K-128 ギリシャヴィーナス胸像(クニドスのヴィーナス) | きょうの石膏像 

K-128 ギリシャヴィーナス胸像(クニドスのヴィーナス)


K-128 ギリシャヴィーナス胸像(クニドスのヴィーナス)    H.70×W.43×D.35cm(紀元前350年頃 古代ギリシャのプラクシテレス作がオリジナル(これは現存せず) 石膏像はそのローマン・コピーを基にしています ヴァティカン美術館収蔵)


さて、こちらのヴィーナス像、石膏像としては比較的古くから国内でも製造されていたものですが、ちょっとマイナーな感の否めないものです。
美術予備校なんかで、ちらっと見たことはあっても名前まではちょっと・・・という方が多いかもしれません。

でも、美術史的な観点からすると、この石膏像の元ネタとなった彫刻”クニドスのヴィーナス”というのは、とても重要な彫刻なのです。



最初の出発点となったのは、古代ギリシャ時代にプラクシテレス(石膏像のヘルメスの作者と同じ)が作った作品なのですが、こちらは後にコンスタンティノープルへと持ち去られ、そこで失われたと考えられています。


ファイル:Knidos-coin-Aphrodite.jpg
おおよそこんな様子だったようです・・・
これはクニドス(現在のトルコのエーゲ海沿いの都市)で発掘された硬貨の図柄
プラクシテレス作のオリジナルの彫像が描かれているとされています。


この作品がなぜ意義深いものなのか?その理由は、古代ギリシャ史上初めての等身大の女性の”裸体像”であったというところにあります。
このヴィーナス像以前にも女性を表した彫像はたくさんありましたが、それらはいずれも着衣像であり、完全な”裸体”という表現は初めてだったのです。

センセーショナルで、なおかつ美しいヴィーナス像はとても有名になり、たくさんの複製品が作られることになりました。
ローマ時代のものなど、かなりの数の同タイプの複製彫像が発掘され、各地の美術館に収蔵されています。

そういった現存するコピーバージョンの彫像のうち、もっともオリジナルのプラクシテレスの作品に近いと考えられているのが、今回の石膏像の元となっているヴァティカン美術館収蔵の「コロンナのウェヌス」と呼ばれる彫像です。

石膏像のオリジナルとなっているのは、こちら、

「コロンナのウェヌス(”クニドスのヴィーナス”のローマンコピー)」(ヴァティカン美術館収蔵)

”コロンナ”の名は、この彫像を当時のヴァティカンに寄贈した貴族コロンナ家にちなんだもの、”ウェヌス”とはヴィーナスのことです。

コロンナ家は、中世イタリアで力を持っていた貴族で、ローマのトラヤヌス帝の記念柱(コロンナ)の近くに一族が住んでいたためこの名になったそうです。枢機卿を多数輩出し、15世紀にはマルティヌス5世が教皇にもなりました。



大英博物館収蔵のミケランジェロ作「ヴィットリア・コロンナの肖像」
晩年のミケランジェロが、心の友として親交を深めたヴィットリア・コロンナもコロンナ家の一員でした。


1783年に、コロンナ家のドン・フィリッポ・ジュゼッペ・コロンナが当時の教皇だったピウス6世に4体のヴィーナス像を贈りました。その中の一体がこの「コロンナのヴィーナス」です。


File:Colonna-Venus-front.jpg
オリジナル正面。石膏像も、髪の流れなどがなかなかの再現性ではないかと思います。

File:Colonna-Venus-right-side.jpg

オリジナルの横からの写真。


この彫像は、古代ギリシャ時代にすでに有名であったため、様々な逸話も生まれました。
以下Wikipediaから、その辺を抜粋してみます・・・(多少分かりやすくまとめています)

①この像は、どの方向から見ても美しいという点と、初の等身大の女性裸像という点から有名である。

②女神アフロディーテーが純粋さ(処女性ではない)を回復させる儀式の風呂に入る準備をしているところを描いたもので、脱いだ服を左手で置こうとし、右手で陰部をかくしている。一見するとその右手は奥ゆかしさを表しているように見えるが、実際には裸であることを強調している

③大プリニウス(古代ローマの博物学者)によると、プラクシテレスはコス島の市民から女神アフロディテ―の像の制作料を受け取った。そこでプラクシテレスは、着衣像と裸像の2つを制作した。驚いたコス島の市民は裸像の受け取りを拒否し、着衣像だけを購入した(この着衣像は現存せず、そのデザインも伝わっていない)。
受け取りを拒否された裸像を、クニドスの市民が購入し、これをあらゆる方向からみられるように屋外の神殿に設置した。その堂々とした裸のアフロディーテーの大胆さから、クニドスのアフロディテ―象はプラクシテレスの最も有名な作品となった。

④この像のモデルは、娼婦フリュネだという噂もある。この像は非常に有名になり、複製されるようになった。あるとき、女神アフロディーテー自身がクニドスに現れ、この像をみると「ああ、プラクシテレスはどこで私の裸をみたの?」と言った・・・という逸話まで語られるようになった。

⑤この像はクニドス人の守護神であり、信仰対象となったが、同時に観光名所にもなった。
ピテュニア王ニコメデス1世は、この彫像と引き換えにクニドスが抱える莫大な債務の清算を申し出たが、クニドス人はこれを拒絶した。


なんか、①~③まではなんとなく納得が行きますが、④になるとちょっと・・・って感じの話ばかりですね。


 
この作品、なんと19世紀から20世紀初頭までは、このような金属製の布で下半身がおおわれていたんだそうです!びっくりですね~。
1932年にやっと取り除かれたんだそうです。




以下、同じ”クニドス”タイプの作品を貼ってみます・・・


「ルドヴィーシのクニドスのアフロディーテ」
実際に発掘されたのは、トルソ、腿の部分だけで、他のパーツは後世の補足です(頭部と、両腕はピカピカですものね・・・)



ドイツ・ミュンヘンのGlyptothek(石膏像美術館)の”クニドスのアフロディーテ”
これは大理石の発掘物だと思いますが・・・、まあ同じタイプの彫像ですね。



パリ・ルーブル美術館収蔵の「カウフマンの頭部」
こちらも、クニドスタイプの彫像の頭部だったと考えられています。



ともあれ、紀元前4世紀の古代ギリシャに於いて、プラクシテレスが”クニドスのヴィーナス”で提示した”ヴィーナス(アフロディーテ)”のスタイルは、その後の彫刻史に大きな影響を与え、古代ギリシャのヘレニズム期、古代ローマで生み出された他のヴィーナス像に脈々と受け継がれてゆくことになります・・・


次回以降は、このヴィーナス像の系譜をすこし辿ってみようと思います。




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