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脳トレ宇宙論 コーヒータイム 女性計算手から天文学者へ(再)

2020-04-05 09:57:09 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 コーヒータイム 女性計算手から天文学者へ(再)

 

 

ヘンリエッタ・スワン・リービット (From Wikipedia)
(Henrietta Swan Leavitt 、1868年 - 1921年、享年53歳)アメリカの女性天文学者 

研究分野 天文学   研究機関 ハーバード大学 

主な業績 ケフェイド変光星の変光周期と光度の関係 

非常に興味ある研究人生である。天文学に限らず、全ての学問研究の典型的事例ではなかろうか。 人生は偶然の織りなす阿弥陀籤である。日の当たる人、当たらない人、時には不条理とも思える人生もある。また社会情勢、伝統、出自、風習、時代の流れ・・・がランダムに、そして意図するかしないかに拘わらず流れていく、否、流されていく人生。これらの問題は現在でも古くて新しい課題でもある。

それはさておき、もう少し引用しよう:

・彼女の業績は、ケフェイド変光星の変光周期と光度との間に相関があることを発見し、1912年に小マゼラン雲内のケフェイド変光星の周期に関する研究を発表した。この発見は天体までの距離の測定に利用され、後に渦巻星雲や楕円型の星雲が銀河系内の天体か銀河系外の天体かについての大論争に決定的な影響を与えた。 

この研究は、宇宙論における金字塔の一つともいえる。

・当時のハーバード大学天文台長エドワード・ピッカリングにについて

 1877年に台長になって、天体写真を解析し、一つ一つの星について位置や明るさ、スペクトルを特定させるプロジェクトを進めていた。そして天文学写真データの整理を行なう仕事が必要となった。この仕事に取り組む人は「コンピュータ(計算手)」と呼ばれた。 

 ピッカリングは当初、若い男性を計算手として雇ったが、彼らの仕事ぶりは芳しくなかった。そのため、業を煮やしたピッカリングは、「うちのスコットランド人のメイドのほうがずっとましな仕事をする」と言って、実際にメイドのウィリアミーナ・フレミングを主任として雇い入れた。他にもリービットを始めとして多くの女性を計算手に採用し、作業場は「ピッカリングのハーレム」とも呼ばれた。女性計算手は作業が正確なうえ、当時は給料も安く抑えられるという理由もあった。

それらの女性の中にはアニー・ジャン プ・キャノン、ヘンリエッタ・リービット、アントニア・モーリ、ウィ リアミーナ・フレミングといった、後に天文学上の業績を挙げることに なる女性も多く含まれていた。

 さてリービットはこの職場において星の等級を記録する作業を任せられ、その中でも写真データから変光星を探し出し、カタログに記録するという仕事に従事した。

1896年から2年間、リービットは天文台から一時離れたが、1902年、再びピッカリングのところでフルタイムの仕事をした。(給料は通常時給25セントのところ、リービットの能力を考慮して30セント支払われた。リービットは喜んで応じたが、この金額は当時の男性の賃金の半額程度だった)。 

 リービットは1904年から本格的に変光星の調査を再開し、小マゼラン雲から数十個の変光星を発見した。この成果は天文学者の間で話題となった。1907年までの間にマゼラン星雲内で、大マゼラン雲808個、小マゼラン雲969個、合計1777個の変光星を発見し、一覧表を作った。 1908年、論文で、16個の変光星を取り上げてその明るさと周期の表を載せたうえで、「明るい変光星ほど長い変光周期をもつという事実は注目に値する」と記した。この発見は天文学史上特筆大書に値する成果になる。 

終りに

リービットに関する公の記録はほとんど残っていない。日記や手紙などもあまり残されていないため、人となりについては分かっていないことが多い。天文学者として重要な地位に就くことなく、上からの指示のもと一人の測定者として一生を終えたことについて満足していたかどうかについても定かでない。(もう少し詳しくは WEB"天文学者ヘンリエッタレビットは宇宙を拡大しました”)

 


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