紗音と嘉音は同一人物? 別人? まとめ | うみねこのなく頃に 回答用ブログ

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07th-expansionのノベルゲーム「うみねこのなく頃に」の考察を書いていくブログ。真相なんてものではありませんが、一つの解として成立するようにしています。全ページネタばれ満載なのでご注意ください。もちろん私のネタばれや回答が正しいという保証はありませんが。

過去に「嘉音、というキャラクターについて」の項目でも書いたのですが、嘉音と紗音の別人説/同一人物説について纏めたいと思います。

まず、六軒島で繰り返される殺人事件に関する記述は、例外を除いて基本的に偽書であり、創作された世界である、ということは、おそらくここで繰り返す必要はないだろうと思います。

その上で、結論から言うなら、現実の六軒島では存在の確認は取れず、EP1-4では別人、EP5では根拠不足(疑う理由が特にないということでは別人)、EP6では同一人物の別称となります。

なお、百聞は一見に如かずといいます。最後に、各EPでの嘉音にまつわるハウダニットで纏めました。このように考えよう、というお話ではなく、作品中でどう扱われている事実を纏めたもの。嘉音について解釈を与えたい人の材料になればと思います。

以下、その論拠というか整理です。

論点になるのは、

1)実際の(創作ではない)六軒島ではどうだったか

2)各偽書の作者がどのような設定で記述したか、

というところです。

1)については、創作ではない、六軒島の事実を扱っていますから、そもそもがアンチミステリー。正答が得られる十分な手掛かりがある保証がありません。
それでも答えるなら、「おそらく、嘉音とはヤスの作り出した想像上の友達だった」ということです。

EP7で語られた事柄を真実と捉えるなら、ここでは、嘉音はヤスのイマジナリーフレンドとして登場しています。出典が絵羽の日記だと見られる部分にも、嘉音自体は登場しませんでした。
従って、「嘉音が実在した」とする確証は取れませんし、根拠もありません。
この場合の根拠とは「嘉音が居たことを証明する根拠=嘉音がいなかったとすると説明がつかない」事柄をさします。
このように、嘉音とはヤスのイマジナリーフレンドであったといえます。

ただし、嘉音がいるという根拠はなかったからといって、嘉音はいなかったことにはなりません。
EP7でもかなり微妙な書き方がされていて、「その存在が嘉音がいなかったことを証明する根拠=嘉音がいなかったとすると説明がつかない」事柄もない・・とみる向きもないとはいえないからです。歯切れが悪いのは勘弁。個人的には、EP7を普通に読む限り、またもろもろの(論理ではなく)状況証拠から、嘉音はヤスの作りだした幻想存在の中の一つだと思います。いくつかの動機も分かりにくくなりますしね。ただ、動機というのはその人次第であり、他人が断定するようなことでもありません。
読者が、それで納得できるまでに理解しているなら、自らをGMとして判断すれば良いのだと思います。
EP7で語られた事柄をそのまま真実として捉えないとするなら、我々は仮説を得ることは出来ても事実については知り得ない、ということになります。
だってこれはそうなんだからしょうがない。真実は人の数だけあってかまいませんが、自分の、検証されない仮説を一なる真実だと主張する、そう言う行為こそが論理的な過ちを犯しています。


2)について
再度、結論を述べますと、うみねこで明示されているルールとノックスを最も厳密に適用するという前提の下、EP1-4では別人。EP5では判断できず、EP6では同一人物の別称、EP7では“ゲームなし”敢ていえば幻想存在、EP8では別人です。
各EPで設定が異なりますが、うみねこでは、特別に断られていない限り、マスターキーの本数や共犯者の設定など、EPごとに設定が異なることが認められているのでこうなります。
作者ヤス、十八らの心情を考えても、僕としてはこの解釈でなんら問題は出ないと思うのですが。

以下に、その理由を説明していきます。
EP1-4については、探偵の戦人初め、すべての登場人物が紗音と嘉音を別人として認識しています。例えば、紗音の死亡確認後に登場する嘉音について誰も疑問を感じていないし、戦人自体、なんども対面し、別人として話をしています。そして、後に述べますが、彼らが別人であっても事件の遂行が可能であり、物語に破綻を生みません。
ミステリーとして解釈するなら、これらのことと、ノックス第十条の「手掛かりなき他の登場人物への変装を禁ず。」によって、紗音と嘉音が別人だということが結論できます。

なお、面白いことに、ロジックエラーの解消のために同一説が必要となるEP6(5も)では、探偵のヱリカが紗音と嘉音とを別人として認識していることが確認できるシーンがありません。これは、作者竜騎士07がこのロジックについて留意している可能性を示唆します。

