「コンクリート補修」で非難を浴びる万里の長城、小河口の風景(写真:Imachinachina/アフロ)
「コンクリート補修」で非難を浴びる万里の長城、小河口の風景(写真:Imachinachina/アフロ)

 中国といえば万里の長城、という人も多いだろう。その万里の長城の修復があまりにもお粗末だということで、国内外から非難の声が轟々と上がっている。

 万里の長城というと、八達嶺や慕田峪、司馬台あたりが観光地として有名だろうが、野長城と呼ばれる、修復の手がほとんど入っていない山間部に残る長城跡がほとんどである。だがこれも大変風情があって美しい。山歩きの好きな人は、あえてそういう人気のない、荒れた野長城を訪れることを好むし、いくつかのツアー会社ではそういった野長城ツアーもある。結構、険しい山の稜線にあり、秋口などは遭難の危険性もあるので、単独、ガイドなしでは絶対行ってはいけない。ちなみに、野長城は条例で、眺めるのはよいとしても勝手によじ登ると200元から500元の罰金が科される。ただ、この法律は有名無実化していて、北京郊外の野長城には年間20万~30万人が勝手に登っているとか。

長城保存、力を入れる方向が違う

 万里の長城とはそれほど、ロマンを掻き立てる屈指の石造文化遺産なのである。それだけに、中国文化当局は長城保存に力を入れているのだが、その力の入れる方向がなんか違う。いったい、なぜこうなるのか。

 野長城の修復問題が中国のネットで話題になったのは、2014年に修復された遼寧省中綏中県の小河口長城の写真が9月21日以前、現地を訪れた野長城愛好者のユーザーによってインターネットのSNSの微博にアップされたことがきっかけだった。この写真に写っていた修復部分は、崩れかけた石積の上を平たんに埋め立てるという単純なもので、修復後は明時代の磚(せん=煉瓦)は白いコンクリート状の層の下に隠れ、美観も風情も台無しであった。

 ネットユーザーらの間で「最も美しい野長城をコンクリートで埋め立てた!」と非難の声が上がり、新京報など中国メディアも文化財破壊だという文脈で報じ始めた。CCTVなど中央メディアもこの件を報じ、海外メディアも注目、もともと、一部の野長城マニアにしか知られていなかった小河口長城は、一気に「修復」と言う名のもとで景観を破壊された野長城として国内外に知られるようになった。

 ネットでは「爆破するよりひどい修復」「こういう仕事をする低能官僚がいるから、地元経済がよくならない」「これもワイロの結果か!」「ちゃんと(修復プロジェクトを)審査したのか? どのようにお金を使ったのか? 誰が審査し、誰が施行したのだ?」と、当局に対する激しい非難の声があふれた。

荒涼とした趣はコンクリと白灰土の下に

 小河口長城は、遼寧省と河北省の省境に残る明時代の長城の主幹線であり、険しい燕山山脈の稜線に長さ8.9キロ、31座の敵楼、18座の戦台、14座の烽火台を残している。明の洪武14年(1381年)に青磚と白灰土で修繕され、防衛能力や軍用物資備蓄能力といった機能もさることながら、堅牢な外観に、敵台などの門枠に掘られた精緻な花紋など、芸術性も備わった歴史的遺跡だ。

 2014年の修復前は、低木に覆われる稜線上に、崩れかけた石積がかろうじて残るような状態の部分が多く、それはそれで、700年間、人の手が入っていない荒涼とした趣があり、そこにたどり着くまでの険しい山道の疲れをかみしめながら悠久の歴史に思いをはせるには絶好の風景である。

 だが、長城の風化が激しく、1メートル以上の石積みの壁は大雨などが降ればいつ崩れるかもわからぬ危険もあり、放っておけば長城の消失にもつながるとあって、修繕の必要性が指摘されていた。

