佐保姫とは

日本において、春を司るとされている神。

『古事記』の登場人物である
狭穂姫命とは無関係。

地名。





【概要】

春をつかさどる神。
元は佐保山の神霊とされていた。

佐保山は奈良の都の東にあり、五行説において春は東の方角にあたるところから、
春をつかどる神とされるようになった。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい
女性の姿をしていると考えられている。

「佐保姫」は春の季語であり和菓子の名前にも用いられている。

竜田山の神霊で、秋の女神である
「竜田姫」と対を成す女神。

竜田姫が裁縫や染めものを得意とする神であるため、対となる佐保姫も染めものや
機織を司る女神と位置づけられ古くから
信仰を集めている。

古来その絶景で名高い竜田山の紅葉は
竜田姫が染め、
佐保山を取り巻く薄衣のような春霞は
佐保姫が織り出すものと和歌に歌われる。
(Wikipediaから一部引用しています)















佐保姫



 
 

彼女は、古事記中でもっとも物語性が高いと言われる、「佐保彦の乱」のヒロインであります。
天皇の最愛の妃でありながら、それに刃向かった兄に殉じて戦火の中で果てた悲劇の妃と言われてきました。
しかしよく読んでみますと、まあ彼女の
強いこと強いこと。

一応あらすじをのべますと・・・。

佐保彦王は、
天皇の妃である妹、佐保姫に問うた。
「お前は兄の私と、夫の天皇と、
どちらがより愛しい?」

佐保姫は答えた。
「兄様が愛しゅうございます」

兄はそれを聞くと、
「お前が本当に私を大事に思うなら、
二人でこの世を治めよう」
といい、妹に小太刀を渡し、
それで天皇を殺すように命じた。

天皇は、佐保姫のひざを枕にして眠った。

佐保姫は兄との約束を果たそうと、
小太刀 を三度振り上げたが、

どうしても刺すことができず、逡巡する思いから涙を流した。
その涙は天皇の顔を濡らし、
目覚めた天皇は佐保姫 に問うた。

「佐保から現われた蛇が私の首をしめようとした。これはどういうわけだろうか?」
佐保姫はとうとう兄のたくらみを天皇に打ち明けた。
天皇はただちに軍を率いて佐保を攻めた。

佐保彦は稲の 城を築いて応戦し、間に立つことになった佐保姫は耐え切れずに天皇の王宮を飛び出し、兄の城に駆け込んだ。

佐保姫を愛していた天皇は、彼女が敵方に行ってしまったので攻撃することができず、闘いは膠着した。

このとき、佐保姫は身ごもっていた。

佐保姫は御子が生まれると、
「この御子を天皇の御子とお信じになるのでしたら、お育てください」
と天皇に伝えた。

天皇は佐保姫への思いは変わっておらず、
軍の中から選りすぐりの力士を選らんで、

「御子を取るとき、その母君をも奪い取れ。髪でも腕でも衣でも、手当たりしだいにつかんでひきずってまいれ」
と命じた。

しかしその命令を察していた佐保姫は、
髪をすべて剃り落とし、腕に腐らせた
玉の緒を巻きつけ、
酒で腐らせた衣をまとって、御子を抱いて力士たちの前に現われた。

力士たちは佐保姫の髪をつかんだら抜け落ちてしまい、腕をつかんでも玉の緒がちぎれるだけでつかめず、
衣をつかんでもすぐにやぶけてしまうので身はつかめず、
とうとう佐保姫を天皇のもとに連れ帰ることはできなかった。

佐保彦王の城が炎に包まれたとき、
天皇は城の外から佐保姫に呼びかけた。
「子どもの名は母君がつけるもの。
この子の名はどうしたらいい」

「母のあなたがいなくなったら、
誰がこの子を育てればいい」

「愛する妻のあなたがいなくなったら、
私は一体どうすればいい」

暗に佐保姫に、妃として自分のもとに帰るように求めた呼びかけだが、
佐保の女王はこれに応じず、ただ淡々と
天皇の言葉に対して一つ一つ具体的な指示を与えたのみであった。