ここで、ちょっと厳密な話になりますが、ヒント(or ミスリード)と、根拠となる手掛かりについて話をします。この二つを混同している言質を時々見かけます。

例えば、紗音と嘉音は一組の家具だ、という言質。
これは、その可能性を示唆し、思考の切っ掛けを与えるという点でヒント、もしくは、ミスリードではありますが、こういう言質があったこと自体は、戦人が誤認する要因にはならず、その蓋然性を高めません。これらをいくつ集めても根拠とはなり得ません。根拠とするならば、こういう言質や言及があったこと、あるいはそれらの言質、言及があることが直接的に示す現象が、戦人の誤認の事由となることが必要です。

他に過去記事の「同一人物説根拠?」でもやりましたが、紗音と嘉音とが探偵の前には同時に現れず、特定の人物達の前にしか同時に現れない、ということから、二人が同一人物であるという仮説を立てること自体はおかしくありませんが、しかしながら、これだけでは、なぜ戦人が彼らの変装を見抜けなかったのか、ということの説明ができないので反証されてしまいます。※二人が同時に登場しないことからだけでこの反証を否定するのは論点先取です。
ミステリーの読解として同一人物説を主張したいなら、当然、探偵の前に二人同時に現れないことはもちろんとして、それだけでは十分ではなく、変装が見破られないことに対しても理由が必要な訳です。

じゃあ、根拠となる手掛かりって一体どういうものなんだ? という疑問が想定されるので実例をあげておくと、例えば「一見不可能な、死体の短時間での長距離移動が行われた」という推理について「配膳車や猫車を遣えば良い。料理のときや園芸の描写時に登場していた」という伏線は根拠ある手掛かりになります。ここでもし「短期間で運べたのは確かなんだから、皆の知らない近道があった」と、いったら根拠のない推理になる訳です。他には「バルコニーの上のベアトリーチェは紗音の変装である」という推理に対して、「雨が降っており遠目であった」「彼女には近づけないようホールには鍵がかかっていた」等。こちらは、視認識別の可能性を下げる具体的な現象が手掛かりとして描写されています。本当は、もうちょっと厳密で直接的な手掛かり描写が欲しいところなのですが。


ここまでが、EP1-4(一応5も含む)での嘉音と紗音の別人/同一人物説についてのまとめです。
EP6では、ロジックエラー解消のため、「嘉音」と「紗音」とは、同一人物の別称である、とする解釈が必要で、このため、嘉音というキャラクターは消滅してしまいます。
ここから Ep1-5にさかのぼって、やはり彼らは同一人物なのだ、という解釈を与えたい向きもあるようですし、そのようにしてもいいのですけど(ウィルの回答は、書き手の動機に配慮して同一人物説の視点からトリックを解説しているように見えます)、この事柄自体はやはり「戦人が直面しても見破れない変装」を示す訳ではないので、ノックスの解釈が厳しくなります。僕のルール判定では無理です。また、別人説で事件の遂行には説明がつくため、わざわざ同一人物説を持ち出す必要がありません。

冒頭で述べたように、うみねこでは各EP内で設定が違うことが認められているため、最も厳密に論理とルールを重視し、全てのルールに抵触しない解釈を行うなら、EP1-5では別人設定であったが、EP6では同一人物の別称である、とすることが妥当であると思われます。
ワルギリアによって、全ゲーム共通で戦人は犯人ではない、とされた赤字が、EP5以降で覆されたように、時系列を判定するならEP6以降の嘉音と紗音は同一人物となる、という仮説も建てられますが、検証できません。

ただし、結局のところ、この物語に、どこまでノックスを厳密に適用するか、とか、「手掛かり」の根拠性についてどこまで有効か、というのは、うみねこではGMの判断です。なので、僕がGMなら変装による同一説はNGとしますが、他の人ならまた違った判定はありえます。
どちらかというと、「自説しかありえない」とか、間違いだとは言えない解釈に対して「そういうようには考えないように」という思考こそが、論理的ではない、と言えると思いますけどね。

「人格死を用いずに、赤字通りに解釈したら間違い」で、「紗音と嘉音が二人同時に登場していないので探偵の戦人は変装を見抜けないと考えなきゃだめだ」という話まであるようで、それって論点先取だし、論理的でもミステリーでもないし、EP5のヱリカも似たようなことで酷い目にあってるなぁ。。。と、個人的には思ったりしますが、他の否定できない可能性を切り捨ててしまっていることはともかく、GM(ここでは読者自身のことを含む)次第ではそれでも良いのでしょう。


