Amadeus : Director’s Cut
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2002年(オリジナル版は1984年)アメリカ
監督:ミロス・フォアマン
出演:F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ
◼️あらすじ
19世期。かつてウィーンの宮廷学長を務めていた老人、サリエリが自殺未遂を起こす。
搬送先の精神病院を訪れた神父にサリエリは告白する。「モーツァルトを殺したのは私だ」と。
サリエリの口から語られるのは天才作曲家モーツァルト、そして神に対する激しい憎悪であった。
◼️感想
そうか!この映画は
・サリエリ
・モーツァルト
・神
の「三角関係」の話だったのか!
と、今さらながら理解できました。
「優秀」な音楽家であるサリエリが「超・天才」モーツァルトの才能を妬む、という話だと思っていたのですが、違いましたね。
手が届かぬ圧倒的な才能を、自分ではなくモーツァルトに与えた神をサリエリは憎み、復讐を誓うという話でした。で、神への復讐として「神の子」であるモーツァルトを殺そう、と。
神への復讐ですかぁ…。何やら格調高い映画なんでしょうなぁ。
と、思われがちですが。
いや、むしろその逆で、本作はキャッチーでゲスくて誰でも楽しめる映画だと思います。ほぼブラックコメディです。
神童モーツァルトが実は超〜下品なゲス男であったことは今や定説ですが、本作でのトム・ハルス演じるモーツァルト像は強烈ですね。ウンコの話でキャッキャとはしゃぐ様子は精神年齢12歳かと。
この下品で幼稚な超天才というキャラクターが笑えるんですが、そんな彼に翻弄される周囲の人々の困惑模様でもかなり笑わせてくれます。
そんな中で一番困惑しちゃうのが主人公のサリエリです。ひとつ誤解されやすいのは、サリエリは凡人ではなく、優秀で才能豊かな人なんですよね。
凡人サリエリが天才モーツァルトに嫉妬した。
ではなく、
天才サリエリが超・天才モーツァルトに嫉妬した。
なんです。
後者の方が妬みの問題が根深いですよ。サリエリは宮廷学長としての地位を築いており、自尊心も強い分、そんな自分を凌駕する存在に強い対抗心を抱くのは当然です。ましてやそのモーツァルトから侮辱された日にゃ、はらわたが煮えくりかえるどころじゃあありません。
でも、サリエリの怒りがもっと根深いのは、彼が【生涯童貞】を神に誓ったからでもあります。
少年期のサリエリは音楽の道での成功を強く望むあまり、「女性とは一切交わりませんので、音楽の才能をお与え下さい」と神に祈願します(あーあ)。願いが届いたのか、サリエリの努力が実ったのか、結果として彼は音楽家として成功を収めたのです。
ところが、そんな「神に誓って童貞」サリエリが足元にも及ばぬ才能を、神はモーツァルトに与えた、と。しかもモーツァルトはチャラ男のヤリチンで、サリエリが密かに想いを寄せていた女性をいとも簡単にパクパクしてしまいます。
モテない童貞が抱く、ヤリチンのチャラ男への恨みたるや…なのです。
同時に「私の童貞の誓いは何だったのよ?ねぇ神様?」と。
本作はそんな男性諸氏にとっては重大な問題を孕んでいるため、基本的に男はサリエリ全面支持のスタンスになるはずです笑。
サリエリ率いるモテない男軍団が神の屋敷を焼き討ちにする画が目に浮かぶようです。
焼き討ちと言えば…なんとなくサリエリとモーツァルトの関係性って明智光秀と織田信長っぽいんですよね…。サリエリ光秀がモーツァルト信長に復讐する話、という見方をしても楽しめる映画だと思います。
モーツァルトの死も、本能寺の変も、どちらも謎の多い「事件」ですが、2人の間にいったい何があったのかと、覗き魔的な好奇心を刺激する話であることは共通していますね。
話が逸れましたが、「天才」サリエリのネチっこい復讐劇を、「凡人」である観客が追体験するというのがこの映画の基本だと思います。
ただ、それだけに、復讐を遂げたサリエリが僕たち凡人に対して発する最後の一言にはドキッとさせられます。それは最後をキュッと締める絶妙すぎる優しさとスパイスでした。抱きしめられたような、突き放されたような。
その後のエンドクレジットで流れるモーツァルトの穏やかな曲がまた何とも言えない気持ちにさせてくれます。何なんでしょうね、この不思議な余韻は。
一言で言うと、人間のどうしようもない(罪深い、汚い)部分を「娯楽」に落とし込んでくれた映画だと思います。いやぁ、傑作です。
余談ですが、モーツァルトの妻コンスタンツェを演じたエリザベス・ベリッジのおっぱいが拝めるのはディレクターズカット版のほうですよ!お間違えのなきよう。
僕の評価:9点/10
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