「炎の中で産まれたこの御子は、
火内別(ホムツワケ)とお名づけなさい」

「乳母をお雇いなさい」

「私の異母姉妹たちを後添いにどうぞ」

そうして佐保彦王がついに討死にした時、
佐保姫も火に飛び込んで共に亡くなった。







題名は「佐保彦の乱」となっていますが、真の主人公は佐保姫といってさしつかえないでしょう。

佐保姫の心情、行動を軸にして、
この物語は展開していきます。

『古事記』を読むときには、一つ注意しなければならないことがあります。

それは、古事記が権力者側の正史として編まれたものだということです。

題名が「佐保彦の乱」となっているのも、反乱者たちの列伝として古事記の中に位置づけられているからでしょう。

ですから、天皇側にとって都合の悪いことは一切出てこないといってもいいわけです。

その分、ここでは佐保彦が悪者にされています。
書かれたものを漫然と読み流すと、
単に妹に迷惑かけ通しの馬鹿兄ちゃんになってしまいます。
天皇の妃であるとはどういうことか。

これをまず考えなければこの兄妹の心情、
行動ははっきりと見えません。

当時の豪族たちは、恭順の姿勢を示すために、一族の姫を天皇に差し出していました。
当然、天皇は複数の妃を持つことになります。妃という名の人質の群。
天皇は義務的に、彼女たちの元に通ったのでしょう。
愛情の有無は非常にうたがわしいところです。
それでも女たちは愛を求める。

後宮の中では日夜、妃たちの激しい嫉妬や争いが展開されたことでしょう。

しかし肝心の天皇は、誰も愛していないかもしれない。
女にとってはかなりの地獄です。

これに加えて、当時の家族制は現在と異なる、母系家族で成っていたことも視野に入れる必要があります。

天皇の妃は特別ですが、母親とその子どもたちは、一生一緒に暮らします。
娘は他家に嫁ぐことはなく、当然、息子も妻を家に入れることはありません。

当時の婚姻は、完全な通い婚でした。

男たちは自分の女の元に通い、女たちは生まれた家で彼らを迎えます。
姉妹が生んだ子の養育の費用や責任は、
姉妹の兄弟が負担します。

つまり、端的に言えば、男は現代の意味で
「子を持つ」ことはないと言ってもいいのです。
姉妹の子が自分の子となるのです。

同母のきょうだいの絆は、現代から見ると想像を絶するほど強いものだったのでしょう。

つまり佐保彦は、一生を共にするはずの
肉親を、権力者に強奪されたとも言えるのです。取り戻したいと思うのは自然の感情でしょう。


また、兄に対する愛だけでなく、佐保姫
本人にも、佐保の第一王女としての誇りと
自覚があったはずです。

当時の王族の統治は「ヒメヒコ政権」とも呼ばれていました。
ヒメ=姉妹が祭祀を司り、
ヒコ=兄弟が統治を行います。

つまり彼女は、自分が産まれた一族のためこれを代表して一族の氏神を祭る、
重大な役割を担っていたのです。

当時の第一王女とは、単なる王の娘ではなく、神に対する人間の代表であったのです。

特に彼ら兄妹の母は、強い祭祀の能力を持った名高い女王でした。
彼女の名は
「佐保大闇見戸メ
(サホノオオクラミトメ)」
と記されています。

戸メとは、特に身分の高い高貴な女性への尊称です。
一般的な王族の女性への尊称は姫ですが、当時は「比メ」と書かれていました。

戸メは比メに対しても非常に特別で、段違いに重要な女性にしか許されない尊称でした。
女帝でさえ、
「姫天皇(ひめすめらみこと)」と記され、戸メを使うことは許されていません。

