安心と安全のために取るべき対策
今回の東日本大震災で阿見町も大きな被害を受けました。自然災害が少ないというのが阿見町の自慢でしたが、今回のような広域的な原子力事故災害ではその安全神話も役に立たないことが明らかになりました。阿見町には、地域防災計画があります。
地域防災計画は、二つの大災害時に住民を守るために必要な手順を定めています。その二つとは、「風水害」と「地震」です。霞ヶ浦に面した地域等では、斜面等でがけ崩れや河川沿線では水害が想定されています。
しかし、福島県を中心として東日本全体を困難に直面させている原子力災害については、まったく想定されていませんでした。茨城県では1999年9月30日東海村で住宅地に隣接した原子力燃料工場で、JCO臨界事故が起きました。作業員2名が死亡し1名が重症、667名が被曝しました。周辺500メートルの住民に避難勧告、10キロメートルの10万世帯30万人以上が屋内退避という大事故でした。
農産物にとどまらず茨城県産の工業品まで風評被害で損害を受けるということがありました。周辺の市町村では、その機会に防災計画を見直し、地域防災計画に「原子力事故」災害を追加して対応することにしました。残念ながら、阿見町ではそうした備えが不備でした。
阿見町には、原子力関係の研究所や工場、発電所はありません。しかし、今回の教訓は、原子力に関しても充分な備えをしておくべきであるということです。阿見町では、危機にもっとも対応できる自衛隊の応援を受けることが出来ます。
今回の災害では、残念ながら住民の安全や安心に的確に対応する体制が取れていませんでした。原子力災害に専門的な知識を持った役場職員は、まったく不在でした。また、議会にもそうした経験をした人事も危機意識もまったくありませんでした。したがって、国や県から指示待ちの状態だったといって過言ではありませんでした。
「備えあれば憂いなし」のことわざどおり、危機対応と原子力災害の専門家の存在が必要でした。このような時のために、任期付一般職員や参与、顧問、調査員等の専門職員の配置が必要だったのです。役場も議会も、残念ながら危機に対応できず右往左往するばかりだったのです。
阿見町に今回起きているような、長期の低線量放射性物質が人体の健康に影響があるのは分かっています。確定的影響にはしきい値があり、確率的影響(白血病や発ガン、染色体異常など)にはしきい値がないと言われています。
はっきりとしていることは、大人よりは子ども、幼児が、感受性が高く、より強く影響を受けるということです。
したがって、子どもたちに関係する学校施設や公園、通学路などで影響を除去するという施策を積極的に取り、健康を継続的に監視するべきです。後に、安全だとわかっても、「無駄なことをした」ということはないのです。