラブではこういう風にやるのが礼儀なんだよ」

 ツンデレ研究会(略してツン研)の活動は見ての通りの実践形式で、ツンデレをする役とそれを受ける役に分かれて演技をしていた。

 しかし驚くべきは、見学者のボクたちにまでツンデレだったってことだ。

 お茶が出されたかと思えば「何でアンタたちみたいな連中に!」と言われるし、部室の隅っこの方で大人しく見学していたら「転校生だからっていい気にならないでよね! 女の子みたいな顔してさ!」と言われる始末。

「女の子みたい」って、それをキミたちが言いますか。

 しまいには「このクラブにアンタたちのいる場所はないんだからね」である。

 おいおい、「部員募集、いつでも来てね!」じゃないのかよ。

「……お邪魔しました」

 ツン研だけに文字通りツンケンしてたなぁ、などとオヤジギャグを思い浮かべながら部室を後にしようとしたとき、後ろからツン研の部長が声を掛けてきた。

「ちょっとぉ、もう帰っちゃうの?」

 彼は、実は普通にしてればとってもつぶらな瞳を潤ませながら、甘えたような声を出す。

 最後の最後でデレの方来たぁ!

「さっきは酷いことばかり言ってごめんね。でも本当はワタシたち、アナタに是非入部してもらいたいと思っているんだ。また来てよ。絶対だよ!」

「……ははは、ありがとうございます。では失礼します」

 部長のデレの可愛さにたじたじになりながら、ボクたちはツン研を後にした。

「ふーん、マサキちゃんってああいうコも好きなんだ」

「へっ? なっ、何言ってんのさ。そんなことないよ」

「部長さんがデレたら、ちょっと赤くなってたよね。確かにあのコ黙ってると凄く可愛いからなぁ」

「でっ、でもあの人男でしょ。いくら可愛いからって……」

 すると、急にハルちゃんが真面目な顔で言う。

「マサキちゃん、人を好きになるのに男も男の娘もないよ」

「ハルちゃん……って、それどっちも男だよ!」

「あれっ、そうだったっけ? あっ、もう少し時間ありそうだから、もうひとつくらい見学していかない? 次が本当の最後ってことで」

 まっ、まだ見るの?

「まぁいいけど。最後はもうちょっとまともなクラブを……」

「じゃあ最後はちょうど隣にあるこのヤンデレ研究会に……」

「やっぱり帰ります」

 こうしてボクは萌えクラブ見学を終えた。

「なんか疲れたね。結構歩き回ったからアタシ、足が〈ひのきの棒〉になっちゃったよ」

 ドラクエかよ! 今ならスライムぐらい倒せそうだよ! まぁ疲れたことは確かだ。

「ねぇ、どうだった? 今日回ったクラブの中で入りたいのあった?」

 正直なところ微妙だが、やはりどこかには入らないといけないんだよなぁ。

「うーん、ちょっと考える時間が欲しいかな」

 こんな変なクラブのうちのどれか一つに入らなければならないのだ。即決なんかできない。とりあえずボクはお茶を濁しておくことにした。

「そっかぁ。まぁ、ゆっくり考えてみてね。じゃあまた明日ね」

 ハルちゃんと別れた後の帰り道、ボクは今日見学したクラブについて思いを巡らせる。

 ボク研はあの変に真面目なレポート書いて発表するのが面倒臭そうだなぁ。

 かといって、魔女研のあのコスチュームと呪文の暗唱とか恥ずかしすぎるし。

 ツン研は部長さんが可愛いからなぁ……って、いやいやいや、そういう問題じゃない。

 となると、残るはアヤちゃんが顧問をしているメガ研が無難だろうか。

 そんなことを考えているうちに家に着いた。まったく、毎日毎日疲れるなぁ。男の娘だらけのクラスに入れられた上に、ミスコン目指してクラブ活動しろってんだもん。

 なんかエラいところに来ちゃったなぁ。こんなことなら黙って外国の高校に行ってた方が良かったかも。しかし、あの変態両親から離れたかったのも事実だ。ぐぬぬ。

 噂をすれば影。そのときグッドタイミング(?)でその両親から電話が掛かってきた。

(ハロハロー。麻沙希クン元気かな? パパとママは新婚時代を思い出して、遊園地デートの真っ最中だよ。今はその中のレストランでディナー中だよーん)

 どうでもいい情報をハイテンションで伝えてくる父にボクはうんざりした。

「何だよ父さん。デートしているなら別に掛けて来なくたっていいよ」

(麻沙希が一人で寂しがってるんじゃないかと思ってね)

「大丈夫だよ。それより……」

(んっ、何だい?)

