吉備真備のふるさとを訪ね、こんなにたくさん知らないことがあったかと衝撃を受けた。中でも箭田(やた)大塚古墳は圧倒的で、飛鳥の石舞台古墳に匹敵する。
これを造ったのが真備の先祖だと分かったことで、彼がどんな背景を持って中央政界に打って出たのかがよく分かった。
(これは仲麻呂のふるさとにも行かないと)
彼の人間像に迫れないのではないかと思った。
むろんこれまで何度か奈良県桜井市を訪ね、阿倍氏の氏寺である安倍文殊院や、館跡だと言われる安倍寺跡は取材している。しかしそれは地形や環境を確かめる程度のもので、資料や史書を読み込むところまでは至っていなかった。
そこでこの機会にその空白を埋めようと思い立ったわけだが、それは図らずも安部家に生まれた自分のルーツを探し求める旅にもなった。
まず訪ねたのは奈良公園の東側の御蓋山(みかさやま)(三笠山)だった。標高294メートルの三角形の山で、背後には春日山、北側には若草山がある。
この山には「安部氏社」が祀(まつ)られていて、ふもとには阿倍氏の別邸があった。そしていつの頃からか、遣唐使たちが出発前に御蓋山に奉幣(ほうへい)して旅の無事を祈るようになった。
御蓋山そのものが神体山として尊崇(そんすう)されていたのだろうし、古くから外交や航海において重要な役割をになってきた阿倍氏の功績が、こうした慣例を生んだものと思われる。
名歌に詠まれた望郷
阿倍仲麻呂も都を発つ前に、遣唐使の一行とともに御蓋山にお参りした。それは阿倍家の者としては晴れがましい行事だったのだろう。
天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
仲麻呂が唐にいた時に詠んだ歌には、そうした追憶(ついおく)と望郷が込められている。
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