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オディロン・ルドン

Odilon Redon

オディロン・ルドン 『エドガー・ポーに』Ⅰ. 眼は奇妙な気球のように無限に向かう  1882 岐阜県美術館蔵

オディロン・ルドン 『夢のなかで』Ⅱ. 発芽 1879 岐阜県美術館蔵

オディロン・ルドン 眼をとじて 1900年以降 岐阜県美術館蔵

オディロン・ルドン 青い花瓶の花々 1904頃 岐阜県美術館蔵

オディロン・ルドン 翼のある横向きの胸像(スフィンクス) 1898-1900頃 岐阜県美術館蔵

 オディロン・ルドンはフランスの象徴主義の画家。1840年ボルドーに生まれ、病弱な幼少期を田舎にあるルドン一家所有のベイルルバート荘園で過ごす。51年に学校教育を受けるためボルドーに帰郷。15歳のときに画家のスタニスラス・ゴランから素描を学び、ゴランを通して知ったウジェーヌ・ドラクロワの作品などに感銘を受ける。また植物学者のアルマン・クラヴォーからの紹介で、エドガー・アラン・ポーやシャルル・ボードレールの文学にふれる。62年、両親の意向でパリ国立美術学校の建築家を受験するも、失敗。一時、画家ジャン・レオン=ジェロームの教室に通うが、新古典主義に順応できず地元に戻る。その後、ボルドーに定住していた放浪の版画家ロドルフ・ブレスダンに師事。ブレスダンのロマン主義的な作品から影響を受け、後の伝記的主題につながる。

 普仏戦争後、素描家になることを決心してパリに移住し、木炭による素描を広く発表するための方法を模索する。そんななか、出入りしていたサロンで、紙に描いたものを石板に転写するリトグラフ技法を教わり、これによって初の版画集『夢のなかで』(1879)を出版。続いて、ポーの小説に着想を得た『エドガー・ポーに』(1882)、チャールズ・ダーウィンの進化論を独自に解釈した『起源』(1883)を刊行し、作中では、世界を見通すための道具として「眼球」のモチーフを多用している。機械化が進む世のなかを憂い、人間の内面に目が向けられつつあった当時、精神性を伝えようとしたルドンの木炭画は文学者界隈から関心が寄せられ、ジョリス=カルル・ユイスマンスの小説『さかしま』での紹介をもってその名が知られるようになる。ブリュッセルの「二十人会」、最終開催時の「印象派展」での出品も実現。画家として自立したルドンはパステルを用いた実験作から色彩表現に挑み、初の油彩画《眼をとじて》(1890)を完成させる。以来、木炭画から離れ、色彩を有するパステル画や油彩画に取り組む。

 1894年、印象派の伝播に貢献したデュラン・リュエル画廊での回顧展が成功。象徴主義の画家としてすでに中心的な存在であったルドンは、若手作家らとも交流し、その影響で室内装飾を手がけるようになる。1907年、ロベール・ド・ドムシー男爵の城館を飾る《グラン・ブーケ》ほか16点の装飾画を制作。晩年は、女性の横顔を描いた人物画、新たな兆しを見せ始めた当時の音楽に感化された作品を描く。1916年没。