エヴァンゲリオンという

アニメがあって、

友人に勧められて見たことがあるのですが、

 

・・・よくわかんねぇ、、

と思ったことを覚えています。笑

 

どうやら、

聖書?に基づいているのか、

使途やら、生命の樹やら出てきます。

 

 

上のところは、

アニメで覚醒が起きるところですが、

主人公の乗っている機体が、

カバラの生命の樹でいうダアトの

ところにあります。

 

 

(画像はネットから拾ってきました。)

 

 

 

 

ダアトは、たしか隠された神秘体験で、

それをもって、上の領域(3つの丸、三角形)に

行くと思います。

 

※ミスってたよ。。。

セフィロトの木逆だから、ティフェレットだった。。

 

 

ただ、カバラの本は、

あまり読んでいないので、

詳しくは知りません。

 

カバラには、アダムカドモン(原初の人間・神人間)

という考え方があって、

宇宙を巨大な人に例えるというか、

そんな感じなのですが、

そんなのが出てきたりもします。

 

 

 

 

 

 

エヴァは

よくわかんないのですが、

 

カバラが目指すところと言えば、

顔が顔を見合わせる。

 

ヒトである存在と

ソノホカである存在が

顔を合わせるその瞬間(覚醒)

なのかなと思います。

 

ちなみに、アニメの最後は、

主人公が、自問自答をし、

自分に出会うところで

終わりになっています。

 

 

 

なので、

エヴァンゲリオン(エウアンゲリオン:福音の意)は、

人類に存在の本質を

提示するアニメを目指したもの

かもしれません。

 

 

 

エヴァンゲリオンという身体に、

主人公という魂が乗って、

身体と、魂と、世界の一体化を

目指す 物語なのかもしれません。

 

そこで、知識だけで行くと、

一体化とは、

単一の生き物になること と

勘違いしますが、、

 

 

本当は、原初よりずっとある、

ソレとの合一だと思います。

 

エヴァンゲリオンのアニメの中では、

みんなの心の壁と形がなくなって

1つになることが表現されていましたが、

 

実際は、心の壁と

身体をもったまま

すべてとの合一は済まされ

 

なぜなら、すべて というものが、

肉体から遠く離れたもの ではなくて、

 

この世界の創造もすべて含めたすべて

に内在するあるものを共有しているからです。

 

 

なので、危険はないわけです。

 

 

なぜなら、

合一を果たすために、

自分が自分ならざるもの 

 

になる必要はなく、

 

その自分ならざるものになったという

高尚な意識と、自分のそれまで

をわけることもなく

 

それをも含めたすべてだからです。

 

 

いずれ、新しい劇場版が

出るかとは思いますが、

できれば、

 

個人的には、、、

人間(人類)の覚醒には、

危険が無いことが

表現されればなと思います。

 

 

 

そういうわけで、

エヴァンゲリオンは、

カバラから見れば、

よくわかることも多いのかもしれません。

 

しかし、

その部分的な要素というよりかは、

カバラが本当に目指したものソレ自信に

目を向けるとき、

もっとわかることがあるのかもしれません。

 

 

 

ちなみに、一説によると、

日本の神社もカバラ的な配置になっており、

原始キリスト教の影響があるのではないか?

とも言われます。

 

伊勢神宮も 心御柱(しんのみはしら)が

地中に隠されており、3つの木を1つに

まとめてあるらしいです。

 

それは、日本でいえば、

造化三神(アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビ)

です。

 

カバラでいうと、

アイン、アインソフ、アインソフオールという

名前で呼ばれる三神です。

 

 

しかし、、

カバラの奥深くにあるものに

触れたいのなら、

こういう構造的な理解を

超えていかなければならないの

かもしれません。

 

 

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カバラ

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

カバラקַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、

カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。

 

ユダヤのラビたちによる、キリスト教でいわゆる『旧約聖書』の伝統的、神秘的解釈による神智学であり、

中世後期、ルネサンスのキリスト教神学者に強い影響をおよぼした。

独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である

密教との類似性を指摘されることがある。

 

伝説では、アブラハムメルキゼデクから伝授された天界の秘密だとも、

モーセ律法(トーラー)に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいう。

しかし、3世紀から6世紀頃に始まり、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされる。

 

カバラでは世界の創造を神エイン・ソフからの聖性の10段階にわたる流出の過程と考え、

その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈をする。

 

この過程は10個の「球」と22本の「小径」から構成される

生命の樹セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、

その部分部分に神の属性が反映されている。 

 

したがってカバラは一神教でありながら多神教汎神論に近い世界観を持つ。

別の解釈ではこの世界を一冊の書物とみなす。

 

すべてが書き込まれているこの書を解読することは

この世界のすべてを理解することである。

 

そしてその書はヘブライ文字の22文字で書かれており、

それぞれの文字が宇宙の原理となる要素を象徴しているという。

それゆえ、そのヘブライ文字のアルファベットを解読することが重要な鍵となる。

 

また、聖書無謬主義から一見矛盾している『旧約聖書』の記述を

神秘主義的解釈を用いて影響を受け読み解く。

 

一例として『創世記』冒頭の天地創造には人間創造の場面が2回出てくる。

文献学的にはこれは別系統の神話を一つの書物に統合した為に生じた矛盾と考えられているが、

カバラでは実際に人間創造が2回(またはそれ以上)行われたと解釈する。

 

ユダヤ教では一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在しない。

カバラでは、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神はすべての生命に内在し、

ただ唯一神は永遠の魂(命の木)である。

 

個体が善悪を分かち、銘々の記憶は神へ帰っている。

神はただ記憶を収集し、善悪を分かたない。

神では、善の記憶が再創造の素材になり、悪の記憶がなくなる。

 

カバラではそのような寓話がある:毎年贖罪の日ではすべての生命は死んで、

生き返り、悪もなくなる。

(あるいは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間にすべての生命は死んで、

記憶が神へ帰った。贖罪の日から光の祭りまでの間に神は再創造し、

善の記憶がすべての生命へ帰った。)

死亡はただ贖罪の日と同じである。

 


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いまは、カバラの本を

いくつか読んでます



その前だけど、、、



動画作った!



【シンの意味と、アダムカドモン 】
エヴァに1000分の1だけ詳しくなる話

 

 

 

ロングver