紗音と嘉音は同一人物? それとも別人? | 07人目の狩人。

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紗音と嘉音は同一人物なのか別人なのか。
これは「うみねこのなく頃に」が完結してから2年が経つ今でもなお議論がなされており、最大の謎であると言っていいでしょう。
しかし、僕は断言します。ミステリーとして考えるのであれば、同一説はあり得ません。

何故そう言えるのかという前に説明しておかなければならないことがありますが、同一説と言った場合、多くの場合は多重人格説のことを指します。
そして、紗音と嘉音の二重人格とする場合もありますが、更にベアトを加えた三重人格であるとするのが普通です。
厳密に言えば、同一肉体に宿る別人なのがややこしいところです。

そうではなく、ただ単純に同一人物による一人二役だとする説は手掛かり不足で斬れるでしょう。
紗音と嘉音の顔が酷似していることを理由に一人二役が可能だったと主張する人もいますが、これはサウンドノベルでなければ成立しません。
文章だけで紗音と嘉音が一人二役が可能であるほどそっくりだと示している箇所はないはずです。
盤上世界をボトルメール、あるいは偽書に書かれたミステリーであると考えるならば、一人二役は不可です。
そもそも多くの赤字に抵触しますが、ここではあえて触れません。

ならば、多重人格説であってもそもそも手掛かり不足ではないかと考えられるのですが、そこは目を瞑り考えてみます。
まず紗音と嘉音の二重人格であるという考えは、ベアトを加えた三重人格であるという説よりも可能性が狭くなるだけだと思いますので、三重人格として考えましょう。

しかし、これも、【嘉音はこの部屋で殺された】 【(マスターキーの本数は)各使用人が1本ずつで5本だ。】
【金蔵、源次、紗音、嘉音、郷田、熊沢の六人は死亡している!】 【6人は誰も自殺していない!】
【嘉音は死亡している。】 【霧江たち5人の中で、一番最初に死亡した。つまりは、9人目の犠牲者というわけだ。】

など際どい赤字のオンパレードです。

それぞれの人格を別人としてカウントするようにしなければならないようですが、それに加えて人格死というような特殊ルールを持ち出してきて、わざわざ難解な事件にする意味が分かりません。
ベアトは魔女(人格)だから人間としてはカウントしないというのは、魔法犯行説を主張するのであれば当然の考えなので、これについてはまだすんなりいきます。

しかし、EP6のラストでは、
【初めまして、こんにちは!探偵ッ、古戸ヱリカと申します!!招かれざる客人ですが、どうか歓迎を!! 我こそは来訪者ッ、六軒島の18人目の人間ッ!!!】
…………申し訳ないが、【そなたを迎えても、】 【【17人だ。】】
というヱリカ、及び戦人とベアトのやり取りがありましたが、ヱリカの方が紗音と嘉音を別人として扱っているのに対して同一人物だと切り替えしていることになり、
なんだかヱリカの方が愛があるように見えて、これまた意味不明です。
別肉体説での考え方なら、現実世界において同一人物であることに至れなかったヱリカへの皮肉として理解できるのですが。

また、出題編までの情報では、真里亞が二重人格というのならばギリギリ成立し得るものであったかもしれませんが、
紗音と嘉音とベアトの三重人格というのはかなりの無理筋で、展開編であるEP6まできて少し可能性が出てくる程度といった感じです。

真里亞についても、EP2で
“………機嫌が良くて甘やかしたい真里亞と、邪魔だから居て欲しくない真里亞は別人じゃないの。”
と人格説を否定しているのも、また不思議な話なのですが。

EP7のウィルも“真里亞二重人格説、なんてのもあったな。”と訝しげな態度で、さらには朱志香に対して“自分のなりたい、“もう一人の自分を生み出す”、の話か…?”と、
人格と言うほどの大げさな話ではないという感じで話していたりと、人格説を肯定したいのかなんなのか非常に分かりにくいです。

とは言え、以上の情報がなければ、人格説などそもそも生まれ得なかったでしょう。
そして、おそらくはヤスの心情としても、人格説に至って欲しかったのではないかとは思います。
そうであるのならば、あまりにも酷すぎるロジックですが、人格説を完全に否定しきれるかと言えば、これもまた微妙です。

さらに言えば、この人格説という考えが生まれたのは赤字や幻想描写といったファンタジーのおかげです。ファンタジーを一切取り除いて考えた場合、人格説はさらに苦しい説となるでしょう。
以上のことから、僕は人格説はファンタジーとしての解答であると主張します。ですが、ファンタジーとしての解答しかないというアンフェアはヤスとしても許せなかったのでしょう。
その代わりに、ミステリーとしての解答として可能性を残されたのが別肉体説なのです。
僕は冒頭で同一説はミステリーとしてあり得ないと言いましたが、ファンタジーとしての解答とミステリーとしての解答という二つの真実が並び立つ可能性はあり得ます。
もしかしたら人格説はファンタジーであるので、あえてミステリーとして破綻するようにしたのかもしれません。

ここでミステリーのルールとして出されたヴァン・ダインの【第11則。使用人が犯人であることを禁ず。】について考えてみます。
実はこれはミステリーのルールとして捉えてしまうのでは破綻してしまうのです。
原典のヴァン・ダインから大きく改変された後出しルールである時点でミステリーとしてはあり得ないのですが、
それでもミステリーのルールであるとして捉えるならば“紗音は真の当主だから犯人足り得る”という解釈が思いつきます。しかし、この解釈はどうやっても成立しないのです。

何故なら、(マスターキーの本数は)各使用人が1本ずつで5本だ】により、紗音は使用人として扱われています。他に屁理屈を捏ねて抜けようとしようにも手掛かり不足です。
使用人でもあり真の当主でもあったとするのもロジックエラーでしょう。結局、使用人であることには変わりありません。

つまり【第11則。使用人が犯人であることを禁ず。】を抜けるためには、紗音は犯人ではないと考えなければなりません。
それでも、紗音の肉体が犯行を起こしたと考えるなら、魔女人格か上位世界の存在を認めるしかなく、要するにファンタジー的解釈しかないと言えます。

どうしてもミステリーとして考えたいのであれば、【第11則。使用人が犯人であることを禁ず。】は展開編以降、
しかもバトラが至ったあとに出されたものであるということから、【ノックス第8条。掲示されない手掛かりでの解決を禁ず。】との矛盾を起こしたものであるため成立しないと考え、
これを無視して紗音が犯人と主張してもいいのだとするしかないのです。

総論としては、ミステリー的解釈をした場合は別肉体、ファンタジー的解釈をした場合は人格説でいいのでしょう。
【第11則。使用人が犯人であることを禁ず。】についてはミステリーではなくファンタジー説の主張でありました。
しかし、ウィルがファンタジー説へと誘導しようとしたということからも、やはりヤスが望んでいたのは人格説だったのではないかと思います。
この現実世界での彼女の心情を理解できたなら、盤上で同一か別人かは実はどちらでもいいのかもしれません。
どちらにせよ、現実世界では彼らは一つの身体に宿る存在であることに変わりはありませんから。