ニネヴェ<アッシリア>の地図と歴史 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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ニネヴェ 地図

ニネヴェは,ティグリス川東岸に存在した,アッシリアの末期に都が置かれた都市である。現在のイラクのクユンジクにあたる。

アッシリアの強大化

アッシリアの歴史は紀元前2000年頃にまでさかのぼるが,前14世紀頃から強国として台頭し,前1000年以降の新アッシリア時代にはメソポタミアやシリア・パレスティナ方面に進出して次々と各地を征服していった。

アッシリアの都は建国以来アッシュルに置かれていたが,国家の発展にともなって前9世紀以降には首都の移転が数度にわたって行われた。前9世紀前半にはカルフ(現ニムルド),つづいて8世紀後半にドゥル・シャルキン(現コルサバード)に首都が移されたが,前8世紀末から前7世紀初めには新たにニネヴェが都として選ばれた。

オリエント主要部の統一

ニネヴェが首都となった後の前7世紀前半,アッシリアの征服事業は最終局面を迎えた。

この時期,王のエサルハドンにつづいて,それを継いだアッシュル・バニパルがエジプトなどを制圧し,これによりアッシリアはメソポタミア・シリア・パレスティナ・エジプトを支配下に入れてオリエントの大部分を統一することになった。

アッシュル・バニパル王は学芸を好んだことでも知られ,首都ニネヴェに膨大な数の粘土板文書を収集して書庫を設立した。この文書のコレクションは近代になってから発見されて「ニネヴェの図書館」と呼ばれるようになり,古代メソポタミアに関する貴重な情報源となっている。

アッシリアの滅亡

オリエントの覇権を確立したのも束の間,はやくも前7世紀半ばから帝国は瓦解を始めた。王位をめぐってアッシリア国内で混乱が起こるなか,西方ではエジプトが自立し,南方ではカルデア人の新バビロニアが成立し,東方ではイラン人のメディアが台頭してきた。

そして前7世紀の末頃,アッシリアは,同盟を結んだ新バビロニアとメディアの連合軍の攻撃を受け,首都ニネヴェは包囲の末に前612年に陥落した。

こうして,約1400年の長きにわたって存続してきたアッシリアは,宿願であったオリエント主要部の統一を果たしてからまもなくして滅びることになった。