●嘉音にまつわるハウダニット
こ煩い理屈はココまでにして、実際、別人説で事件の遂行が可能であることを、各EPの嘉音に死因にスポットを当てつつ記述します。


EP1
第四、五の晩:ボイラー室 発見者:熊沢
金蔵はボイラーの中に。嘉音の死体の発見。嘉音が飛び回る杭と戦っての死亡を熊沢が一人で観測。嘉音の死体は杭が抜けた状態で南條の検視を受けているので、南條による検死も偽証。(赤字によると、すべての“死体”はその判定をあやまたないのだが、“生者”を死者と判定することがないことは保証されていない。この言葉遊び的なロジック抜けは、同一人物説別人説、共に必要)。つまり、紗音、嘉音が同一人物であれ別人であれ、ここで自由に動ける犯人が一人以上存在している。

EP2
第二の晩 朱志香の部屋 発見者:源次他 多数(戦人 譲治 真里亞 南條 郷田 熊沢 楼座 源次 紗音)
朱志香の死体と嘉音の死体なき殺人。このとき金蔵に会っていたことがアリバイになっている紗音と源次の犯行。別人説の場合は嘉音の死体は、源次が碑文の内容に見立てるために運び出した。後の事件は紗音と源次によって遂行される

EP3
第一の晩 連鎖密室 発見者:蔵臼、夏妃、絵羽、留弗夫、南條 
金蔵、源次、紗音、嘉音、郷田、熊沢の死亡。最初の紗音の部屋は、中から鍵を閉めて、死んだ振りし、南條が検死を偽る。死体発見者一行が客間を去った後、紗音が、ボイラー室に入って礼拝堂の鍵を置いて、礼拝堂に移動 してから中から施錠すれば、同一人物の場合でも、嘉音が死体を残すことができるし、当然、単純に別人としても解釈できる。あとの3人は実際に紗音か南條に殺されている。紗音は、その後、南條によって殺される。この状態で、赤字と探偵の主観観測を抜けつつ事件を遂行することは可能です。EP3の回答については、過去日記を参照のこと
http://ameblo.jp/ken-write/theme-10045044398.html

ちょっと話は脇にズレますが、このシーンで、「紗音は死んだ」という赤字に対して、他の名前で生きている、とする解釈が持ち出されることがあるようなのですが、同一人物説を持ち出したとしても、「死」についてその解釈が可能かどうかはまた別の問題です(嘉音もここで死んでいるので嘉音以外の人間(ベアトなど)にならなければならず、後には紗音、嘉音も共に”一人”として赤字でカウントされたりしているので、数え方の問題にも抵触してくる)。普通に考えれば、紗音が死んだなら他の人格も共に死んでいるでしょう。EP6では、クローゼットの中に嘉音(を名乗る人物は)いない、という赤字なので、「“死んだ”けど別の名前で生きている」に比べると、解釈の厳密性は高い。GMの判定次第でしょうか。
なので、赤字を尊重するなら、ここで嘉音、紗音は死んでいます。


EP4
第四、第五、第六、第七、第八、第九の晩
おのおのの経過について、探偵の観測なし。
電話などは、戦人らに魔法を信じさせるためのゲームとして、霧江らに用意されているシナリオ。
もちろん事実ではない。それぞれ、後に、実際に殺されている。赤字で保証されているのは、嘉音が9番目の犠牲者であるということ。朱志香が8番目、嘉音は9番目に殺されていれば、同一人物説、別人説共、問題ない。いずれにせよこの状態で紗音が生存している。彼女により事件は遂行される。

EP5(生存状態でゲーム終了)
屋敷の客間→ゲストハウスにて就寝している状態でゲーム終了(紗音と同じ状態)。
別人、同一人物を判断する手掛かりなし。

Ep6 過去日記参照
http://ameblo.jp/ken-write/entry-11070783433.html

●総論
つまり、嘉音、というキャラクターはもともと確固たる個人としてゲーム盤上に存在していたが、EP6を以て、GM戦人のロジックエラーを解消するために幻想存在と化してしまったことになります。
うみねこではEP毎に異なる設定が許容されているため、EP6からさかのぼって、EP1-4に於いても幻想存在であった、という解釈を打ち立てるか、ノックスに従って、EP1-4では別人であったとして解釈するかはGM次第。
ベアトリーチェがGMだったら、同一人物だと思ってほしかったでしょうか。
安田紗代がGMだったら、EP6は彼女の作ですらないし、ミステリーを愛した彼女から、同じくミステリーを愛した戦人への物語なのだから、ノックスに基づいた判定をしたと、僕は思います。