Ep8(2)

2016年12月31日 19時51分00秒 | Ep8

<遅れてきた来訪者>

●ベルンの出題解答編

 第二の晩で、犯人でない朱志香が“警察が来るまで絶対、誰の出入りも出来ないようにした!”と証言し、夏妃の部屋、食堂、屋敷の全ての封印は、決して破られることはないのだから、戦人一家が犯人だとすると、留弗夫と霧江がふたりとも屋外に出てくる事はできない。従って、この戦人一家犯人説に基づく解答編は幻想である

 

留弗夫一家犯人説以外でも、ロジックの構築は可能です。

いいえ、可能です。“犯人は殺人者”のことと定義されています。そして、殺人は登場人物に対して行なわれたものにしか限定しないとは言っていません。……即ち。譲治が島外ですでに、本件以外の殺人を犯していたならば、この島で誰も殺さなかったとしても“犯人”であり、嘘を吐くことが可能というわけです。

 

●ヱリカの赤き反論

 ヱリカの述べる赤字は、私の推理と矛盾しない。

 確かに留弗夫一家犯人説以外でも、譲治一家犯人説でロジックの構築は可能だった。ただし、複数の犯人説が成り立つとラムダデルタ様の“以上の情報で、犯人が特定できることを保証する。”に反するので、どちらかは否定されないといけない。

 確かに殺人は登場人物に対して行なわれたものにしか限定しないとはルールには明言されていない。ルールの補足から犠牲者は登場人物の中に限られることが読み取れるだけだ。

 “譲治が島外ですでに、本件以外の殺人を犯していたならば、この島で誰も殺さなかったとしても“犯人”であり、嘘を吐くことが可能”というのも正しい。だがだからこそ、登場人物以外の人物を関係者にしないためにも、犠牲者は登場人物の中に限られることが必要なのだ。

 なぜヱリカが赤字でベルンカステルの用意した解答に反論できるのか。それはヱリカがベルンカステルの手先だからである。このヱリカによるメタ縁寿の救出は、メタ縁寿を取り込むためのマッチポンプだったのだ。

 

●推理作家の応接室再び

 「推理作家の応接室」の世界がまた登場する。この「推理作家の応接室」はEp6のそれそのものであり、フェザリーヌがニンゲンの顔で縁寿と接するために用意した世界である。

 

右代宮絵羽の日記、“一なる真実の書”には、1986年10月4日から5日にかけての、六軒島の真実が記されている。

 

★一なる真実

・「一なる真実」とは、メタ縁寿が追い求める真実である。

・メタ縁寿が知りたいのは、1986年の10月4日から5日にかけての2日間に、一体何があったのかである。

メタ縁寿が所属していた「12年後の世界」は、確かに猫箱の中身の12年後から生み出された世界である

・猫箱の中身とは、ベアト世界の元となった、六軒島世界での事件に関する謎の事である。

 以上より、「一なる真実」とは、ベアト世界の元となった六軒島世界の、1986年の10月4日から5日にかけての2日間に起こった出来事のみを指す。他の可能性のカケラでも絵羽が六軒島での真実を日記に書いている可能性はあるが、それは「一なる真実」ではない。

 

●フェザリーヌが使う赤字

 なぜフェザリーヌが絵羽の日記の中身を赤で保証できるのか。エヴァは絵羽の化身なので、絵羽の日記の中身を知っている。エヴァがベルンカステルを通じてフェザリーヌに、日記に関する赤き真実を与えたものと思われる。

 

<黒猫の爪痕>

★エヴァ・ベアトリーチェ

 エヴァは、Ep3では“北風”役としてベアトのゲーム盤に登場し、Ep4では“黒き魔女”役としてベルンカステルの作った「縁寿の旅」の世界に登場し、Ep6では“譲治の母”としてバトラのゲーム盤に登場した。エヴァは、敵方の世界にも味方の世界にも、それぞれいつも異なる役で登場するため立ち位置が今ひとつ掴めない。エヴァは一体誰の敵で、誰の味方なのか。

 そして、Ep8ではバトラはエヴァにだけ招待状を出していないという。ヱリカにすら出しているのに確かに失礼な話だが、それ以上に、なぜここでエヴァを無視するのか疑問だ。なぜバトラはエヴァに招待状を出していないのか。

 これらの疑問に対する答えとして、“本物のエヴァは、Ep8にして初めて登場した”と主張する。Ep5では、本物のベアトは生きた人形のようになっていながら、ゲーム盤や幻想大法廷で、駒のベアトリーチェがまるで本物のようにふるまっていた。それと同じで、Ep3、Ep4、Ep6では本物のエヴァは登場していない。それぞれの世界でそれぞれの役目を与えられた駒のエヴァが、まるで本物のようにふるまっていただけである。 

