【激変3.12②】中央線快速、八高線乗り入れ廃止(箱根ケ崎行き編) | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

首都圏の3月12日ダイヤ改正による激変案件はまだあった。
それも、自分の日常利用エリアである中央・青梅線界隈に。

今回のダイヤ改正では、八高線八王子〜高麗川間および川越線の川越(一部南古谷)〜高麗川間で
相模線と同様にワンマン運転が開始されることが発表されていた。

これに伴い、八高線電化以来26年続いていた東京発着の八高線直通電車が廃止。

同時に、東京〜拝島間を併結運転していたホリデー快速以外の五日市線直通電車も廃止された。

かつては青梅線経由で立川に発着する直通電車もあったが既に廃止されており、八高線へは全てが

八王子または拝島で乗り換えていくように改められた。


中央線快速からの高麗川直通が誕生したのは、八高線電化と同時だったので高校通学中の頃。
部活が活動時間一杯で終わった時は、少し待って高麗川行きに乗って帰るのが楽しみだった時期が
あったので、高麗川行きという行き先表示の消滅に対して多少感慨深い思いを持っている。
また、箱根ケ崎行きという表示も武蔵村山と縁浅からぬ自分にとって感慨深く、2008年春の改正で
登場した頃に201系に準備されていた幕を撮りたくて動いてはみたが、既に201系は分割運用から
ほぼ撤退していた時期で、結局撮れずーといった記憶もあった。

ただ、その記録は専ら東京寄りばかりで、地元より西になると帰宅するにはちょっと遅い…という
微妙なダイヤ設定の妙には、最後の最後まで惑わされることになった。
特に昨年春以降は、仕事先が青梅線沿線になっているのだが…

箱根ケ崎行きを撮るには少し帰りが遅く、高麗川行きを撮るには帰る時間に対して結構早い。

そんな絶妙かつ微妙な退勤時間に翻弄され、撮らないまま推移。
少し踏ん張ればなんとかなったかもしれないが、日々の業務疲れが優先順位を大きく下げていた。
また、毎日必ず使っているE233系ということも、敬遠に拍車をかけてしまっていた。
かくして、ようやく撮る気になったのは3月に入ってからであった。

3月4日金曜日。
昼に三鷹で舞台観劇を終えた後にまた都内をふらつき、東京駅から箱根ケ崎行きに乗った。
東京駅からの八高線直通最末期は…

平 日
17:57  快速武蔵五日市・箱根ケ崎
19:25  通勤快速武蔵五日市・高麗川

土休日
19:17  快速武蔵五日市・高麗川

先述通り2008年春に箱根ケ崎行きが増発されたのと、2019年春に平日の武蔵五日市・高麗川行きが
通勤快速化された以外は、基本的なダイヤはほとんど変わらずに推移していた。
実際は下り基準で言うと前4両が八高線方面、後6両が五日市線方面になるのだが、時刻表上では
6両編成の行先を頭につける慣習があるため「五箱」「五麗」の表示が最後まで見られた。
ちなみに、6両と4両の連結位置が逆転したのはE233系が導入されてからである。

廃止一週間前。
東京駅に立つと、やはり同じ目的の人がカメラを向ける姿が見られた。

もっとも、そもそもコロナ禍以降通勤利用客が減っているからか、いざ鉄道趣味人が増えたとこで
そこまで目鯨立てるほどでもなかったのは、これまでと違って幸いではあったが。
ただ、やっぱり車内で撮っているのは目立つんだよねw

行先表示のLEDは、撮影の仕方云々よりもそもそも少々色がボヤけ気味だったか?
編成によってLEDの状態に左右されるのは経年もあろうが、幕の時とそんな変わらないのかな。

ちなみに201系でも「箱根ケ崎」幕は用意されていたが、実営業では結局使われなかったらしい。

分割運転ならではの情報案内装置の車内表示類。
さすがに動画で撮る気にはならなかったが、音声案内も独特な言い回しであった。

中野から先は快速表示も消え、前後のみ二層表示で行先を示した。

こういった部分は、LED表示の柔軟さを示す良い使い方の例であった。
もっとも、東武鉄道の6050系みたいに幕で三段表示をしていた例もあったがw

平日のみ見れたこの行先。
ただ、箱根という行き先に誘われ温泉に行こうとした人が間違えたとは聞いたことはなかったがw
ここのとこ箱根に行く機会が多かった自分は、妙に反応してしまった。

そして時間は進み、拝島で分割。
自動解結装置を装備していたからそのまま発車もできたかもしれないが、丁寧に後部6両のドアを
一旦閉扉し、少々後退して切り離して再開扉する方法を取っていた。
このプロセスは熱海での特急「踊り子」と同じであり、ギリギリまで誤乗防止を呼びかけ目的地へ
誘導する意味合いも多分にあったのではなかろうか。

分割してほどなく、前面のLEDもそれぞれの行先表示に切り替わった。
拝島駅1番ホームの分割位置は階段付近と比べて幅が狭く、ただでさえ分割作業は注目されがちな
ものが廃止前にさらに増えたため、一般客からは苦情が多くなっていたようである。

19:10、先に箱根ケ崎行きが発車。
拝島駅西側のポイントを大横断して八高線に入っていた。
復路の朝の東京行きを含めて、わざわざ1番線に入って分割併合しなくても…と思っていたのだが
青梅線はいまや主要通勤路線の一つであり、さりとて拝島の青梅線ホームは1面2線しかないことも
相俟ってわざわざ1番線を使用せざるを得なかったのだろうし、また4両と6両の連結位置が逆転し
4両の“逃げ場”が無くなったために、わざわざ箱根ケ崎行きを設定していたのだろうか。
実際、箱根ケ崎到着後は折り返し拝島行きとなり、拝島到着後は電留線入庫となっていた。
今となっては推測の域を出ないが、そんな苦心を払いながら毎日直通電車は走っていた。

ただ、乗車した日は金曜日ながら通勤利用と見られる人はさほど多くなかった印象を持った。
そのことから、直通需要はさほど無いとも判断されたゆえの廃止なのかもしれない。

そんなことを思いながら、八高線内約10分のミニトリップ。
定期だった割に、自分にとって八高線をE233系を利用するのは非日常な体験であった。

箱根ケ崎駅では2番線に到着。
約5分ほどで直接折り返しとなった。

この風景も、3月11日をもって遠い過去となった。

…もっとも、これで区切るのはまだ早い。
もともとの源流を乗り納めておかねば、モヤモヤは消えない。
そんなことから、翌週の仕事帰りにもうひと足掻き仕掛けることとなる。