それから (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1985年9月15日発売)
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 千年読書会、今月の課題本でした。学生の時に読んだ記憶があったので、手元にあるかと思ったのですがなかったため新潮文庫版を購入。他の漱石の蔵書と比べて大分新しい見た目となってしまいました。。

 さて、本編の主人公は「代助」、とある資産家の次男坊で、大学は出たものの、30歳をこえても定職に就かず、フラフラと気ままな日々を送っています。当然結婚もしておらず、学生時代の友人「平岡」の妻「三千代」にほのかな憧れを抱いているものの、二人の幸せを祈ってる状況だったのですが、、その夫妻が仕事で失敗して東京に戻ってくるところから物語が動き始めます。

 代助はいわゆる“穀潰し”なわけですが、家族には愛されているし、期待もされている。今でいう、ニートや引きこもり、、ってほどにネガティブでは無く、当時の高等遊民との言葉がまさしく言い得て妙です。ただ、危機感のなさからくる“社会”との乖離は共通しているのかな、、

 背景となる時代は、日糖事件のころですから、1910年前後でしょうか。一等国ぶっていても、借金で首が回っていないとか、日露戦争後の日本社会状況を冷静に見通している、知識階層の感覚もなんとなく垣間見えて面白いです。

 そんな中での“金は心配しなくてよいから、国や社会のためになにかしなよ”との、父や兄の言葉はなかなかに象徴的だな、とも。次男・三男に、金銭よりも公共性の高い事業へのケアを求める。そういった観点からの社会への還元は、ある種の分業とも取れて意外とありだなぁと、そして、今でも結構あるよなぁ、と。

 さて、仕事にしくじって戻ってきた平岡夫妻、なかなか思ったような再就職もできず手元不如意に。そんな夫妻の危機に対し、金銭的には力になれない代助は、自身の無力さを感じるものの、社会に対してはまだどこか他人事のように接しています。

 そのまま十年一日のように過ぎていくのかと思いきや、夫婦間の根底の問題に触れ始めたころから、他人事ではなく“我が事”としてのめりこんでいくことに。。

 単純な愛情だけではなく、二人の不遇が故の同情もない交ぜになったその様子が、どこかアンニュイに世界と関わっていた代助が変わるきっかけに。その三千代への狂おしいほどの想いとしては、どこから来ているのか、そんな心の機微が濃やかに描かれています。

 並行して進められている、いわゆる“いいところの御嬢さん”との縁談の話との対比も象徴的で、価値観の合わない女性との結婚に、イマイチ前向きになれない代助ののらりくらりとかわそうとする煮え切らなさも面白く、、どこか微笑ましく見ていました。

 そして興味深かったのは代助と平岡の仕事に対する意識の違いでしょうか。代助は「食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪い」、平岡は「食う為めだから、猛烈に働らく気になる」と、これは今でも同じかなと。どちらも“あり”だと思いますが、個人的には代助に共感を覚えます。

 終盤、代助は勘当された状態となり「職業を探してくる」なんて風になるわけですが、代助が「自分のこころに対して愚直なまでに誠実」であることは、物語の最初から一貫していると思います。表面的には、坊ちゃん然とした甘ったれにも見えますが、当時の家族とのしがらみや金銭的な問題をも飛び越えての、代助の在り様と、それを受け入れようとする三千代は、なるほどなぁ、と。

 「仕事は“何のため”にするのですか?」

 こんな問いかけをされているように、思いました。「家族を養うためにきつくても嫌でも我慢して、働いてやっている」なんて風潮に疑問を投げかけながらも、かといって、霞を喰って生きていくわけにもいかないとの現実的な問題も対比させて。劇中の代助の選択肢はいくつもあり、自分だったらこうするのにとの投影も可能だと思います。

 ラスト、代助と三千代、ふたりの“それから”がなんとも気になる終わり方となるわけですが、、物語としては生殺しですが、問いかけとしてはこのオープンエンドはありだなと。このような物語を当時の時代を踏まえながら描き出せるのはさすが漱石といったところ、今まで読み継がれているのもあらためて、納得でした。

 ついでに言えば、代助を男性として見た場合の魅力はどうなんだろうと、女性にもきいてみたい、そんな風にも感じた一冊です。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ロマンス
感想投稿日 : 2014年2月28日
読了日 : 2014年2月28日
本棚登録日 : 2014年2月27日

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