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外国小説賞に輝いた大江健三郎 その人と作品

 

大江作品には、絶望と希望が普遍のテーマとして流れているが、時代を追って作品を見てみると、絶望の心境は徐々に変化している。新作『﨟たしアナベル・リイ』では、ヒロインは絶望の中にありつつも積極的に希望を求め、そしてついに探し当てた。

今年1月19日、大江氏は北京大学において、学生たちに向け「本当の小説とは、我らに向けての親密な手紙である」と題した講演会を行い、「奇妙な仕事」の執筆当時、「魯迅の作品から直接に影響を受けて、この青年の内面を作り上げていました。自分の小説の描く青年に、いますぐにでも『大きな希望と恐怖の悲鳴をあげる』ような内面を想定していたし、いまその小説を書いている自分こそがそのような青年だと考えていました。敗戦後の社会で、まだ戦争が終わってから13年しかたっていませんでした。はっきりした希望を持つことはできない。しかし、確かに、自分の行く末に希望を抱こうとしている」と考えていたことを語りました。

この中の魯迅の作品とは『呐喊』の中の「白光」で、なかなか試験に合格しない読書人陳士成が「大きな希望と恐怖の悲鳴を上げ」たあと、「西門から15里の湖」で溺死する話です。『奇妙な仕事』の中の大学生も、同じように希望を抱きつつも、犬殺しのアルバイトに応募します。最終的には騙されたばかりか、犬に自分の足をかまれてしまい、「ところが殺されるのは僕らの方だ」(出典:『大江健三郎小説1』18頁、新潮社、1996年刊)と気づくのです。

これらの絶望の心境は、このあと、1958年発表の長編小説『芽むしり 仔撃ち』の中の表現に鮮明に現れています。

今回の訪中で、大江氏は初めて北京市内の魯迅博物館を参観した。左は魯迅博物館の孫郁館長。館内にある魯迅故居にて

 魯迅文学賞を2回連続で受賞した経験をもつ作家の閻連科さん(左)と大江氏

「しかし僕には凶暴な村の人間たちから逃れ夜の森を走って自分に加えられる危害をさけるために、始めに何をすればよいかわからなかった。僕は自分に再び駈けはじめる力が残っているかどうかさえわからなかった。僕は疲れきり怒り狂って涙を流している。そして寒さと餓えにふるえている子供にすぎなかった。ふいに風がおこり、それはごく近くまで迫っている村人たちの足音を運んできた。僕は歯をかみしめて立ちあがり、より暗い樹枝のあいだ、より暗い草の茂みへむかって駆けこんだ」(『大江健三郎小説1』241頁、新潮社、1996年刊)

この初期の二作品『奇妙な仕事』と『芽むしり 仔撃ち』の中の「鉄の部屋」から出発した「大きな希望と恐怖の悲鳴をあげる」は、1979年に発表した長編小説『同時代ゲーム』では、身震いするほどの叫びを試みています。とくに「50日戦争」の間、四国の山奥に「村=国家=小宇宙」を造った人々は、長い戦いのあと、最終的には多くの村民の命が犠牲となりますが、未来と希望の象徴である数十名の子供たちが、無事脱出します。大江氏は、遠くない未来、彼らのような子供たちが絶望の黒い「鉄の部屋」から逃げ出すことができるかと考えています。

『おかしな二人組』三部作の中では、更にいろいろな方法を試しています。『取り替え子(チェンジリング)』では、ナイジェリアの詩人・劇作家でノーベル賞文学賞受賞者のウォーレ•ショインカ氏の言葉を次のように引用しています。

「もう死んでしまった者らのことは忘れよう、生きている者らのことすらも。あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ。」(出典:『取り替え子』342頁、講談社、2000年刊)

この言葉は、魯迅の『狂人日記』の最後のくだり『子供らを救え!』の悲鳴を連想させます。大江氏は明らかに、未来の象徴である「まだ生まれて来ない子供」が、もう「人が人を喰う」ような残酷な社会に出会わないよう望んでいます。

『憂い顔の童子』では、「妥協や妥協を望むことを知らず、次々と肉体や心に傷を抱える憂いの騎士、主人公古義人は、病院のベッドで深い昏迷に陥りながらも自分を傷つかせてくれたこの世界の和解と平和を祈ります。

北京大学講演会会場にて。北京大学の呉志攀副学長(右)、通訳を務めた北京大学日本語学部の翁家慧講師(左)

『さようなら、私の本よ!』(日本語版)のカバーの赤い帯には「絶望から始まる希望」と書かれています。これは魯迅の「絶望は虚妄だ。希望がそうであるように」に対しての新しい見解です。約50年前に発表した『奇妙な仕事』と比較すると、絶望の中で積極的に未来の希望を探し求め、ついに『﨟たしアナベル・リイ』では、星のきらめく天国にたどり着いて、絶望のうちにある人々に希望をもたらしました。

なぜなら、大江氏は、「魯迅が希望はあるのだ、と保証してくれていることではないか?」(『大江健三郎文学研究』10頁、天津百花文芸出版社、2008年刊)と深く信じており、また米国人の文学研究者エドワード・サイードが「世界の人間が、このままやってゆけるはずはないのだから、長い時がかかるにしても、パレスチナ問題は解決する」(同書11頁)とパレスチナ問題についても率直に発言しているからこそ、大江氏が魯迅文学に邂逅してからちょうど60年となる時期に、魯迅が底無しの絶望の中に探し求めても得なかった希望と光明を、とうとう『﨟たしアナベル・リイ』によって実現したのではないでしょうか。

 

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