図書館からかりてきた「小磯良平の世界」
2、3年前までは日本近代洋画には全然興味がなかったのですが、
最近はすきな画家がふえてきました。
小磯良平の絵は、こないだ岩手県立美術館の講座で、
「増田常徳の世界」をきいたときに、増田常徳に芸大にはいって絵をやるように
声をかけてくれたというエピソードとともに、
代表作の「斉唱」のスライドを見て、やっぱり見たいと思っていたんです。
じつはその講座の前に…。
小学校時代はガキ大将で体育が得意で、朝は寝床でぐーぐーぐー、
を地で行って一時間目は遅刻して受けられないという水木さん。
もうひとつの顔は絵がすきで、毎日絵を描いていたこと。
境港の浜に打ち上げられた猫や犬の骸骨を物置にコレクションして
お母さんをたまげさせたとか、死とはなにか、を知りたくて弟を
海に突き落としてみたり、
見方によっては困った子供だけど、なにか神秘的なものや生命や死といった抽象的な
ことを飽きもせず追及する、そんなところもいまに通じている気がします。
そんな水木さんにお父さんが油絵具を与えたところから、
毎日家に帰っては油絵三昧。
幻想的な絵をよく描いていたそうです。
そんな天才少年画家ですが、兄や弟とちがって、小学校時代の成績が
芳しくなかったので、無試験で入れる高等小学校に入り、そこを出てからが
転々なのでした。
仕事についても長続きせず、怠けているわけではないが、要領が悪く
熱心さが足りないというか…。絵がすきな子だからそれで身を立てられるようにと
案じた両親がすすめて、無試験で入れる図案の学校へ。
精華美術学院。
ここも卒業しないうちに、お父さんの転勤などがあり、
夜間中学に通いながら、中之島洋画研究所に通っている、
うちに戦争。ご存知の通り、南方の最前線に駆り出され、
片腕を失って復員します。
骨が出ているのを肉で包む手術を東京でするために入院していた時に、
武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)の入学案内を新聞で見て、
受験。園芸学校は五十人の定員で五十一人受験してたったひとり落とされる水木さんですが、
やはり絵の世界ならあうのでしょう。倍率は高かったようですが、合格して通い始めます。
が、ここでは絵を描いている水木さんとともに、奇人ウォッチングも楽しんでいたもよう。
生活に追われ、ここも卒業できず、水木荘をはじめたり、
紙芝居と出会って紙芝居描きをはじめたり、
そうこうしているうちに、出会ったのが
東京美術学校時代の同期に猪熊弦一郎がいたり、
小磯良平の指導教授が藤島武二だったりして、
あー、だんだんつながってきた!と。
前はすきな画家、すきな作品は 点 でしたが、
最近は すきな画家とその時代、誰に影響を受けたか、
など点ではなくて、立体でとらえるようになってきました。
とはいっても、知らない名前はまだまだ多く、
まるでクロスワードパズルを解いているような感じもあるんですが。