「ボクをあのクラスに入れたのは、ただ単に女の子にしたいって理由だけじゃなくて、授業料が割引になるからなんだろ!」

(んぐっ! ゲホゲホ!)

 図星らしい。

(いきなり何を言うんだ。父さん今食べてるハンバーグを喉に詰まらせそうになったじゃないか)

「ハンバーグを喉に詰まらすとか子供かよ! ボクが日本での新生活を始めて早々、どれだけ苦労してると思ってるんだよ!」

(若い頃の苦労は買ってでもしろって言うだろ。良かったじゃないか、買わないでタダで手に入って)

「やかましいわ! そのうえ変なクラブにまで入らされるなんて……」

(お~、萌え活動だろ。どこのクラブに入るか、もう決めたのか?)

「って、萌え活動のことも知ってたのかよ!」

(麻沙希は可愛いんだから、どこのクラブに入っても活躍できると思うよ。この父さんの娘、いや息子だ。保証する)

「そんな保証いらないよ! それに今、娘って言ったろ!」

(まあまあ。学費と生活費はちゃんと入れてやるから、お前は安心して勉学に励みなさい)

「萌え活動なんかやらされるのに、落ち着いて勉強なんかできるか!」

(おっと、もうそろそろ時間だ。父さんたちはこれから夜のパレードを観なきゃならないから、そろそろ切るよ。スィーユー)

