伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

今改めて聴くBillie Holidayのブルース、最高のJAZZSongを・・・・やはり此の1枚は名盤だと思う

2019年04月18日 | JAZZ・ボサノヴァ

今回はビリー・ホリデイを聴いてみました、「売春宿、人種差別、ドラッグ、ヒモ男に惑わされた歌姫の奇妙な人生から始まった」幼児期に虐待を受けたビリー・ホリデイはカトリックの養護施設に預けられ、その後売春宿の女主人の元で掃除や小間使いの毎日を送った。

1928年にはビリーの母親は娘を連れてハーレムへ移り住んでおり、その後間もなくして娘とともに売春宿で働くようになるが、14歳の時にビリーは放浪罪によって矯正施設に送られている。

施設を出所した後に出会ったサックス奏者とともに、ビリーはハーレムの安酒場で、レコードを聴いて大好きだったベッシー・スミスの真似をして歌うようになる。193310月、ハーレムのクラブでビリーの歌声を知った音楽評論家兼レコード・プロデューサーのジョン・ハモンドが、ベニー・グッドマンと彼女を組ませて数曲のレコーディング・セッションをさせている。

やはり其処には白人が加わりによりヒットした、勿論そこには人種差別問題もあった。しかしその時の「Your Mother’sSon-in-Law」を聞く限り、彼女の前途は何も見えない。1937年にビリーはカウント・ベイシー楽団をバックに歌っている。

翌年にはアーティー・ショウと共演し、白人のオーケストラと仕事をした最初の黒人歌手の一人になったが、ケンタッキーでは観客の一人に罵られ、ビリーにとって決して楽しい仕事とは言い切れないものだった。

ニューヨークのホテル・リンカーンでは表玄関を使わずにキッチンのドアから出入りするようホテル側に言われ、傷ついたビリーは1937年の暮れにショウの楽団との共演から降りている。その後、ビリーの拠点はグリニッジ・ヴィレッジのカフェ・ソサエティになった。彼女のパフォーマンスに誰もが驚愕したが、特に「I Cover The Waterfront」のような感傷的な作品での彼女はすばらしかった。

しかし何よりも、このクラブに出演していた時期に彼女の代名詞とも呼べる作品が1曲生まれている。

とある夜、ニューヨークの公立学校の教員ルイス・アレンが、カフェ・ソサエティのオーナーであるバーニー・ジョセフソンに、自分の書いた曲をビリーに歌ってもらうことは可能かどうかを尋ねたのがそのきっかけだ。

その楽曲こそ、あの名曲「Strange Fruit(邦題:奇妙な果実)」だ。最初はこの曲は失敗だと思ったが割れんばかりの拍手喝采となり、ブルースを黒人から白人と歌いつながり大ヒットするのですが、アメリカでは白人にヒットしないと全く稼ぎにはならない、もちろんJAZZも同様で白人が演奏してヒットしていった。

ブルース「奇妙な果実」(きみょうなかじつ、原題:Strange Fruit)は、ビリー・ホリデイのレパートリーとして有名な、アメリカの人種差別を告発する歌である。題名や歌詞の「奇妙な果実」とは、木にぶら下がる黒人の死体のことである。

枯淡の味わい。44歳で亡くなったビリー・ホリデイ、晩年の名唱。

25歳頃の名盤『奇妙な果実』のまっすぐ届く艶のある高い声とは一変、しわがれた渋い声で歌うしっとりとしたバラッド集です。ビリー・ホリデイはジャズ歌手としての成功と裏腹に、人種差別、麻薬などに苦しんだ波乱万丈の人生を送ったことでも知られます。

本作の静かに淡々と感情をかみ締める歌声に、人生の達観した境地をどうしても感じざるをえません。筆者がジャズボーカルで1枚選べと言われれば、このアルバムを挙げるでしょう。じっくりと心の奥底のささやき声に耳をかたむけるような、そんな名盤です。

奇妙な果実 / ビリー・ホリデイ 

 奇妙な果実Strange Fruit

  1. 奇妙な果実 (MONO)

Billie Holiday(vo) Ray Ellis(arr,conductor) Recorded 1958

 

