前回からの続き(6月18日のこと)です
妙心寺から丸太町通りで、西へ向かいます
途中から右へ逸れ住宅地へ入ると、雙ヶ岡の南側の入り口があります👍
とおみのひろば…二の丘頂上から北へ少しさがった地点からは、比叡山、大文字山をはじめ東山方面への眺望が開けてます。
郡集墳…雙ヶ岡には、一の丘と二の丘との鞍部及び三の丘周辺に二郡集墳があります。これらは6世紀後半から7世紀初頭にかけて築造されたものと考えられています。
はなみのひろば…サクラなどの花木を中心とした広場です。あすまや(休憩舎)があります。
こもれびのひろば…疎林と芝生の広場です。便所と水飲み場があります。
周辺の史跡など
仁和寺…仁和寺は、仁和2(886)年創建の門跡寺院で、国宝の金堂をはじめ数多くの文化財を有しており、境内は国の史跡に指定されています。
法金剛院…平安時代後期の遺構である「青女滝」の滝石組が残る国指定特別名勝の庭園があります。
妙心寺…四十余の塔頭を持つ禅宗寺院で、境内は国の史跡に指定されています。
京都市
(原文のまま)
ちなみに、各丘の標高は
一の丘 116m
ニの丘 102m
三の丘 78m
となっています
(京都大知典参照)
丘の登り口は石段
すぐにこんな感じに🤣
普通に山を歩くように上がっていったら、ちょっと高く古墳っぽいものに🤔
頂上部分は平らな状態
でも、これに関しては解説の看板とか無かったんですよね😅
もしかしたら周りにあって見落としていたのかもしれませんがf(^^;
で、少し先にこんな看板がありました
三の丘群集墳
この周辺には、6世紀後半から7世紀初頭にかけて築造されたと考えられる群集墳が見られます。群集墳というのは、小規模な古墳が一定の墓域に次々と築造されて群をなるもので、5世紀末ないしは6世紀初頭に始まり、6世紀後半の最盛期を経て7世紀前半には衰退していきます。その被葬者は、墳丘規模、内部構造、さらにその圧倒的な数から見て、一部支配階級ではなく、より広範な階層の人々と考えられます。
雙ヶ岡には、このほか、一の丘と二の丘との鞍部にも群集墳があり、一の丘頂上には同時期よ豪族首長墓と見られる古墳があります。
京都市
(原文のまま)
地形図のアップ
群集墳のところには、古墳が13基あるということです
これらはいずれも径10〜20mの円墳
(京都の地名検証2参照)
看板辺りから見たちょっと高くなっていたとこ
この看板がある辺りが三の丘のようです
動画も撮ってみました
と、こんな感じで、前回上がれなかった雙ヶ岡へ上がることが出来ましたが、古墳がハッキリ分からないので、トレッキングをしてる感じです😅
上がれなかった前回の記事→雙ヶ岡
こんな状態が次回も続きます🙇
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