 ガチャ、ツーツー。また一方的に切られた。どこまでマイペースだよ。

 ……あのアホ親、本場のディズニーランドにいるのかよ。


               ☆


 明くる日。学校に着くと、ハルちゃんが春風のような爽やかな笑顔で手を振ってきた。  

「おはようマサキちゃん!」

「あっ、おはよう」

 ハルちゃんは爽泉さん、横山さんと一緒にいた。この三人はいつも一緒にいる。よっぽど仲が良いんだな。

「昨日クラブの見学に行ったんですって? 良いクラブは見つかったの?」

 と聞いてきたのは爽泉さん。

「こういうクラブ活動を見るのは初めてだったから、正直戸惑ってしまったよ」

「大丈夫よ。初めはそうでも段々慣れてくるわ」

 その慣れってのはある意味、社会通念から著しくズレていくということなのでは……。むしろ全然大丈夫じゃないよ。

「昨日の見学楽しかったね。それでマサキちゃん、入部するクラブはもう決まった?」

 まだ考えてなかった。昨日は(精神的に)とても疲れたので、一人寂しく夕飯を食べ終えると、バタンキューだった。

「いや、実は……」

 クラブ探しに付き合ってもらっているのに、何も決めてないとは言いづらい。さて何と言い訳しようかと考えていると、

「うーん、すぐには決められないよね」

「……申し訳ないです」

「それじゃあさ、もしめぼしいクラブがないんだったら、思い切ってメイド研究会に入らない?」

「へっ、メイド研究会?」

「うん。ここにはアタシがいるから、萌え活動が初めてのマサキちゃんのサポートが出来るし。それにユウちゃんとツカちゃんも一緒だよ」

「そうよ」

「うん、そだよ。はむはむ」

 そうなんだ。このコたちはみんな同じクラブに所属しているから仲が良いのか。ちなみに横山さん、今日はクリームパンを食べてるよ。

「うちの部員、今アタシたち三人だけなんだよね」

「えっ、そうなの?」

「だってワタシたちがこのクラブを作ったんだもの」

 爽泉さんが答えた。

「えぇ! それは意外だなぁ。てっきりメイドさんなんて萌えの中でもスタンダードな方だと思っていたから。ボクでもメイド喫茶を知っていたくらいだからね」

「でもあまりにスタンダードすぎて、実際にやろうと思うコたちがいなかったみたいなんだよね。だから逆にオリジナリティのあるものになるんじゃないかと思って」

 ハルちゃんが答える。

「〈意外性の王道〉ってやつだね。はむはむ」

 横山さんがクリームパンをほおばりながらドヤ顔で言う。〈意外性の王道〉って正直意味が分からないんだけど。

「今のところ新入生も入って来ないし、誰か良いコいないかなぁって探してたところなの」

「そうだったんだね」

「そこにちょうどマサキちゃんみたいなキュートなコが現れたってわけだよ。だからマサキちゃんがその気なら……ねえ?」

 同意を求めるように、ハルちゃんは他の二人に視線を送る。

「うちに入りなさい、楓原さん」

「大歓迎だよ! はむはむ」

 ボクは三人の期待というプレッシャーにたじろいだ。

 これはもうメイド研究会に入らないといけない雰囲気になってきたよ。

 まあこれまで見学したクラブのような得体の知れないところに行くよりは、少しは気心の知れたコたちのところに行った方がいいよね。ハルちゃんには転校初日から何かと世話になっているしなぁ。

「うん、じゃあメイド研究会に入れてもらおうかな」

「本当? 嬉しい! じゃあ決まりだね。今日からマサキちゃんは正式にメイド研究会のメンバーになりました。ようこそメイド研究会へ!」

「よろしく頼むわ、楓原さん」

「よろしくねマサキちゃん。はむはむ」

「どうぞよろしくお願いします」

 こうしてボクはメイド研究会(略してメイ研)の部員となった。

 その日の昼休み。ボクはメイ研の三人と一緒に昼食を食べていた。

 ハルちゃんが何か思い出したように、ポンッと手を叩く。

「そうそうマサキちゃん。まだ言ってなかったんだけど、実はアタシたちはみんなメイ研の他にもう一つクラブを掛け持ちしてるんだよね」

「えっ、そうなの?」

「やっぱりMOCで優勝するためには、メイドだけでは萌え属性として弱いと思うの」

 と、ハルちゃん。

「メイドは一般的な〈萌え市場〉ではもうありふれた萌え属性なのよ。ただ可愛いメイドってだけじゃアピールに欠けるわね」

 と、爽泉さん。男の娘でメイドってだけで十分個性的なんじゃないの。ってか、萌え市場って初めて聞いたよ。

「確かにメイド属性だけじゃMOCで勝てないよね。はむはむ」

 これは言うまでもなく横山さん。このコ、朝は菓子パン、授業の合間の休み時間にはチョコとか食べてたけど、昼休みもしっかり食べるんだな。よく入るよ。

「MOCって大変そうだね」

「楓原さん、アナタもどこかのクラブと掛け持ちした方がいいわよ」

「えっ、ボクも?」

「そうよ。アナタは今学期から編入して、他のみんなよりハンデがあるんだから、一日でも早く追いついてもらわないと」

「いやぁ、ボクは別にそのMOCってのでどうこうしたいとは……」

「何のんきなこと言ってるのよ! そんなんじゃ、「ただのメイドには興味ありません」って言われるのがオチよ」

「そう言われても……」

 たじたじになるボクに対して、ハルちゃんと横山さんがフォローを入れてくれる。

「まあまあ。すぐには決められないと思うけど、ユウちゃんの言う通りもう一つクラブに入れば、より魅力的な萌えキャラになれると思うんだよね」

「でもまずはメイ研の活動に慣れてもらおうよ。はむはむ」

「まっ、それもそうね。急かすようなこと言っちゃってごめんなさいね」

「いやいや気にしないで」

「それじゃあマサキちゃんは逆に何かアタシたちに聞きたいこととかある?」

「そうだなぁ。あっ、このクラスって一応男子のクラスだけど教室は女子棟にあるよね。いわば男子と女子の中間のクラスって感じだけど、男子部の生徒との交流ってあるの?」

「うーん、多少はあるかな。でもどっちかというと女子部のコたちとの交流の方が多いかな。ほら、アタシたちってこんな感じでしょ。だから普通の男の子の中にはアタシたちのことを嫌っているコも少なくないから……」