 エヴァは、Ep3のゲーム盤で初めて誕生したように描かれているが、Ep3の戴冠式は形骸的な演出にすぎなかったわけだから、本当は別のタイミングですでに誕生している。ベアト世界は、生き延びた絵羽が「一なる真実」を黙して語らなかったからこそ誕生し得た世界であるので、ベアト世界が誕生した時点で、エヴァも同時に「一なる真実」の守り手として誕生していたことになる。

 絵羽はおそらく自力で碑文を解き、自力で黄金を手に入れ、自力で九羽鳥庵に辿り着き、自力で生還した。だからこそ、未来の黄金の魔女エヴァ・ベアトリーチェとなれたのだ。だから、エヴァにはベアトにもバトラにもなんの義理もないし、もちろんベルンカステルの事など知らない。愛する家族がいない未来に生きるエヴァにとって良くも悪くも関心があるのは縁寿だけだ。ベアトもバトラもベルンカステルも、エヴァが縁寿以外に興味がないのを良いことに、一応許可は取ったかもしれないが、好き勝手に駒のエヴァを自分のゲーム盤や世界に登場させたのだ。

 関心があるのは縁寿だけである本物のエヴァは、これまでのゲームには無関心であり、登場していない。だから、バトラは招待状を出さなかったのだ。しかし、Ep8はまさに縁寿のためのゲームであったため、ついに本物のエヴァが初めて登場した。ただ、未来の絵羽は縁寿に対し、愛も憎しみも抱いていたので、エヴァが縁寿の敵か味方かは、まだわからない。

 

●未来の無限

 エヴァは未来の魔女であり、本来ならベアト世界に無関係な未来の情報を無限に持ち込む事が出来る。これこそが本物のエヴァの無限の魔女としての力であり、ベアトから継承したりせずとも、誕生した時から備えている力である。

 

●一なる三人の魔女たちの取り決め

 黄金郷の扉は、外より2人で押さねば閉じられない。唐突に出てきたルールだが、連想されるのは“宇宙を生み出す最少人数は2人”という言葉。マリアージュ・ソルシエールの中で世界観が出来上がっていく過程の話で出てくる言葉だ。

 となると、“一なる三人の魔女たち”とは、マリアージュ・ソルシエールという“一なる”同盟に属する魔女を担った“三人の”人物、すなわち、マリアである真里亞と、ベアトリーチェである紗音と朱志香の、三人のことを指しているのではないかと考えられる。六軒島世界において、黄金郷の設定を具体的に取り決めていったのはこの三人のはずだ。黄金郷の扉に関する取り決めは、魔女の世界観を構成するのに“ベアトリーチェ”と“マリア”の“2人”が必要だったことと関連付けて作られた設定だったのだろう。

 

●山羊たちの推理1

『幻想勢は全て、虚構の存在』

『煉獄の七姉妹は、生贄の杭の擬人化した、幻想の存在』

『シエスタ姉妹近衛隊は、真里亞のウサギ人形が依り代』

『正体はウサギの人形。真里亞の妄想、幻想、虚構の存在。』

『事件は全て、ミステリーで説明可能。幻想は全て、関係なし』

『ロノウェは、魔法の存在、虚構の存在』

『ロノウェは源次が依り代。源次を妄想化した存在』

『幻想は全て虚構』

『ロノウェは幻想、虚構、幻、いるわけない』

『幻想勢は存在しない』

『ファンタジーは全部、ゲロカスゲロカス、全部ミステリー』

『ファンタジーは認めない』

『全てはミステリーで説明が可能』

 

 これらの幻想を否定する推理は、依り代関連など、おおむね正しい。ただ、一つだけ決定的に間違っているのは、ベアト世界こそがメインステージであり、メインステージなので現実であるのだから、幻想であっても虚構ではないということだ。『うみねこのなく頃に』は、六軒島世界の事件の再現であるゲーム盤をミステリーとして推理するのと同時に、六軒島世界の外の幻想がどういった世界観で構築されているかも推理できるところに、その面白さがある。

 

『島には右代宮家以外の何者かが潜んでいて、』

→ノックス第1条、犯人は物語当初の登場人物以外を禁ず

『共犯でない複数の犯人が存在して、偶然にも1人の犯人かのように、』

→ヴァンダイン第12則。真犯人が複数であることを禁ず

『ノックス十戒も、ヴァンダイン二十則も時代遅れ』

『ミステリーの定義は時代によって異なるはず』

『誰にも使えない秘密の通路で、密室に入った』

→ノックス第3条、秘密の通路の存在を禁ず

『秘密の通路を使用時、溶接して使用不可能にしたため、検証時には秘密の通路は存在してない』

→ノックス第8条、提示されない手掛りでの解決を禁ず

『これは全て狂言殺人で、誰も死亡していない。だから密室は全て、自称犠牲者によって構築された』

→ヴァンダイン第7則。死体なき事件であることを禁ず

 

