美術館大学構想

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(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
■写真上:東北芸術工科大学ギャラリーに展示されている舟越桂さんの彫刻『風をためて』(栃木県立美術館蔵/1983年)とデッサン『山について』。『風をためて』の青年の表情に惹かれるという学生が多い。世代的な共感だろうか?
■写真中:2004年の作品『言葉をつかむ手』近影。印象的な手の所作。
■写真下:ギャラリーに入ってすぐのブースに展示された『水に映る月蝕』とそのデッサン。(撮影:イデアゾーン)
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『舟越桂|自分の顔に語る 他人の顔に聴く』展がオープンしています。

初日の講演会には、建築・環境系と「東北学」関係のシンポジウムが同時に開催されていたにもかかわらず、学内外から大勢の人々が詰めかけました。キャンパスで一番ひろい201講義室(座席数450)は、階段通路にまで人が溢れ、あらためて舟越作品の人気の高さを感じました。
ギャラリーには、山形市内にとどまらず、はるばる仙台や福島からやってくる舟越ファンで「静かに」賑わっています。制作や研究に行き詰まるとやってくるのか、神妙な面持ちのリピーター学生も定着しつつあります。

このように人気の高い舟越作品ですから、展覧会がはじまってからも当然のことながら気が抜けません。舟越さんの作品の魅力を的確に伝えていくために、また、今後、これらの作品を鑑賞するであろう何千、何万もの人々に向けて、作品のコンディションを万全な状態で引き継いでいくために、注意を払わなければならないことが山ほどありました。

まず、はじめてキャンパスを訪れる一般来場者向けのサイン計画や、ギャラリーのセキュリティー環境を抜本的に見直しました。また、開催期間中の作品コンディションについては、修復家の藤原徹教授(文化財保存修復センター)に指導を仰ぎ、デリケートな木彫作品を展示するにあたっての、湿度管理や、巨大なガラス窓からの自然光カット、スポットライトの照度調整などについてのアドバイスをいただきました。

受付や監視、ガイド役に志願してくれたボランティア学生60名には、貴重な芸術作品と観客の間に立って仕事をすることの責任を実感してもらうために、オープン前日に舟越さんから直にレクチャーを受けてもらいました。制作者の言葉で個々の展示作品について知識と理解を深めることができた彼らのモチベーションがおおいに高まったことは言うまでもありません。
舟越作品に寄添う学生スタッフたちの日々は、「舟越展staff blog」に綴られています。
http://gs.tuad.ac.jp/funakoshi/

このように、手探りで準備を進めてきましたが、「キャンパスを地域ミュージアムに!」と、日夜学内でアート活動に勤しむ美術館大学構想室は、公立美術館と違って、毎企画ごとに全ての環境(人的・空間的)の立ち上げを一から整えなければならず、正直に言ってこの展覧会は、その規模と重要性において、やや構想室のキャパシティーをこえるものでした。
舟越作品のために働ける幸いを噛み締めながらも、空回り気味の若い人たちの奮闘を、おおらかに受け止めてくださった舟越桂さんには、本当に感謝です。
西村画廊の皆さん、運搬と設営を担当してくれたヤマトロジスティクスのプロフェッショナルなサポートもありがたかったです。

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設営作業が一段落し、翌朝のオープンを控えた夜。
加湿器の水量を確かめてから、スポットライトを落とす前に、ひとり呼吸を整えて、会場を一回りしてみたのです。
暗がりにスポットライトで浮かび上がる『水に映る月蝕』、『言葉をつかむ手』、『月蝕の森で』といった神秘的な裸婦のシリーズと、最新作の『雪に触れる、角は持たず。』で印象的な、彫像の肩から唐突に突き出た「手」が、僕に向かって、背後から包み込むように伸ばされてくるのを感じました。
舟越さんは、「手」について、「その彫刻自体の手とは限らない、誰かの手」というような言い方をしています。「支える手」「抱く手」「祈る手」… 。静寂に包まれたギャラリーで、宙をつかむように舟越さんの彫刻から差し出されたそれらは、他の誰でもない、この展覧会に関わる僕や学生たちの手であるように思われたのでした。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:先週刷り上がったばかりの立花文穂さんデザインによる『舟越桂 自分の顔に語る/他人の顔に聴く』展ポスター。田宮印刷株式会社(山形市)に協力を依頼し、インクの盛りや印刷用紙の微妙なニュアンスにこだわったりと、職人的な試行錯誤を繰り返しながら、立花さんのタイポグラフィーと舟越作品が見事に融合しました。お2人のコラボレーションともいえるポスターです。
■写真中:舟越桂さんの世田谷のアトリエにて。ポスターの素材として立花さんが自ら撮影したアトリエの写真に見入る舟越桂さん(左)。
■写真下:本展出品作の1つ、『水に映る月蝕』とポスターのラフを並べて。
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先月末、夕方の小田急線某駅で、出品作家である舟越さんに展覧会ポスターのラフを確認してもらうため、デザインをお願いしていた立花文穂さんを待ち合わせしました。
アトリエに行く約束の時間の少し前に落ち合い、「いざ、作戦会議」と駅前のドトールで立花さんにポスターラフをはじめて見せてもらったとき… 僕は一瞬、言葉を失ってしまいました。

展覧会のビジュアルとしてはタブーともいえる、作品の、特に「顔」の上に文字が入るレイアウト。
紙面の中央に据えられている最新作の頭部は、眼球(大理石製)がまだ制作途中で、舟越作品に共通する内相的な眼差しに、まだ光は宿っていません。
けれども、微動だにしない彫刻作品の「静」のイメージが良い意味で崩され、秀逸な文字の配置によって、彫刻の肌理で、紙の表層で、何かが起こっている。あるいは、演劇かオペラのビジュアルのように、「其処で、何かが生まれつつある予感」が濃密に発散していました。

これまでは、まるで独立した人間のように、見る者の前で厳かに、無言で屹立していた舟越さんの彫刻が、立花さんの非凡なアートディレクションによって、生々しく唇を動かし、語りかけてくるのを感じました。
担当学芸員として、様々な想像や不安が脳裏を駆けめぐりました。でもけっきょく僕は「これはすごいです。 立花さん」と心から感嘆していました。もちろん、舟越さん本人も立花さんの真正面からのチャレンジを歓迎してくださいました。

最近日本各地を巡回した大規模な回顧展で、作品の「変貌」ぶりが話題となった舟越さん。
きっとこのポスターを見た多くの人が、『自分の顔を語る/他人の顔を聴く』という謎めいたコピーとともに、舟越さんが最近のテーマとしている「スフィンクス」の表象との問答を通して、彫刻家に変貌をもたらしたものの突端に触れることでしょう。
そしてその答えは、山形に展示される11体の彫像と対峙する観客ひとりひとりの心象のうちに明らかになるのです。
10月12日、皆さんぜひ山形へいらしてください。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

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『舟越桂 自分の顔に語る/他人の顔に聴く』
会期=2007年10月12日[金]〜11月9日[金] 10:00〜18:00(会期中無休/入場無料)
会場=東北芸術工科大学7Fギャラリー 

主催=東北芸術工科大学 企画・運営=東北芸術工科大学美術館大学構想室
協力=栃木県立美術館、西村画廊、赤々舎、田宮印刷株式会社、Apple Store Sendai Ichibancho