佐保彦・佐保姫の母君がどれほど特別視された重要な女性であったか、名前を見るだけでもわかるのです。

佐保姫は、この偉大な母の、権威と力の
継承者として育てられていたのです。

そこら辺の、嫁がされるしか能がない
お姫様とは訳が違います。
(政略結婚も馬鹿には勤まらないそうですが;お姫様って大変~)

それを踏まえてみると、佐保姫の驚くべき決断力や行動力の強さが実に説得力を持ってきます。
彼女はまさに、生まれながらの女王であったのです。

娘が「嫁づけられる」存在ではなく、
家にとっても、国にとっても絶対的に必要な人員であった時代の、国を代表する家の、もっとも重要な娘であったのです。

ですから、「兄か夫か」で兄を選ぶのは、
母国統治の片腕同士としても、母系の時代の兄妹としてもごく自然なことです。

戦闘が始まったとき兄のもとに走ったのも、佐保の女王として母国の危機に駆けつけたと思えば、これもごく当たり前のことです。

彼女は、闘う兄と夫の間で泣いていた
悲劇の女性ではないのです。

捨て身の覚悟で、佐保の新女王として、
天皇の妃として、また産まれてくる子の母として何ができるか、何をすべきかを考え抜き、それを実行していたのです。
実に力強く、能動的に生きていた女性だったのです。

自分の母族の滅びの運命を悟ったとき、
最後の女王として兄王とともに死ぬ道を選びました。

しかし、それでも子どもだけは生かした。女王としての尊厳を守りながら我が子を
天皇の御子として安全な場所に届けるために、自分を力ずくで拉致しようとしている
力士たちの前に、下記のような装束でその身をさらしたのです。

・髪を剃り
髪を剃るんですよ⁉。
女王様がお妃様が。現代の普通の女性だってそんなことやりたくないでしょう。
実に思い切った行動です。

・ちぎれやすい玉の緒を巻き
腕輪やネックレスがちぎれるのは非常に
不吉なことで、わざわざそんな細工をするのは常識ではとても有り得ないことです。
佐保姫の強く激しい気性と覚悟がよく見えます。

・ちぎれやすくした衣をまとい
衣をびりびりさかれる覚悟で荒くれ者たちの前に出たんですよ。
赤ちゃん抱えた王族の女性が。
(引き続き)現代の普通の女性だって、
それこそ死ぬほどやでしょう。

どれを取っても常識はずれの範疇を超えた、誰もが想像を絶するような、あまりにも思い切った行動です。
なんと激しい血のうねり。
誰がこれを手弱女と呼ぶ気になりましょうか。
狼狽し、慌てふためく歴戦の戦士たちをしりめに、ところどころやぶれた、
それでも豪奢な衣装を翻して、燃える城の中に戻って行く佐保の女王の姿が目に浮かぶようです。

最後の気がかりであった子どもを夫方に渡して、佐保姫はついに兄王とともに滅びの時を迎えます。


この佐保の滅びを境にして、
同母の兄妹の絆で成り立つヒメヒコ政権は
失われ、時代は天皇中心国家に向けて動きだしたと言われています。




本足跡




花









日本の和菓子♪…って、ホント、素敵


春の和菓子「佐保姫」花

もちろん、「竜田姫」もある♪。。















佐保姫の 糸染め掛くる青柳を


吹きな乱りそ 春の山風

平兼盛『詞花集』



(佐保姫が染めた糸を掛けた柳の枝を吹き乱さないでおくれ春の山風よ)

ここでは柳の瑞々しい若葉を
佐保姫の染めた糸にたとえている。









佐保姫の 霞の衣ぬきをうすみ


花の錦を たちやかさねむ

後鳥羽院『後鳥羽院御集』



(佐保姫の霞の衣は横糸が少ない
(薄織りにしている)ので、
花でできた錦を重ね着するのだろうか)

ここでは春霞を
軽くやわらかな薄織りの絹に譬えている。


























。。花


3月。。弥生。。桜

。。。ラヴねこやんWハート3キラキラキラキラキラキラ木nya-*