1957年、ビリーはルイス・マッケイと結婚。

当初は仲睦まじかったものの、やがて二人の間では揉め事が常態化していき、特にビリーがリスクの高い投機で大金を失ったことが判明した時の争いはかなりのものだった。

ビリーもまたドラッグに依存するようになった。そして二人は離婚し、ビリーは伴侶に犬を1匹連れてニューヨークのアパートに移り住んだ。大酒飲みだったこともあり、もはや自分が誰なのかも覚束なくなるほどに彼女のドラッグへの依存は強まっていった。

現在と言ってもかなり昔から10吋のIIILZTANNOYでどのような音が出せるかを追求していますが、癖の強いIIILZは思うように鳴らないのがTANNOY10吋のIIILZの特徴何でしょうかね(笑)

オリジナルの箱からAXIOM80の箱に交換し随分低域が出るようになり可也良いところまで来ました。そして最近アンプを真空管のパワーアンプ交換で以前と比べ良い音になったが・・・この音の方向で良いかは、何時も疑問が湧き、

真空管の交換を行っている、この球転がし此のが真空管アンプの利点であり、付い無駄使いをする原因です(笑)実は全く知らなかった事、以前「ザ・キット屋」から「SUNVALLEY audio」へ社名変更した会社は豊田自動織機グループ企業内のオーディオ販売会社だったようです、やはりオーディオの世界では資金調達等の難しく大手会社のバックは安定するはずである勿論最近購入したSV-501SEも勿論織機系列の会社だったんです、(驚)

と同時にSV-501SEパワーアンプの音での注意部分が徐々に解ってきた。初段の6MB8のプリ管の交換で300B交換も音は変わるが、むしろ初段プリ管の交換が音色が変わる事がより多く影響する事を体験した、当に王道はTELEFUNKEN、Mullsrd、SIEMENS等のプリ管も或るようですが、現在入手困難と聞く、調べたが入手可能は松下、東芝管は比較的探せば入手可能のようである、国産管と比べJAZZにはAmpexRCA辺りが良いのかも知れないと感じる(あくまで第六感)、実はAmpexのオールド球が聴きたかったが高額過ぎ筆者には手に負えない(笑)

早速試聴すると音の違いが判るのは演奏者のドラムの音がドーン、ドーン」と滲む感じから「ドン、ドン」と乾いた響きが聴ける感じになる、まだ試聴はしてないが松下管も一度は聴いたみたい初段管です。

国産品のプリ管は意外と安定した音が聴け、緻密な感じが好印象を受ける。

新品の元箱入2本♯10361RCA 6BM8を入手した、20時間ほどのエージングでまだ不明な部分は多いが筆者の感はあたったようだ、PSVANE 300BはWEをコピーして出来た球なので、初段管もアメリカ系列のRCAと思い早速購入した。

音色傾向はやはりJAZZには合っているようです。

往年のビリー・ホリデイの歌は実に彼女らしい嗄れた声で歌う独特の臨場感が良く出ている。特に一番肝心の音の中域の厚みが増したかんじでJAZZ独特のハスキーな音が聴ける、但し高域の美しさは東芝が良く鳴る、全体的に線は細いが高音部の美しさは素晴らしい、全体に線が太ければベストなんです。選択は難しい?

またSV-501SEのアンプの音色の特徴は「球を替えると傾向は変わる可能性はあるが、全体に太めの音で繊細感は薄い。

球の変化に敏に反応するタイプではない感じ。高価な球をあてがっても費用対効果が現れにくいかもしれない。」とある・・出力トランスが小さめなので周波数的な限界はある模様。こうしてSV-501SEのアンプを扱ってみつと意外と曲者感が漂う・・・・・

筆者所有のAXIOM80 TANNOYを鳴らすのはこのアンプを使うと綺麗な音しすぎる嫌いがあるそこで初段の6MB8のプリ管RCAを使った、これがJAZZにはとても具合が良い、でも一般的には少しレンジが狭く感じ又ステレオ感の広がりが狭く感じる事は、其の辺りが難点である。

