日本刀(太刀)のルーツは蕨手刀で、蝦夷の馬上戦闘に影響をうけて馬の上で使いやすい刀剣として蕨手刀を参考に反りのある太刀(日本刀)が生まれた。
 
これが通説ですよね。
 
 
子供の頃にはじめて本でこれを読んだときに、写真の蕨手刀をみて「馬の上で使うには短すぎるだろ」と思いました。
 
↑この記事によれば蕨手刀の平均刃長は一尺五寸(約46センチ)
中脇差と同じくらいですね。
 
 
全長44.8cm、刀身32.6cm

 

 
東京国立博物館蔵:秋田県仙北郡六郷町六郷東根字上中村出土、古墳時代、長49cm
 
 
↑これらの蕨手刀は柄に反りがあります。
 
しかし刃長30センチ台のこれらの刀、寸延び短刀や小脇差サイズのこの刀に騎馬戦闘を意識して柄に反りをつけたとは私にはどうにも思えない。短すぎるでしょう。
 
長い蕨手刀もありますが、時代的には短いのが先で長いのが後。馬上戦闘用に反りがついたのなら長い刀が先でないと説明がつかない。
 
ちなみにただの長い鉄刀であれば古墳時代からたくさん存在します。
 
↓こういうの:素環頭大刀
 
どう見ても馬の上で使うならこちらの方が良さそうです。はじめから騎馬戦闘用につくるなら最低でもこれくらいの長さがないとおかしいと思うのです。
 
 
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もともと蕨手刀は信濃国で倭人がつくったもので、その後関東から東北に伝搬して彼らの騎馬戦闘に合わせて反りがついた、、、というのが通説のようです。
 
でも、騎馬戦闘で使うために作ったにしては短すぎる。
 
平均で1尺5寸。
 
反りがついた頃の古い時代のものはもっと短い。
 
騎馬戦闘で蕨手刀を使ったのは間違いないでしょうけど、そのために作ったものではないのだと私は思います。
 
「蕨手刀に反りがついたのは騎馬戦闘とは別の理由で、普段から身に着けているものだから騎馬戦闘でも使用した」
 
こっちが正解なんじゃないかと思われてなりません。
 
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蕨手刀がどういう存在だったのかを考えた時に、私はグルカ族のククリに近いようなものだったのではないかと思いました。
 
 

利用
農作業、家事、狩猟が主たる用途ではあるが、“生活に根ざした汎用大型刃物”という性格上、戦闘行為に使用される場合もある。

 

↑蕨手刀の利用もこれと同じだったのではないかと思うのです。日用品であって、戦闘時にも使用する。もちろん馬に乗って戦う時も。

 


↑現代でもインドやネパールなどでグルカ人の警官や軍人がククリを身に着けています。でも、別にこれは暴徒鎮圧にククリが有効だからではないでしょう。伸縮警棒の方が実用的。でもククリは実用性にプラスして民族の誇りが加わる。

 

彼らが馬にのって戦うなら馬の上でもククリを振り回すでしょう。だからといってククリが馬上戦闘用にデザインされたということにはならない。

 

 

 
なぜ反りのなかった信濃生まれの倭人の蕨手刀に、蝦夷は反りをつけたのか。
 
アミニズムとか古神道的な宗教的な意味があってのデザインかもしれないし、それは彼らの芸術性のあらわれなのかもしれない。つまり実用性が理由ではないかもしれないということです。蕨手刀の独特の柄や姿からはプリミティブなアートな何かを感じます。大陸由来の素環頭大刀からは感じられない感性です。素環頭大刀は中国の漢代から広く使われたもので弥生時代から伝来しはじめて古墳時代の日本では広く使われた刀です。だから時代的には蕨手刀よりかなり古い。
 
蕨手刀と素環頭大刀↓
 
 
↑なんといいますか、素環頭大刀と比べて蕨手刀ってアートに見えませんか? 私だけ?
 
 
実用面からと考えた場合、強度と刀身損傷の関係かもしれない。
 
 
↑強度の足りない刀身を硬いものに打ち付けると、こんな感じで打撃点をもとに「への字」状に曲がってしまいます。蕨手刀はどうも強度的には強くなかったようですので、こうならないように柄に反りをつけて衝撃を逃がしたのではないでしょうか。武器としての使用に限らず、むしろマシェットみたいに使う時に重要かもしれません。もちろん、この「衝撃を逃がす」事こそ多くの騎兵刀に反りがある理由でもあるのですが。
 
「反りがある方が断ち切りやすいから」と言う人は結構多いかもしれません。「斬る」のと違って「切る」ことは武器としてはさほど重要ではないのですが、日用品としてはとても重要でしょう。
 
 
 
 
蕨手刀に反りがついたのは上記のような理由かもしれないし、あるいは全く別の理由なのかもしれませんが証拠はなにもありません。そして、同様に「騎馬戦闘のため」という方にも実は証拠みたいなものはないようなのです。
 
そして私は「馬上戦闘用にデザインして反りをつけたわけではない」と思うのです。繰り返しますが、馬の上で使うには短すぎるでしょう。
 
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↑これを見ると蕨手刀から影響をうけて「腰反りの太刀=鎬づくり湾刀=日本刀」ができた事は正しそうに見えます。
 
ただ上述のように、「蕨手刀に反りがついたのは騎馬戦闘とは別の理由で、普段から身に着けているから騎馬戦闘でも使用しただけ」なのではないかと思われてならないのです。
 
そしてそうなのであれば「反りのある日本刀は騎馬戦闘用に生まれた」という通説も間違いになります。そもそも腰反りの太刀って馬の上でも使いにくくない?って話です。それに雑兵みたいな徒士武者もみんな同じ形の太刀だし。
 

↑前九年の役の絵巻の徒士

 

 
 
「馬上戦闘で使いやすいように反りのある日本刀が誕生した」というのが通説なのに、身分の低い徒士武者まで全員反りのある太刀を佩いているこの矛盾。
 
 
初期の日本刀の形状は蝦夷の武勇を尊んで形状の一部を取り入れたのかもしれないし、蝦夷との政治関係が何か影響したのかもしれないし、実は蝦夷は関係しないのかもしれないし、使用や製作面による物理学的な理由かもしれないし、日本人の宗教観や芸術性によるものなのかもしれないし、そのいずれでもなかったり反対にそれら複数の要因が影響しているのかもしれない。個人的には宗教芸術な要素が強そうに思いますが、どうでしょうか。
 
道具なんだけど、蕨手刀も日本刀も最初からアートな面を意識して作られたように見える。
 
大陸由来の上古刀(隋・唐時代の横刀)や素環頭大刀とは印象が違う。
 
アートとして見ると、蕨手刀はプリミティブで日本刀は洗練されている。
 
 
 
 
今回少し調べてみて、「反りのある刀だから騎馬戦闘用なんだろう」という程度の学者の思い込みが通説の根底にあるように思われてなりません。なにか証拠があってのことではないようなのです。そしてそれを誰も疑わないというか、そもそも誰もそんなどうでも良い事を気にしていないというか・・・
 
 別に馬上刀だから反りがあるとは限らないんですよ。直刀や直剣を馬の上で使う民族はたくさんいたわけで。反対に歩兵が湾刀を使う事も珍しくない。
 
20世紀に米軍と英軍が採用した最後の騎兵刀も反りのない直刀です。
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毎度、素人の妄想・珍説です。