『命を懸けるということと

死ぬということは全然違うことだ』


ちるちる。

二年前のゼノビア王国を舞台にした話である

シリーズ第一作『伝説のオウガバトル』で

一番最初に仲間になってくれる

まごうことなきメインキャラクター。

……にも関わらず、

その第一作のエンディングで


「二年後、ハイムの戦役にて死亡」


とナレーションが流れ、ファンを絶句させた男。

ちなみにハイムの戦役とは

『タクティクスオウガ』のことです。


さて、

ランスロット・ハミルトンについて

書きたいと思います。


ご存知ですか。

『タクティクスオウガ』は、初期の計画では

『ランスロット』というタイトルのソフトだった

ということを!


そう、初期の段階で、

主役はほかならぬ彼だったのです。


しかし、主役にしては

トウが立っているという理由で

あえなくクビに(笑)。


ご老体、中年層、ハゲ、肥満体などが

他のゲームでは

ありえないほど大活躍の

硬派なゲームであるオウガですが

やはり主人公ともなると

年齢の壁は高かったようです。


ランスロット、がんばって……!


そんな中年の星である彼ですが、

なんとさり気に

オリジナル版より若くなっているんですね。

2歳引き下げられ38歳に。

もともとの年齢は40歳の設定でした。


ちなみになぜ引き下げられたかというと

初期の段階では(オリジナル版でも)

同名の騎士であるもう一人の

ランスロットと同い歳にすべく

38歳に設定する予定だったのに

気付いたら仕上げの段階で

40になっていたらしく(笑)。

なにか理由があった気もするけど、

その理由がどうしてだったか

製作者も忘れたからだそうです(ええー!)。


個人的な推測では

第一作では王国が滅ぼされて25年もの間、

王国騎士団の生き残りとして野に下っていた設定なので


タクティクス時点で38歳だと


伝説時点で35~36、


そうすると王国が滅んだとき10~11歳


ということになり、

そのときに騎士団にもういたんかい! 

ってツッコミに行き着くから

二歳加算したんだと思ったんですが

違うのかな。

いや、別に小姓とかだったのかもしれないし

それならいいんですけど。

10~11歳だったときに起きた政変のために

25年の時を費やしたっていうところが

彼らしい。


とにかく、2歳若返ったことで

晴れて同名の騎士である暗黒騎士団の

ランスロットと同じ歳になりました。

二人のランスロット。

このコントラストが

ゲームのテーマを象徴するものでもあります。

対称的な価値観のはざまで揺らぐ

人間たちの群像劇を

背負って立つ二人なのです。

(だからこそハミルトンに傾倒するデニムは

カオスルートであってほしいのです)


さて、なんか歳の話に終始しちゃいそうなので

肝心な性格のことも。


彼はとにかく強い。

その強さは力だけではなく、

というか力よりむしろ

人間的なものにあります。

おおらかでまっすぐで理想を追い続ける。

傍にいるだけで変な意味でなく

惚れてしまうだけの、魅力のある人なのです。


その一方で結構、

おおらかさゆえのずぼらさというか

大雑把さというか、

天然っぽさというか

不器用さが

大いに見え隠れしているような

気がするのはわたしだけではないはず。


カノープスあたりは「面倒見てやらねば!」と

兄貴風を吹かせていそうな印象。

部下であるギルダス・ミルディンも

尊敬し、信頼しながらも、

「放っておけないんだよなー」(苦笑)