特別対談:『自分の顔に語る。他人の顔に聴く。』
舟越桂×酒井忠康(世田谷美術館館長/本学大学院教授)
10月12日[金]18:00ー20:00(開場:17:40)
本館201講義室(入場無料)
■写真上(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
7/13(金)の夜から山形県最上郡の肘折温泉で点灯している芸工大オリジナルの灯籠『ひじおりの灯』(直径70cm)。みかんぐみの建築家・竹内昌義准教授デザインによる八角形の木組みに、本学日本画コースの院生たちが現地で取材したスケッチを描きました。(詳しくは最新の『g*g』に特集されてます→http://gs.tuad.ac.jp/gg/index.php)撮影/JEYONE
■写真下:『肘折絵語り・夜語り』(7/25 19:00〜)の様子。灯籠絵を描いた19人の日本画コース生たちが、23軒の旅館の軒先に吊られた灯籠の下で、それぞれが表現した肘折を語った。温泉客や地域の方々など約90名が参加し、幻想的な夜の光に照らされた、古き良き温泉街の散策を楽しんだ。道案内は森繁哉教授と赤坂憲雄大学院長。そぞろ歩く一行に、各旅館の旦那衆から振る舞い酒も。
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20代前半の4年間を過ごしたバンコクでは、よく仕事の休みを利用して、郊外のバスターミナルから各地方へ走る長距離バスに滑り込み、タイの田舎を旅しました。
そのなかでも「イサーン」と呼ばれる、タイの貧しい東北地方を巡る旅の途中で訪ねた、畜産飼料用の塩づくりを生業とする集落は忘れられません。

濃度を高め、強烈な日照りで塩を結晶化させるための塩田が、見渡す限り広がっていて、その中心にボツンと、5件ほどの家々と、小さな塩の製錬所がありました。
灼熱の日差しを受けるトタン屋根の工場内は薄暗くて、木製の巨大な桶の中に、湿り気のある塩が大量に積み上げられていました。

塩田で水浴びをする子どもたち。半裸に麦わら帽子の工場の男たち。塩の山。
巨大都市バンコクの喧騒から遠く離れた、名もない塩の集落は、僕の東南アジアのうだるような熱気に支配された4年間のタイ生活で、もっとも鮮烈な風景として脳裏に焼き付いています。

もちろんその風景は、背景にある東北タイの貧しさとか、稲作を捨て先祖伝来の土地を塩田にせざるを得なかった人々の苦しみを抱えているのですが、自分の生きてきた「世界」とは隔絶したところで、それ自体完結した白と、光と、熱と、塩と、水が織りなしていたその光景の純度は、僕にパゾリーニの映画のような神話的かつ悲劇的な美しさを想起させたのです。

と同時に、枯れ切った土地で、「どこにも行かない」ことと「どこにも行けない」ことに同時に傷つきつつ、静かに黙々と塩をつくる人々の姿は、外国で異邦人生活を楽しみ、気ままな旅を続けていた僕に、「お前は何故ここに来たのか」「お前はどこに行こうとしているのか」と、厳しく問いただしているような気がしました。
僕の脳裏に焼き付いたのは、ひょっとするとこの「声」の方なのかも知れません。

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国道13号から舟形町を抜け、美しき最上川を渡り、万年雪を冠った月山を眺めながら急勾配の峠道を一気に下っていくと、えぐったような谷間の行き止まりに、肘折温泉が、ぽつねんと佇んでいました。
赤坂憲雄先生に、「東北ルネサンスプロジェクトの一環として肘折にアートのイベントを仕掛けてみたい」と、はじめてここに連れられて来た時、新しい芸術作品を持ち込むのではなく、既にそこに重層した土地の記憶のようなものを、「忘れないように記憶に留める」ための仕組みづくりをしたいと思いました。

23基の灯籠は、隔絶されたこの深い谷の集落でこそ、増幅される光と闇と絵画のオーケストレーションを生み出しています。
これは、その地に住んでいる人々が、若い画家たちの眼差しを通して暗闇に浮かび上がる肘折の情景に、毎夏、「土地の声」を聴くための装置なのです。

宮本武典/美術館大学構想学芸員
■写真上から(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
1)松岡圭介さん(大学院彫刻修了)による木彫は、ヒトガタに切り抜いた合板を幾重にも張り合わせて成形されたもの。会場の『ギャラリー絵遊』は、建築・環境デザイン学科竹内昌義准教授ゼミによる設計で、今春オープンしたばかりの瀟酒なギャラリー。建物自体も見どころです。

2)プロダクトデザイン博士課程在籍中の酒井聡さんの音と映像のインスタレーションは、蔵を再利用したカフェ『灯蔵・オビハチ』で作動中。古い梁に分厚いガラス板とアクリル製の水盤を乗せ、さらに、振動スピーカーで音響を注入することで、暗い荷蔵の内部に、有機的な水の振動が視覚化されている。人工心臓みたい。

3)池谷保さん(洋画コース卒/京都市立芸大大学院在学中)の絵画は、前回のブログで紹介したビルの空き部屋に展示。目眩のするような独特の描法による絵画の肌理は、圧倒的にオリジナルな仕事。この他、アクリル絵具をコツコツつなげて紐状し、空間に吊り下げる「ドローイング作品」を現地制作。

4)大沼剛志さん(大学院プロダクト修了)の砂の彫刻は、古い荷蔵『大マス』に置かれた。もともと蔵に置いてあった大きな山水画の屏風を借景にして、黒い砂の流動性を応用した作品が、木箱の中でミニマルな砂の坪庭を創出。

5)前回紹介した後藤拓朗さんのドローイングは室内から溢れ出し、とうとうビルの階段にまで進出。

6)工芸+実験芸術大学院によるグループは、馬見ヶ崎川沿いにある貨物車両を再利用した名物カフェ『エスプレッソ』の駐車場に、店舗と原寸大の模型を設置し、その中でパフォーマンスを展開する(その模様はカフェ店内に中継)プロジェクト『1984-espresso』を発表。お客さんに好評を博しています。(下の2枚/上がダミー、下写真が実際の店内で、小型モニターで中継中)

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卒業生支援を目的に、2005年に立ち上がった卒業生クリエイターによるアートショー『I'm here.』の2007年度版『I'm here.2007-根の街へ-』が、とうとう本日(7/5)、山形市内7ヶ所でオープンしました。
本学を卒業後、日本各地で活躍する7人の才気溢れるクリエイターと、大学院生の2グループが参加する本展は、地元のギャラリー、蔵、カフェにて、それぞれの空間の特性を活かした展示に挑戦しています。
梅雨の生憎の空模様で、初日の出足は少なめでしたが、連日のプレス攻勢が効いたのか、地元のテレビ局、新聞各社の反応はよく、会場に詰めていた出展メンバーは、朝から多くの取材を受けていました。明日以降、様々なメディアでご紹介いただけるはずです。

今回は、初日の様子を一部写真でご紹介しましたが、いずれも山形の街に新しいアートの風を吹き込む洗練された力作ばかりです。
遠方の方も、地元の方も、この機会に山形のアートスポット巡りをかねてご覧いただき、参加している若きアーティストたちを激励いただければ幸いです。
会期は7/15(日)まで。
週末には参加フリーのパーティーやトークイベントもあります。
多くのご来場、お待ちしてます!
宮本武典/美術館大学構想室学芸員
(※map等、詳しい情報はHP内の「information」をご確認ください)
■写真:土井ビルディング2Fの空き部屋で滞在制作中の後藤拓朗さん。壁紙を剥がして露出した板面に、鉛筆で直接にドローイングを施しています。(撮影:近藤浩平)
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開催まで2週間を切った今年の『I'm here.』。
ですが、現在7階ギャラリーで開催中の『SHINJO SAITO -一心觀佛-』展の京都巡回が突然に決まり、また、来月中旬に公開予定の肘折温泉郷での灯籠プロジェクト『ひじおりの灯』が、プランがまとまりきらないまま、連日マスコミに取り上げられてしまうなど、いつも通りの拡大展開への対応で、バタバタと慌ただしく準備が進んでいます。

