‟「いいね!」がひとケタの記事シリーズ” 

 

過去に掲載した記事の中から、「いいね!」がひとケタしか付いていなかったという、あまり読まれていない記事を再掲載してみます。

 

とはいうものの、実はこの記事、以前リブログもしています。

すでに見たよ~というみなさんは多いかもしれませんが、最初に掲載したときの「いいね!」は、3個でした。

 

しかし、天野可淡の「神経に棲む者たちへ」という文章は、凄すぎます。

もう何度も何度も繰り返し読んでいます。何かにとりつかれたように。

 

************************************(2016年4月20日掲載記事)

 

ズジスワフ・ベクシンスキー 

 

この画家の名前を知らない人も多いはず。実は私もつい最近知りました。 「孤高の画家」、「滅びの画家」、「終焉の画家」とも呼ばれるベクシンスキー。 

 

ご本人を写真で見る限り、明るい印象の普通のおじさんといった雰囲気なのですが、実は妻に先立たれ、息子はクリスマスイブに自殺し、自身も最後は殺害されて亡くなるという生涯。

 

 絵の雰囲気には、どこかH.R.ギーガーのような部分もありますが、暗黒世界の深い闇を描かせたら、彼を凌駕する画家を見たことがありません。 

 

彼の絵は、そのどれもタイトルが付けられていないのも特徴。絵の表現とタイトルを関連付けて評価されることを嫌っていたのかもしれません。いや、一言のタイトルで表現できないほどの深淵な世界を彼の絵画は描いている、というのが正しいかも? それでは、彼の絵画を3点だけ紹介します・・・・・

 

   

たしか、この絵が「3度見たら死ぬ」と言われている絵だったかも。でも、3度以上見てますが、今のところは大丈夫です(笑)

 

 

 

でも、かつてベクシンスキーの作品を59点まとめて購入した日本人がいたそうですが、その日本人も絵画も今では、その行方がまったくわからなくなっているそうです。 

 

深い闇の世界、いったん踏み込むと、なかなか抜け出せなくなりますよ・・・ 

 

ところで、日本人の人形作家で好きなのは天野可淡。 

 

この作家は昔から、おそらく20年以上前から知っていて、彼女の闇の世界に魅了されています。30代の若さで交通事故で亡くなってしまいましたが、今でも熱狂的なファンが多くいるようです。

   

 

『KATAN DOLL fantasm』という彼女の人形作品集の末尾に記されている「神経に棲む者たちへ」という文章には、強烈なカルチャーショックと言えるほどの衝撃を受けました。

 

こんな文章を書ける人間がいるのかと・・・。

 

  神経に棲む者たちへ 

 

・・・・・あるいはもしあなたが風にあこがれて 

地下から這い出るセミならば、 

最後の土をかき分けた瞬間、 

地上の目もくらむ光と同時に 

足もとに深く広がるやわらかな闇を 

あらためて認識するでしょう。 

人々はともすると光と闇のとろけあった 

乳白色の混沌の中にさまよいがちです。 

私もその中の一人だから常にそれを恐れ、 

手を動かさずにはいられないのです。 

 

子どもの頃、真夜中のベッドの中で、 

そこにある自分の肉体と、 

それをあらためて意識している 

目に見えぬ別の自分との接点がさがせなくて 

悲鳴をあげたことが有ります。 

きっと前の日、 

日焼けで剥がれた皮膚や 

花びらなどを 

顕微鏡で永いことのぞいていたせいかもしれません。 

もし精神というものをのぞける顕微鏡が有るとしたら、 

やはり皮膚や花びらのそれと同じように 

神に存在を約束されたものとして 

映し出されるのでしょうか。 

それが知りたくて、 

それを確かめたくて私は私の精神に棲むものを 

作らざるを得ないのです。 

時々私の作った人形を見て、 

なぜかなつかしいと言う人がいます。 

きっとそのひとも私を同じように、 

いつか遠い日に悲鳴をあげた記憶があるのでしょうか。 

 

時おり私は無機質になりたくて 

高速道路をバイクで走ります。 

スピードメーターに反比例して 

私は単純な記号で表されるかめの子になります。 

そんな時は山あいに広がる夕焼けの中に 

神の存在を正直に認めることもできます。 

そして願わくば一元素として 

〈彼〉の胸にとけ込みたいとさえ感じます。 

しかしそれが果たせる訳でもなく、 

しばしば白バイのおじさんに 

自分が単なる猿であることを教えられます。 

 

アーティストとは成長できなかった人、 

と辞書を書きかえるべきかもしれません。 

しかし成長できなかった人の特権として、 

私は作品の中で自意識を分解し 

新たな原子でそれを再構成することができます。 

〈彼〉が一日目に光を闇を作り、 

二日目に天と地を作り、 

最後に私たちを作ったように、 

アーティストも自らの光と闇、 

自らの天と地、 

そして最後に自らの神経をときめかす者たちを 

作ることができるのです。 

 

私は願わずにはいられません。 

私の作りだす者たちが、 

あのかつての闇を切り裂いた悲鳴を 

なだめる者であることを。 

目に見える神経と目に見えない神経の狭間を 

うめる者であることを。 

そして、 

あなたの神経から響く微分音を、 

私が正確にとらえ受けとめることができることを、 

再びサイレンのストップもかかることなく・・・・・  

人形はいいます。 

 

“私の瞳は銀色の湖  

しばし泳がせてみませんか  

あなたの退屈な時間を  

そして残るは  

悪魔の頃のあなたのぬけがら” 

 

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特に「アーティストとは成長できなかった人」とか、

「そして残るは悪魔の頃のあなたのぬけがら」という言葉には、

背筋がゾクッとするほどの衝撃を受けました。

この文章を何度くりかえし読み返したことか。 

そして、彼女は最後、「再びサイレンのストップもかかることなく」

オートバイの事故でこの世を去ってしまったのです。 

 

天野可淡、正真正銘の天才です。

 

 

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