京都大学大学院医学研究科腫瘍生物学の小川誠司教授
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京都大学大学院医学研究科腫瘍生物学の小川誠司教授
 がんのスプライシング異常の研究が本格化したのは、10年ほど前のことだ。そのきっかけとなったのが、2011年、京都大学大学院医学研究科腫瘍生物学の小川誠司教授(当時は東京大学医学部特任准教授)らの研究チームが、Nature誌に発表した1本の論文である。2022年3月29日、小川教授が本誌の取材に応じ、産学連携を通じたがんの創薬研究や今後のがんの基礎研究の課題について語った。

小川教授らの研究チームは、難治性の血液がんである骨髄異形成症候群(MDS)の患者などを対象に、エキソーム(全エキソン)解析を実施。複数のスプライシング因子(SF3B1、SRSF2、U2AF35、ZRSR2など)の遺伝子に高頻度に変異が生じており、それによるスプライシング異常が発がんに関わっていることを突き止め、2011年、Nature誌に論文を発表した。

 全部見てみようということでやってみたが、スプライシング因子の遺伝子に変異があるとは意外だった。RNAのスプライシング機構に変異が集中しているとはそれまで考えられていなかった。病気のメカニズムは人知を超え、想像を超えていることが多いが、ジェネティクス(遺伝学)は想像もしないことが分かる。その意味で、遺伝学は地図を与えてくれるが、ただし、その地図を理解するためにはバイオロジーが必要だ。未だになぜ、MDSにおいてスプライシング因子の異常が高頻度で生じているのかは分かっていないが、スプライシング因子についても、バイオロジーを知る必要があるだろう。

 当初から、がんのスプライシング異常が創薬につながる可能性はあるだろうとは考えていた。もともとがんは、スプライシング因子(遺伝子の片アレル)がやられている。その異常を正常に戻すのは難しいが、逆に、(片アレルの)正常なスプライシングを阻害して徹底的におかしくできれば、都合のいい治療ウィンドウがあるのではないかというわけだ。

 もっとも人間は「見たい現実を見たい」と考えるもの。スプライシングの阻害薬についても、スプライシング因子の阻害薬で阻害すれば……と見たい現実を想像して、これまでいろいろな試みがなされたが、実際の臨床試験で有効性が示された開発品はなく、これまでのところうまくいくかどうかは分かっていない。ただ、人間はそうでもしないと考えられない。めったやたらとあらゆる可能性を試すわけにもいかないので、合理的な仮説に基づかない試みも多い。

2015年からは、武田薬品工業と共同研究をスタートさせた。その際の共同研究のプロジェクトの1つが、同社が創製していたCDC様キナーゼ(CLK)阻害薬(現在の開発番号:CTX-712)について、スプライシング因子変異がんに対する有効性を検証するためのトランスレーショナルリサーチだった。CTX-712はその後、武田薬品工業からカーブアウトした創薬スタートアップのChordia Therapeutics(神奈川県藤沢市、三宅洋代表取締役)が開発を引き継いでいる。

 CLKは、スプライシング因子のリン酸化を担っており、Chordia TherapeuticsのCLK阻害薬(CTX-712)はスプライシングを阻害して、in vitroでもin vivoの担がんマウスでも非常によく効くことが分かっている。これまでの研究からは、スプライシングが一層おかしくなっているがん細胞に、より効きそうな印象だ。

Chordia Therapeuticsの粘膜関連リンパ組織リンパ腫転座1(MALT1)阻害薬(CTX-177)は、京都大学と同社の産学連携を通じて創製された。

 成人T細胞白血病リンパ腫(ATLL)は、ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)の感染によって引き起こされ、予後不良な血液がんとして知られている。我々は、ATLLを対象に、網羅的な遺伝子変異の解析を実施し、CARD11遺伝子の変異を始め、T細胞受容体(TCR)/NF-κBシグナル伝達経路に複数の遺伝子異常が集積していることを明らかにしてきた。中でも、CARD11遺伝子の変異は、もともと、B細胞リンパ腫のドライバーとして同定されていたが、我々の解析でT細胞リンパ腫にも関与していることが明らかになった。

 CARD11は、BCL10、MALT1とCBM複合体を形成し、T細胞受容体(TCR)を介してNF-κBを活性化させるシグナル伝達経路で中心的な役割を果たしている。当初は、創薬標的としてCARD11を狙おうかと考えたが、CARD11には酵素活性がなく、低分子化合物による標的化が容易ではない。一方で、MALT1はプロテアーゼ活性を有する酵素であり、低分子化合物による阻害が可能な標的であると見込まれた。

 そこで、創薬標的としてMALT1に着目し、Chordia Therapeuticsの森下大輔氏(同社の共同創業者、CSO)が、MALT1を阻害する化合物の創製に着手した。約1年かけて最適化対象となる化合物が同定され、その後とんとん拍子で化合物の最適化が行われ、あれよあれよという間に、開始から約4年で非臨床試験を完遂させるに至った。

 最後まで自社で開発せずに導出されてしまったのは少々残念だが、今後は、導出先である小野薬品工業がCTX-177の第1相臨床試験を実施してくれるかどうかに注目している。その際は、切断されたBCL10が対象患者を選別するためのバイオマーカーになるだろう。将来的には、CTX-177を他の薬剤と併用することも考えられる。

