ぴいぷる

【丹羽貞仁】父・大川橋蔵が導いてくれた“縁技”の道

2012.08.16


丹羽貞仁【拡大】

 東京・三越劇場で19日まで公演中の「明日の幸福」(原作・中野實、演出・石井ふく子)に新婚の息子・寿雄役で出演しているが、「この役は目標地点の一つとして追い続けてきたもの」という。

      ◇

 中学3年の時に俳優の父・大川橋蔵が55歳で亡くなるまで、京都で育った。父は家庭では一家だんらん、大勢での食事時間を好んだが、学校での出来事など2人の息子の話題に合わせることはなく、365日ずうっーと母・真理子を相手に撮影、役者、衣装、演出プランなど仕事の話ばかりしていた。

 そんな父に会いがてら、遊びがてら太秦の東映撮影所に出入り。幼少時から兄とともに日舞も習わされた。6歳のころに父の「銭形平次」の舞台に出たこともあったが、13歳まで子役を演じていた兄とは違って役者への特別な思い入れはまったくなく、普通に大学に行き、普通に就職するつもりだった。

 父が亡くなった後、一家で上京し、東京の高校に編入。標準語をしゃべりたい、友達が欲しいと思っていた時、プロダクションをやっていた親類から、若い人たちの勉強会に誘われた。そこでできた友人が松竹映画のオーディションを受けるというので一緒に参加した。

 映画の舞台は愛媛県松山市。関西弁を話せたため学生役で合格した。1988年8月公開の「ダウンタウン・ヒーローズ」(山田洋次監督)だ。教室の撮影シーンで親類筋にあたる主役の中村橋之助に「貞ちゃんだよね。何してるの?」と気づかれた。橋之助が山田監督に掛け合い、台詞のある役になった。

 スポーツ紙に「大川橋蔵の息子が映画出演」という見出しで掲載されたのが、かつて父とも仕事をしていた松竹の商業演劇プロデューサーの目に留まり、東京・新橋演舞場で行われる田村正和主演の「乾いて候」の天一坊役に抜擢された。田村とは以降、「新・恋山彦」などでも共演することになる。

 「乾いて候」で出会った綿引勝彦にはその後も親のように面倒を見てもらっている。綿引夫婦(妻は樫山文枝)と3人で海外旅行までする仲だ。田村の相手役の波乃久里子には新派の稽古場に頻繁に誘ってもらい、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」や「明日の幸福」など新派の舞台を見る機会も増えた。

 北大路欣也とは、フジテレビで北大路版「銭形平次」がスタートした時に同心役で出演したのが契機で、その後も数作で共演。主題歌を歌い、28年間、父の命日には欠かさず花を届けているという舟木一夫にも座長公演のたびに声をかけてもらい、舟木版「銭形平次」などで同じ舞台に立っている。

 「この世界に入ろうとは考えていませんでしたが、父の見えないご縁をいただいたのがきっかけで役者の道を歩ませていただいていると思っています。本当にありがたいことだと感謝しています」

 偉大なる俳優の“二世”であることを誇らしくさえ思っている。 

 “父の縁”が結ぶつながりの中で、ひときわ大切な人がプロデューサーで演出家の石井ふく子さん。2004年10月の公演「初蕾」(京都・南座)に出演したのが出会いで、「公演中に母に“ご子息をお預かりします”と言っていただき、以降、毎年必ず石井先生の舞台に呼んでいただいています」。

 石井さんは1作品ずつ舞台人としてステップアップさせるために演目を厳選してくれている。2年前の秋にはTBS系の「渡る世間は鬼ばかり」に長谷部力矢役で出演。今年は同局の「花嫁」や「金子みすゞ物語」にも呼ばれ、「テレビのお芝居の勉強もさせていただいています」。そしていま、「明日の幸福」の公演へとつながる−。

 「石井先生の演出らしく、『気持ちがいい作品だね』という香りが満載の作品になっています。先生の舞台はテーマがすごく見えやすく、溶け込みやすい。僕が先生の門下に入れていただいてから、この作品はキャスティングを変えて3回公演されていますが、寿雄役は絶対にやりたいと思っていました」 (ペン・大倉明 カメラ・大山実)

 ■にわ・さだひと 1969年5月3日、京都生まれ、43歳。故大川橋蔵の次男。明治大学政経学部在学中に「ダウンタウン・ヒーローズ」でデビュー。「女系家族」「リア王」「おしん」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」「女たちの忠臣蔵」「華岡青洲の妻」などの舞台のほか、「春日局」「かりん」「忠臣蔵」「渡る世間は鬼ばかり」「花嫁」などのテレビドラマに出演。9月17、24日にTBS系で2時間スペシャル「渡る世間は鬼ばかり」が前後編で放送予定。

       ◇ 

 「明日の幸福」は三越劇場の後、名古屋・名鉄ホール、山口・ルネッサ長門、福岡・福岡市民会館などでも公演予定。

 

注目情報(PR)