自粛中、図書館も閉鎖していた間に、時代劇俳優の本を読んでみようと思いはじめ、うずうずしておりまして、図書館が再開してから借りました


本人が書いた俳優になった道のりと俳優人生、奥さん・息子と家族が月形氏について書いたもの、日記、本人が読んだ俳句、一緒に仕事をしていた方々等のインタビューなど、よくぞこれだけのと思うボリューム
息子哲之介氏も晩年で、生きている間によくぞこのこの本に携わってくださった


wikiに載っているのはこの写真ですが、

この本にはこんなカッコいい写真が
wikiの写真を見たときは、普段はこんなもんか〜となんの気なく失礼なことを思っていたのですが、wikiのものは若いころの写真で、年齢いってかっこよくなったんだなと思います
仕事が人を作るってこのことを言うんだと思った

時代劇の扮装を見ていて、貫禄はありますが見た目をカッコいい、と思ったことは別に無かったんですが、この写真はカッコいい
時代劇であんなに出来上がった仕上がりなのに、時代劇より普段の状態のほうがカッコいいと思う人はほかにいないように思います

そういえばじいさんの役をやりながらも髪の黒い役はやられていたので、この写真でもわかるようにじいさんは似合っていたけど老け顔ではないという

髪の黒い役をやりながらじいさん役が似合うこの方の貫禄は、千恵さん右太さんにたち同時代のスターと同じく、江戸時代に近い時代、江戸時代のものが色濃く残っていた時代に生まれ育った人だから持ってるものだと単純に思っていたのですが、、、

この本で月形氏本人が語る幼年期には、叔父の家に養子に出て、その叔父という人は一代で北海道の4分の一の勢力を握ったとかいう身体じゅう刀や槍の傷だらけの人で、また養母は礼儀作法の躾が厳しく、養母の三味線で太閤記を語らされたりーーといったことを書いていますが、もうこれだけでも時代劇の登場人物のような環境です……

少年期は養父の経営していた劇場と生家が立て続けにに火事に見舞われて、ショックからか学校を辞めて酒屋、呉服屋にと奉公に。そのときに学問に目覚めて、結局東京の中学に入学
武道が盛んな学校で、剣道がものすごく上達。道場破りのなることもして
でもその中学も辞めさせられて研究室とか工場の助手になったりした末に、いいとこのお嬢さん、のちの奥さまと京都に駆け落ちーーー

と、時代劇で出て来る話を一通りやってるいるかのような……それであの役の幅の広さ。納得出来すぎて恐れ入ります……

また、自身の性格について、子供のころから大変な癇癪持ちだった、とのことで、

いい家の坊ちゃんだったので近所の子供にしょっちゅう意地悪をされていたけど、あるときにガキ大将に泣かされて仕返しに、その子の家の畑の大根だかを抜き
養母に凄く叱られてましたが詫びに行かされても一つ頭を下げて逃げた、ということがあったというのですが、
これが小学校に上がる前の話だというのが驚くところーーー
小学校に上がれば、今はいないでしょう、忘れ物に怒った若い教師が子供たちの手を机の上に並べさせて鞭で打つということがあって、「もう授業はやらない、表へ出て好きにしろ!」と怒鳴って、それでもどんどん威張っていく教師に爆発して、「先生が言うんだから!」と先頭に立って校庭に飛び出して鉄棒、ブランコと散々遊んだ、とーーーあとで呼び出しを受けて、むしろ褒められたとのことですが、カッコいいーーー

もうすでに水戸黄門や平手政秀を演じる人物が完成しているように思えます……


このエピソードを知ってからこの顔を見ると、普段静かでいて、突然癇癪で怒鳴りそうに感じます……


驚くことばかりの内容ですが、内容だけでなく驚くのは、その文章の上手さ
そのへんの作家よりずっと上手いと思えます
無駄なことがないというのか……
さらにこの文章が書かれたのは昭和31年で、このころの文章って新聞とかてわも昔の書き方みたいな感じでわかりにくい文章であることが一般的なように思うんですが、これが全くない
この章の次に、奥さんが書いた「想い出の記」の章があり、こちらは実に「昔の人の文章」の典型的な感じで、ところどころわかりにくいというかわからないところがあります…
また後に収録されている、「日記」の文章は、「なり」とか「ならぬ」とか昔風の文章で、わかりにくいところが多いんですが、だからこそ読みやすい文章を書き分けられているのがすごい

