神なる冬

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[SF] メトセラの子ら

2009-06-22 22:00:36 | SF
『メトセラの子ら』 ロバート・A・ハインライン (ハヤカワ文庫 SF)


去年買った復刊本の積読消化。

中学生くらいに読んだはずなんだけど、こんな話だったっけという感想。

第一部と第二部でまったく別の話に分かれている。
第一部は不老不死の秘密を隠しているとして、地球で迫害された長命族が恒星間宇宙船(世代宇宙船!)を奪って脱出するお話。
第二部は脱出した先で異星人の神とファーストコンタクトして、なんだかんだで地球へ戻ってくるお話。

差別問題とか迫害とかの問題意識を表層に浮かべつつも、話はサッサと進んでいく。
これが90年代から00年代のアメリカSFだと、家族の問題だとか、父親を越えるとか、母親と和解するとか、うざったい話が続くはずなのだが、長命族は家族という単位での思想が薄く、親子のつながりでさえも、長命族内の同胞意識とくらべて希薄である。そりゃ、出会って恋に落ちたら曾孫だったという世界だから仕方が無い(笑)

そして、長命族の生きる道が恒星探査というのが、今でも目から鱗的な発想なんじゃないだろうか。
まぁ、恒星探査したいから不老不死の技術が欲しいというのもおかしいのかもしれないけど。

第二部に出てくる異性人もすごい。ある意味、『幼年期の終わり』に対抗するオーバーロードの登場だ。
まったく理解あえないけど、ほとんど全知全能

なんだかんだで誤解が解けて、エデンのごとき楽園に住まわせてもらっても、知恵の実などとっくに口にしている長命族は楽園の生活に耐えられずに、ここからも脱出しようとする。しかし、その行き先が新たなる未知の世界ではなく、母なる地球の緑の丘というあたりが、なんとも。

地球へ戻ったあとの展開も、記憶になかったので、結構ぶっ飛び。まぁ、感動的なラストではあるが。

さらに、巻末に付記されているSF大会でのハインラインのスピーチがすばらしく、これを読むだけでも価値がある。

「事実とは、1941年7月4日のこの瞬間より以前におこったことであり、この瞬間より後のことはみな非事実です。ほとんどの人はそのふたつを区別できず、明日の朝おきて食事をするだろうことを事実と見なしています。かれらは事実と非事実のあいだの違いを完全にこんがらがらせており、特にこのごろの人々は、事実、非事実、理論、主義、学、そして自然の法則をひどくこんがらがらせています」

今から68年も前のSF大会でのスピーチである。古びているどころか、なんと現代的であろうか。そして、なんとインターネッツ(笑)的であろうか。いろんな意味で自戒したい言葉だ。

ついでに、敢えてここを引用しよう。
「私の考えるところ、SF雑誌の中で最も陳腐な作品でも、アンソニイ・アドバーズの全作品、『風と共に去りぬ』に優ります。少なくとも、そこには未来を予測しようという人間らしい試みがはっきりあるからという意味です。」

「ライトノベルに携わる人々は今一度「風と共に去りぬ」を読むといい」なんてエントリを書いた奴が、実はこれを下敷きにしていたのなら尊敬する(笑)



ところで、結局、第一部しか記憶に無かったんだが、もしかしてダイジェスト版でしか読んでなかったんだろうか。


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