と思っていそうな気がします。


さて、彼は確かに模範的な人でありますが、

主人公デニム君は

いったいいつの段階でランスロットに

傾倒したのでありましょうか。


この後、ランスロットがデニムに

道を示すシーンがあるので、

そこでしょうか。


でも、決定打は意外と言葉にし難いもの、

彼の圧倒的な存在感だったり

一緒に見た夕日だったり

共有した空気感だったりが

ほんとうにほんとうに

心に響いたのではないかと

そんな気がするのです。

生きている彼そのものが

人に影響を与えるのではないかと。

生きていること自体が厚みを

もっている人なのではないかとそう思うのです。


このランスロットのクライマックスシーンの一つに

同名のランスロットと言い争いをするシーンがあります。

お互いの主張をぶつけて譲らないシーンです。


これ、よく、こっちのランスロットが

弱いとか分が悪いとかおされてるとか

言われがちなんですが。

わたしはそうは思っていないです。


詳しくはまた話が進んだら

語りたいと思いますが、

言葉以上のことを

生きざまで証明する

彼だからこそあえて、

もう一人のランスロットは

あれほど必死に

言葉で言い負かそうと

するしかなかったのではないか思うのです。

そして、こちらのランスロットも

言葉にすると弱いものであると知りながら

張り上げずにはいられなかったと思うのです。


さて、理想主義者で人格者、

今作でなんかシュワちゃんに似ている

やや残念な顔グラをのぞいて

一見完璧なランスロットですが、

『タクティクスオウガ』の二年前の話に当たる

『伝説のオウガバトル』、

これをプレイすると、

当時はまだまだ未熟だったということが

よくわかります。


だって、主人公と出会ってすぐ

『我々はゼノビアの亡きグラン王の

ご無念をはらすために

今日まで生き恥をさらしてきた』

とかなんとか言ってくるんですよ。


なるほど、25年前、王国騎士団にいながらして、

仕える主君が暗殺される状況を

許してしまったという過去を持つ彼です。

自責の念はいかばかりでしょう。


でも、『生き恥』という言葉は…。

彼の責任感からくるものかもしれませんが、

少なくとも『タクティクスオウガ』のランスロットは

そんな言い方をしないと思うのです。

まして、主語を『我々』にしたりしないと思うのです。


彼は戦いをとおして

生きることを恥と決めてしまうことの痛みを

知ったはずですし、

まして我々という言葉を主語にして

命を語る傲慢さに

気付いたはずだと思うのです。


そして、そんなふうに彼を変えたのこそ

『伝説のオウガバトル』の

主人公だと思うのです。


だからこそ

彼は『伝説のオウガバトル』の

エンディングでは旅立つ主人公を

だまって見送り

ウォーレン相手に

「私が騎士でなければ、

あの方に付いていったのだがな」

発言をするのだと思うのです。

気持ちをくみながら、

ウォーレンも苦笑したことでしょう。

「ここはめでたい宴の席。

聞かなかったことにいたしましょう」

「うむ。そうだな。

すこし酔ったようだな。ハハハ……」

でしたっけ。

またサターン版は声の演技が良くて…。


ちなみに。

伝説のオウガバトルでは

主人公の性別を選べるのですが、

その選択次第では

ここに微妙なロマンスがある…

と思います。

わたしが女性でプレイしたからでしょうか。

「ぎゃーっ!」と叫んで

コントローラーを放り出して

テレビの前にうずくまってしまったことを

ここに告白します…。

ランスロットファンなんだもの…。

しかもサターン版で声がついていたんだもの。

タクティクス→伝説の順にプレイしていたせいで

思い入れひとしおだったんだもの…。


ランスロットの方は自覚がないだろうし

亡き妻のことを一途に想っているだろうし、

でも生きて再会する日を夢見ていて

なんか無意識的に答えを先延ばしていたら

ちょっと面白い。

それを持ち前のざっくりさで

「恋愛」云々だとは当然認識しておらず、

「生きて再会するという我が希望」

というカテゴリーぐらいに

ぶちこんでいてくれると

尚、面白い。


男勇者だった場合だと、

もうひたすら熱い。

友情というか忠誠というか。

騎士としての主君は

かつて仕えた王の息子(優秀)だが、

心はいつも君とともに。ですよ。

このストイックな熱さこそ

ランスロットという気もするので

女勇者だけプッシュはしませんが、

しかし女勇者の美味しさも

捨てがたいじゃないですか。

だいすきです。


さて、冒頭に書いたとおり

ハイムの戦役での悲劇が予言されているランスロット。

しかし、現実は予言より更に酷いことになります。


ランスロットについてはまだまだ

話を進めるなかで語ることが山ほど出てくるので

それに合わせてまた書きます。