その後の役者になっていった経緯、役者になってからの経緯が実に詳しく書かれますが、映画史に残る人たちの名前とともに、凄いエピソードがたくさん出て来るのですがーーー

この章の次の章に収録される奥さんの書いた話には、月形氏が牧野省三氏の娘でのちに長門裕之・津川雅彦兄弟の母となるマキノ智子氏との間に一子をもうけた歴史的事実が書かれているんですが、本人のほうには書かれておらずーーー

はじめ、黒歴史なることは単に書きたくないだけじゃないかと思っていたんですがーーー

もう一度読み返してみると、そもそもプライベートのこと、家庭のことはあまり書いていないことに気づきました
個人名を出して想い出やその人の評価を語っている人は、いずれも当時すでに故人となっていた人ばかり
同業の俳優仲間については、同期にこういう人がいた、とかで名前が出て来るくらい
千恵さん右太さん、また中村錦之助氏はじめ、当時若いスターたちとも共演しまくっていれば、並大抵の人だったら、彼らのことなんか機会があれば絶対語りたくなると思うんです(私はそう)

他人のことを語ることは、それによってその人の人生に影響する可能性があることをもしかしたら配慮したんじゃないかと思いましたーー
だからマキノ智子さんのことも書かなかったのかも長門・津川兄弟も巻き込んでしまいますもんね

生まれたばかりの次男を亡くしてしまっていることも本人は書いていませんが、これも奥さんのこともありますものね

詳しく語っている人物は、直木賞の直木三十五氏
どうしても必要なお金を頼んだら、黙って出て行って自慢しまくっている車を売って来てそのお金をくれたという凄い話
そして妻さん(阪東妻三郎)のこと
どこが凄いとかあまり具体的には書いてないのですが、なんだかわかり切っていることだからあえて書いていないという感じします
妻さんのような俳優は100年に一度、あるいは二度と現れないだろうと結んでいる

月形龍之介ほどの俳優がそんなことを思ってると知ったら、「今の俳優がダメだ」とかいう意見を聞くと、ほんとに馬鹿らしくなります



男性で立派な人は、その奥さんとなった方もまた立派であることが多いですが、

駆け落ちして夫の仕事に合わせて日銭を稼いだり夫の仕事を手伝った月形氏の奥さまは、マキノ智子さんと不倫のときに、マキノ家に赴いて自分が身を引くと申し出に行ったのだというほんとうに立派な方

旧家でお金もあった家のお嬢さまが耐えられるとは思えないひもじく大変な暮らしぶりを見事に達成し、
それも、みんなが同じ苦しさだった戦争中が一番気が楽だった、との驚きの言葉

息子の哲之助さんは馬に乗れたり俳優として実力はあったみたいですが、わたしが知っているのは月形版水戸黄門で配役にちょろっと名前が出て来ているぐらいーー
晩年入院ばかりだった龍之介氏のTVドラマ出演は顔を映さない場面などはほとんど父に代わって映ったということで、それが俳優の仕事の中での一番大きな仕事となったから、龍之介氏が亡くなったあと自然と芝居をやることにならなくなったのかもしれないーーー
映画が好きでノートに感想とかを書き留めていたということからか、この人も文章が上手い
そして若い時の写真、水戸黄門やるころの顔になる前の親父そっくり。言い出したら聞かない性格とか、哲之助氏が結婚したい言ったときも、「何年か付き合って収入が安定してからでどうだ」となんの落ち度もない龍之介氏の言葉にキレて家に帰らなくなった…とかいうところも似ているよう



関係者インタビューの章では、月形氏は付き人には女性を選んでいたというようなことが書いてあって、
元業界の人が「あの人相当好きだよ…」という噂を聞いていたというので、まさか…とかちょっと思いましたが、
その付き人の人のインタビューを読んでくとそんなことは無いようで、ただ単に女性のほうがいいという理由のよう

そういえばお殿さまの世話をするのは腰元という女性陣だと思い出し、やっぱり時代劇の登場人物のような人


晩年、入院ばかりだった中、ある日家から病院に行くとき、今までお世話になったというような言葉を奥さんに残したあと再び入院した病院で、カステラが欲しいと言って食べさせてもらったカステラで窒息して亡くなってしまったとの話でしたがーー

その窒息は次男と同じ亡くなり方だったそうでーーー

また俳優になり始め、旅回りをしていたころ、心臓脚気になって入院したとき、死神が寝ている自分に足から黒い布を掛けて来たのでぶん殴ったということがあり、
あとで、月形氏がいたその病室で助かった患者はいなかったという話を聞いたーーーという……

凄すぎる。ほんとに凄すぎるっ