兵庫県尼崎市久々知(くくち)というところに
近松公園があります
久々知(くくち)とはなかなか読みに名前ですが
忍たま乱太郎の漫画で久々知兵助を御存じの
方は読めると思います
久々知兵助(くくちへいすけ)
↑
文武両道で豆腐好きのイケメンです
忍たまの作者の尼子騒兵衛が尼崎市
出身なので尼崎の地名を付けたようです
この近松公園は近松門左衛を記念して
作られた公園のようで銅像と記念館が
あります
近松門左衛門銅像
頑固爺さんみたいですね!
江戸時代の最高の浄瑠璃作家近松門左衛門
は福井藩士の子供で三人兄弟の真ん中です
武家出身なので少し頑固そうに見えるので
しょう
父親の杉森信義は近松が11歳の時に越前から
浪人し京都に移住し
青年期に近松は京都の公家に仕えていたので
そこで古典や故事の教養を深め、当時、評判
の浄瑠璃語り宇治嘉太夫の元で浄瑠璃を書い
たのが浄瑠璃作家の始まりです
近松記念館 正面
近松記念館は正面の入口が団体専用で個人客
は左手に廻って小さな入り口から入ります
入ります
横の貧相な入口
なにやら古そうな机と筆記用具があります
江戸時代の筆記用具
近松愛用の文机だったらしい
凄いですね!
天和3年(1683年)31歳の時に曽我兄弟の仇討ち
の後日談「世継曾我(よつぎそが)」を書いて
世に認められます
近松門左衛門年表
元禄16年(1703年)51歳の時に「曾根崎心中
(そねざきしんじゅう)」を書いて大当たりをとり
大人気作家となるのです
曾根崎心中 お初と徳兵衛
*露天神神社(お初天神)の銅像より
中学校の課外授業で道頓堀の朝日座に
曽根崎心中を見に行ったことがあります
近松門左衛門と尼崎の縁はこの記念館の横に
ある広済寺が荒れ寺だったので広済寺を
日昌和尚と共に再興したことです
広済寺
広済寺には近松の部屋があって晩年は
そこで執筆活動をし亡くなったようです
浄瑠璃の床本と見台
人形浄瑠璃ゆかりの床本や見台が展示されて
おります
正本屋九右衛門木造
浄瑠璃や義太夫の正本の版元で大坂の書肆
(書籍商)山本九右衛門の木像で近松と共に
広済寺を再興した友達です
女形人形
人形浄瑠璃の女形人形も展示してあり
なかなかいい出来の人形です
法華二十八品和歌(ほっけにじゅうはちほんわか)
平安時代の歌人で百人一首にも入っている
慈鎮和尚(慈円)がつくった法華経に基づく
和歌が法華二十八品和歌です
江戸時代の公家阿野実藤(あのさねふじ)が
書写したものを近松門左衛門が広済寺に
奉納しています
近年の近松作品を公演した時のパンフレット
や色紙が多くありました
色紙
公演とかドラマ制作の時に広済寺をお参りし
色紙を残したのでしょうね
宝塚歌劇団 近松・恋の道行パンフレット
ありゃ~!
文楽劇場の吉田玉助襲名公演のパンフレット
もありました
吉田玉助襲名披露公演パンフレット
この公演は見に行って玉助さんと一緒に
写真も撮りました
地元の人が作った女形人形
近松応援団人形部というたぶん地元の人々が
作った人形もあります
尼崎には近松が相当根付いていますね!
二階はホールになっていました
二階ホール入口
ここでは尼崎の下坂部小学校の浄瑠璃クラブ
の公演があるようです
小学校に浄瑠璃クラブがあるとは!!!
尼崎では近松門左衛門が今も人気ですね!
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