October,2006

「バースとストーンヘンジ1日観光」に参加しました。
ロンドンのヴィクトリア・バス・ステーションからバスは出発します。

ウィンチェスター(Winchester)

ウィンチェスターはイングランドの七王国の一つで、イングランドの南西部を支配したウェセックス (Wessex)の首都のひとつで、歴史のある街だそうです。

9世紀の終わりのウェセックスの偉大な王アルフレッド大王の銅像前から、ハイストリート(High St.)をとおり、グレートホールに到着しました。

ハイストリートの写真1

ハイストリートの写真2

ウェストゲートの写真


グレートホール (The Great Hall)

ウィンチェスター城は、11世紀後半、イングランドを征服し、イギリス王室の開祖となったウィリアム1世(William I)によって建てられました。グレートホールは13世紀に城の一部として増築されたもの。
17世紀半ばの清教徒革命で、ウィンチェスター城が王党派から、オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell)率いる議会派に渡ると、城は解体されたのですが、グレートホールだけは会議や裁判の場所として残されました。

内部にはアーサー王伝説のシンボルである円卓があります。円卓には、王に忠誠を尽くした『円卓の騎士』の名前が記されています。

グレートホール前遺跡の写真

グレートホール入り口の写真

円卓の写真1

グレートホール内部の写真2


ウィンチェスター大聖堂の写真

ウィンチェスター大聖堂(Winchester Cathedral)

イギリス国教会の大聖堂。ヨーロッパのゴシック様式の大聖堂のうち、最長の大聖堂です。


ストーンヘンジ  (Stone henge)

ソールズベリー(Salisbury)近郊に、紀元前3000年、新石器時代に造られたといわれるストーンヘンジはあります。
遺跡の周りのロープの張られた小道を歩くようになっていて、近づくことは出来なくなっています。

ストーンヘンジの写真1


遺跡保護のため、ストーンヘンジと周囲の遺跡を分断している道路をなくす計画があるとか。今は遺跡の近くに駐車場やビジターセンターもありますが、それもかなり遠くなるようです。

ストーンヘンジの写真2

ストーンヘンジの写真3

ストーンヘンジの写真4


バース (Bath)

バース寺院の写真1

バース寺院(Bath Abbey)

廃墟となっていた修道院を15世紀後半、バース司教が「王に教会を修復させよ」との天使のお告げの夢を見て、建設が始まったとのこと。正面扉の上には、修復を行ったヘンリー7世(Henry VII)の像が 刻まれています。両サイドには、天使が天国の梯子を登り降りする姿が見えます。


バース寺院の写真2

バース寺院の写真3

バース寺院の写真4


ローマン・バス博物館(Roman Bath Museum)

館内に入ると、浴場の2階のテラスから見学していきました。
18世紀以降、ロンドンの貴族や富裕な階層の保養地として見直され、ローマ時代の遺跡の上に、ビクトリア朝の建物が建てられたとのこと。周囲にはローマの皇帝とローマ軍の指導者の彫像が並んでいます。

ローマン・バス博物館の写真1

ローマン・バス博物館の写真2

ローマン・バス博物館の写真3


ローマン・バス博物館の写真4

1階に降りて見る大浴場は、かすかに湯気がたちあがり、また雰囲気も違います。お湯に触れてもいいそうです。


室内にはローマ時代の遺跡から発掘された彫刻など、出土品の数々が展示されてありました。エイヴォン川(Riv.Avon)に流すローマ時代の排出口は、今でも使用可能らしいです。
紀元前1世紀、ガイウス・ユリウス・カエサル(Julius Caesar)の『ガリア戦記』に、海を渡り、ブリタニアに遠征したとの記述がありますが、この地がローマ帝国の支配下におかれるのは、1世紀半ば、ローマ帝国4代皇帝クラウディウスの遠征のときからとのこと。
最大では、スコットランド北部を除くブリテン島すべてを支配したローマ帝国ですが、5世紀初め、大陸を南下してきたゲルマン民族の侵入により危機をむかえたローマ帝国は、ブリテン島より撤退せざるおえなくなり、ローマ人が去った浴場は荒れ果てていったということです。

ローマン・バス博物館の写真5

ローマン・バス博物館の写真6

国内の旅行代理店より、ウィンチェスターが観光に入っていることは聞かされていなかったのですが、ウィンチェスターを含む「バースとストーンヘンジ1日観光」は、また違った時代のイギリスが見ることができ、充実したコースだと思います。
ただ、全体的にイギリスのオプショナルツアーは道案内という感じでした。


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