 ここで登場するヴァンダインの二十則は赤字ではないが、山羊の推理を退けられているから、採用されているということだろうか。少なくとも、私の推理には反しない。

 十七は使用人の嘉音としても働いていたから“右代宮家以外”には該当しないし、そもそも犯人ではない。全てのゲーム盤で碑文殺人の全てを自らの手で実行した人物が必ずひとり存在して、その人物が真犯人であるとしているので、真犯人はたったひとりである。赤字で“殺された”と宣告される人物もいる以上、全て狂言殺人ということもない。

 

『ノックスもヴァンダインも意味なし、全ての密室はたった一つの解で解かれる。なぜならヴァンダインもノックスも推理には何の役にも立たない、推理など必要ない。なぜならベアトリーチェのゲームなど全て推理するのさえ馬鹿馬鹿しい。こんなのは本格推理じゃないから考えるだけ時間の無駄。ベアトリーチェのゲームなど、ミステリーなどと俺は認めない。全てのトリックに解答などない。全部全部幻想に過ぎぬ』

 

 これは論外。こんなに長く楽しめる推理ゲームは他にはない。

 

自殺じゃないですッ、事故死じゃないですッ、病死じゃないですッ、ちゃあんと私はあなたに殺されますよ、戦人さんッ!!!

毒ガスではありませんッ、溺死ではありませんッ、窒息死でもありませんッ!!

右代宮戦人は刺殺である!! 凶器はナイフ、背中にザックリなんてどうだ?!

古戸ヱリカは刺殺であるッ! 凶器はナイフ、背中にザックリ!!

完全なる密室にてそなたを殺したッ、窓も扉も、他全ての如何なる方法を以っても外部との出入りは出来ぬ!!

 

<八城十八>

●もうひとりの十八

 この時お目覚めになった十八が、戦人であることは、まだ確定していない。

 フェザリーヌは「推理作家の応接室」にいるときは、六軒島世界に実在した八城十八の姿を借りている。本物の八城十八が実は二人組だから、その設定に従いもうひとりの十八が「推理作家の応接室」にも登場しただけのこと。そのもうひとりの十八が戦人である必要はない。

 

俺の密室には如何なる修復も存在しない!!

そなたの青き楔の全てを赤き真実によって否定する。そなたの提示する全ての方法で、妾の密室を破ることは出来ぬ!!

無駄だ。そなたにこの密室は破れぬ。この密室は完璧だ…! にもかかわらず、そなたをこの密室で妾が殺す!!

 

●奇跡の魔女にも見つけられない

 奇跡の魔女が奇跡を探すのは、広大な砂漠から一粒の色違いの砂を見つけ出すような行為だ。実際に色違いの砂が存在する保証と、どのあたりに存在するか、それは何色なのか、などの手掛りがなければ、とても見つけられるものではない。ベルンカステルが見つけられなかったというのは、手掛りがほとんどなくて、まだ見つけられていないというだけの話。家族が帰ってくる奇跡が存在しないことにはならない。

 

●青く光る尖った小さなカケラ

 ベルンカステルから与えられたこのカケラを使うことで、エヴァもヱリカも本来持ちえない航海者の力を使うことができた。つまり、魔女がその力を貸与する事が出来るという発想がここに示されている。

 

<真実の書>

一なる真実の書を、封印が解けて一番最初に読むのはあなた、縁寿よ。

 

●真実の書を読むために

 Ep7の●猫箱の中身で述べたように、ベルンカステルには猫箱の中身を暴く力はなく、無法に「一なる真実」は暴けない。だがひとつだけ正当に「一なる真実」を知る方法があり、それが、“一なる真実の書”を読むことである。それには、「一なる真実」の守り手であるエヴァの許可が必要であり、例えベルンカステルであっても例外ではない。

 一方、どうやらエヴァはメタ縁寿に“一なる真実の書”を読ませたいと考えているようだが、メタ縁寿はベルンカステルの駒なので、それにはベルンカステルの許可が必要である。

 “一なる真実の書”を読みたいベルンカステルと、メタ縁寿に“一なる真実の書”を読ませたいエヴァとで利害が一致している。だから二人は協力しているのだ。

 

日記には真実が記されています。

 

●推理作家の記者会見

 八城十八が絵羽の日記を公開しようと言う「推理作家の記者会見」は、赤字が出てきたので、六軒島世界に属さない。フェザリーヌがニンゲンの顔で登場するための「推理作家の応接室」と地続きの世界である。

 

*これが、六軒島事件の真相なんですって!!

*あんたが認めなくたって!! これが真相なんでしょう?! だって、******、**********!!**************ッ!!!

あんたが認めても認めなくても、真実は変わらなァい!! だって、赤き真実で証明された、一なる真実が、これなんだからぁああああああああぁああああぁぁ!!