 ハルちゃんの表情が少し曇る。

「そうそう。ウチなんか前に用事があって男子棟に行ったとき、廊下にいた男子がウチに聞こえるように「あれってM組のオカマじゃね?」「マジ気持ち悪ぃよなあ」って言ってきたんだから。ムカツクぅ! はむはむ」

 そうなんだ。いつも明るいように見えて彼らも結構苦労しているんだな。

「そうゆう連中がいて、いじめとか起こりそうだから普通の男子と校舎を分けたのかな?」

「それも確かにあると思うんだけど、それ以上に問題があるのよね」

 爽泉さんがふぅーっと息を吐く。

「男子部のコにはワタシたちを嫌っているコたちもいるんだけど、実はそれ以上にワタシたちに好意を持ってくれるコも多いのよ」

「えっ! 逆にそっち?」

 異性としてってことか。実際は同性だけども。まあこのコたち普通の女の子以上に可愛いから無理もないけど。

「確かに好意を持たれて悪い気はしないけど、度が過ぎるとちょっとね。実際にハルは以前、男子から告白されたことがあるのよ。そんなわけで、萌え特待生を年頃の男子と一緒に学ばせるのは教育上良くないという学校側の配慮でこういう形になったのよ」

 この学校は共学だが、男子部と女子部に分かれている。多くの男子は女子に飢えているはずだ。その状況で近くにこれだけ可愛いコたちがいたら、実際にそれが男だとしても好きになってしまう男子もいるんだろうな。本当ボクから見ても、このコたちは美少女にしか見えないもん。

「まっ、教育的配慮ってことだよね。はむはむ」

「男の娘も楽じゃないね」

「そういうアナタだって気をつけた方が良いわよ」

「えっ、ボク?」

「マサキちゃん超可愛いもんね。男の娘のウチでも惚れちゃいそう」

 横山さんがそんなことを言う。ボクは普通の男なのに……。

「だから仲良くしてるのはほとんど女子部のコかな。アタシも仲の良いコがいて、学園内の色々な裏情報を教えてもらったりしてるんだ」

 裏情報って、CIAかよ。

「それでワタシは彼女たちから教えてもらった情報をこうしてメモしておいているわけ」

 爽泉さんが手帳を自分の顔の横でチラつかせる。メモしておいてどうする気なの?

「ところで、マサキちゃんってアタシのことはハルちゃんって呼んでくれるけど、ユウちゃんとツカちゃんのことはまだ、苗字に〈さん〉付けで呼んでるでしょ? マサキちゃんもメイ研のメンバーになったわけだし、これからはお互い名前で呼び合おうよ」

「それもそうね。ワタシのことはユウでいいわよ。ワタシもアナタをマサキって呼んでいいかしら?」

「あっ、うん、いいよ。ユッ、ユウちゃん」

 ボクは少し照れながら爽泉さんを下の名前で呼んだ。

「ウチのことはツカちゃんでいいよ! ウチはマサキちゃんのこと、サキちゃんって呼びたいなぁ。なんか可愛くない? はむはむ」

 サキって、それ名前変わっちゃってるよ。しかも女の子みたいだし。

「あっ、それイイね! ツカちゃん、ナイスネーミングだよ。ねえ、アタシもそう呼んでいいかなぁ?」

「うっ……」

 ハルちゃんが上目遣いでねだるような目で見てくる。そうゆう可愛い顔をされては……。

「うっ、うん。まぁいいけど」

 拒否できない……よなぁ。

「本当ぉ! やったぁ! じゃあよろしくね、サキちゃん」

「それならワタシもサキって呼ぶわ」

 この日の昼休みからボクの呼び名は〈サキ〉になった。

 これまでの人生でサキって呼ばれたのは後にも先にもないよ、サキだけに。


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