武蔵大和駅 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 武蔵大和という駅名を聞くと、「巨大戦艦の名前が二つ付いた駅」と驚く人もいるようだ。だが、武蔵といえば現在の東京都(島嶼を除く)、埼玉県、神奈川県北東部に跨がる、古代の行政区画の名前である。東京や埼玉には武蔵○○という駅が沢山あり、武蔵大和駅もその一つである。一方、大和の方は問題である。もちろん、現在の奈良県を指す大和ではない。東京都東大和市内にあるから大和なのか、と思ったらこれが微妙に違った。西武鉄道ホームページによると武蔵大和市駅の所在地は東京都東村山市廻田町三丁目、東大和市と東村山市の境界線近くには位置しているが、東大和の駅ではない。もちろん、東大和市に居住する人で、この駅を利用する人は相当いるはずだが。

 西武多摩湖線の八坂ー西武遊園地間は起伏のある場所に線路が敷かれている。武蔵大和駅はその中間に設けられた駅である。萩山方面から来た列車は道路を鉄橋で渡って武蔵大和駅に進入し、武蔵大和駅を出てからもう一度鉄橋を渡って終点西武遊園地駅に到着する。
 上の写真は武蔵大和駅入口の風景だ。電車の左側が東大和市。
 武蔵大和駅を利用するには、階段かエレベータを登ることになるが、その階段の隣にもう一つの階段が設けられている。この階段はエレベータと現在の階段が供用開始となるまで駅通路として利用されていた階段だ。現在は部外者以外通行できなくなっている。

 旧階段の向こうには旧駅舎がある。2010年まではここで出札、改札が行われていた。昔の出札口はシャッターで閉じられ、改札口には柵が設けられている。2010年にエレベータとバリアフリー対応のトイレが設けられた新駅舎が完成してこちらの駅舎を乗客が利用することはなくなったのだが、意外にも廃屋の雰囲気はない。実はこの旧駅舎内には駅事務室があって、これは現在も使用されているのだ。

 こちらは乗り場の様子。ローカル線の雰囲気があるホームだが、ここは日中でも20分に1本、列車が発着する。線路は1本だけなのにもう1本分のスペースがあるが、これは昭和30年代まで交換設備があった名残だ。


 多摩湖線はこの駅から1駅先の終点西武遊園地駅で山口線と接続し、西武プリンスドームへのアクセス路線として機能する。だから埼玉西武ライオンズの試合などが開催される日は臨時列車もこの駅を発着する。




 武蔵大和駅は多摩湖(村山貯水池)から対して離れていない場所に位置する。駅の西側には多摩湖の水を東京都心部へ送る送水管が埋設されており、その上は水道道路の通称で呼ばれている歩行者自転車専用道路となっている。その脇にはモニュメントが設けられているのだが、画面右側の浅い池のようなものが昔の水道施設なのかどうかは私には分からない。画面左側のレンガ造りの建造物は水門を2分の1の大きさに再現したものだという。



 武蔵大和駅から東側に歩いていこう。この道を30分ほど歩くと西武鉄道新宿線東村山駅に抜ける。古い街道の趣きがあるこの道沿いには小さいながら歴史を感じさせる神社仏閣がある。正福寺もその一つだ。正福寺には地蔵堂と呼ばれる建物があるが、これは東京都内に所在する建造物としては唯一の国宝である。これを建立したのは北条時宗、元寇当時の鎌倉幕府執権だ。
 この地蔵堂の屋根、両端が高く跳ね上がっている。鎌倉時代、室町時代の高い地位の人物の肖像画では、着物の袖の裾が高く跳ね上がったように表現することでその人物を権威的に描いているが、この建物を観てそのことをふと思い出した。

 この地蔵堂には名前通り多数のお地蔵さまが納められているそうだ。地蔵といっても高さ15~30cmほどのものだ。昔、地元の人達は病気治癒を祈願したいとき、寺からお地蔵さまを一体借りて家で祈願したという。そしてめでたく願いが叶うと、借りたお地蔵さまを寺に返すとともに、新しいお地蔵さまを一体寺に納めたのだ。