今回の最大の特徴は、はじめての地元・山形での開催、さらに市内のギャラリーやカフェなど、7ヶ所を同時に結んでの展観にあり、アートスポットのガイドマップも兼ねた本展のポスター兼フライヤーも好評をいただいていますが、この17,000枚のB2判印刷用紙は、全て地元企業の田宮印刷株式会社さんからの提供で賄うなど、地域との連携がよりクローズアップされてきたかたちです。
これまで仙台で開催していた『I'm here.』シリーズですが、地元に帰ったとたん、盛り上がりと反響が違うことに驚きました。この企画も、土地の力を借りる事で年々拡大+進化を続けているようです。

昨晩は、レセプションパーティー(7/7)を担当するプロダクトデザイナー集団『Link』と、パーティーで提供する「地産地消」をテーマにしたオリジナルフードについて夜遅くまでミーティングをしていましたし、他にも、日本の若手アーティストを取り巻く現状について、アートライターの白坂ゆりさんを招いての開催するディスカッション(7/8)開催など、昨年度の卒展テーマ『OUR ART. OUR SITE.』と『I'm here.』を混合させながら、ここ東北だからこそ可能なアートシーン創造に挑戦していきます。
詳細は既に〈Information〉で公開されていますので、ぜひチェックしてください。

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参加する作家たちの中でも、駅前のすずらん通り沿いにあるギャラリー『ぎゃるり葦』さんの協力で、「住み込み制作」を続けている後藤拓朗さんは、本展タイトル『根の街へ』をそのまま体現するような、コンセプチャルかつ美しい作品を描いてくれています。
古いビルの壁に、徹底的に書き込まれた鉛筆画のタイトルは『共同体(仮設)』。
展覧会が終了すれば店舗工事が入り、全て塗りつぶされてしまう運命にあるこの作品は、既に本展のポスターを飾り、全国の美術館やギャラリーの壁に「移設」されていますが、上記の写真を見ての通り、まだまだ増殖中。
ぜひ夏の山形で、彼のたった一人のプロジェクトに立ち合ってみてください。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
『TUAD AS MUSEUM : Annual Report 2006/2006年度東北芸術工科大学美術館大学構想年報』
[発行日] 2007年6月13日
[編集・発行] 東北芸術工科大学美術館大学構想室
[印刷]田宮印刷株式会社
[判型] B5判、92ページ、モノクロ版(カラーグラビア16ページ)
[発行部数] 1,000部
[デザイン]JEYONE(鈴木敏志+奥山千賀)
※表紙写真は西雅秋氏によるコミッションワーク『DEATH MATCH(彫刻風土/山形)』の断片。カラーグラビアには吉増剛造氏による書き下ろし詩文『佃新報』を見開きで掲載した。目眩のするような言葉の鮮烈な羅列…。
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遅ればせながら、6月になって2006年度の美術館大学構想事業のアニュアル・レポートを発行しました。
2005年度は卒業制作展の時期(2月)に編集作業に勤しんでいたので、年度内に無事発行したのですが、昨年は年度末ギリギリまで、卒展の後始末やら『New Face at TUAD』展の準備やらで着手できず、大幅に遅れてしまいました。
勿論、今もいろいろ同時進行しているプロジェクトがあって、あまり過去を振り返っている余裕はないのですが、構想室の仕事がいかに人的にも予算的にも自転車操業であっても、このレポートの編集作業には最善を尽くさなければなりません。

なぜなら、僕たちの美術館大学構想は、高価な作品のコレクションよりも、展覧会やシンポジウムなどの、無形のソフト事業にこそ力を注いでいますから、「モノ」としての記録は残っていかないのです。その分、こういうレポートを年度毎にきちんとまとめておかないと、せいぜい30年もすれば「何も起こらなかった」ことになってしまうでしょうし(寂しい)。素人なりに大変ですが、このささやかな編集・出版業務は、そういう「時の忘却性」との闘いでもあるのです。

さて本誌『TUAD AS MUSEUM : Annual Report 2006/2006年度東北芸術工科大学美術館大学構想年報』は、(前回のレポートもそうでしたが)所謂、大学の「研究紀要」よりも、ギャラリートークや作品レヴュー、滞在制作のドキュメントノート、作家インタビューなどの採録を中心に構成し、口語体でスイスイ読める、雑誌的な冊子づくりを目指しています。学生が読むものでもありますし。

執筆陣は、酒井忠康氏(美術評論家)をはじめ、吉増剛造氏(詩人)、赤坂憲雄氏(民俗学者)、茂木健一郎氏(脳科学者)、鎌田東二氏(宗教学者)、西雅秋氏(彫刻家)、宮島達男氏(現代美術家)、竹内昌義氏(建築家)など超豪華な顔ぶれで、「美術館は港(=様々な人、作品、情報が出たり入ったりして交流する場)」という酒井氏のポリシーを体現する、多様な表現・研究領域が交流した「語り」の記録集となっています。

皆さん、それぞれに文章のプロフェッショナルですから、こちら側のまとめ方が悪くて紙面構成を台無しにしてしまわないようにと、常にプレッシャーを感じながら編集を進めましたが、その中でも特に、「語りの場」でしばしば生じる、思考の「どもって」いる状態というか、対話の間が良い意味で「詰まる」感じのリアリティーを、どのように文面に残すかに苦心しました。

例えば、シンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち ー詩・旅・思索ー』で、詩人の吉増剛造氏が柳田國男についてこんなふうに語っていました。
「…そのときにね、民俗とか、昔話ではなくて、今日のシンポジウムもそうですけれど、何度も聞いて、話を重ねていく作業によって、物語にある種の「溜り」ができていく。それを〈記録〉とか〈記憶〉とか名付ける必要はなくて、語ることを重ねていくことで、様々な学問の境目が消えていくかもしれない。あるいは他人の記憶を今一度たどり直してみるとかね。そういうことの、とても珍しく、良い例として、柳田國男の存在や著作があるというふうに、私は思うわけです。」
このニュアンス。
それぞれの持つ知識が出会い、ぶつかることで「詰まり」ながら照応し、次の命題へと開いていくような感覚。
対話において、じっと考え込む時間や、会話の余白的な逸脱こそが、テーマの本質を補足し、問題の共有を全体に高めるような気がするのです。(茂木健一郎さんなら「解らない時間の方が、脳が活性化されているのですよ!」とおっしゃるのでしょうが)

文章では、こういうある種の凪状態に陥りながら充実していく沈黙や逸脱を、リズムよく記録していく事はなかなか難しい。シンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち ー詩・旅・思索ー』の採録では、日本を代表する詩人と美術評論家と民俗学者が、それぞれに蓄えてきた蛸壺的な理論や蘊蓄の応酬ではなく、それぞれの「知」の境目を「語り」によって意識的に溶解させていくことで、互いに詩的な感応力を引き出していくプロセスを追体験しているような印象がありました。

現代生活では、メールやブログ(未だに書くのが苦手で気後れしますが…)など、ネットを介した言語情報のやり取りなしに、仕事は成立しなくなっていますが、一方で、やはり直接に巡り会って、それぞれの身体(声、表情、仕草、眼差し)を抱えながら語ったり、聞いたりしていかないと、本当に染みていかない知識や言葉の作用があると、編集の過程でつくづく感じました。

