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この人物がすごい! ~清教徒革命の指導者 オリバー・クロムウェル~

2006-08-30 | この人物がすごい!
現在のイギリスは、王を中心とした立憲君主制です。
しかし、かつてこの国(イングランド)は共和制を打ち立てたことがあります。
1642年に始まり、国王の処刑を持って一段落した清教徒革命により共和制が成立しました。
この共和制を打ち立てた人物こそが、オリバー・クロムウェルその人です。


クロムウェルは1599年、イングランド東部の地主の家に生まれました。
厳格な清教徒でもある両親に育てられ、ケンブリッジ大学に進学します。
そして、下院議員(庶民院議員)となりました。

清教徒革命が起こったときはクロムウェルは43歳でした。
議会が気に入らなかった、時の国王“チャールズ1世”は議会なしの統治を行うという暴挙に出ました。
この国王による政治は11年間続き、遂に内戦が勃発したのです。

このとき、クロムウェルは独立派という国王から独立しようとする派閥に属していました。
騎兵隊の隊長だったクロムウェルは、訓練された国王軍に比べて実力も絆も弱い議会軍を立て直そうと考えます。
そこで、“清教徒”であるということを強調することで人々の結びつきを強めようと考えました。
そして、規律によって縛ることで騎兵隊の力を増強します。
彼の騎兵隊は“鉄騎隊”と呼ばれ、戦闘で勝利していきました。
議会軍はクロムウェルの鉄騎隊をモデルとした軍隊を編制し、クロムウェルを副司令官に抜擢しました。
この新型軍の強さによって1645年、ネイズビーで行われた大規模な戦闘に議会軍は勝利し、国王はスコットランドに逃亡します。
これによって内乱は集結したのです。

内乱が集結した後、クロムウェルは実質、軍隊の中心的人物でした。
スコットランドと共謀し、実権を再び取り戻そうとした国王を処刑します。
そして、独立派による共和制を宣言しました。

国の実権を握ったクロムウェルは、アイルランドやスコットランドへ侵攻します。
住民の虐殺と土地の没収を繰り返す一方で、自国民に土地を分配します。
また、商人を優遇することで富国を目指しました。
そうして、次第にイングランドはクロムウェルの独裁政治へと変わっていくのです。

クロムウェルは国王になることを望まれましたが、これを拒否。
“ロード・プロテクター(護国卿)”の役職につき、終身イングランドの政治を担っていました。
しかし病に冒され、1658年に死亡します。
このとき彼が患っていた病はインフルエンザだとも言われています。

息子のリチャードがクロムウェルの後を継ぎ、ロード・プロテクターを名乗りましたが、父ほどの手腕もなくわずか8ヶ月で辞任させられています。
また、1660年には国王制の復活(王政復古)が起こり、フランスへの亡命を余儀なくされました。
こうしてイングランドの共和制はわずか11年で幕を閉じました。

王政復古後、クロムウェルは大反逆人として扱われます。
特に父を殺された新国王の怒りはすさまじく、わざわざクロムウェルの遺体を墓から掘り出して絞首刑にしたほどです。
さらに、その後死体を斬首したというからよほどの恨みだったんでしょう。
クロムウェルの遺体の首は見せしめのため、しばらくの間晒し首になっていたようです。



まさしく波乱万丈といった人生を送った“オリバー・クロムウェル”
まさか死んでまでも事件に巻き込まれるとは思ってもいなかったでしょう(笑)
後世の彼の評価はまちまちで、「偉大な革命者」から「残虐な侵略者」まで実に評価が分かれている人物です。
まぁ、織田信長も豊臣秀吉も同じような評価であることを考えると、何かをなした人物というのは同じような評価になるのかもしれませんね。

ちなみに彼の首が行方不明になり、所有した人物に不幸をもたらしたという噂もありますが、それは別の機会にでも・・・


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1 コメント

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参考になりました (とある初心者)
2012-01-18 03:29:42
とても参考になりました。ありがとうございます。

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