嘉音、というキャラクターについて | うみねこのなく頃に 回答用ブログ

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07th-expansionのノベルゲーム「うみねこのなく頃に」の考察を書いていくブログ。真相なんてものではありませんが、一つの解として成立するようにしています。全ページネタばれ満載なのでご注意ください。もちろん私のネタばれや回答が正しいという保証はありませんが。

作中、それも作中作であるところのゲーム盤上の謎を巡ったやりとり中に、
何度か「嘉音」というキャラクターの謎にスポットが当てられるタイミングがあります。
そこでは、
嘉音という人物の謎を明かすと、
ベアトリーチェの心臓の一端に迫れる、とまで言われています。
果たして、この嘉音というキャラターの謎をどう解けば、
ベアトリーチェの謎に迫れるというのか、考えてみました。




以下、本編です。

“ベアトリーチェ"とは、どうやら24時に起爆する爆弾のことらしい、というのは、
このブログ中の過去の記事でもやりました。

http://ameblo.jp/ken-write/entry-11095190599.html
その一方で、小冊子のなかのベルンカステルも呟いていた通り、
”それだけでは説明のつかないことがあまりに多い”のも確か。
彼女は何度か、24時以前にも目撃情報があり、
立ち絵などを用いて、“登場人物”として描かれています。

さて、ここで「嘉音」に話を戻すと、
EP6や作中で何度も問いかけられる「嘉音」というキャラクターについて、
答えを導くと、下記の通り

・ジェシカが死ぬと、カノンも死ぬ(というか、死体を残さず消失している)
・シャノンとカノンは、他者からは同時に認識されない。
などのことから、

それは、嘉音というキャラクターについては、独立した人間ではなく、
ジェシカ、シャノンの共同幻想によって成立している
空想上のキャラクターであるという仮説が成り立ちます。

この仮説が正しいなら、
つまり、立ち絵などで表現されている嘉音は、
誰かの主観(幻想)や証言(偽証)、あるいは変装による誤認によって成立している、
実在しないキャラクターということになります。

この存在成立ロジックは、24時以前のベアトリーチェと全く一緒。
すなわち、24時以前のベアトリーチェは、
「嘉音の存在ルール(というか幻想キャラクターのルール)」によって成立している、と、言えます。

このように、この「嘉音の存在ルール」はベアトリーチェの存在ルールと共通するものであり、
このことに気づくならば、ベアトリーチェの本質のすぐそこまで来ているので、
ベアトリーチェの心臓の一端に迫るものだと言えると思います。



もっとも、どうやらEP6までは、
“嘉音”は、普通の人間としても存在している、として、考察することは可能なようです。
それどころかEPによっては(というか、ほぼ全EP?)、
別人として存在したとする方が自然な点も多いです。

特に、ゲーム盤上で、嘉音と紗音が別人として存在しない、とした場合の
最大の問題点は、戦人が嘉音と紗音とを別人として認識し、会話まで行っていること。

EP1-4の戦人は、後のEPでも探偵役として確定していますから、
戦人視点では、主観をごまかすことができません。

つまり、戦人が嘉音を認識するということは、
1、嘉音が実際に存在している
2、戦人が、誰かの変装であるところの「嘉音」を見抜けず、別人の「嘉音」と誤認した。
3、戦人自体が幻想を視ている

これらのうちのどれかとなります。

1の場合は問題ないので省くとして、
2の場合、戦人は「嘉音」と誰かとの同一人物を見抜けなかったことになります。

これは、
ノックスの「手掛かりなき他の登場人物への変装を禁ず」には抵触すると思います。
読者には、この二人が同一人物である、と予測できる伏線や情報がないからです。
(ちなみに原文は、Twin brothers, and doubles generally, must not appear unless we have been duly prepared for them. 
“duly prepared” 、すなわち同一人物であることについて「しかるべく準備させる」とあります。)


根拠として、
紗音と嘉音が同時に存在していないじゃないか、という話を聞くのですが・・
「紗音と嘉音が二人同時に存在していない」、ということ自体は、
「戦人が、二人が同一人物であることを見抜けなかった」ということの理由にはなりません。

「紗音と嘉音が二人同時に存在していない」ということから、
「紗音と嘉音が同一人物である」という仮説を立てたとしても、

紗音と嘉音が非常に似ているとか、戦人が人の顔を覚えられない病気だとか、
どちらかが変装の達人だとかいった伏線がどこかにない限り、
「紗音と嘉音が同時に存在していない」ことを
根拠とする「二人は同一人物」という仮説は

「しかしながら探偵戦人を始め、複数の人物が
「嘉音」と「紗音」とを別々の人物として認識している」ことから、
否定されるのが道理です。
このような、一つの疑問に答えられるという理由で、
他の矛盾をクリアするための条件付与を認めるなら、
「謎解き」は意味をなさなくなってきます。

より具体的な例をあげれば、
「同一人物であると誤認しうる伏線無き」「同一人物説」の提唱を可とするなら、
例えば、次のような仮説も否定できなくなってしまいます。

「ジェシカとローザは変装の達人。
その場その場で時にはジェシカがローザに変装し、ときにはローザがジェシカに変装することで
アリバイをごまかし続けた。さらには、ナツヒとキリエとついでに譲治も変装の達人。みんなで入れ替わりつつ、アリバイをごまかしていたのである。」

これは、読者に思考を要求する遊びであるところのミステリーとしては、
あまり妥当とは思えません。
だからこそノックスは禁止したといえます。
(ただまあ、作者ヤス(及び竜騎士07先生)は上記のようには考えなかったかもしれませんね)


3の場合は・
ノックスには定義がなかったと思いますが、これはさすがにないと思いたい。
戦人に幻想をみるというような異常な要素があるということには
蓋然的に想定できるような伏線がなかったと思いますし、
探偵役が幻想を見ているようでは、全ての描写が信頼できず、
どのような解釈も可能になります。


というわけで、
作中作であるところのメッセージボトル、偽書からは、
彼が実在の人物であるか、
それとも幻想キャラクターであるかは断定できないように、故意に書かれているようです。
どちらかといえば、実在していたと見なす方が妥当だと思いますが、
仮定は仮定のままで、それを確かめる方法がありませんでした。

(意図から考えると、たぶん幻想キャラクターなんだろうと思うのですけど、
未確認です。いまいち、“嘉音”が幻想キャラクターでないと成立しない謎がEP6の密室抜けトリックしか見当たりません)

これは、作者、ヤスが幻想キャラクター“嘉音”にとって、可能なことだけを行わせつつ
作品を書き上げたためだと、私は思っていますが、真意は薮の中だと思います。

だからこそ、EP6で、嘉音の存在を一種の幻想として確定させることが、半ば偶然的に
“奥の手”になりえました。

私はそのように考えています。