 

<八城幾子>

●私と幾子

 記憶喪失の“私”と、八城幾子との出会い。この物語には幻想表現がなく、六軒島世界での出来事であるようだ。だとしたら、「推理作家の応接室」に登場する八城十八と、この出会いの物語の八城幾子は、別の存在ということになる。フェザリーヌはこの八城幾子の存在を模して、ニンゲンの姿で「推理作家の応接室」に姿を現す。

 

●黒猫のベルン

 八城幾子が飼っている黒猫に“ベルン”と名前がついているのは、“私”と八城幾子との出会いが六軒島世界での出来事でないことを示しているようだが、そうとは限らない。

 八城幾子は六軒島世界に実在しており、飼い猫に、スイスの首都からとって“ベルン”と名付けた。フェザリーヌはその符号に目をつけ、メタ縁寿の前に姿を現すために、八城幾子の姿を借りることにした。バトラはメタ縁寿を通して八城幾子の存在を知り、その存在は生き延びた“戦人”が身を寄せる所として都合が良かったため、“戦人”が幾子と出会う可能性を探したところ、見付かったので、利用した。という流れ。

 八城幾子が魔女ベルンカステルを知っていたから黒猫の名前がベルンなのではなく、八城幾子が黒猫にベルンと名付けた事がフェザリーヌとバトラに目を付けられるきっかけとなったという解釈である。

 

●真実を知ってしまった

 メタ縁寿は「一なる真実」を知ってしまったため、それに矛盾する未来には行けなくなってしまった。おそらくバトラは、縁寿のもとに家族が戻ってくる未来、もしかしたら全員が生存している未来すらも用意していたのかもしれない。しかしそれらの未来は「一なる真実」と矛盾するので、バトラは、メタ縁寿には「一なる真実」を知って欲しくなかったのだ。

 

<大船団の包囲>

●鍵の争奪戦

 バトラがメタ縁寿に与えた黄金の鍵は、バトラが用意した未来への扉を開くことが出来るが、“一なる真実の書”も開くことができた。まるでマスターキーだが、マスターキーとして機能するには、メタ縁寿が扱う必要があるようだ。ただし、一度“一なる真実の書”を開くことで、“一なる真実の書”だけは誰でもその黄金の鍵で開けることができるようになったということだろう。

 ここで問題なのは、マスターキーがあるなら、それとは別に、それぞれの固有の鍵が存在するのではないかということだ。六軒島世界で“一なる真実の書”に鍵を掛けたのは絵羽なのだから、エヴァは“一なる真実の書”の固有の鍵を持っていそうである。また、未来への扉も、バトラはその固有の鍵を持っていないのだろうか。それがあれば、わざわざ危険を冒して黄金の鍵を取りに行く必要もないし、意味もない。

 絵羽の化身であるエヴァにはそもそも「一なる真実」を公にするつもりなどないから、固有の鍵は絶対に誰にも渡さないだろう。縁寿を除いては。しかし他ならぬメタ縁寿が“一なる真実の書”を読みたいと願ったので、エヴァが、黄金の鍵でも“一なる真実の書”を開けることができるように鍵穴を設定しその設定をベルンカステルやフェザリーヌに伝えたのだ。つまり、黄金の鍵がマスターキーだから“一なる真実の書”が開いたのではない。黄金の鍵は未来への扉の固有の鍵である。だから、何としても黄金の鍵を取り返さないといけないのだ。

 

<縁寿の選択>

●山羊たちの推理2

『嘉音は幻想。孤独な朱志香が生み出した、幻想の存在』

 

 “嘉音”という設定は確かに幻想だが、朱志香が恋した嘉音(紗音)は当然実在の人物である。文化祭で嘉音(紗音)が実際に目撃されていても全くおかしくはない。

 

『紗音は幻想! 譲治は根暗な引き篭もり! 二人の恋仲自体も幻想で存在しない!』

『紗音は、譲治の財産を目当てに近付いて』

『手紙などいくらでも書ける。手紙の内容で、純粋な恋愛だったかどうかの証明は』

 

 紗音は当然実在の人物。財産目当てで右代宮家に近付く人物は、黄金と右代宮家を爆弾で吹きとばしたりしない。紗音と譲治が純粋な恋仲でないと、紗音の動機がちぐはぐになる。

 

●強すぎるバトラ

 バトラはゲームマスターだから、ベアト世界やゲーム盤上でなら、エンドレスナインでも何でも使って無敵でも構わない。だが、「図書の都」はフェザリーヌのテリトリーで、ベアト世界でもゲーム盤でもない。それなのにそこでバトラがゲームマスターとしての力を振るえるのには、違和感を覚える。

 Ep8では六軒島や黄金郷が虚無に飲まれ、まるでベアト世界が、世界の外から侵略を受けているかのように見えるが、その実、その侵略もベアト世界のルールに則っている。山羊たちによる世界の破壊は、エヴァが未来の無限の魔女としての力を振るったものであるし、ベルンカステルも“一なる真実の書”を手に入れるためにはメタ縁寿を利用せざるを得なかった。