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本誌は、全国の美術館や大学に献本される少部数の限定本で販売はしませんが、ちかく美術館大学構想HP上でPDFデータで閲覧できるようにします。どうぞお楽しみに。
また、学生の皆さんは、図書館で借りられますのでぜひ読んでください。そこには、今、東北で表現を模索する僕たち自身のことが語られています。
それから、もしこのブログを読んで興味を持たれた美術関係機関の方、ぜひHP上の入稿フォームから美術館大学構想室までご一報ください。メーリングリストに加えさせていただきます。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

■写真上:山形市は馬見ヶ崎川沿いのカフェ「エスプレッソ」でくつろぐグラフィックデザイナーの立花文穂さん。トレーラーを改造したこのカフェは『I'm here.』展の会場の一つ。この日はここでのインスタレーションを担当する大学院生のメンバーも来ていて奥のテーブルでミーティングをしていた。万華鏡を覗いているのはウチの奥さんで、テーブルには僕の大好きなバナナジュースが。
■写真下:肘折温泉郷への道中にある日本最大級の杉の巨木「クロベ」の前で。大蔵村在住の舞踏家・森繁哉さんのラブコールで、立花さんの山形ロケハンは大蔵村に飛び火。
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4月11日に今年のレジデンス作家でグラフィックデザイナーの立花文穂さんが山形にいらっしゃいました。キャンパス内の活動場所や、宿泊施設などを見ていただき、秋の滞在期間中の活動内容について打ち合わせました。
芸工大における立花さんのアーティスト・イン・レジテンスは、『舟越桂展』のドキュメントブックの制作が主な活動になります。ブックでは舟越作品の魅力を、アトリエの緊張感や、鑿跡のマテリアルや、作品と人々との関係・出会などを記録する、「コト」のドキュメントとなる予定です。

また、本の編集過程は、色校正や、アイデアメモなどを随時壁面にクリップする形で、10月中旬の期間中、大学図書館内の特設編集室周辺でリアルタイムに公開されていきます。これ自体が既にインスタレーションみたいですね。ちなみにこの企画は、舟越展とあわせて、11/15〜12/20の日程で京都造形芸術大学ギャラリーオーブにも巡回予定です。

先週の月曜日に、世田谷区経堂にある舟越桂さんのアトリエでお二人を引き合わせたところ、数年前に舟越さんが出演していた資生堂のCMの映像ディレクターが、立花さんの実兄であることが判明。やっぱり、ご縁があったのですね。
この日は赤々舎の姫野さんも交え、打ち合わせはアトリエ→焼肉店→カフェと場所を変えながら深夜までおよび、その中で舟越さんのアシスタントの中野さんの奥さんが、何と僕の高校の同級生(奈良市の高円高校)であることが判明したり…とまあ、多角的に出会いを楽しんだ一夜となりました。

お二人のコラボレーションは、赤々舎と舟越さんの所属ギャラリーである西村画廊が、これまた偶然に共同企画し、出版の準備が進んでいた「対話集:舟越桂×酒井忠康」と内容をリンクさせた形で、出版までこぎつけそうです。
舟越作品にまつわるビジュアルの合間に、おなじみ酒井先生の含みのある独特の言い回しによる作品解説が挿入される本を、あの立花文穂さんがディレクションする…一体どんな本になるのか、きっとこのアートシーンに詩的なインパクト与える作品になると確信しています。

それにしても、一つの出会いがどんどん増幅して大きくなっていく。こういう不思議でクリエイティブな感性のリレーに関われることはアートを愛する者として、とても幸せなことです。
しかししかし、現在僕はすでに9個のプロジェクトを抱え、もう息切れ状態。また、その一つ一つが今回のような、実に面白い連携の可能性を秘めているのです。同僚も学生も家族も僕のワーカーホリックぶりにいつも呆れ顔ですが、これはもう仕事を超えた、スポーティーな感覚すらあります。図書館スタッフのみなさん、部屋を散らかしてすみません。理解ある東北芸術工科大学と家族に感謝。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:I'm here.07' 参加作家のひとり、後藤拓朗さん(洋画コース卒業/2007.04.04にUP)による本展のイメージ・ドローイング案
■写真下:『sandrodynamics』砂/2006、大沼剛宏さん(プロダクト大学院修了)による、インタラクティブな砂の彫刻。
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【4月24日:山形市内のギャラリーをめぐる】
一昨年、洋画コースを卒業し、京都市立芸術大学大学院に進学した池谷保君が来山形。市内のギャラリー「葦」で、参加を依頼した夏のグループショー「I'm here.」展の展示構成について打ち合わせました。彼は関西屈指のコマーシャルギャラリーKodama Gallery(http://www.kodamagallery.com/start/index.html)のグループショーに、これまで2回選出されるなど期待の若手アーティストで、芸工大にいたときは、よく美術館大学構想室の企画展を手伝ってくれていました。優秀な人材の他大学への流出は口惜しい状況ではありますが、東北で学んだ彼が活躍する姿は嬉しいかぎり。
池谷君は、この夏、山形駅近くの古いビルの空室で、絵画とインスタレーションを発表する予定です。

この他にも、昨年度まで構想室のアシスタントだった後藤拓朗さんや、大学に副手として戻ってきたペインターの阿部亮平さん(VOCA展06に選出)、ロンドン・デザインナーズ・ブロック参加をきっかけに結成されたデザイン集団『Link』など、将来の活躍が期待される若手クリエイターを、今年も、TUAD卒業生をフィーチャーするアート展『I’m here.2007』で紹介します。

I'm here.05'に参加した本間洋さんは昨年度の文化庁買上に選出され、木彫のルイ・ヴィトンが注目を集めたタノタイガさんも相変わらず多方面で活躍中です。(現在は東京・青山スパイラルの8thSICFに出品中=http://www.spiral.co.jp/sicf/)
06'展で好評を博した岩本あきかずさんは、この時のフライヤーがきっかけで、大阪のコマーシャルギャラリー「studio J」での個展(http://www.daikan.ne.jp/studio-j/exhibitions.html)が実現するなど、参加した作家は活動の場を着実にひろげており、プロジェクトは年々成果をあげているといえるでしょう。

3回目の開催となる今年は、7作家と2グループが参加。
開催テーマを『根の街へ』と題し、会場を、これまでの「せんだいメディアテーク」から、地元・山形市内のギャラリーやカフェ、空きビルの一室や蔵に移した、同時多発的なアートショーになります。
卒展で活躍した工芸コースの卒業生(2007.03.05にUP)が、カフェをまるごと作品化するなど、山形市内を舞台に、地域の方々とがっちりタッグを組んだ、サイトスペシフィックな展観にご期待ください。

『東北芸術工科大学卒業生支援センター企画展 I’m here.2007〈根の街へ〉』
会期:2007年7月5日[木]ー7月15日[日]
企画:美術館大学構想室/協賛:東北芸術工科大学校友会/卒業生後援会/田宮印刷株式会社
招聘作家:阿部亮平/池谷保/大沼剛宏/後藤拓朗/酒井聡/松岡圭介/長瀬渉/大学院工芸+実験芸術領域有志/Link
展示会場:灯蔵・オビハチ/ギャラリー絵遊/蔵大マス/ぎゃるりー葦/恵埜画廊/Cafe Espresso

※運営スタッフ募集中!!
アートの力で山形を面白くしたい人は、このプロジェクトにぜひ運営スタッフとして参加してください。023-627-2043(宮本)までご連絡ください。

