〈ピエール・ド・フェルマー〉
(1601〜1665年フランス)
   
X 2+ 2=Z 2  
・「ピタゴラスの定理」といわれ、この式を満たす整数の組は無数にある。
(直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい。)
X n+ n=Z n  
・ n が3以上で、この式を満たす0でない整数の組合わせ(x、y、z)は無い。
 これが本誌のテーマ「フェルマーの最終定理」を示す。

〈アンドリュー・ワイルズ〉
(1953年〜 イギリス)



〈「フェルマーの最終定理」を読んで〉


〈ピエール・ド・フェルマーのこと〉

〈世界の数学者の取り組み〉

〈ワイルズと懸賞金〉

■1953年イギリスのケンブリッジに生れのアンドリュー・ワイルズ10歳の頃「フェルマーの最終定理」を知り、次の言葉を残している。
  「フェルマーの最終定理には、まるで小説のような歴史があるのです。大勢の人たちがこの問題に取り組みました。そして、
  過去の偉大な失敗していればしているほど、この問題は挑戦に値する大きな謎となるのです。18世紀から19世紀にかけて、
  多くの数学者がさまざまな方法でこの問題に取り組みました。それで十代だった私は、彼らがどんな方法を使ったのか、
  彼らが何をやったかを知るべきだろうと考えたのです。」
 
  年端の行かないワイルズは果敢に先輩達の失敗から何か学べるのではないかと取り組んだのでしたが、壁にぶつかってしまった。
 ■ドイツ系資本家のパウル・ヴォルフスケールが、1908年にその証明に懸賞金十万マルクを投じ「ゲッチンゲン王立協会」に委託
  「フェルマーの最終定理」にたいする懸賞が正式に発表された。
  内容は、没したパウル・ヴォルフスケール博士より遺贈された十万マルクは、「フェルマーの大定理を最初に証明」した者への
  賞金とする。という内容であった。
  勿論条件はあり、論文は選ばれた複数の数学者により検証された後、発表から2年以上の経過後に支払われる。
  2007年9月13日までに受賞者が出なかった場合には、それ以降の支払いは認めない。 などであった。
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〈ワイルズと近代的アプローチ〉

 ■フォン・ノイマンが「ゲーム理論」を発表し更に暗号解読のため高速計算を行うため機械化する方式が必要になってきた。
  その頃イギリスのアラン・チューリングは、無限の計算の出来る仮想計算機を想定し、理論を構築することにした。
  素人目には、最近の科学技術が「フェルマーの最終定理」に打ち勝ちつつあるかに見えたが、数学者は、その成功が見せかけ
  に過ぎないことを知っていた。
  コンピュータが何十年もかけて個々のnについて証明しても、無限に続くnの全てについて証明できない
  したがって、「フェルマーの最終定理」を証明したことにはならない、ということであった。
 ■その後、この「フェルマーの最終定理」に対し数多くの数学者の挑戦が熾烈を極めた。
  特に日本人の谷山豊と志村五郎が数論の基礎演算に含まれる理論を発表した。全ての「楕円方程式」がどれかの「モジュラー形」
  に関連する
という、所謂「谷川=志村予想」で「フェルマーの最終定理」証明に重要な段階的理論に取り入れられるもである。
 ■主役のアンドリュー・ワイルズはプリンストン大学の数論の研究者として有名であったが、主流の数学に勤しんで、フェルマー予想
  の孤立した研究から離れていた。ところが1986年リベット「フライ・セール予想」を解決した事から、フェルマー予想が主流と
  なり、20年の歳月を経て改めてこれに取り組むことにした。
  ただ、ワイルズは周囲に煩わされることの無いように、完全に秘密主義を採った。栄誉を独り占めしたい気持ちもあったようである。
 ■取り組みには「谷山=志村予想」を証明しなければならないと思い(他の研究者は全て失敗)、手段として「帰納法」を採った。
  この方法を利用すると。一つの場合を証明するだけで、無限にある全ての場合を証明することが可能になる方式である。
  この頃(1988年)東京で数学者の宮岡「フェルマーの最終定理」が解けたとワシントンポスト等に発表した。宮岡は微分積分学で
  アプローチをしており、ワイルズの「楕円方程式」と「モジュラー形式」により証明を行っていた。但し宮岡の論文に矛盾点が見つかり
  証明は失敗だったという結論になって終わった。
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〈ワイルズの最後の挑戦〉

 ■ワイルズは、フランスの天才ガロアの研究を検討中で「ガロア群」という論理を楕円方程式に応用し、楕円方程式を無限の要素に
  分解して、すべての楕円方程式の最初の要素はモジュラーだということを証明した。これが一歩前進となった。
 ■楕円方程式に関する情報について、あるとき、かつての指導者ジョン・コークとの会話で「コリヴァギン=フラッハ法」が役に立ち、
  それを拡張し、楕円方程式に使える様に修正し証明が進んだ。
  この方法は、彼には習熟していない高度なもので、間違いの無い利用をしているか、プリンストン大学のニック・カッツに相談した。
  この間6年 初めて他人に内容を明かした瞬間であった。
 ■研究が秘密であったため、相談した結果、他に漏れるのを防ぐため、大学院生に対し「楕円曲線の計算」という講座でワイルズ
  が講義し、カッツが聴講する中で勉強し討議するという方法を採った。
  その結果「コリヴァギン=フラッハ法」は完璧にうまく行っていると評価された。
 ■7年の努力の結果、「谷川=志村予想」の証明を完成させ、ワイルズが30年間夢に見続けた「フェルマーの最終定理」証明を
  成し遂げた
のであった。(テーマが提案され約360年経て証明された。)
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〈ワイルズの証明の完成と発表〉