 ベアト世界は後見人のラムダデルタ様のお力で守られているので、ベルンカステルがベアト世界の外からベアト世界を侵略するには、ラムダデルタと真っ向から対決する必要がある。それだと勝負はどう転ぶかわからないので、フェザリーヌに力を借りるのが王道だろう。だが、ラムダデルタとの真っ向勝負もフェザリーヌに頼るのも嫌ったベルンカステルは、ベアト世界を内から侵略するために、エヴァやメタ縁寿を利用する手段を選んだ。フェザリーヌには面白いゲームを見せるとかいって「図書の都」を舞台として借りているだけだ。

 だから、いざベルンカステルが、ラムダデルタやバトラと対決することになったからと言って初めてフェザリーヌに頼ったとしても、フェザリーヌとしては、ラムダデルタ様が直接フェザリーヌに攻撃を仕掛けた時はともかく、黄金の鍵を取り戻しに来ただけのバトラを攻撃してあげる義理はない。フェザリーヌはあくまで観劇の魔女なのだ。だから、フェザリーヌによるバトラへの攻撃は見せかけのものでしかないし、ベルンカステルも最初からベアト世界のルールに則って勝負を仕掛けたのだから、それを続けるしかない、ということだろう。

 

ベアトリーチェは、1986年10月に、死亡した。よって、彼女が生み出した黄金郷は、完全に滅び去った。黄金郷に生かされていた、お前の親族たちも全員、滅び去った。お前の父も、母も、そしてもちろん戦人も、二度とお前のところに戻り、お前の名を呼ぶことはない。

 

●絶望的な赤き宣告

 上記の赤字は黄金郷に関する前半部分と、家族の帰還に関する後半部分に分けられる。

 前半部分は、ヱリカが確かに黄金郷を滅ぼしたので、その報告を受けてベルンカステルもその滅びを赤で宣告できる。

 後半部分は、黄金郷とはまた別の話だ。なにしろこの赤字の直後にバトラは縁寿の名を連呼している。この赤字は六軒島世界の縁寿のもとに家族が戻るかどうかについて言及しているのだ。ベルンカステルにも“一なる真実の書”を読む機会はあったので、それに基づく事実ならベルンカステルも赤で宣告できる。

 

*……戦人は死んだのに!!!

赤き真実でッ!! 戦人は死んだって宣言してるのよ?! 

 

●戦人の死の宣告

 これは、つい先程ベルンカステル自身がバトラを殺したので、使える赤字だ。

 

お前が心を許せる者は誰も存在しない!! 

 

●お前に何がわかる

 この赤字は、実はメタ縁寿が誰にも心を開いていないことを赤で断言している…わけではない。いくらベルンカステルと言えども、メタ縁寿の心の中を赤で断言できたりはしない。この赤字は、親族たちも全員、滅び、戦人は死んだからメタ縁寿が心を許せる者は全員死んでしまったと言っているのだ。

 

*ベアト?!?! どうして?! 赤き真実で死亡を宣言したのに!!

赤き真実は絶対!! それは誰が抗おうとも、絶対に覆せない、完全なる真実!!

右代宮金蔵は死亡している。

右代宮蔵臼は死亡している。

右代宮夏妃は死亡している。

 

●__は死亡している

 いくら六軒島世界の人物の宣告をしても、幻想の世界で蘇った右代宮家の人々が倒れるわけがないので、ベルンカステルは必死に目の前の右代宮家の人々そのものの死亡を宣告している。だが、それでも倒れない。

 

★黄金の真実2

 メタ縁寿は、黄金の真実を、“信じる心よ。……それは“私たち”の総意。……私たちが認めて共有した真実の前に、お前の赤き真実など、何も貫けたりしない。”と言った。これはEp6★黄金の真実で私が述べたことと矛盾しない。赤字では言えないことであっても、その場の全員が信じる態度を取っているため通用しているのが黄金の真実だ。

 では、メタ縁寿の反魂によるこの復活劇を、黄金の真実でどう説明するか。そもそも黄金郷親族たち滅び去ったのは、未来の人々が好き勝手な解釈で幻想を否定したからだ。だから、その滅びを否定するには、未来に生きる縁寿が、未来の人々の好き勝手な解釈を覆し、“縁寿の親族たちは今も黄金郷で縁寿を見守っている”という黄金の真実を、六軒島世界で通用している状態にする必要がある。

 メタ縁寿が未来の世界で自分が成すべきことに気付くことで、黄金郷が滅びずに済む可能性が提示されたため、みんなは蘇ることができた。もし、メタ縁寿がそれを成すことができなければ、今度こそ黄金郷は滅んでしまうだろう。

 

●ラムダデルタの復活

 ラムダデルタも縁寿の反魂で蘇ったと言うが、それは無理だ。六軒島世界の縁寿はラムダデルタを知らないので、六軒島世界で通用していることが前提の黄金の真実では蘇らせることはできない。第一、フェザリーヌが、“ラムダデルタが死ぬ”と筋書きを描いたものを、メタ縁寿が覆すのは、魔法の質が違うと思う。