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)

...もっと詳しく
■写真:天台宗の高僧にして京都を代表する洋画家・齋藤眞成師の画室と、御歳90を迎える師のポートレート。
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【4月18日:京都極楽真上寺真如堂へ】
天台宗の名刹として知られる京都真正極楽寺真如堂の貫主でありながら、京都洋画壇の重鎮として、これまでバルセロナ、リスボン、ニューヨークで大規模な個展を開催するなど、国際的に活躍する齋藤眞成師。6月中旬から、美術館大学構想室長の山田修市学部長の肝いりで、今年、90歳を迎える師の画業を記念する展覧会「SHINJO SAITO 一心觀佛」を洋画コース主催で開催することになりました。

18日は、齋藤師の熱心な支援者である山形美術館長の加藤千明館長と、出品作品の選定のため、山形空港から伊丹を経て新緑の京都へ向かいました。JR京都駅に降り立ったとたん、故郷の奈良を思い出し、もう無条件に里心が…。高校時代は四条にある銅駝美術工芸高校に通っていた双子の兄を訪ねて、河原町界隈で遊んだなぁ、当時の同級生たちは何をしているだろうかと感慨に耽りながらタクシーの車窓から町並を眺め、京都はさすがに街の文化的密度がすごいとつくづく実感。

京都極楽真上寺(真如堂)は、燃え立つような紅葉がつとに有名で、今の季節は新緑が眩しいほど鮮やかでした。しかし何故か、敷地内はグレーのスーツに身を包んだ新入社員たちで混雑模様。真如堂は三井財閥の菩提寺で、毎年グループの新入社員は全員、貫主である齋藤眞成師の法話を聴くのが習わしなのだそうです。仏僧として高名な方だとは、事前に加藤館長から伺っていましたが、実際にお寺を訪ねて、その伽藍の規模と格式に気圧されっぱなしでしたが、本坊でお会いした齋藤師は、とても御歳90歳には見えない凛とした静かな方でした。加藤館長を交え、しばし展覧会の構成などについて確認したのち、嵯峨野の山際に建つという画室へおじゃましました。

洋画家らしいモダンな空間には、立派な画集のコレクションと、大きな和紙に描かれたドローイングや、書の作品、そして長年使い込まれた画材が堆積し、仏僧の修行と並行して進められた、70年にも及ぶ創作の歴史を、シンと張り詰めた空気とともに物語っていました。壁面には現在制作中の巨大な曼荼羅風の抽象画が掛けられ、山形での新作展に、たいへん意欲的に取り組んでくださっている様子が伺えました。
その画風は軽妙かつ自由奔放。初期の作品はカルマ(業)をテーマにした、アバンギャルドな寓意画だったのですが、現在は天台声明の響きのように、寓意以前の色と光が、軽妙なリズムとともに、絵の中で延々と生動しているかのようです。
「このごろは何も考えずに筆を動かして、偶然生まれたり、消えたりする形のなかに、阿弥陀さんの姿を探しているような心持ちで描いているのです…」

加藤館長にもアドバイスをいただきながら、学生たちに見せるにはどのような作品がいいか打ち合わせた結果、画室から15点程、7階ギャラリー出展する作品を選ばせていただきました。その内容は1ヵ月後、山形でお目にかけます。展覧会の初日には、齋藤師に学生たちの前で書の公開制作をしていただく約束もとりつけました!

その夜は、お二人に連れられて生涯2度目の祇園へ。翌日は、春から京都精華大学の教授に就任した西雅秋さんと久しぶりの再会。

『SHINJO SAITO-一心觀佛-』
会期:2007年6月13日[水]〜6月28日[木]
開館時間:10:00〜18:00(日曜休館/入場無料)
会場:東北芸術工科大学7Fギャラリー 
企画:美術科洋画コース、美術館大学構想室
協力:京都極楽真上寺、山形美術館

開催記念講演+公開制作
「紙に点を打つところから」
日時:2007年6月13日[水]16:30〜18:00
会場:東北芸術工科大学7Fギャラリー

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)
■写真上:山形県大蔵村にある肘折温泉のお社。肘折温泉は約1200年ほど前の大同2年(807年)に発見されたと言われ、農作業の疲れを癒し、骨折や傷、神経などに効く湯治場として全国的に知られている。肘折温泉郷は大蔵村南部の山間にあり、月山を源にした銅山川の両岸に旅館が並ぶ。(ほとんど宮崎アニメの世界)
■写真中:川上にある源泉にて。温泉熱であたためられた卵形のドームに触れて眼を閉じているのは民俗学者の赤坂憲雄大学院長。赤坂先生が発起人となり、地元大蔵村出身の舞踏家・森繁哉教授(左)と、みかんぐみの竹内昌義准教授という、民俗学者+舞踏家+建築家という異色キャストで、1200年の歴史を誇る温泉街を舞台にしたアートプロジェクトを構想中なのです。右は肘折温泉郷振興株式会社の木村さん。
■写真下:温泉街の中心にある木造の旧郵便局。床のモザイクタイルがパリのカフェみたいでモダンです。プロジェクトのコアセンターとして利用できないかと思案中。
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【4月13日:大蔵村肘折温泉へ】
森繁哉先生とともに大蔵村の肘折温泉へ。両先生が民俗学者としてフィールドワークを続けて来たかの地で、「何か大学の制作活動とリンクするアートプロジェクトをコーディネートしてほしい」とのこと。
車で峠道をくねくね2時間。途中、次年子(じねご)蕎麦街道で美味しい寄り道をしつつ、月山の麓に佇む肘折温泉郷で赤坂憲雄先生と待ち合わせ。肘折ホテルの柿崎社長に、鄙びた温泉街を案内いただきました。

まるでつげ義春の漫画から抜け出たような町並は、古くから修験者の宿場や、長逗留する湯治専門の「秘湯」として、県内では有名ですが全国的には知る人ぞ知る存在。温泉街通りに連なる24軒の旅館には売店がなく、湯治客はめいめい浴衣姿で狭い路地を買い物袋を下げて行き交っているのが印象的でした。また、毎朝地の野菜や魚を並べる朝市が立ち、長逗留する客は旅館にある台所で調理するのだそうです。

ここでのプロジェクトは、肘折の開湯1200年を記念するお盆の火祭りに時期をあわせた、温泉場特有の景観のRe:Designになる予定。日本画コース卒業生が、和紙に描いた肘折の風景を、和?燭や照明を仕込んだ行灯などと組み合わせ、古き温泉場の夏の夜を美しくライトアップします。
照明のデザインは、「廻灯籠」をモデルに、建築・環境デザイン学科の竹内昌義准教授がゼミ生とともに設置計画も含めておこない、器具の制作は山形県工業技術センターを通して庄内の伝統工芸「組子」職人に協力を仰ぐ予定です。

『肘折温泉〈廻灯籠〉プロジェクト』
会期:2007年7月13日[金]ー8月17日[金]
共催:肘折温泉郷振興株式会社
監修:赤坂憲雄大学院長/森繁哉教授
企画・制作:建築・環境デザイン学科竹内ゼミ/美術科日本画コース(番場准教授)/美術館大学構想室
協力:肘折温泉開湯一千二百年祭実行委員会/野桜会/山形県工業技術センター庄内試験場