 問題は修繕の仕方だった。新京報によれば、施工者は「白灰土とコンクリートで壁面と路面を固める」という発注を受けていた。修繕の目的は倒壊崩落の危険を防ぐと説明されていたという。問題の写真に写っていた部分は、1、2キロの稜線に連なる野長城で、修繕前は磚は砕け、地面が露出し、壁部分は崩れていた。

 3か月にわたる工事終了後は、もともとあった崩れた壁や青磚の残骸は全部のっぺりしたコンクリートと白灰土の舗装路に変わっていた。ただ崩落防止のために固めたというには、その舗装路の表面は非常に薄く、棍棒でたたくとすぐはがれるような代物で、最も薄い舗装部分は爪ぐらいの薄さ、という指摘もある。

 新京報は修理に当たった専門家も取材している。その言い分をまとめると、国家文物局、遼寧省文物局、地元県文物局及び文化財修復施工業者四社の関係者による調査チームが現地調査に当たり修繕・修復方法を検討。すでに破損が激しく青磚や石材もなくなっていたので、原貌回復が不要と言う意味ではなく、最小の関与で現状保存する応急処置として、砕けていた磚などを集めて白灰土で固める修復案をとった。

 新しい石はまったく使っていない、という。一番上の部分を保護するため厚さ平均12センチの白灰土3、コンクリート7の割合で作った保護層をかぶせたのでのっぺりした舗装路のような外観になった、と説明している。だが、風の強い稜線で、白灰土は3~5年の時間が経てば風化し、下の長城の砕けた磚は露出し、もともとの風景に近いようになるという。爪くらいの薄さ、と指摘されたのは、すでに保護層が風化したところだろうか。

注目と非難が高まり、反論も必死

 遼寧省文物局長の丁輝は「修繕保護しなければ、大雨などが降れば、危険なだけでなく、かろうじて残った城壁も消失してまう。…破損部分に一層の保護層をかぶせる修繕方法を採択した。修繕部分全長8キロのうち、一部は修復し、一部は固定し、一部は保護した。…全部コンクリで平らに塗り固めたわけではない」と弁明している。

 修繕方法は、国家文物局が2014年に批准し、(外観を元通りにする)修復は不可能で、ただ保護修繕しかできないと、専門家も判断した。「確かに見た目は悪くなったが、これが専門家たちが決めた唯一のやり方だ」と丁輝はその合法合理性を主張した。これだけ世間で批判の声が高まれば、下手をすれば当局関係者の処分もありうるので、彼らの反論も必死だ。

 だが中国の著名な長城研究家であり、中国長城学会副会長の董耀会の見方は厳しい。長城修復の問題点をやはり新京報など中国メディア上で訴えていた。

 「このような粗暴な長城修復は、長城の文化と歴史を傷つけることになる。人民と文化遺産の対話の断絶させる荒唐無稽な行為だ」「長城修繕は合理合法的で手続き上は問題ないということだが、結果的に文化財の風貌を破壊する原因になっている。目下全国の長城修繕の在り方に統一した方法はなく、その基準も操作可能だ」

 つまり地方によって長城の修復のレベルというのは相当差があり、統一した修復基準や、施工、管理などの原則も決まっていないことが、そもそもの問題だという。

 かつて新聞社の奈良支局で文化財担当だった経験を振り返れば、確かに700年前の石造文化遺産を保護するというには、ずいぶん雑で荒っぽい方法をとったものだという気がする。そもそも、保護層がすぐ風化するようなもろいものならば、景観をそこまで損なう保護層など本当に必要あるのだろうか。経年劣化そのものに文化遺産の価値を高める魅力がある石造文化遺産の保存修復は、風化プロセスのモニタリングや経年劣化の定量化測定も含め、土木工事というよりは科学技術の分野であり、もう少し繊細なものではなかったか、と思う。