 フェザリーヌとベアトリーチェが嘘をついていないと言うなら、フェザリーヌが、“ラムダデルタはエンジェの反魂の魔法により蘇った”という筋書きを作ったということになる。これなら、黄金の真実とは無関係にただただラムダデルタが蘇る。フェザリーヌも観劇に徹するつもりだったので、ラムダデルタの生き死に関わった形にはなるべくしたくないのだろう。

 

*魔女は、そっと左手を差し出し、縁寿の顔に近づけた。

*魔女はゆっくりと、その右手の拳を開く……。

 

●ベアトリーチェの出題

 わざわざタネを紫の文字で示しているから、正解は手品…ではない。この出題は、Ep6で唐突に飛び出した黄金の真実“そなたが魔法にて、伏せたカップの中に黄金の花びらを生み出した。見事な魔法であったぞ。”にかかっている。新ベアトが出題の時に行なった行動は、Ep8のゲーム盤上で6歳の縁寿にみせた行動を再現したものである。ゲーム盤上でベアトリーチェは、これは魔法だと言って手の中に飴玉を出現させた。Ep6でも雛ベアトは魔法の呪文を唱えると言ってカップの中に黄金のバラの花びらを出現させた。それが見事な魔法だというのだから、飴玉の方も同じ、見事な魔法である。正解は魔法

 

●ゲーム盤の外へ

 Ep8のラストで、メタ縁寿は“魔法”か“手品”の扉をくぐり、六軒島世界らしき世界に帰還する。これこそが、Ep6でバトラが雛ベアトに言った、“ゲーム盤の外へ連れ出せる”ということではないだろうか。

 それはもともとベアトの望みだったようだが、それはつまり、出来ることならやはり六軒島世界で幸せになりたかったので、その方法も模索していたということだろう。だが、ベアト世界に、不幸な生い立ちを背負ったメタ縁寿がベルンカステルによって連れて来られてしまったので、バトラは、このゲーム盤の外へ行く権利をメタ縁寿に譲ったのだ。

 では、ゲーム盤の外へ行くための、具体的な方法とは? それは、Ep3●カケラに送り込むの項で述べた、「カケラの海」の住人が持つ、カケラ世界の住人を別のカケラ世界に移住させる能力によるものである。“限りなく絶対を生み出す力”を司る後見人のラムダデルタなら、条件がそろえばその力を貸してくれるだろう。

 だが、移住先のカケラ世界を用意するためには、“ゼロでない限り必ず成就させる力”を持つベルンカステルの、可能性のカケラを探す力を借りないといけない。ベルンカステルが力を貸してくれるとは思えないが、Ep6で、ベルンカステルは“高い入館料を払ってる”と言っている。その入館料が、魔女がその力を貸与するための青く光る尖った小さなカケラで、しかもそれに込められているのが可能性のカケラを探す力だったのではないか。だから、敵対的な態度をとるベルンカステルもベアト世界に受け入れられたのだ。

 さて、ベルンカステルの力をもってしても、可能性がゼロでは見つけられないので、まず可能性がゼロではないことを示さなければならない。その方法がゲーム盤である。碑文殺人が完遂され、24時の大爆発が起き、生存者は居てもよいが真実を黙して語らず、少なくともメタ縁寿が経験した“事件の12年後”までは縁寿が孤独に生き、それでもなお縁寿の未来に希望がある、そんなご都合主義的なゲーム盤が再現できれば、それに連なる可能性のカケラが存在することが示されるので、ベルンカステルの力で探せるようになる。

 ゲーム盤で何度も試行錯誤をし、可能性を生み出す作業は、マリアージュ・ソルシエールに属する、ベアトリーチェの“1人を無限に殺す力”と、マリアの“0から1を生じる力”によるものだ。

 ベアト世界の住人がベアト世界の外で幸せになるためには、ラムダデルタ、ベルンカステル、ベアトリーチェ、マリアの力が揃って初めて可能となるとびきりの魔法が必要だ。このとっておきの魔法を、バトラはかわいい妹のために使ったのだ。

 

●「魔法」の扉の先

 六軒島世界は魔法や魔女の干渉が全くない世界なので、メタ縁寿が扉をくぐって辿り着いた先は、六軒島世界の様に見えるが、残念ながら厳密には六軒島世界ではない。ただ、これはもう仕方がない。本当に六軒島世界に送り込んだら、すでにその六軒島世界にいるはずの縁寿は、新たに来たメタ縁寿に上書きされて消滅してしまう。それは絶対避けるべき悲劇だ。それにせっかくの幸せの記憶を消すわけにもいかない。

 それならどうしたのかというと、まず、縁寿が幸せに生きている未来の六軒島世界のカケラを見つけて来る。それを縁寿抜きで完璧に複製する。その複製された世界の縁寿が居ないところに、メタ縁寿を送り込む。だから、メタ縁寿がベアト世界の記憶を持っているだけで、ほとんど六軒島世界である。

