はじめに | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・行楽の秋、気軽にアートでハイキング。ハイク(俳句)のように単純明快で、かつ含蓄あるアートをめざして、またまた新テーマ始めます。 

 

《ハイキング》(Hiking) 

健康のため、あるいは知らない土地を見聞したり、自然の風景や歴史的な景観を楽しむために軽装で、一定のコースや距離を歩くことをいう。ウォーキングともいい、近年は高齢者の健康維持(health promotion)のために推奨されている。小高い丘や山を越えたり、その中腹を横切るといったコースもあり、山歩きと一部その活動は重なる部分もある。なお、ハイキングをする人をハイカーという。なお、食事が主な目的となる場合は、ハイキングではなく★ピクニックとなる。 

こうした活動は、19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、工業文明が急速な発展を遂げ、その工業生産や技術のデモンストレーションの場として、万国博覧会が始まった時代に、それへの★警鐘として、健康維持のためのさまざまな活動、禁酒、禁煙運動、日光浴、海水浴、体操、自然食、ワンダーフォーゲル運動などのブームが始まった頃に共に始まったと思われる。ウォーキング大会と銘打って、鉄道会社などが利用客を増やすために催すものもあるし、1人で背中にリュックを背負って、海外や山岳地を歩くバックパッキングというスタイルもある。呼び名は、各国の文化を背景にして異なり、ドイツではWandern(ワンデルン、ワーダーフォーゲルの語源)、オーストラリアではbushwalking(ブッシュウォーキング)、ニュージーランドではtramping(トランピング)という呼び名が好んで用いられている。 

《ヒッチハイク》(Hitch hike ) 

通りがかりの自動車に(無料で)乗せてもらうこと。この方法で旅することをヒッチハイキング ( Hitchhiking )、旅行者はヒッチハイカー(Hitch hiker)と呼ばれる。

 

 

《俳句》(haiku) 

日本の文化である俳句は世界最短の定型詩として世界中で人気を博しています。その過程で日本の名句も翻訳されているのですが、訳者によって選び抜かれる言葉は様々で、それぞれの感性や個性が色濃く反映されています。そしてそれを知ることは日本語、日本文化を客観的に知ることにつながります。★西洋語による俳句を「ハイク」と表記することがあります。 

●(松尾芭蕉)古池や 蛙飛び込む 水の音 

小泉八雲(Lafcadio Hearn)Old pond / Frogs jumped in / Sound of water. 

(Basil Hall Chamberlain)The old pond, Aye! / And the sound of a frog / leaping into the water. 

(Donald Keene)The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water. 

(Reginald Horace Blyth) 

The old pond. / A frog jumps in / Plop! 

(Harry Behn) 

An old silent pond... / A frog jumps into the pond, / splash! Silence again. 

ご存じ松尾芭蕉の名句。数々の英語訳が存在しており海外でも "Frog Poem" として有名です。 

●(松尾芭蕉)静けさや 岩に滲み入る 蝉の声 

(Reginald Horace Blyth) 

What stillness! / The voices of the cicadas / Penetrate the rocks. 

(Helen Craig Mccullough)Ah, tranquility! / Penetrating the very rock, / a cicada's voice. 

「静けさや」という言葉に "stillness" や "tranquility" という言葉が使われていますが、どちらにも感嘆符の!がつけられています。あまりの静寂に息を飲む様が想像されます。 

 

※日本俳句研究会 

https://jphaiku.jp/index.html

10万円以上の賞金が出る俳句大会ベスト3 

1位・伊藤園 お~いお茶新俳句大賞(最大賞金50万円) 

2位・角川俳句賞(最大賞金30万円) 

3位・平成相聞歌(最大賞金10万円) 

他にも、千葉県市川市が行っている「市川手児奈文学賞(最大賞金3万円)」といった賞もあります。 

 