 ■1993年6月21日〜23日ケンブリッジのニュートン研究所にて講演し、最後に「フェルマーの最終定理」を書き
「ここで終わりにしたいと思います」と締めくくった。(これはフェルマーメモへのジョークと思われる。)
 ■ニュートン研究所では、イギリスの「ガーディアン」紙が”数学最後の謎に決着”、フランスの「ルモンド」は”フェルマーの最終定理に
  ついて解かれる”
などの記事が踊った。
 ■志村教授は、自分達の予想が始めて証明された事を知ったのは、「ニューヨークタイムズ」の”数学界長年の謎が、ついに解けた”
  の記事で知った。友人谷川豊の自殺から35年目のことだった。
 ■専門家の間では、今後の数学界に、「谷川=志村予想」が証明されたことは、「フェルマーの最終定理」が証明されたことよりも
  ずっと大きな快挙
であるとの声もあった。
 ■ゲッチンゲン王立協会の賞については、発表後6人のレフェリーが選任され、チームに分かれ証明の検証作業に入った。
  ワイルズの論文は、何百もの計算が何千もの論理によって、複雑に組合わされた巨大な構築物であり、大変な作業であった。
 ■検証作業の中で、幾つかの問題があった。特に「コリヴァギン=フラッハ法」については、カッツとの討議で検討したが、
  思惑通りに機能する保証の無い致命的な欠陥がみつかった。発表から6ヶ月が過ぎてワイルズは再度部屋に籠り検討に入った。
  翌年の4月にハーバード大学のエルスキーが「フェルマーの最終定理は結局成り立たない」とのメールを発した。
  しかし、これはプリンストン大のダーモンによるエープリルフールの悪質な悪ふざけであることが判明した。
 ■ワイルズは証明を拡張して、帰納法のアプローチを完成させようと「岩崎理論」に取り組んだ。その結果「コリヴァギン=フラッハ法」
  は完全ではないが、これさえあれば、最初考えていた「岩崎理論」が使え、組み合わせることで障害を回避できることに成功し、
  「フェルマーの最終定理」を完全に証明したのであった。(1994年)
 ■勿論1908年にゲッチンゲン王立協会に付託されたパウル・ヴォルフスケールの賞金が1997年に晴れてワイルズに贈られた
  (この賞金が設定されたのは、1908年で期限は2007年9月13日であった。1年を残してクリアーしたのであった。)
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〈その他〉

 ■フェルマーの最終定理の解決に至るまでの歴史には「谷川=志村予想」の谷山豊、志村五郎や岩崎健吉等日本人数学者も
  大きな寄与
をしている。(小生は今回始めて聞く名前である。)
 ■数学は、パズルの問題でもあるが、一見簡単なような課題は数多くあるようである。例えば・・・
  ・「完全数(その数自身を除いた約数の和がその数自身と同じになる)は無限に存在するか?
  ・「ケプラーの充填問題」(球体の最も密に充填できるのは面心立方格子である?は真か)
  ・地図の「四色問題」(地図を境界線を共有する部分同士が同じ色にならないように塗り分ける四色で十分である?)等等
 ■ワイルズの言葉
  「フェルマーの最終定理程の問題には、もう出会えないでしょう。これは子供の頃に抱いた情熱なのです。代わりになるもの
  などありません。けれども私は、その問題を解いてしまった。これからは、他の問題に取り組むことになるでしょう。
  なかには非常に難しい問題もあるでしょうから、それなりの達成感は味わえると思います。しかし、フェルマーのように、
  私をしっかり捕まえて放さない問題には、もう二度と出会うことはないと思うのです。」

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〈 後 記 〉

 ■とんと学問的なことから離れて暮らしてきた。店頭で本書を手にとって見たとき、興味が沸いたが本当に読めるかどうか、
  躊躇したのは事実であった。ただ、数学が得意でない人でも読める、そして面白い、という言葉につい誘われて、購入した。
  読書の好きな私は、日頃読んでいるラドラムやカスラーの合間に、四苦八苦しながら約1ヶ月かけて読み終えた。
  結果、何処まで理解したのか、出来たのか、自信が無いが、難しいなりにも、興味深く読むことが出来た。
  レベルの高い方には申し訳ないが、私と同程度(失礼!)の方にも、一度目を通して頂きたく、概要らしきものを書いてみた。
 ■主人公のマイルズが若干10歳の頃に興味を持ち、多少気軽にこのテーマに取りあげ、30年以上も興味を失わずに取り組んで、
  目的を達成したエネルギーに圧倒された。さらに、数々の数学者の粘り強い生きざまにも、大変に感銘を受けた。
  しかも、日本人の数学者(私はほとんど知らないが)も、重要な役割を果たしたことも面白かった。
 ■何の変哲もないようなテーマであったが、解決するためには、大変複雑なそして難しい幾多の証明を重ね、組み合わせていくという
  気の遠くなるようなアプローチが必要であることが理解できた。
  特に、数論は絶対的なもので、多くの絶対的理論を重ね全てに矛盾の無いことを証明する、他の学問にはないのが最大の特徴
  だということが分かった。(全く誤差はない絶対真理が数論である。)
 ■実際には大変難解なテーマであり、一流の数学者でも、詳細に理解している人は10%程度であるとも言われていることを、
  最後に付け加えておきます。(多少言い訳みたいですが)
 ■浅学な私の、本分では多くの方は、物足りないと思われるが、是非本書や関係文献を読んでいただき、更に深い御教授を頂けたら
  有難いと思います。  お付き合い頂き御座いました。

2006年9月  鈴木 敬


 ★『参考書』
  @「フェルマーの最終定理」 サイモン・シン著 (新潮文庫)(495ページ 781円)
  A「フェルマーの最終定理」 インターネットで「Wikipedia」から数学の項目で検索して下さい


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