でも特に男性ヴォーガルを聴くには良く、ビリー・ホリデイ等のしわがれ声等の再生には特筆ものです。

SV-501SEは真空管整流ではないため音質が良くないと言われるが工夫次第で面白い効果が合った。といっても電気的には素人で初段管の交換しかかんがえつかないが・・・・・勿論、今後PSVANE WE300B Hifi 真空管の購入は視野には入れるが此の球が「球の変化に敏に反応するタイプではない」との言葉が気になる一言である。

でも色々解説文を読むとWEの特筆をよく捉えていると言うコメントに興味が唆るTANNOY社が勧めるアンプはQUADⅡだそうですが、わかる様な気がします。

中古相場も高額ですが、メンテナンスのとこを考えると・・・自作しか無いが筆者には無理な話である。

真空管も色々あるが筆者所有のイギリスのエンクロージャーを鳴らす最良の真空管はやはり英国代表する4極出力管のKT66,の球との相性が良いのかも知れない、自作も視野に入れ考えなければいけないのか?

最近の管球多国ではKT66のパワーアンプを頒布していたが、貧困老人には高値の花で手も足も出ない上記のアンプはキットで頒布しているようだ。

ビリー・ホリデイは複雑な女性だった。彼女は友人をひどく怒らせることもあったが、同時に生き生きとしたすてきな女性でもあった。ドラッグやアルコール中毒から抜け出せない生活によって彼女の声と身体荒らされてしまう前の彼女の、抗いようのない魅力と肩を並べられる歌手はどこにもいなかった。

いつの時代でもホリデイの再来を謳う歌手は現れるが、彼女のように心情を吐露できる才能を備えた歌い手は、実のところほかに一人もいない。ビリー・ホリデイ(1915-1959)と言えば、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンと並び称される女性ジャズ・ヴォーカリストの三大レジェンドのひとりです。が十代で娼婦になったとか、偶然にも歌手になった後でも酷い人種差別をうけ、その後はアルコール中毒と麻薬の宿痾を抱え、晩年は声も潰れて、などと暗いイメージが常に漂う。

筆者の知るなは「Songs for Distingué Lovers / Bille Holiday」です。

晩年の19571月の録音ですが、明るい溌剌した声のビリー・ホリデイ(愛称レディ・デイ)が楽しめます。しかし、絶頂期の1930年代は間違いなくトップ歌手であり、数々の明るい唄も歌っているが、如何せん録音が悪く、オーディオマニアの私には楽しめない。何とか声も録音も良いレコードはないものかと探して、ようやくこの盤に行き着いた。

Billie Holiday: Stars Fell On Alabama (1957) 

Songs For Distingue Lovers

  1.デイ・イン・デイ・アウト(Day In Day Out06:50

  2.霧深き日(A Foggy Day04:43

  3.アラバマに星落ちて(Stars Fell On Alabama04:32

  4.ワン・フォー・マイ・ベイビー(One For My Baby05:42

  5.ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングズ(Just One Of Those Things05:34

  6.時さえ忘れて(I Didn't Know What Time It Was06:03

「ビリー・ホリデイ、ハリー・エディソン、ベン・ウェブスター、ジミー・ロウルズ、バーニー・ケッセル、

レッド・ミッチェル、ジョー・モンドラゴン、アルヴィン・ストーラー」

録音年:195713日、4日、7&8/収録場所:ロサンゼルス

 ビリー・ホリデイが亡くなる2年半前のレコーディング。40歳を過ぎ、生の深淵を見せるような歌声と、ベン・ウェブスターやバーニー・ケッセルといった名手の客演によって名盤の誉れの高い一枚。ビリー・ホリデイは複雑な女性だった。彼女は友人をひどく怒らせることもあったが、同時に生き生きとしたすてきな女性でもあった。

ドラッグやアルコール中毒から抜け出せない生活によって彼女の声と身体荒らされてしまう前の彼女の、抗いようのない魅力と肩を並べられる歌手はどこにもいなかった。いつの時代でもホリデイの再来を謳う歌手は現れるが、彼女のように心情を吐露できる才能を備えた歌い手は、

ビリー・ホリデイのところほかに一人もいない。ブラボー!



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