同一人物説根拠?(嘉音、というキャラクター追記) | うみねこのなく頃に 回答用ブログ

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07th-expansionのノベルゲーム「うみねこのなく頃に」の考察を書いていくブログ。真相なんてものではありませんが、一つの解として成立するようにしています。全ページネタばれ満載なのでご注意ください。もちろん私のネタばれや回答が正しいという保証はありませんが。

前々回の記事「嘉音、というキャラクター 」で、
大事なことを書き忘れました。

書き忘れたことに気づいた時点で、元記事も更新したので、
今回の記事は「嘉音、というキャラクター 」とかなりの部分重複しております。

紗音と嘉音が同一人物であることの根拠として、
紗音と嘉音が同一シーンで同時に存在していないじゃないか、という話を聞くのですが、
実は、そのことだけでは、二人が同一人物であることの根拠にはなりません。

なぜなら、
「探偵戦人を始め、複数の人物が、
「嘉音」と「紗音」とを別々の人物として認識している」という反証があるからです。
そして、
「紗音と嘉音が同一シーンで同時に存在していない」こと自体は、
「戦人が、二人が同一人物であることを見抜けなかった」ということの理由にはなりません。
もう少し詳しく、この部分での論理を検証してみましょうか。


本編中、探偵戦人は、「紗音」と「嘉音」とを同時には認識していません。
なので、
このことから「紗音と嘉音が同一人物である」という仮説を立てることはおかしくありません。

ですが、そのように仮説をおいたとしても、
探偵の戦人は二人と別々には会って、会話までしており、
この両者を別人だとして認識しています。

紗音と嘉音が非常に似ているとか、戦人が人の顔を覚えられない病気だとか、
どちらかが変装の達人だとかいった伏線がどこかにない限り、
ノックスの「手掛かりなき他の登場人物への変装を禁ず。」により、
戦人が二人一役を見抜けないことはありません。

つまり、
「紗音と嘉音が同時に存在していない」ことを
根拠とする「二人は同一人物」という仮説は
「探偵戦人を始め、複数の人物が、
「嘉音」と「紗音」とを別々の人物として認識している」ことから、
否定されるのが道理です。

ここで、仮説においた「紗音と嘉音が同一人物である」という事柄を正しいと決めてしまい、
「複数の人物が「嘉音」と「紗音」とを別々の人物として認識している」という
反証があるにも関わらず、これへのエクスキューズを用意しないで、
「なぜなら戦人は二人の変装を見抜けなかったのだ」としてしまう論法は
論点先取(結論部分を正しいと先に決めてしまう論法)となります。
いわば、これって
「二人は同一人物であるに決まっているのに、戦人は別人だと気づかなかった。
理由は特にないが、二人は同一人物に決まっているのだから、戦人の勘違いなのだ」と、
主張していることになります。(くどい?)

しごく単純な話、直感的にも
「戦人が二名と個別に会ったが同一人物であることを見抜けなかった」ことの理由が
「探偵戦人が二人を同時に認識していないから」であるということがおかしい、
というのは感じられないでしょうか。論理がつながっていないですね。
そして、ノックスを持ち出すなら、理由なく
「戦人が二名と個別に会ったが同一人物であることを見抜けない」ことも起こりません。

ということで、
「探偵戦人が、二人を同時に観測していない」ということだけでは、
「二人が同一人物である」ということの十分な論拠にはならないという訳です。


ちなみに、こういう論点先取を許すなら、次のような推理も可能になります。

「ジェシカとローザは変装の達人。
その場その場で時にはジェシカがローザに変装し、ときにはローザがジェシカに変装することで
アリバイをごまかし続けた。さらには、ナツヒとキリエとついでに譲治も変装の達人。みんなで入れ替わりつつ、アリバイをごまかしていたのである。」

というように、一つの仮説を正しいと決めてしまい、
他の矛盾(しかし各々は別人として認識されている)をクリアするための、
伏線なき条件付与(変装により二人の区別がつかなくなる)を認めるなら、
「謎解き」は意味をなさなくなってきます。

これは、読者に思考を要求する遊びであるところのミステリーとしては、
あまり妥当とは思えません。
だからこそノックスは禁止したといえます。

だから、EP1-4では、EPにもよりますが、
やはり、この二人が同一人物であるという仮説は検証されないのです。


ただまあ、作者ヤス(及び竜騎士07先生)は上記のようには考えなかったかもしれませんね。