清岡卓行詩集『氷った焔』(昭和34年/1959年)より) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

清岡卓行詩集『氷った焔』
昭和34年(1959年)2月・書肆ユリイカ刊
清岡卓行・大正11年(1922年)生~平成18年(2006年)没
 今回ご紹介するのは清岡卓行(1922-2006)の第一詩集からの2篇で、うち「石膏」は戦後の恋愛詩のなかで最高の一篇と賞される作品です。やはり詩誌「ユリイカ」に依った戦後俳句の森澄雄(1919-2010)の代表句、

除夜の妻白鳥のごと湯浴びせり
 (句集『雪礫』昭和24年=1949年)

 のように奥さんを詠ったものですが、森澄雄の俳句同様に夫人を徹底して神聖化しており、文句あるなら前に出ろというくらいの迫力があります。清岡卓行は大連生まれの詩人で、萩原朔太郎・金子光晴に傾倒し、ランボーとシュルレアリスムの研究家でもあった人でした。詩人としてのデビューの前に学友・原口統三の遺稿集『二十歳のエチュード』を編纂し、書肆ユリイカのベストセラーにした伝説的存在であり、戦後にデビューした詩人ではもっとも早くシュルレアリスムを咀嚼し、継承した人でもありました。それは今回ご紹介するもう1篇の「愉快なシネカメラ」に表れていますが、清岡卓行は大学在学中から日本野球連盟で働き、セ・リーグの試合日程編成担当として多忙な職に就いていたので、20代からの詩作を集めた大冊の第一詩集『氷った焔』は37歳の時の刊行と詩集をまとめるのが遅かった詩人でした。42歳でフランス文学科の大学教授の職に就いてからは詩集の刊行ペースも順調になり、一冊の詩集で「石膏」と「愉快なシネカメラ」ほど異なる作風の詩が含まれるほどの振幅は少なくなり、より落ちついた作風に変化します。戦後詩の第一世代と言うべき「荒地」が英文学系、「列島」が社会主義系の詩人グループだったのに対して、第二世代と目せる「ユリイカ」を中心とした詩人グループはフランス文学系だったのも清岡卓行が主導的詩人だったことによります。清岡卓行は小説家としても知られ、晩年の大作『マロニエの花が言った』(平成11年/1999年刊)は大戦間のパリにおける日本の芸術家群像を描いて自身の芸術観の総決算とし、大きな反響を呼び数々の文学賞を受賞しました。ご紹介する第一詩集『氷った焔』からの「石膏」は、抒情的な恋愛詩というより、むしろはっきり性行為を詠った性愛詩になっているので、そうした詩法も戦後の現代詩ならではの手法として初めて開拓されたものでした。また「愉快なシネカメラ」に見られる多忙な日常のシュルレアリスム化も戦前のモダニズム詩より堅実な生活感によるもののです。しかしこの手放しの恋愛讃歌や日常生活の謳歌がもとづく現実肯定感は、確かにその直接性と私的感覚こそ鮮やかであれ、性愛や職業的日常という普遍的なようでいてごく狭い充実した体験の中でしか成立しないのではないか、という疑問も抱かせます。これらの詩は一見日常的な「愉快なシネカメラ」でさえも特権的な詩的感覚のみによって成立し、「詩ではないもの」を巧みに排除しています。つまり「石膏」も「愉快なシネカメラ」も詩の題材に対して堅固な現実感があり、それを詩にすることに屈折はないのです。それが常に詩ではないものとの相克にさらされた「荒地」や「列島」の詩人たちのひりひりとした現実感とこの詩を分けているとも言えるような感想も抱かせます。

 石膏

氷りつくように白い裸像が
ぼくの夢に吊されていた

その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた

悲しみにあふれたぼくの眼に
その顔は見おぼえがあった

ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ


色盲の紅いきみのくちびるに
ひびきははじめてためらい

白痴の澄んだきみのひとみに
かげははじめてただよい

涯しらぬ遠い時刻に
きみの生涯を告げる鐘が鳴る

石膏のこごえたきみのひかがみ
そこにざわめく死の群のあがき


きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を

ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを

迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで


石膏の皮膚をやぶる血の洪水
針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭

石膏の均整をおかす焔の循環
獣の舌で星を舐め取る きよらかなその暗涙

ざわめく死の群の輪舞のなかで
きみと宇宙をぼくに一致せしめる
最初の そして 涯しらぬ夜


 愉快なシネカメラ

かれは目をとじて地図にピストルをぶっぱなし
穴のあいた都会の穴の中で暮す
かれは朝のレストランで自分の食事を忘れ
近くの席の ひとりで悲しんでいる女の
口の中へ入れられたビフテキを追跡する
かれは町が半世紀ぶりで洪水になると
水面からやっと顔を突き出している屋根の上の
吠える犬のそのまた尻尾のさきを写す
しかし かれは日頃の動物園で気ばらしができない
檻からは遠い とある倉庫の闇の奥で
銅製の猛獣たちにやさしく面会するのだ。
だからかれは わざわざ戦争の廃墟の真昼間
その上を飛ぶ生き物のような最新の兵器を仰ぐ
かれは競技場で 黒人ティームが
白人ティームに勝つバスケット・ボールの試合を
またそれを眺める黄色人の観客を感嘆して眺める
そしてかれは 濁った河に浮かんでいる
恋人たちの清らかな抱擁を間近に覗き込む
かれは夕暮の場末で親を探し求める子供が
群衆の中にまぎれこんでしまうのを茫然と見送る
かれにはゆっくりとしゃべる閑がない
かれは夜 友人のベッドで眠ってから
寝言でストーリーをつくる

(詩集『氷った焔』昭和34年/1959年2月・書肆ユリイカ刊より)

(旧記事を手直しし、再掲載しました)