《俳句・川柳・短歌等コンテスト》登竜門より 

https://compe.japandesign.ne.jp/category/senryu/

「セキュリティ川柳・吹き出し・あるある!コンテスト」 

日本赤十字社 第13回 赤十字・いのちと献血俳句コンテスト 

第7回 小松ビジュアル俳句コンテスト 

ものづくり川柳 

第6回 本屋の店員さんが選ぶ「シニア川柳」募集 

第4回 みたま園川柳大会 作品大募集 

第8回 ねむり川柳 

第21回 万葉の里 短歌募集「あなたを想う恋のうた」 

第10回 Naritaエコ川柳 

第24回 「はがき歌」全国コンテスト 

第9回 エアコン暖房川柳 

第26回 西東三鬼賞 作品募集 

第17回 えひめスポーツ俳句大賞

 

 

【夏井いつき】(1957~) 

http://www.natsui-company.com/

本名は加根伊月(かねいつき)(旧姓「家藤」。★愛媛県南宇和郡内海村(現在の愛南町)の出身で、同県松山市に在住。現在の夫は、CM・映像プロデューサーの加根光夫である。8年間の中学校国語教諭の後、俳人へ転身。「第8回俳壇賞」受賞。俳句集団「いつき組」組長。創作活動に加え、俳句の授業〈句会ライブ〉、「俳句甲子園」の創設にも携わるなど幅広く活動中。TBS系「プレバト!!」俳句コーナー出演などテレビラジオでも活躍。松山市公式俳句サイト「俳句ポスト365」、朝日新聞愛媛俳壇、愛媛新聞日曜版小中学生俳句欄、各選者。2015年より初代俳都松山大使。句集「伊月集 龍」(朝日出版社)、「伊月集 梟(マルコボ.コム)」、「超辛口先生の赤ペン俳句教室」(朝日出版社)「100年俳句計画(そうえん社)」「365日季語手帖(マルコボ.コム)」、「絶滅寸前季語辞典(ちくま文庫)」など多数。 

http://www.marukobo.com/index.html

 

 

《参考》「英語俳句」 

https://jphaiku.jp/rekisi/kaigai.html

欧米では、ローマ字で「HAIKU」、中国では「漢俳(かんばい)」という名前で呼ばれています。俳句が海外に広まったのは、イギリス出身の文学者★レジナルド・ブライスの功績が大きいです。彼は日本文化が大好きだったようで、第二次大戦前に英語教師として日本にやってきました。戦争が始まると敵国の人間として強制収容所送りにされましたが、なんと日本を支持して、日本国籍を取得しようとしたというから驚きです。その後、1949年にブライスは『俳句Haiku』第1巻を出版し、英語圏に俳句を紹介しました。 

http://st.japantimes.co.jp/st_haiku_howto.htm

英語俳句を作る上で、日本語俳句と同じように留意すべき点は、(1)簡潔性を追求すること、(2)できるだけ季節感を大切にすること、(3)できるだけ5―7―5音節で書くこと、(4)一句の中に「切れ(字)」(や、かな、けり)を入れること、(5)考えや思想や概念よりも、物を提示する詩にすること、(6)説明文や散文にならないように気を付けること、です。一方、異なる点は、(1)季節感あるいは季感は日本(語)と外国(語)では異なるので、季節の感じが出ていればよいこと、(2)一行書きの日本語俳句と異なり、3書きにするのが普通。5―7―5音節だと盛り込む内容が多くなり過ぎるので、必ずしもこれにこだわる必要はなく、2―3―2音節くらいでよいこと、(3)切れ(字)はダッシュやコロンなどで表すこと、です。 

https://www.alc.co.jp/speaking/article/kihon/74.html

 

《外務省》日EU英語俳句コンテスト結果発表(優秀作品の紹介) 

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/shuno20/haiku_kekka2.html

 

《ハイク(俳句)の日》 

語呂合わせで8月19日です。1992年京都教育大学教授★坪内稔典さんらの提唱で決まったそうです。 

【坪内稔典】(1944~) 