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)
■写真上:グラフィックデザイナー立花文穂さんから頂戴した、パリのSHISEIDO LA BEAUTEにおける立花さんの展覧会カタログ『本のなかに森がみえる』。
■写真下:栃木県立美術館の収蔵庫にて、本学の文化財保存修復研究センターが修復を受ける作品について打ち合わせ。彫刻の修復家として活躍する藤原徹教授(左)と、栃木県美学芸員の木村理恵子さん(右)。中央には舟越桂氏の初期の傑作「風をためて」と、奥にはイギリス現代美術の巨匠デヴィット・ナッシュの無骨な木彫群が見える。いずれも秋に芸工大で公開予定。
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芸工大周辺に植樹されている細身の「大山桜」は、見頃は過ぎたものの、キャンパスにはまだ少し桜色の余韻が漂っています。暖冬の影響か、ずるずると冷気を引きずっている山形では、未だに上着なしでは朝夕は辛いですが、学食の混雑と、新入生たちのフレッシュな装いに、すっかり卒展後の憑き物が落ち切った「春」を実感する毎日です。大学に残った僕たちも、再出発です。

さて、デザイン工学部に新しく着任された先生方の仕事を紹介する展覧会『New face at TUAD』が、先週クローズしました。マルチに活躍するアーティスト・中山ダイスケさんや、写真家・屋代敏博さんの教員就任は、コンテンポラリーアート界ではちょっとしたトピックスであるはずですが、肝心の芸工大関係者(学生+職員)がその事実に気がつくのはもう少し先でしょうか。
7名の先生方は、とても意欲的にショーに参加していただきました。学生の関心も高く、学内向けの展示のわりに、2週間で約1,700名の入場者数を記録しました。地元メディアの取材も多くて、僕も簡単な解説を依頼され、2回もテレビ出演しました。昨年、ちょうど同じ時期に松本哲男学長の大規模な個展『松本哲男展-鼓動する大地-』を開催し、こちらも大好評だったので、新春の「顔見せ」的企画展は恒例になりそうな予感です。
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今年度も美術館大学構想室は様々なプロジェクトに挑戦します。4月一杯は、出展交渉とスケジュール調整のため日本各地を飛び回っていました。2007年度のラインナップがほぼ確定してきたところで(詳細はおいおいメインHPにUPしますが)ここで、ここ最近の動きと年間のコンテンツを数回に分けて紹介しておきます。
まずは今年一番の目玉から。
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【4月10日東京・西村画廊】
日本橋の老舗現代美術ギャラリー西村画廊へ。秋の企画展にお招きする彫刻家の舟越桂さんと、美術館大学構想プロジェクトリーダーの酒井忠康先生、そして西村健治社長とミーティング。西村画廊でアルバイトをさせていただいたのはムサビ院生時代で、もう10年以上も前のことです。その後、4年間を過ごしたタイのバンコクでは、ギャラリー所属作家の小林孝亘さんにお世話になって、そして今、こうして「仕事」として西村社長にお会いできることに不思議なご縁を感じてしまいました。
舟越桂さんには、本プロジェクトの主旨(学生への教育的還元/地域に開かれた大学づくり)に共感いただき、「アイデンティティーの追求」をテーマに、なんと現在制作中で、2008年2月にNYのグリーンバーグギャラリーで発表予定の国内未発表作品5点を、先駆けて山形で出品してくださることになりました。そこにさらに、栃木県立美術館所蔵の初期の代表作2点と、作家所蔵の近作を加え、彫刻作品12〜15点の展観となります。この展示は、12月に京都造形芸術大学ギャラリーオーブにも巡回しますよ。

『舟越桂展 -他人の顔-(仮称)』
会期:2007年10月12日[金]〜11月10日[土]
開館時間:10:00〜18:00(会期中無休/入場無料)
会場:東北芸術工科大学7Fギャラリー

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それから、オレンジ色の高尾行中央線快速に乗り、西荻窪のカフェで、グラフィックデザイナー立花文穂さんにお会いする。立花さんには今年度のアーティスト・イン・レジデンス招聘作家として、山形で滞在制作をお願いするとともに、『舟越桂展』のグラフィックワークも手がけていただけることになりました。立花さん、舟越さんという魅力的なカップリングが実現するのなら、ついでに何か実験的なアートブックが出版できないかと、赤々舍代表の姫野希美さんと思案中。こちらもご期待ください。

『TUAD ARTIST IN RESIDENCE PROGRAM 2007 -立花文穂-』
期間:2007年10月12日[金]〜11月11日[日]
会場:東北芸術工科大学図書館2Fガレリアノルド

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【4月16日:栃木県立美術館へ】
保存修復学科の藤原徹教授とともに栃木県立美術館へ。文化財保存修復研究センターが修復を依頼された3点の彫刻作品の現状調査に同行しました。学芸員の木村恵理子さんにご案内いただき、休館中の館内を行ったり来たり。
栃木県美は今年収蔵庫の耐震補強工事を実施するため、工事期間中は、修復を受ける作品だけではなく、その他の彫刻もセンターの収蔵庫に預かることになりました。収蔵庫で舟越桂さんの初期の代表作2点に遭遇し、10月の舟越展と奇跡的なコミットが決定! そして、僕が敬愛してやまないデヴィット・ナッシュのコレクションも預かることになり、秋の展覧会は国内外の優れた木彫作品が山形に集まることになりました。

『栃木県立美術館所蔵彫刻コレクション展』
日時:2007年10月12日[金]〜11月11日[日]
会場:東北芸術工科大学図書館スタジオ144+ガレリア・ノルド、文化財保存修復センター4階展示室
出展作品:アンディー・ゴールズワージー(英)/神山明/清水九兵衛/デヴィット・ナッシュ(英)/ニアグ・ポール(英)/戸谷成雄/深井隆/ユン・ソンナム(韓)etc.


宮本武典(美術館大学構想室学芸員)
〈クリエイターズ・マイク〉…523名の出品学生全員が、作品の前で自作を解説するリレー形式のプレゼンテーション。全17会場を1本のマイクがめぐり、インタビュアーとの対話は本館1Fの大スクリーンに中継された。
■写真上:大勢の来館者が行き交うInformation Passage(情報回廊)でのライブ中継。
■写真中:総勢18名のカメラクルーがLANケーブル+PC +WEBカメラのセットで移動し続けた。
■写真下:523名へのインタビューは2名の美術科1年生・新津さん+諸岡さんが務めた。事前に各学科コースの特性や卒展までの取り組みに関する取材+勉強会を繰り返して本番に臨む真摯な姿勢に拍手。この企画の詳細は卒展ディレクターズHPで=http://gs.tuad.ac.jp/directors/index.php
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学生時代に読んだ武満徹のエッセイに、「ベートーベンの音楽は巨大な蛸」とのユニークな喩えがありました。長く太いたくさんの足で、いくつもの吸盤で、聴衆を圧倒し巻き込もうとする、渦のような音楽。その中心には、作曲家の強烈な存在感があります。
対して武満は、エリック・サティの曲を、聴くものの中に、それぞれの心の情景を喚起させるものだと語っています。聴者の感性を楽曲によって圧倒し、支配するのではなく、聴者自身の感受性を、密やかに導き出すものとして評価しています。
とりわけピアニスト・高橋悠治氏の弾くサティは、僕にとって特別な音楽です。そのメロディーは、日常の営みに漂っている密やかな何か、生にとって大切なものへの気付きを、今、自分が過ごしている部屋の情景から、導き出してくれるような気がします。
この感覚は、絵画ならポロックよりもサイ・トゥンブリ、ピカソよりもモランディ。見る人の内省の中で発生する光やリズムを感じさせてくれる筆致への共感に近いものです。世に名作と呼ばれる芸術作品と対峙する時、僕はいつも、この対比を思い出しています。それが巨大な蛸なのか、それとも僕自身の感動なのかを。