 なんだかメタ縁寿に幻想の幸せを与えただけの様にも見えるが、そうではない。これは本来メタ縁寿が享受できたはずの未来である。ビルの屋上に立った時、ベルンカステルが干渉する世界と干渉しない世界に分岐しただけのことで、ベアト世界の記憶があるから定義上六軒島世界ではなくなるが、確かに六軒島世界から分岐した現実の世界である。

 そして、メタ縁寿がその世界で幸せに生きることで、六軒島世界のオルト縁寿の未来が幸せなものになる可能性が提示されるようになる。もとよりオルト縁寿の未来が幸せになる可能性はさすがにゼロではないが、生い立ちから考えればほとんどゼロに近い。だが、その世界を模した世界でメタ縁寿が幸せになる可能性を示せば示すほど、オルト縁寿が幸せになる可能性も同時に提示されることになり、幸せなカケラの比率が、不幸なカケラの比率と比べてどんどん高まっていく。もちろん個々のカケラのオルト縁寿にしてみれば、その比率など関係なくただ幸か不幸かなだけなので、魔法が干渉していることにはならない。

 

●「手品」の扉の先

 “過去の物語なんて、どのようなものが紡がれたって、描かれたって、……未来の私の物語には、何の影響もない。”そんなことを考えているこのメタ縁寿は、未来の世界で自分が成すべきことを成さないだろう。だから、「図書の都」で起きた反魂による黄金郷の復活劇は、全てウソになり、黄金郷は滅亡する。グッドBAD END

 

●本物のエヴァの本当の目的

 メタ縁寿は「一なる真実」を知ってしまったため、それに矛盾する未来には行けなくなってしまった。だからメタ縁寿にとっては最良の結末ではない。エヴァが縁寿の味方だと言うなら、なぜ、メタ縁寿が“一なる真実の書”を読む企てに加担したのか。エヴァはやはり縁寿を憎んでいるのか?

 そうではない。そもそも本当に未来で孤独に生きているのは、ベアト世界に現れたメタ縁寿ではなく、六軒島世界で生きるオルト縁寿である。オルト縁寿にこそ幸せな未来を与えなければ、縁寿を助けたことにはならない。

 もしメタ縁寿が「一なる真実」を知ることなく、親族たち全員が帰還する未来に行くことができたとすれば、メタ縁寿にとっては確かに最良の結果だろう。だが、メタ縁寿が「一なる真実」と矛盾する未来に行ってしまうと、そこでどんなにメタ縁寿が幸せになっても、「一なる真実」の未来に生きるオルト縁寿が幸せになる可能性は提示されない。

 「一なる真実」を知り、オルト縁寿とともに12年間を生きたエヴァにとって、その結末は容認できない。だから、メタ縁寿には「一なる真実」と矛盾しない幸せな未来に行ってもらうために、“一なる真実の書”を読んで欲しかったのだ。エヴァの目的は、オルト縁寿の未来が幸せなものになる可能性を増やすために、メタ縁寿に「一なる真実」と矛盾しない未来に行ってもらい、そこで、オルト縁寿が幸せになる可能性を提示してもらうことである。

 バトラたちは確かにメタ縁寿の味方であったが、“縁寿”の味方はエヴァだけであった。

 

●第3日目 1986年10月6日

 この第3日目は、縁寿の幸せな未来につながるゲーム盤であるとすると…

 戦人は戦人。ベアトリーチェは紗音。碑文殺人は完遂後。24時の大爆発も起こっている。絵羽は九羽鳥庵で生還。

 例えば、碑文殺人は全て狂言で、24時の大爆発のスイッチを入れたのが紗音じゃないとしたら、戦人には紗音には罪がないように見える。だが、全ては紗音が、数多の世界で数多の人を殺す計画を立てたからこそ起こったことで、また、多分紗音は十七を殺している。

 戦人が自分の罪を思い出し、紗音を受け入れるという奇跡まで起こっている。しかし、しかし、戦人が碑文を解いたわけでもなく、結果的に、もしかしたら途中からは紗音にとっても不本意に、★運命のルーレットの出目が「勝利」になってしまった。大勢犠牲者も出てしまっている。だから、紗音は黄金郷に行かなければいけないと考えた。 紗音は海に飛び込み、戦人も紗音を追って海に飛び込むも、追い切れずどこかに漂着し、八城幾子との出会いへ。

 注意しなければいけないのは、この第3日目は「一なる真実」とは矛盾しないが、「一なる真実」ではないということである。あくまでこれは、縁寿の幸せな未来につなげるために創作されたゲーム盤である。その根拠は、戦人が自分の罪を思い出しているということ。もしこれが「一なる真実」でありベアト世界の元となったとすると、“戦人”が自分の罪を思い出す可能性、言い換えれば希望が提示されていることになる。だとしたらEp4でベアト世界のベアトや、ゲーム盤上の紗音があそこまでやる気を失い、絶望するはずがない。

