紅葉の錦 きぬ人ぞなき (2011.10.23)


 この話しは、拙のエッセイのどこかに載せていてダブルかもしれないが、
秋になった今、再び思い出したので書いてみる。

長崎生まれで、長崎育ちの私は、ここ熊本に始めて来た頃、
秋の紅葉スポットで有名な、菊池渓谷の紅葉を見たとき、
山全体を染めるその紅葉の色合い、
まさに ♪赤や黄色の 色さまざまに 水の上にも 織る錦・・・♪に感動した。


【 山々を彩る紅葉も素晴らしいが、水の上にも織りなされる錦も素晴らしい 】

平安時代、藤原公任(ふじわらのきんとう)が詠んだ和歌に、以下のような歌がある。

 
小倉山 嵐の風の寒ければ 紅葉の錦きぬ人ぞなき   

京都の北西部にある紅葉の名所、小倉山で・・・・
近くの嵐山方面から、そよそよと吹いてくる冷たい風で、紅葉の葉がはらはらと散り、
それが下を通っている白い着物を着た人の肩や、袖に降りかかり、
まるで最初から染め抜かれた着物を、みんな着ているようだ・・・・・
おおよそ そんな意味の歌だろうか。


【 白い着物に織り込まれる自然の錦・・・日本人の感覚とはかくも素晴らしきものなり。 】

私が注目したいのは、“紅葉の錦 きぬ人ぞなき” という表現である。
昔の人は、これほど感受性が豊かで、
こんな素晴らしい比喩ができるのか、という驚きである。

秋の紅葉の時期は、確かに吹く風は冷たく感じる。
しかし、紅葉を眺める人々には少しだけ陽射しもあり、
少しだけ秋晴れの温かく感じる風が、その紅葉を散らせてほしい・・・
そう思い、大変恐れ多いことではあるが、私なら、

 小倉山 嵐の風の さよ吹けば 紅葉の錦きぬ人ぞなき

と詠みたいものだ。
実は高校生の頃、古典の先生(一ノ瀬先生)から、
この和歌を教わったとき、とても感動した事を覚えている。
しかし何故か、私の記憶には “寒ければ” ではなく、なく、“さよ吹けば”と
間違ってインプットされたのである。
たぶん先生が解説されたであろう、「 京都の北西部にある紅葉の名所、
小倉山で、近くの嵐山方面から、そよそよと吹いてくる冷たい風で・・・・」
という言葉の、“そよそよ”を、“さよさよ”と、私が間違って聞き取ったのだろう。

“さよ吹く”という言葉は、辞書で調べても無い。
従ってこれは、私生語である。
私なりに定義付けると “秋が深まり、吹く風が冷たく感じる季節に吹く風のさまで、
                そよそよと吹く風のさまを “さよ吹く” という。”

それと、もうひとつ。
我が童謡コーラスグループ “気まぐれーズ”が、
近々、ある老人会から、童謡・唱歌コンサートの依頼を受けている。
その場で、季節がら ♪もみじ♪ という曲を歌う予定であり、
その前段で、以上のようなエピソードを紹介できればなあ とも思っている。


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