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卒展の期間中、本館1FのInformation Passageで放映されていたクリエイターズ・マイクは、サティの音楽のように、若い人たちのエネルギーへの、共感の姿勢を、訪れた大勢の方々の心情に喚起させていたように思いました。運営に携わった卒展ディレクターズのスタッフ18名は、523名をつなげていかなければならないという意識で、人と情報とシステムの、有機的で合理的な運動を見事に走り切りました。
マイクを向けられたインタビュイーは、自分自身を語っているのに、数百人の語りがその背後で一体となって、ザワザワと常に穏やかにつながっているように思えたのです。
映像メディアを媒体として、語ること。聞き出すこと。耳を澄ますこと。すべてを等価に扱うこと。等価のなかで差異を際立たせること。空間に声を反響させること。それら全体が一つの風景として伝わっていくこと。それが出会いを媒介していくこと…

(彼らがキャンパス全体を駆け巡って奏でた声と映像は、中継システム上の制約もあり、決してクリアではなかったので、本館を行き交う人々は映像内の彼・彼女と出会いたいのなら、足を止めて注視することが必要でした。ここでの情報は、人々を積極的に支配しない。声高に叫ばない。反応を強要しない。)

あくまで出品者一人一人に丁寧に対応し、気がつくとそれらは空間や観客やスタッフ自身も巻き込んだ大きな円環に帰結していく。この運動の結末に、スタッフ自身が大きな感動と充足感を感じていたようでした。

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同じく卒展期間中に各会場を巡回したギャラリートーク企画「カフェ@ラボ」においても、同様のコンセプトを設定しました。同じパッケージのなかで、多様性は多様性のまま、自由に批評を展開していきます。熱心な観者は、それぞれの言説のなかにある、「大学」や「教育」や「東北」にまつわる、ある共通の視点・提言・問題意識に気が付く。これが、同時代性の発見、世界とのリンクなのだと思います。
差異を認め合いつつ、つながってつながって、それがひとつの運動となって全体を共鳴させていく。音楽の喜びに似た、和音の感覚。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
■写真上:西雅秋氏の作品『彫刻風土・山形』のまわりで踊る舞踏家・森繁哉教授
■写真下:クライマックスで水上能舞台から池に飛び降りた森先生。この時、闇の中には学生スタッフが流木で木造船を叩く鈍い音が響き渡り、頭上には秋の名月がありました。
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一昨日、11月16日[木]をもって、7階ギャラリーの『西雅秋-彫刻風土-』展を終了しました。(本館1F周辺の展示は27日まで継続します)
西さんの作品は、サイズ、重量ともに大きな金属彫刻が中心のため、本学での滞在制作や展覧会設営には多くの困難が伴いましたが、大勢の学生スタッフに支えられ、タイトな準備日程ながら、当初の作品プランのスケール感を損なうことなく展示し、無事期間を全うすることができました。
本展運営にあたり、学生への周知や機材の貸し出しなどでご協力いただいた関係者の皆様には心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

今、西さんは上海での『〈With Sword〉Contemporary Art Exhibition(http://www.jingart55.com)』参加のため、山形で制作したシリコン型とともに中国に滞在しています。現地では7Fで展示されていた『デスマッチ-山形-』の中国バージョンを制作しているとのこと。
会場の撤収にあたって西さんは、作品『デスマッチ・山形』や『バルチック・テイスト』で積み上げた数百個にもおよぶ石膏パーツを「皆で分け合って、持ち帰ってほしい」との伝言を残して山形を去られました。
その旨、掲示やメールで周知したところ、16日の夜には大勢の方が拾いに集まり、大学の同僚たちも『バルチック・テイスト』のテーブルから西さんがバルト海沿岸諸国で収集したレーニンやスターリン、マルクスの石膏胸像を持ち帰っていきましたが、これらが事務局のデスクに並んでいる景色を想像してちょっと心配になりました。(笑)
人々が石膏の瓦礫の中から、めいめい気に入った石膏片を大事そうに箱や紙袋に詰めていく姿を眺めながら、僕はミレーの『落穂拾い』や、熊谷守一の『焼き場の帰り』といった絵画作品とその絵の背後にあるストーリーについて考えていました。家々に散らばっていったこれらのカタチたちは、棚や、机の上や、引き出しの中で、ゆっくりと時間をかけて、石膏の欠片に、カタチなき存在に還っていくことでしょう。
『彫刻風土』展制作にかけた西さんとスタッフの一ヶ月間は、最後には、いくつかの小さなダンボール箱に収まってしまいました。

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さて、もっとも大きな規模で展開した能舞台『伝統館』における西さんの彫刻作品についても、説明しておかなければ。
池に浮かぶ水上の舞台に、西さんが葉山の老漁師から譲り受けたという2艘の木造船(各5m)が置かれ、その中に石膏製の二宮金次郎像、卵、木魚、金精さま(木製の奉納男根)、砲弾、弁財天の頭、連座、梵鐘がたくさん積み上げられています。
オープン当初には整然と能舞台への渡り橋に並んでいたこれらの石膏像が、10月30日[月]の朝には、すべて木造船に暴力的といってもいい荒々しさで投げ込まれていたのですが、これは10月28日[土]の夕刻、『彫刻風土-時の溯上-』と題したパフォーマンスにおいて、西さんの彫刻と森繁哉教授の舞踏がコラボレーションした結果の景色なのです。
表現領域は違えど、里山に生き、その土地の風土と向き合いながら制作を続けるお二人の出会いは、今回のプログラムなかでももっともスリリングな空間を創出しました。
「西さんの作品は鑑賞するのではなく体感する作品だ。本番では観客席を排してお客さん自身も作品の中に取り込んでしまおう」という森繁哉教授の強い提案によって、公演当日は桟敷席を使用せず、133名の観客全員が「能舞台」に上がり、至近距離で西さんの彫刻と、森さんの舞踏の出会いに立ち合ったのでした。(公演の記録映像を、エントランス北側のプラズマテレビで27日まで放映しています)
頭からつま先まで真白な装いの森さんが舟から這い出して踊っていくにつれ、舟に満載された石膏像の白い小山は徐々に崩れていき、そのうちいくつかの欠片は、能舞台からこぼれ落ちて周囲の池に沈みました。路肩に積み上げられた小象ほどの山形の寝雪が、春の日差しを受けて徐々に溶け出し、路面を這って大地に染み入って消えていくように。
クライマックスでは、池に飛び込んだ森さんが、四国は足摺岬から黒潮に放たれた桂の大木(『colonist』の記録映像)に導かれるように、冷たい水の上をゆっくりと東へと進み、薄暮から漆黒へ、蔵王丘陵の夜の訪れとともに幕となりました。
大きな拍手とカーテンコール、感極まった西さんが森さんを抱えて石膏の中に一緒に倒れ込むというハプニングもありました。

この公演の前にこども劇場で開催されていたシンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち-詩・旅・思索-』で、1人の学生が「土地や風景から受ける神秘的な印象や体験を、どのように理解し消化すればいいのでしょうか」と質問したのに対して、詩人の吉増剛造氏が「イングランドには〈ghosty/ゴースティー〉っていう表現がある。的を得た、いい言葉だと思いませんか」と答えておられましたが、「奇跡のような一日」(※吉増氏談)となったこの夜の能舞台周辺は、まさに「Ghosty Night」と形容してもいい、この世の光景とは思えない場となっていました。