でか過ぎる。早過ぎる。持ち去られる…

 もっとも長城保護の問題は、普通の石造文化遺産保護のやり方では通用しない困難な問題もある。

 まず、遺跡がでかすぎる。

 総延長2万1196.18キロ、世界最大の歴史的建造物遺構の文化遺産である長城は、もともと秦の始皇帝の時代に建設が始まった。そのほとんどは風化しており、もっとも最近に作られた明時代の部分の6259キロ中、残存部は2500キロ以下で、比較的保存が良好で景観をとどめている部分が513.5キロ。さすがに、この残存長城すべてを、最先端の科学技術でもって保存するということは財政的にも不可能だろう。

 長城保護条例を国務院が発布したのは2006年。今年でちょうど10年目だ。以来、毎年1億元が野長城保存に投入されているという。2000年から2016年まで北京市は45キロの野長城を修繕したが総額3.67億元がかかっている。専門家によれば1メートルの危険個所を固定するだけで1万元以上、1メートル分の磚を修繕するだけで2万元かかるとか。北京など比較的財政に余裕のあるところはまだいいが、野長城が残っている地域はだいたい貧困地域。河北省張家口の長城遺構は約1800キロに及ぶが長城管理署職員はわずか3人。これでは保護保存もくそもない。

 もう一つの問題は、長城の消失スピードの早さだ。1984年に万里の長城残存部を踏破したという董耀会によれば、その当時から約20年の間に約2000キロ、つまり明時代遺跡の3分の1が消失したという。

 消失の原因は、壁全体の倒壊、烽火台の磚脱落、風雨の浸食などに加えて、非常に中国的な理由がある。地元民らによる長城の破壊だ。つまり長城から磚を勝手にはがして、住居や家畜小屋の建築資材として持ち去ったり転売したりする問題が深刻で、改革開放以降の30年あまりで消失した万里の長城の約半分は、この農民の磚、石材持ち去りが原因とみられている。

 特に、普段観光客もいなければ、管理人もいない野長城の被害が深刻だった。石造文化遺産の修繕保護という課題に対し、景観保存よりも、白灰土コンクリの保護層で磚を覆って隠してしまうやり方は、ひょっとすると、農民らの磚の盗掘を防止する発想が先にあるかもしれない。

文化財保護と観光資源化が混沌

 そもそも、中国では、文化財保護、景観保護という意識がまだまだ低く、万里の長城の落書き問題、ゴミのポイ捨て問題など、文化財修復技術問題以前のモラルの問題もある。野長城も勝手に登っては罰金という条文があるにもかかわらず、そういった法律は完全に無視されている。長城愛好家で、野長城を大切に思って慎重に登るならまだ許せるとして、そこで脱糞したり飲料ペットボトルを捨てて帰る不届きものも少なくない。

 また、文化遺産保護の概念自体が、統一されていない部分もある。文化官僚に文化財保護と観光資源化を混同している人も多いようで、世界遺産に指定されたとたん、テーマパークのような人工的な修復がされ、ネオンと土産物屋とガイドがあふれ、景観や風情を台無しにしてまうという問題が中国にはありがちだ。こういった感覚が、長城の修繕や保護の在り方にずれを生じさせるのかもしれない。

 今回の修復に関しては、あまりにも騒ぎになったので中央当局も、修繕プロジェクトに不正がなかったか調査するという。だが責任を負う官僚をあぶりだすだけでは本当の長城保護にはつながるまい。最終的には、一人ひとりの市民や観光客による、文化遺産や歴史との向き合い方が問われる話なのだと思う。

新刊!東アジアの若者デモ、その深層に迫る
SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!

日本が安保法制の是非に揺れた2015年秋、注目を集めた学生デモ団体「SEALDs」。巨大な中国共産党権力と闘い、成果をあげた台湾の「ひまわり革命」。“植民地化”に異議を唱える香港の「雨傘革命」――。東アジアの若者たちが繰り広げたデモを現地取材、その深層に迫り、構造問題を浮き彫りにする。イースト新書/2016年2月10日発売。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中