 “一なる真実の書”を記したのは絵羽であり、それは絵羽の視点で記されているはずだ。だから絵羽が知らないことは記載されていない。少なくとも絵羽の知る範囲では戦人は死んでおらず、おそらく戦人は生死不明ということになっているはずだ。これに矛盾しないように、戦人の六軒島脱出の顛末を描写することで、縁寿の幸せな未来につながる可能性が提示される。

 では海の底に沈んだベアトリーチェと戦人はいったい何なのか。それは本文に記載されているままに“静かな海の底での安らかに眠る、ベアトリーチェの猫箱”であり、“とてもささやかな物語”である。つまり、ベアト世界で展開される壮大な物語にはつながらない。このベアトリーチェと戦人はベアト世界に行くことなく、この海底の小さな猫箱でEp1~8とはまた別のささやかな物語を紡ぐことになる。

 紗音の動機は、碑文に沿った殺人を完遂して儀式を成就し、黄金郷に行くことであるが、実際に“黄金郷”、この場合ベアト世界に行けたのは、ベアト世界の元となった六軒島世界の紗音だけである。ではベアト世界に行けなかった紗音はどうなったのか。その可能性にささやかな希望を提示したのが、海の底に沈んだベアトリーチェと戦人の顛末である。

 

●1998年

 絵羽からの相続が万事円満にすすむこの1998年にでてくる縁寿は、オルト縁寿なのか、メタ縁寿なのかもうわからない。だが、この未来はどちらの縁寿も享受できる未来なので、わざわざ判別する必要はない。

 

<Tea party>

●フェザリーヌが何か書いてる

 観劇の魔女が同人誌を作って悦に浸っている。ただそれだけ。ベアト世界には何の影響も及ぼさない。

 フェザリーヌは最後まで観劇の魔女の立場を堅持した

 

<????>

●数十年後の世界

 これも●1998年と同じで、オルト縁寿の未来でもあり、メタ縁寿の未来でもある。

 

●未来の世界で成すべきこと

 縁寿は寿ゆかりの名前で、伝えたいテーマを織り込んだファンタジー作品を世に送り出し、福祉活動を手広く行ない、世間に認められるようになっている。これならば、いつの日か、右代宮縁寿を名乗り、“私の親族たちは今も黄金郷で私を見守っている”と発言しても、わざわざそれを否定するような声は上がらないだろう。反魂のための黄金の真実が六軒島世界で通用する下地が、着々と積み重ねられている。

 

●真実を記した右代宮絵羽の日記の“非”公開

 フェザリーヌではない八城幾子が、実際に六軒島世界で行なったことである。おかげで黄金の真実が通しやすくなった。八城幾子のそばに右代宮戦人がいるのなら、ほぼ必ず起こる出来事であろう。

 

●「一なる真実」に反しない再会

 ベルンカステルが、「一なる真実」に基づいて出した赤字が、“お前の父も、母も、そしてもちろん戦人も、二度とお前のところに戻り、お前の名を呼ぶことはない。

 戦人は事実上幾子のパートナーとなっており、縁寿のもとに戻ったわけではない。自分を“右代宮戦人”と自覚できない戦人は、縁寿を、“あなた”もしくは“寿先生”としか呼んでいない。少し曲解気味だが、こうでもしないと縁寿と戦人は再会できない。バトラも苦労したことだろう。

 

●福音の家にて

 紗音の世界観をもとにして構築された黄金郷、すなわちベアト世界は、一度完全に滅び去り、縁寿の反魂により蘇ることになる。なので、蘇った後の黄金郷の世界観は紗音ではなく縁寿の世界観に依存することになる。縁寿にはベアト世界で経験した幸せの記憶があるので、かなり忠実にベアト世界を再現できるが、それでも違いが生じてしまうのは否めない。

 今回問題となる違いは、“右代宮戦人”の生死である。縁寿は八城十八となった戦人と再会し、戦人が死んでいなかったことを知る。となると、戦人はいまだ黄金郷には至っていないという解釈が縁寿のなかで構築される。なので、縁寿が黄金郷の世界観を構築しても、そこには戦人がいないことになる。

 さて、“右代宮戦人”は、死んでいないとは言え、実質上、死んで成仏できずにその亡霊が、八城十八の体に封印されているようなものだ。これは“右代宮戦人”のためにも、八城十八のためにもならない。だから、縁寿は、“右代宮戦人”の魂を、自分がその存在を信じている黄金郷に導いてあげるべきだと思った。

 バトラとベアトが再会する幻想のラストシーンは、その縁寿の鎮魂の想いがうまく運んだことを、縁寿によって再構築されたベアト世界の立場から描いたものである。戦人との再会に納得した縁寿が、戦人の魂が黄金郷に導かれるよう取り計らうことで、戦人もようやく黄金郷に至ることができたという解釈。

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