★愛媛県西宇和郡町見村九町(現在の伊方町)に生まれる。愛媛県立川之石高等学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。園田学園女子大学助教授、京都教育大学教授、京都教育大学附属京都中学校校長、佛教大学教授などを歴任。高校時代から句作を始め、担任教師の勧めで「青玄」に投句、伊丹三樹彦に師事。大学では日本近代文学、特に詩歌を専攻。在学中、山下勝也、澤好摩らと学生俳句連盟を組織し、その中心人物となる。学生俳句会の仲間であった摂津幸彦らともに同人誌「日時計」「黄金海岸」を創刊。1976年、若い俳人の拠点として「現代俳句」を創刊、1985年まで20集を刊行した。同年、会員制の俳誌「船団」を創刊、第5号より「船団の会」代表を務める。同誌参加者にはあざ蓉子、池田澄子、鳥居真里子、火箱ひろ、ふけとしこなど。また短歌結社「心の花」会員でもある。大学時代はパチンコに勤しみ、その間に正岡子規などを読むような生活を送っていたが、学生結婚を機に本格的に子規研究を始めた。子規研究のほか、子規の友人で俳人でもあった夏目漱石に関する研究でも知られる。2000年、京都府文化賞功労賞受賞。2001年、第9句集『月光の音』で第7回中新田俳句大賞スウェーデン賞を受賞。2004年、京都市文化功労者。2006年、ナメコロジー大賞受賞。2010年、『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』で第13回桑原武夫学芸賞を受賞。★柿衛文庫・也雲軒俳句塾塾頭、愛媛県文化振興財団芝不器男俳句新人賞選考委員、俳句インターハイ講評・審査員、日本文学にみる河川委員などを務める。 

一見ナンセンスな、軽快で憶えやすいリズムを持つ句が多く、コマーシャル俳句などと呼ばれていたこともある。坪内自身は俳句の本質を「口誦(こうしょう)性」と「片言(かたこと)性」にあると捉え、俳論などでしばしば論じている。「口誦性」とは「簡単におぼえてどこででも口にできる」ことであり、「片言性」とは、ことわざなどと同じように短く、言い尽くせないということで、そのことによって却って読み手から多様な解釈を誘い出し、言葉の多義性を豊かに発揮できるのだとする(「俳句の楽しさ」『口承と片言』収録)。掲句のほかにも「桜散るあなたも河馬になりなさい」など、愛好する動物である河馬の句を多く作っている。

 

 

《松山と俳句》愛媛県松山市HPより 

https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/haiku/index.html

俳諧は、正統の連歌から分れて、遊戯性を高めた集団文芸です。江戸時代の松尾芭蕉以来、冒頭の発句の独立性が高まり、明治時代には正岡子規により創作性が重視され、二の句がつげない俳句として独立しました。俳句の基本は、お互いに車座になり、各自が投句することから始まります。久松松平初代藩主定行は、身分を超えて御用商人と座を同じくし、滑稽とおかしみのある俳諧を楽しみました。元禄時代、4代藩主の定直は芭蕉門の宝井其角に入門し、藩士たちに芭蕉の俳諧が広がります。町方大年寄役を務めた栗田樗堂は、2度にわたって来遊した年若い小林一茶をもてなし歌仙を巻き互いに影響しあいます。文化文政時代になると、俳諧はいっそう庶民のものになります。明治時代になると、正岡子規の俳句革新運動が興ります。俳諧から発句が独立し、新しい俳句が生まれました。子規門の高浜虚子は俳句の王道を歩み、ホトトギス王国を築き、いっぽう河東碧梧桐は五七五にとらわれない新傾向俳句から自由律俳句運動へとすすみ、荻原井泉水や種田山頭火を生みました。松山出身の中村草田男や石田波郷など人間探求派が名乗りをあげたのは、奇しくも山頭火が松山へ来た昭和14年でした。

 

・・・愛媛・松山って★「俳都」だったんですね。