全ゲノム解析の時代になり、多くのドライバー因子が同定されるようになった。今後のがん研究の課題は何だと思うか。

 がんの腫瘍は一般的には不安定であり、かつ、集団サイズが大きい。1000億個とか5000億個とか、白血病の末期であれば1兆個のがん細胞となり、ものすごい多様性がある。そのため、どんな治療薬を投与しても耐性が生じる。そこで鉄則となるのは、早期診断、早期治療だ。当たり前のことだが、多様性が入る前、いろいろな治療薬に耐性を持つ前に治療介入するのがベストだ。

 ただ、近年の研究から、がんの多様性は昔考えられていたよりもはるかに多様であることが分かってきた。それが治療抵抗性の最大の原因になっている。がん細胞の中には、治療薬が効くクローンと効かないクローンがいるが、がん幹細胞もさることながら、集団が大きくなると、BCR-ABL遺伝子のような遺伝的耐性を持ったものがほぼ必発で出てくる。

 問題なのは、ゲノムの変化(変異)だけでそうした多様性を捉えられないところだ。実際、全ゲノムシーケンスを実施しても、ドライバーが見つからないがんもある。非常に多くがエピジェネティックな修飾によって形作られている。同じ台本(ゲノム)であっても、「ここはこう読む」「ここはこんな表情」といったト書き(エピジェネティックな修飾)が加えられることで別の演技になる。

 エピジェネティックな違いまで含めたがんの多様性こそ、がんの本質だ。しかし、メチル化だけでもめちゃくちゃに入っているのでどれが悪いのか解析できない。加えて、エピジェネティクスはメチル化やヒストン修飾、ルーピングなどいろいろな種類がありすぎて、我々もまだすべてを知らないのかもしれない。まさにダークマターだ。我々の世代でがんの原因をすべて解明できるかというと絶望的だろう。

これまでの研究では、血液がん、固形がんのエキソーム(全エキソン)、全ゲノム解析によって、多くの発見をしてきた。

 人間が不完全な知識に基づいて、絶対思いつけない発見をしようとするよりも、「すべてを試す」しらみつぶし法が有効な場合がある。全部調べることができる方法論を構築できるかどうかが問題にはなるが、一旦方法論が構築されれば、非常に大きなブレークスルーとなることがある。この先どうなるのか、想像もつかないことを見つけようとするのは徒労だと思う。

 発見をするのは難しい。その裏にどんなストーリーがあるのかは分からないからだ。ただ、優れた研究者は、その裏にあるストーリー、つまり、目の前の実験結果の向こうにある原理を見ようとする。エピジェネティクスについても、エピジェネティックな変異の中からどうやってドライバーを見つけるか、その方法論があればいいのだが──。

アカデミア創薬には企業との緊密な連携が不可欠

武田薬品やChordiaとの産学連携を通じ、アカデミアのシーズから新薬候補を創出したり、トランスレーショナルリサーチを進めたりしてきた。

 そこまで多くの企業と接点があるわけではないが、武田薬品とは、ボストンから帰国後の森下氏から申し出を受け、共同研究の構想を練った上で、2015年から共同研究をスタートさせた。ただ当時は死の谷の存在について聞いていたし、アカデミア創薬の成功例もほとんどなかったので、アカデミアシーズからの創薬など簡単にできるわけがないと考えていた。

 しかし、武田薬品は数百万という化合物を持っていて、MALT1阻害薬のプロジェクトは、アッセイ系の構築から、ヒット化合物の同定、化合物の最適化、毒性試験の実施まで、とんとん拍子に進んだ。創薬は本来、我々の仕事ではなく、豊富なリソースを揃えた製薬企業の仕事。特に、大学の研究者が創薬を中途半端にやるのは合理的ではない。製薬企業のリソースを使わない手は無いので、製薬企業の良いパートナーと組み、戦略的に一緒に進めるのがいいと考えている。

 そもそもアカデミアの研究者は「なぜがんになるのだろうか」を純粋に追及しており、そんなに簡単に創薬標的が見つかるわけでもない。また重要な標的分子が見つかっても、薬剤で標的化できるものは限られている。もちろん、治療薬を開発して患者を治すことは重要だが、それを狙ってできるかというと偶然の部分も大きい。近年、アカデミアには創薬を進めて導出まで求められているが、実際うまくいく例ばかりではない。

 創薬については、創薬スタートアップや製薬企業が知識や方法論、リソースを持っているのに対し、アカデミアではできないことがある。アカデミア創薬をするのであれば、アカデミアと製薬企業、スタートアップ同士が良いパートナーを見つけて進めた方が、楽しいし、新しい展開も得られる。一方で、スタートアップや製薬企業には、臨床的なリソース、臨床検体や臨床データにアクセスするハードルが高いという課題もある。個人情報保護法によって、昔よりそのハードルが高くなり、企業がなかなかアクセスできない状況だ。

 今後、アカデミア創薬を進めるには、基礎研究者や臨床医と製薬企業やスタートアップがもっと緊密に連携することが重要だろう。基礎研究者の中には創薬に興味がないものもいるが、日本の創薬をより活発化するためには、もっと敷居を下げて人的交流を活発化したほうがいい。それが、企業にとってもアカデミアにとっても利益をもたらし、最終的には何よりも患者に利益をもたらすことにつながる。