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石膏の粉に塗れていた7階ギャラリーでは、撤収と念入りなクリーニングによって元通り完全に〈empty〉な空間に戻り、今日からはまた、新しい展覧会『助手展2006』がはじまっています。飯能のアトリエに戻された彫刻群は、また土中に埋め戻され、次の展示機会までの束の間の眠りにつくことでしょう。
美の殿堂として名高いルーブルに展示されている名画や古代エジプトの彫像も、見方を変えると死者たちの視覚や触感の残像という、ある種の「幽霊的な存在」を眺めていると言えます。
そういう、近代以降の芸術作品や美術館における「永遠」の思想そのものに、批判的でいることが彫刻家・西雅秋氏の作品の本質なのだと、撤収を終えて、あらためて気付かされたのでした。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:朝日町立旧立木小学校の教室で発表された西さんの作品『余韻』は、本学建築学科生との共同制作となりました。撮影の視点が高いのは、廊下側に朝礼台が置かれ、来場者はその上に乗って、教室の高い窓から俯瞰して眺めるという設定ため。扉の閉ざされた教室の中では2人の学生がダイアローグ形式でおのおのの家族や学校にまつわる記憶の物語を、教室の床に石膏でトレースしていました。

■写真中:隣の教室では石膏の鋳込み作業を継続中。原型となるのは、朝日町のワインや林檎、冬瓜、この廃校に残されていた郷土玩具など。石膏に写し取られた「朝日町のカタチ」は、隣の教室に運ばれ、記憶の断片に組み込まれていく。

■写真下:廊下には西さんの棲む里山(埼玉県飯能市)で同様に廃校になった小学校におかれていた二宮金次郎像が佇んでいました。台座には古い鉄製の金庫が使われています。
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大地に落下した『CASTING IRON』が朝日町立木地区を賑していた一方で、旧立木小学校の校舎の中では、西雅秋さんと本学建築・環境デザイン学科生との共同制作による展覧会『彫刻風土-ASAHIMACHI'06-』が静かにオープンしていました。
学生たちと西さんが連夜の話し合いの末、生み出した作品は『余韻』。これは、オープン・スタジオ形式をとり、参加した学生一人一人が「家族・学校・記憶」の語り部となり、石膏のフィギアを用いて自らの物語を、円の中で「箱庭」のように客体化していく、というものです。
けれども、その小さな石膏像による箱庭は、次の語り部に移る前に取り外され、後には置かれていた「カタチ」の関係図が、失われた記憶の影のように、雪の模した石膏の粉によって教室の床にトレースされていきます。
取り去られていない石膏像は、語り部が「失ってしまいたくない」としてあえて残したもの。語りの内容は黒板に詳細に記述されていきますが、そのはじまりに西さんは「円の中心には、決してかえることはできない」と、くっきりと書いていました。

山形の展示会場では骨のような、軽く、鋭利な印象だった石膏は、ここではふわりと軽く、柔らかく空間に積もっていて、西さんは「何だか少し女性的で自分の作品じゃないみたいだ」と語っていましたが、廃校の教室で眺めるこの作品は、どこか哀しく、美しく、僕はとても好きでした。

作品は10月29日から雪が降り始める今月後半(11/27)まで展示されています。紅葉狩りを兼ねて、是非、朝日町立立木小学校を訪ねて、作品『余韻』の成り行きを見届けてください。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
(アクセスに関して詳しくは→http://www.tuad.ac.jp/asahi-a-gakko/)
写真上:山形で採集したカタチが石膏に鋳抜かれ、藁籠に盛られている。
写真下:宴の後。参加した人々のカタルシスが白い粉となって作品に定着した。
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11月5日日曜の早朝。既に山形からの帰路・東北道を走っている筈の西雅秋さんから思いがけず電話が入り「ちょっと窓から顔を出してみなよ」との呼びかけに応じて3階の部屋から慌てて視線を落としてみると、そこには一緒に山形じゅうを駆け巡ったダットラと、缶コーヒー片手に、いたずらっぽく笑う彫刻家の姿がありました。
紅葉燃え立つ朝日町旧立木小学校でのオープン・スタジオ終了後は、山形市には寄らずに、まっすぐ飯能の工房に帰る予定を遠回りし、西さんは妊娠後あまり経過のよくなかった家内の具合を心配して、大学近くの僕のマンションに来てくれたのです。
そして、かの地では地元の猟師さんたちとの連日の交歓で、熊や鹿、キジや猪、果てはダチョウまで、野趣に富んだ肉ばかリ食べさせられて腹の調子が悪いよと語りつつ、活力あふれる声で、弱気になっていた僕たち夫婦を励ましてくれたのでした。(家内と西さんの息子さんは、偶然にも同じ大学、同じ学科の同級生なのでした)
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彫刻家・西雅秋さんをお迎えして、連日100名を越える観客とともに進行した『西雅秋-彫刻風土-』展にまつわるプログラムも、彫刻家の次なるプロジェクト(11/19〜上海)への旅立ちとともに、熱を失ってしまいました。
けれども7階ギャラリーには彫刻家の格闘の残骸が散らばり、能舞台には2艘の舟が座礁し、朝日町の廃校には白い輪と、地表に沈み込んだ5tの鉄塊が、そこで何がおこなわれたのかを静かに語っています。
彫刻家が去っても、これらの遺物を頼りに、彼がこの地で何を造り、壊していったのか、そのアクションを想像することはできます。
10月24日から10月29日にかけて、西さんが用意したいくつかの神話的な光景に、毎回多くの人々が立ち合いましたが、この大学の総学生数は2000人です。目撃することにできなかった多くの学生諸君の為に、これより4回に分けて、このブログで補足説明をしていきたいと思います。
***
上の写真は10月24日夜に7階ギャラリーでおこなわれた非公開パフォーマンスです。山形での西さんの制作をサポートした学生・教職員約60名が、「彫刻の宴」に招かれ、作品『デスマッチ・山形』の「最後の仕上げ」に参加しました。
かつて養蚕に使われた藁の平籠に、西さんが山形滞在中に収集した野菜や果実、郷土玩具や、仏像やコケシ、金精様など信仰の造形が石膏で鋳抜かれ、「カタチ」に込められたさまざまな意味が渾然一体となって積み上げられています。
まるで巨大な亀の甲羅に盛られた古代インドの世界観のような、神聖さとキッチュさの共存する不思議な塚が7つ、ギャラリーの床に築かれ、招待客がそのまわりに円座を組みました。
西さんの「乾杯!」の合図とともに山盛りの石膏が次々と砕かれていきます。
歓声と、耳をつんざく破壊音が5分間響き渡って、再び西さんの「終わり!」との掛声が響き、一同が拍手のともに退場すると、その後には粉々になった石膏片が、恐いくらい静かな緊張感を、白い澱のように空間にたなびかせていました。
永遠に属する彫刻ではなく、一瞬の魂の高まりに懸ける「彫刻」への熱狂。
駅前や公園に立つ、厳めしい政治家の銅像や、ぬるりとした裸婦像や、金ぴかのモニュメントにおける「彫刻」とは明らかに異質で、むしろ伊勢神宮や、沖縄の御嶽、竜安寺の石庭にも通じる「なにも置かない」ことをギリギリまで研ぎすました、この国の文化でもっとも上質な地霊(ゲロウス・ニキ)へのアプローチを感じました。
彫刻家としては異端な、その感性が存分に発揮された、西さんによる初日のイベントでした。
その後は宮島達男副学長が(本物の)一升瓶を差し入れてくださり、しみじみと乾杯。秘密の宴は、その夜遅くまで。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員