nanoの芸能ブログ♪
1947年
(昭和22年)、19歳。杉葉子 らとともに東宝 ニューフェイス第2期に合格。

1950年 (昭和25年)、22歳。端役 で『女三四郎 』にて映画 初出演。

以降『武蔵野夫人 』、『うれし恥かし看板娘 』、『見ないで頂戴お月さま 』、『大学のお姐ちゃん 』など1950年代の数々の東宝の作品に清楚な美人女優として出演する。

1958年 (昭和33年)、30歳。 を病み、その手術の際に総入れ歯 となってしまう。

1970年 (昭和45年)代になり、映画からテレビの時代に入ると、様々なドラマ脇役 で大活躍、子供向けのドラマ作品でも個性的な役を好演し、幅広い年齢層で人気者となる。

1969年 (昭和44年)、41歳。この年開始された『ケンちゃんシリーズ 』で、シリーズ全般にわたり「教育ママ 」役で多数出演する。決まり台詞は「んま~、なんてことでしょ!」。

1972年 (昭和47年)、44歳。『愛の戦士レインボーマン 』の「魔女 イグアナ」役で、鬼気迫る怪演を見せる。

この「魔女イグアナ」役では、近しい人たちから汚れ役ではないかと意見されたりしたが、塩沢にとってはこれはまったく心外で、「女親分のイメージでこれを演じ、現実離れした魔女のキャラクターでストレスを発散させ、大いに楽しんだ」と後に語っている。また、「メイクも衣装も全て自分で考えた」と、「テレビ探偵団 」でコメントしていた。このキャラクターは放映当時の人気も高く、ドラマ終盤に再登板の依頼があったが、塩沢のスケジュールが合わず実現しなかった。

1973年 (昭和48年)、45歳、『へんしん!ポンポコ玉 』で「覗き見が趣味の隣の奥さん」を演じる。決まり台詞は「見たわよ見たわよぉ~」。

1981年 (昭和56年)、53歳。『徹子の部屋 』(テレビ朝日 )で、30歳の折の癌と総入れ歯のエピソードを初告白 、その後、自らの癌体験を本にして出版する。

また、このときに過去の華麗な恋愛 を披露し、さらには「男性のものを頂く」という間接的表現で精飲 など情熱的な性行為 を告白し、周囲に衝撃を与えた。のちに『ライオンのいただきます 』に出演した際、視聴者からの『彼の精液がどうしても飲めないんです』という相談に対して、『私なんか(今迄に)一 ぐらい飲みましたわよ』と発言した事もあった。

その後、『月曜ドラマランド 』などで「お金持ちの奥様」や「カカア天下 の上司夫人」などの役を怪演。

1984年 (昭和59年)、56歳。『ライオンのいただきます 』にゲスト出演、その上品な口調で下ネタを連発するトークと、大きく結った独特のヘアスタイルで人気を博し、ドラマにバラエティ に映画にと出演を重ね、売れに売れまくる。この独特の左右に張り出した巨大な髪型は、発泡スチロールの芯を入れた特注品で、デヴィ夫人 に憧れてこの髪型にしたとの説もある。

1985年 (昭和60年)、57歳。右乳癌 を患い入院、手術。その後はマイペースにドラマ、映画、舞台 、などの仕事をこなしていく。

1999年 (平成11年)、71歳。今度は骨粗鬆症 を患うが、5年間の闘病生活を送るなか、その間も杖を使いながら少しずつドラマなどの仕事をこなす。

2004年 (平成16年)、76歳。新薬の効果で骨粗鬆症を無事完治 したのもつかの間、左胸に違和感があり、9月に受けた前回の執刀医による診察で、乳癌であることが判明。ごく初期だったため、乳房を残す方法も検討されたが「ありったけ取ってください」と全摘出。手術は無事成功し、回復後元気に仕事をこなす。

2005年 (平成17年)、77歳。乳がんの手術の為、テレビ出演は、できなかった。最後のテレビ出演は『徹子の部屋』(テレビ朝日)だった。

2007年 (平成19年)5月17日、スキルス性胃癌 の為東京都 目黒区病院死去 。79歳没。

舌癌・左右両方の乳癌と3回もの癌の罹病を克服し、「癌は治る」と元気に話していたさなかだった。

平田昭彦 に「憧れの情を持っていた」とインタビューで述べている。平田は小学校のときの同級生で、同じ東宝に所属し、『大学のお姐ちゃん』や『レインボーマン 』など、多くの作品で共演している。

好物はヒレ ステーキ 。癌による乳房切除までは、巨乳 として有名だった。生活は質素で、生涯借家住まいで独身だった。